今日も元気にメゼポルタ広場からお届けします。【完結】 作:沙希斗
これは、そんな「彼」の話です。
【彼】は、いつも一頭だけで【雪山】を彷徨っていた。
成獣して群れを出てから間もないために縄張りを持てず、いつもあちらこちらでその縄張りのボスである【ドドブランゴ】に追い立てられていた。
【彼ら】のようなボスの象徴たる長い牙はまだ生えてなく、従って闘いを挑んだとしても負けては逃げ回っていた。
しばらくの間は似たような境遇の【はぐれ雄】とつるんだり、年老いて群れに付いて行けなくなったものと身を寄せ合って暮らしたりしていたのだが、それも今は死んだり力を付けたものから別れたりして、再び一頭だけになっていた。
そんな折、比較的安全な所だと決めて食料を調達しているエリアに、妙な生き物がいるを見付けた。
【それ】は、ピンク色の草花のような体色をした小さな生き物だった。
最初は草花が揺れているのだと思った【彼】だったがそんな花はこの辺りには無かったし、花だけが独立して動いているように見えて不思議に思ってよくよく見ると、どうも生き物らしいと分かったのだ。
警戒して崖の上から隠れながら見ていると、【それ】もどうやら何かを採取しているらしいと分かった。
忙しなくウロチョロとしているのを見ていると、なんだか【巣】に連れて帰りたくなった。
連れて帰って、孤独の手慰みに弄んでやろうと思った。
そこで崖から降り、岩陰などに隠れながらそろそろと近付いて、いざ飛び出そうとした寸前で、【彼】の勘が危険を告げた。
慌てて周囲に首を巡らすと、やや離れた場所に同じような姿をした小さな生き物がいるのに気が付いた。
こちらは黒い体色をしていたが、ピンクの生き物と体のつくりがとてもよく似ていたので、同じ生き物であると判断した。
ただし外見はまったく違っていて、ピンクの方は花そのもののような柔らかそうな姿をしているのに、黒い方は真逆の刺々しい姿をしていた。
そして、ピンクのものよりも二回り程大きかった。
外見がまったく違って見えるのに同じ生き物であると判断したのは同じ臭いがしたから、という理由もある。
他の生き物とは違うその生き物独特の臭いがどちらからにもしたので、外見や大きさは違うが【生き物】としては同じものなのだろうと【彼】は思ったのだ。
黒い生き物はただ立っていた。
そしてこちらに向いてすらもいなかった。
だが、【彼】は『気付かれている』と思った。
そして『見られている』とも。
【彼】は恐怖した。
だが、ピンクの生き物への好奇心は、もう抑えられなくなっていた。
好奇心というよりは、もう独占欲に近かった。
せっかく孤独を慰められそうな玩具を見付けたのだ。
【誰か】に奪われる前に自分の物にしたいと思った。
幸い黒い生き物は『見ている』だけで、何もして来なかった。
視線(というよりはこちらに向いてもいないので威圧)は怖かったが、何もして来ないのなら危害は無いのだろうと思った。
そこでいきなり飛び出してピンクのものが驚愕して固まっている内に引っ手繰るようにして小脇に抱え、黒いものから逃れるように後ろも見ずに一目散に逃げた。
ピンクが引き裂くような悲鳴を上げたのが耳障りで仕方が無かったが、だからといって途中で放り出すような真似はしなかった。
「あ、こら!」
【ドドブランゴ】になる前の【はぐれ雄】がこちらを観察している事にとっくに気が付いていたベナトールは、しかし害は無いだろうと判断し、そのまま視線すら向けずに放って置いた。
だが急に飛び出して来てハナを奪って逃げて行ったのを見て、軽い諫めの声を上げた。
これがカイならば狼狽えて絶叫し、悲痛な顔をして大慌てで後を追い掛けるのだろうが、彼は落ち着いたものである。
何故なら、そんな状況になってすらもハナには害はないと思っていたからだ。
【彼】はただ好奇心の赴くままにハナを連れ帰り、弄びたかっただけだという事を雰囲気で知っていた。
だからハナが傷付く事は無いと確信していた。
ただハナが怖い思いをするだろうなと少しだけ彼女を慮り、仕方ないから連れ戻してやろうとゆっくりした足取りで【彼】が消えた方角へ歩き出した。
ちなみに採取するハナに付いて来たのがカイでは無く彼だったのは彼にとってはごく当たり前な行動だったのと、たまたまカイがいなかったからである。
【彼】が今【巣】として使っているのは入り組んだ洞窟が一部崩れ、天井に穴が空いている場所であった。
しかし穴が空いているのは一ヶ所だけだったので吹雪になっても雪が入り辛く、奥まった所に段差があるのを利用して、自分で狩った【草食種】などの毛を敷き詰めれば自分の毛も利用してかなり暖かく、従って【彼】にとっては快適な寝床になっていた。
【巣】といっても縄張りの無い【彼】にとっては仮拠点のようなもので、縄張りを持てたりここを追いやられたりすれば他の場所を探すつもりでいた。
さてそんな場所に帰って来てまず最初にした事は、それまで抱えていたピンクの生き物を寝床に置く事だった。
自分で一番安全だと思っている場所に置く事で、相手も安心するだろうと思ったからである。
だが今まで耳障りな悲鳴を上げ続けていた生き物は、自由になるや否や慌てふためいて逃げ始めた。
待て待てという感じで手を広げて壁にする。
短い悲鳴を上げて素早く周りを見渡し、体の隙間を見付けるや否やそこから脱出しようとする。
仕方ないので再び掴み、元に戻す。
戻す度に逃げようとするので、つまんで持ち上げる。
引き攣ったような声を上げながら四肢をジタバタと振り回しながら暴れるので、面白がってつまみ上げたまま見ていた。
「やだっ! 放して、放してよぉっ!」
何やら叫んでいるが、何を言っているのか分からない。
でも嫌がっているのだろうなというのはなんとなく分かったので、一番柔らかい場所にわざと放り投げてみる。
ポンッと弾んで落ちたのが面白くて、何度もそれを繰り返して遊んだ。
すると、何度目かの時に指に痛みが走った。
見ると、切れていた。
不思議に思って生き物を見ると、何やらいつもそこらで群れている、白くて後ろ脚だけで立ち上がって行動する尾の長い小さな生き物のように爪を出していた。
前足の片方だけ、しかも一本だけ伸びた爪を見て、面白い仕組みだなと【彼】は思った。
そんな生き物は他に見た事が無かったからである。
それでこちらに向かって来る。
流石に何度も切られると痛かったので、とにかく爪だけでも折ろうと躍起になった。
素早く閃く爪を捕まえる事に成功したのでそのまま折ろうと捻ったら、絶叫が響き渡った。
見ると爪を出した方の前足がだらんと垂れ下がっている。
相手は苦しそうに顔を歪めている。
どうやら折れたか関節が外れたかしたらしい。
まったく傷付けるつもりはなかったのだが、随分脆いなと【彼】は思った。
「……。そろそろやめてもらおうか」
その時、洞窟の中で別の生き物の声がした。
その方向を向くと、先程の黒い生き物が立っていた。
今度は真っ直ぐにこっちを見据えている。
「ちと、悪戯が過ぎるぞ?」
静かに告げる鳴き声は低く、唸っているのだと【彼】は思った。
「ハナは玩具ではない。――いや玩具にするだろうとは思っていたが、傷付けて良いものではない。返してもらおうか」
対して、【彼】は唸った。
これはオレの物だ。
せっかく手に入れた玩具を、そう簡単に渡すものかと。
「……。そうか」
【ドドブランゴ】と比べて短いが、鋭い犬歯を剥き出しにして唸った【彼】を見て、ベナトールはそんな返事をした。
「気持ちは分かるが、そいつは俺の大事な仲間でな。お前の物として認める訳にはいかんのだよ」
徐々に、黒い生き物の雰囲気が変わっていくのを【彼】は感じた。
ただでさえ怖かったのに、今では身を竦ませ、逃げ出してしまいそうな程になっている。
それでも、負けたくないと【彼】は思った。
「そのまま逃げて欲しいと思ったんだがな」
ベナトールは「ベナぁっ!」とこちらに走り寄ろうとしたハナが掴まれたのを見て、溜息と共にその言葉を吐き出した。
「ちと痛い目を見るかもしれんが、自業自得だと思えよ?」
彼が【ハンマー】を構えるや否や、相手はハナを放り投げながら向かって来た。
痛みで歯を食い縛りながら、ハナは小さな【ドドブランゴ】とベナトールが激突したのを見ていた。
【片手剣】を折られた際に腕を捻られ、彼女は左の肘関節を脱臼していた。
採取していたらいきなり引っ攫われてここまで運ばれたのがただただ怖く、いかに逃げようかとしか考えてなかった。
だが落ち着いて考えてみると、相手はこちらが攻撃するまで傷付けるような事は一切して来なかった。
それどころか放り投げる際にもわざわざ柔らかい場所に放り投げてくれていた。
ただ遊びたかっただけだったのではないか?
そういう考えに至ったハナは、ベナトールに向かってこう叫んだ。
「ベナ、殺さないでぇっ!」
一瞬こちらを向いて頷いた彼を確認して安堵する。
と、なんと彼は【ハンマー】を仕舞ってしまった。
その隙に腕を振り上げながら向かって来た【彼】を見て、目をギュッと閉じて顔を逸らす。
ベナトールが無防備のまま爪で引き裂かれたと思ったからだった。
「……。まあ、端からそのつもりではいたがな」
落ち着いたそんな声が聞こえ、そっと目を開けたハナは、ベナトールが【彼】を素手で押さえ込んでいるのを見て唖然となった。
といっても流石に【モンスター】の筋力をそのまま押さえ付ける事はいかに彼でも不可能だったので、攻撃終りの硬直を狙って避けつつ押さえただけだったのだが。
力学に基いた押さえ込みは【彼】から見れば自分よりも遥かに小さく矮小な生き物に動けなくされたと思え、焦った。
相手は明らかに動揺し、焦っている【彼】の耳元に口を寄せ、「牙を折られたくないなら大人しく引き下がれ」と囁いた。
低い鳴き声になおも抵抗しようと身じろぐと、犬歯に前足を持って行った。
まだ【ドドブランゴ】にすらなっていない【彼】は、それを見て恐怖に慄いた。
何故なら【彼ら】にとって犬歯とは、ボスの象徴だからである。
これを折られればいかに強いボスだったとしても、手下は掌を返したように従わなくなるのだ。
かつての群れでそれを見て来て知っていた【彼】は、犬歯が成長してこれからボスとして君臨する未来がここで断たれる事だけは阻止せねばならないと思った。
【ドドブランゴ】になれずに誰からも相手にされず、子孫すら残せずに野垂れ死ぬのだけは阻止せねばならない。
それに比べれば一時の玩具を手放すなど、容易い事だ。
そう考えた【彼】は抵抗を止め、名残り惜し気にピンクの生き物を見てから何処かへ去って行った。
寂し気に去って行く【彼】の後ろ姿を僅かに口の端を緩ませながら見送っていたベナトールは、左腕をだらんと下げながら泣き付いて来たハナに向き直った。
「ベナぁっ。怖かったよおぉっ」
「遅れてすまんかったな」
一応そう言った彼だったが、急いで来る気は端から無かったので悪気は無い。
むしろ面白がってハナを柔らかい場所に投げては弾ませているのをこっそり見て、こちらも楽しんでいたのだ。
だがハナが『余計な事をして』攻撃してしまった事で【彼】がハナを傷付けてしまったので、これはいかんとようやく出て来た次第である。
「さてと、これを噛んでいろ」
ハナが落ち着いたのを見計らって、ベナトールはその辺に転がっていた【竜骨】の欠片を拾い上げ、一応掃ったりして多少汚れを取ってからハナに渡した。
見上げたハナに「肘を戻す。相当な激痛を伴うから舌を噛まんようにこれを噛んでおくんだ」と告げる。
途端に悲痛な顔になったハナを無視し、その口に【竜骨】の欠片を宛がう。
観念したように噛んだのを見たベナトールは、肘を真っ直ぐに固定しつつ「いくぞ」と声を掛け、押し込んだ。
「んぎいいぃ~~~!!!」
途端に物凄い激痛が襲って来て【竜骨】を噛み砕かんばかりに噛みしめたハナは、がこんという感じで肘関節が元の位置に納まったのを感じた。
かなりの荒治療だがすぐに痛みが治まった。
「動かしてみろ」
そう言われてゆっくりと曲げ伸ばしをしてみる。
痛みはもう全く無い。
「念のために飲んでおけ」
【回復薬】を貰って飲むと、少しだけ感じていた強張りや違和感が全て消えていった。
「もう大丈夫だな?」
スムーズに肘を曲げ伸ばしているハナに聞く。
「うん。ありがと」
返事を聞いたベナトールは、彼女の頭をポンポンしてから「帰るぞ」と言った。
「ドドブランゴ」は賢い「モンスター」だと言われており、その証拠に「ペイントボール」の仕組みを知っていて、投げ付けても自分で毛繕いをして効力を無くす事があります。
なので、特に若いうちは好奇心も旺盛なのだろうと思います。
そんな感じで書いていたら珍しく「モンスター視点」の話が出来ました。