今日も一日何事もなく帰ろうとした、その時。
「春、すまないが演劇部の手伝いを頼みたいのだが」
「え?」
廊下に出ようとしたときに薫にそう呼び止められ、断る暇もなく手を掴まれどこかに連れていかれる。もうこれ半分拉致じゃんか、まあ今日は暇だし誰かと一緒に帰る約束もしてないからいいけど。
薫が空き教室の前で立ち止まる。
「ウチの裏方担当がもう作業を始めてるはずだから、手伝ってくれ。彼女は一人でも大丈夫と言っているんだが、無茶をしないか心配でな。私が手伝うこともあるのだが残念なことに今日は予定があってな」
「で、俺と・・・」
「ああ。いつかお礼はするよ」
「貸しってことね、おっけ」
「それではよろしく頼むよ、春」
そう言って俺にウインクすると薫は、華麗にもと来た廊下を歩いていく。後ろ姿が小さくなっていくにつれて後ろに付いてくる女子の数が増えていく。相変わらず女子人気はすごいな。
ドラマで見た院長の総回診・・・、大名行列並みに薫の後ろを歩く人だかりを見送って、俺はドアをノックする。
「あの、演劇部の手伝いで来たんですけど!」
「薫さんが言ってた人ですね、入っていいっスよ」
了解を経て教室の中に入ると一人の女の子が何かに夢中になっているのか、体を近づけて何かをいじっていた。ドアを閉めると、彼女は手を止めてこっちに振り返る。
「ジブン、大和麻弥って言います。気軽に麻弥って呼んでください」
「ん、俺は宮坂春・・・って薫から聞いてるか。俺も呼び捨てで良いよ」
「はい。よろしくお願いします、春さん」
軽く握手をして、俺は麻弥の座ってた近くに椅子を持ってきて座る。
「これは・・・?」
「音響の機械っス。次の舞台のBGMはだいたい決まったんで細かいところの修正をしていたんです」
「そうなんだ、手伝えることあったら言ってくれ。そのために来たからさ」
「わかりました!」
手伝いとは言ったものの、麻弥のやっているのは専門的なことのようなので何もわからない俺が無暗に手伝うのはかえって邪魔になるだろう。なので、呼ばれるまで座って待っていることにする。
「了解っス。ここの音をこう、大きくしてっと・・・」
「麻弥は機械系得意なのか?」
「はい、機械はジブンの得意分野っス!夢中になって気づいたら夜、なんてこともいっぱいありますよ、フヘヘ・・・」
ん、今フヘヘって言った?気のせい?口元の笑みがなんか怖かったように見えたんだけど。それでも、彼女の慣れた手つきを見ていると機械に夢中になるって言うのもわかる気がする。
「春さん、そこのコードをこっちに差し替えて、そのスイッチ押してもらっていいですか?」
「うん、わかった」
言われるがままに、ささっていたコードを抜いて違うところに差し込んでスイッチを押すと赤く光った。
「ありがとうございます」
麻弥と軽く会釈してまたイスに座って彼女の姿を見る。ほんと、大した手伝いはないのかもしれない。そう思いながら観察していると麻弥が少し頬を赤くしながら振り返る。
「そんなに見つめないでください、恥ずかしいっスよ・・・」
「ああ、ごめん。普段見ることないからさ、珍しくって」
「春さん、機械に興味あるんですか!?」
「ん~、そこまでじゃないかも・・・。ごめん」
勢いよく椅子から立ち上がって顔を近づけてきた麻弥だが、俺の返事を聞くと少し残念そうにまた椅子に座りなおった。凄いキラキラした目をしていたけど、その期待を裏切ってしまったのは申し訳ない。
彼女ほど機械にめり込めないのは事実だけど、嬉しそうに話をしてくれる姿を見るのは楽しい。
「そうっスか・・・、でも何か聞きたいことがあったらどんどん聞いてください!」
「うん、何かあったらお願いするよ」
「はい!」
その後も、時々麻弥にお願いされたところを手伝いながら時間は過ぎて行った。演劇部の手伝いと薫から聞いたときは舞台の小道具やセットを作ったりする力仕事関係だと思っていたので、少し拍子抜けしたというか意外だった。舞台の裏方と一括りにいっても色々な仕事があるらしい。
「出来ました~!」
「おつかれ、ほとんど手伝えなかったけど」
「いえいえ、そんなことないっスよ。何とか今日中に終わらせることが出来て良かったです、春さんが手伝ってくれたおかげです」
「そっか。お役に立てたなら何よりだよ」
「はい!機械っていじるのは楽しいですけど意外と目が疲れるのが玉に瑕っスね~」
そういうと麻弥はつけていた眼鏡を外して、一息ついた。
「ん、どうしたんですか。何か顔についてます?」
「いや・・・。麻弥は、ずっと眼鏡なのか?」
「いえ、コンタクトの時もありますけど・・・」
眼鏡をとった麻弥は、つけている時とイメージが全然違う。普通の美少女じゃないか!演劇部は薫といい麻弥といいレベルが高い。そう思っているうちに、いつの間にか見とれるように顔を近づけていた。
「ちょ、春さん顔近いっス!」
「あ、ごめんごめん。つい・・・」
「つい、なんですか?」
まさかそこを聞いてくるとは!てっきり流してくれるのかと思ったら・・・、言うのが恥ずかしい。
「や、可愛くて見とれてたって言うかなんというか・・・」
「そ、そうですか。それはありがとうございます。あの、ちょっといいスか?」
慌てて後ろに下がっていた俺に、麻弥は一歩近づいた。
「春さんは眼鏡をつけているのと外しているの、どっちが良いですか?」
「ん、俺は外している今の方がいいかな。可愛いし、雰囲気も違ってさ」
「そうですか。ならっ・・・」
また一歩、麻弥は前に踏み出してさっき俺が近づいた時と同じ距離感になる。お互いの顔がハッキリと見える、もう少しで肌が触れ合いそうな近さ。
「今度会う時は、コンタクトにしてきますね」
「ありがと・・・」
「ん、え、春さん!?」
気づいたら無意識に麻弥の頭を撫でていた。
「ごめん、つい癖で・・・」
「いえいえ、このまま撫ででもらっても構わないっスよ」
「そうか?なら・・・」
麻弥に許可をもらったので遠慮なく彼女の頭を撫でる。
「なるほど~、これはされると心地いいですね」
「そっか?撫でることに上手いとか下手とかあるのかわからないけど・・・」
「上手ですよ、すごい癒されるっス」
撫でられている表情を見ることのできる俺も癒される。どうやら、麻弥はわしゃわしゃされるよりも髪を撫でられるようにする方が好きらしい。
「本当はもうちょっとして欲しいですけど、もう大丈夫です!疲れもしっかり取れました!」
そう言って麻弥はまた眼鏡を付けて座っていた椅子を片付けた。もっと見たかったけど、残念。
「もう終わりか?」
「はい、後は機材を元の場所に戻すだけです。教室の方がやりやすかったのでここまで持って来たんスよ」
「なら戻すのも手伝うよ」
「ありがとうございます。さ、行きましょうか」
機材を荷台に置いて、俺と麻弥は教室を出た。もう時間は夕方に差し掛かっていて、窓から夕陽が差し込んでいた。