「リィン……なのだな」
会議が終わった後の場でオーラフ・クレイグは困惑した様子で目の前の義息子へと問いかける。常の彼であれば我を忘れて、熱烈に抱きしめているところだろうに、このような困惑気味な態度となっているのはそれだけ豪胆を持って知られる、正規軍きっての猛将《赤毛のクレイグ》の動揺を示すものだっただろう。
動揺しているのは彼だけではない、《氷の乙女》と称されるクレア・リーヴェルトは無論のこと、常に飄々とした態度を崩さないレクター・アランドールまでもが目の前の義弟分の変貌に困惑していた。彼の纏う風格と威圧感、それが彼らにとっては余りにも慣れ親しんだものだったからだ。
「そうだよ、オーラフ義父さん。俺は、そんなに変わったかな?確かに髪と瞳の色が変わってしまったから戸惑うのも無理はないと思うけど」
一瞬だけ、家族を安心させるように昔のような質朴な笑顔年相応の少年らしい笑みをリィンは浮かべる。それは常に鋼鉄を身に纏っていた彼の父にはなかったものだ。だがその笑みと所作にさえ、以前にはなかったどこか高貴さが漂っていた。
「いや……よくぞ無事で居てくれた。帝都での一件は聞いていた。こうしてまた巡り会えた事を女神には感謝せねばな」
自身の中にある戸惑い、それを飲み干すようにオーラフは笑みを浮かべる。如何に外見が変わろうと、纏う風格が別人のようになろうとも目の前にいるのは紛れもない自分の義息子なのだからと。
確かに別人のようになった、だが決して優しさを無くしたわけでもなく、憎しみに囚われたわけでもない。
むしろその真逆、目の前の義息子が抱いているのはどこまでも清廉で高潔な気高い意志だ。
軍人とは国家とそれを構成する市民を護るためにこそ存在する、そんな綺麗事を本気で体現しようとする姿だ。
ならば、それはきっと成長とそう呼ぶのだろう。だからこの胸に宿る戸惑いはきっと、余りにその成長が急激すぎた事に対する、子離れ出来ない親の寂寥感というものなのだろう。
常々、この義息子が軍人となる事を喜び応援していたのは他ならない自分なのだ。
ならば、まさしく軍人の理想像を体現するかの如き、この義息子の姿を自分が喜び、祝福せずにどうするのかと。
そんな思いを抱きながら義息子との再会を寿ぐ。
「心配かけてごめんよ義父さん、でも安心して欲しい。もう
憎しみに刃を曇らせて、勝たなければならない時に敗北を喫してしまった己が失態。
それをリィンは心より恥じ入り、もう二度とそんな無様を晒さないと鋼の決意を込めて宣誓する。
「……余り自分を責めるな。お前は良くやった、18という若さを考えれば破格と言って良い働きを成したと言っていいだろう」
そしてそんな余りに気負いすぎな息子を嗜めるかのようにオーラフは応じる。
直接見ていたわけではない、それでも目の前の義息子がどれほど奮戦したかは帝都より逃れてきた多くの者から伝え聞いているところであった。
「オーラフ閣下の言うとおりですよ、リィンさん。知事閣下を救出出来たのは貴方の奮戦無くして有り得なかったのですから」
クレアの言葉も決して身内贔屓によるものというわけではない。貴族連合がレーグニッツ知事、そしてトリスタに居たヴァンダイク元帥という要人の確保に失敗したのは、虎の子の機甲兵部隊を壊滅させられたことで帝都の制圧が遅れた事に依る部分が大きい。リィンの奮戦がなければ、間違いなく戦況は今以上に正規軍側にとって不利な状況になっていた事は疑いようがない。
「だな。お前は十二分以上に良くやった。ーーーむしろ不甲斐なかったのは俺達のほうだろう。まんまとお前の親友にしてやられちまったわけだからな」
義父、義姉、義兄からの慰めの言葉、それらをリィンは表向きには頷き受け止めながらもそれに甘えてはいけないと自分を戒める。彼らがこう言っているのは自分を家族だと、慈しむべき子どもであり弟だと思っているからだと。
確かに
何故ならば自分が目指す地平、それは獅子心皇帝と鉄血宰相、稀代の英雄たる彼らの跡を継ぎ、彼らを超えていく事なのだから。
だってそうだろう?
故に、自分は此処で立ち止まるわけにはいかないのだ。自分が目指すのは
(そうだ、立ち止まるわけには行かない)
何故ならば自分はそのために、アルフィン皇女を巻き込んだのだから。
皇女とは言え、未だ15歳の少女に年齢を言い訳にせずに途方もない重荷を背負うように求めたのは他ならない自分なのだから。
ならば、自分が年齢を言い訳にするわけには行かないだろう。
あの気高く素晴らしき皇女に相応しき騎士で在らなければならない。
自分には彼女に寄り添い、支える事は出来ない。自分が彼女に対して報いる事が出来るものそれは“勝利”を於いて他ならないだろう。
この“内戦”を終わらせる事、それこそが自分が彼女に出来る唯一にして最大の報いだ。
「ありがとう、心に留め置くよ。出来る事には限界があるという事は俺だって理解しているつもりさ」
故に、それを超えて往かねばならぬだろう。無理、無茶、無謀を踏破してどこまでも。
柔和な笑顔で応じるその態度とは裏腹に、リィン・オズボーンは鋼鉄の覚悟で覆われた意志の焔をどこまでも強く燃やすのであった……
・・・
ヴァンダイク総司令付の参謀達は多忙を極めている。
何せ人員が圧倒的に足りていない。本来であれば討伐軍全体を統括する総司令部付の参謀長と副参謀長ともなれば将官が宛てがわれるべきところを、ローレンツ中佐とゾンバルト少佐が宛てがわれており、その下に居るのは皆尉官ばかりともなればどれほど悲惨な状態かは伺い知れるというものだろう。
更には正式に双龍橋攻略作戦が決定された事で、その仕事量は膨大なものとなり、総司令部の幕僚はまさに猫の手も借りたい程に人手不足であった。参謀教育を受けた人物ならば、それこそ士官学校出たての新米少尉であってもその手を借りたいほどの。
そして、そんな状況で寝る必要がほとんど無くなり、総司令部付の特記戦力等という極めて特殊な立ち位置のために、作戦決行の間までは手が空いており、凡そ怠惰という言葉の対極に位置する男が自分だけ休んでいる等という選択肢を取るはずもなく、作戦の間まで英気を養っておけという周囲からの言葉を押し切り、リィン・オズボーンは作戦決行までの間、ゾンバルト少佐の補佐役として働く事になるのであった。
「少佐、こちらの資料の纏め完了しております。ご確認頂ければと思います」
「ご苦労大尉。それでは続いてこちらをよろしく頼む」
「承知いたしました」
アルフィン皇女を救出、そしてお連れした功績でリィン・オズボーンは中尉へと昇進した直後に大尉へと昇進する事となった。無論本来ならば有り得ない出世速度だが、苦境にある正規軍側としては将兵の、そして民からの人気を獲得できるような“英雄”を待ち望んでいたため、亡き宰相の遺児が皇女殿下を救出したという功績を大々的に宣伝して、リィンを“英雄”へと祀り上げるためにも異例と言える大盤振る舞いを行った。
ヴァンダイク元帥、オーラフ中将などはこれに対して渋る様子を見せたが、最終的には他の者達に押し切られる形でゾンバルト少佐提案のそれを容れる事となったのであった。
(素晴らしい……全く以て素晴らしい)
まとめ上げられた資料、それを確認したゾンバルト少佐は笑みを浮かべる。
期待はしていた、リィン・オズボーン、宰相閣下の唯一の実子にして革新派の若きホープ。彼の名を初めて耳にしたのは七ヶ月程前であった。宰相閣下のご子息がクロスベルへと行き、クロスベル問題に関するレポートを提出したとして当時参謀本部内でもそれなりに話題になったのだ。ーーーなにせ、何れは自分たちの上に立つ事となるのが半ば約束されている人物と言って良いのだ、
そしてその内容はと言えば、なるほど、確かに期待通りのものだったと言って良い。先が楽しみだと周囲が大いに沸き立っていた事をゾンバルトは覚えている。だが、ゾンバルトはそんな周囲の反応とは裏腹に正直に言えば、落胆していたのだ。
「
だが、
しかし、そう考えていたゾンバルトはしばらくして己が不明を深く恥じ入る事となる。程なくしてリィン・オズボーンはメキメキとその頭角を現してきたのだ。自分が大樹の苗木を見て、その小ささを嘆く愚を犯していた事をゾンバルトは悟らざるを得なかった。よくよく考えてみれば、かの宰相閣下とて最初からああではなかったのではないかと、そう気づいたのだ。
至らぬところがあったとしてもそれは成長途上なだけ、故に長い目で見ようではないかとそんな風に考えていた。しかし、
(ああ、しかし、どうにももどかしいものだな。本来従うべき立場の私が、仰ぐべきお方を従えている等というのは)
アルフィン皇女救出の功績を推し出す事で少尉から大尉となったが、まだまだあの方の有する能力に比して権限と地位が余りにも足りていないと言うべきだろう。
それが
(まあ、焦る事はない。この内戦が終わる頃には恐らくそのような許されざる捻れは解消されている事だろう)
なにせ、リィン・オズボーンは自分如き凡百の秀才等とは違う紛れもない“英雄”なのだから。
この内戦に於いて、その光輝く栄光の軌跡を魅せてくれる事は疑いようがない。
(願う事ならば、その輝ける英雄譚の一助となりたいものだ)
そうして上官であるローレンツ中佐が見たこともない上機嫌な様子で、精力的に作戦決行の準備を推し進めるのであった………
・・・
12月8日 09:00
帝国の至宝と称される可憐なる姫君、アルフィン・ライゼ・アルノールは、数十万将兵の見守る中その姿を現した。死地へと赴く彼らを激励するためである。改めて、自らの背負う責任の重さにアルフィンは押し潰されそうになる。
討伐軍と合流してよりの一週間、アルフィンとて決して遊んでいたわけではない。アルフィン・ライゼ・アルノールは軍事にしても政治にしても素人だ、生兵法は大怪我の元という言葉があるようにそんな彼女が無理に作戦方針に口を出したりしても逆に足を引っ張るだけだと彼女は自覚していた、故に政治に関してはレーグニッツ知事に、軍事に関してはヴァンダイク元帥へと委ね、自分は神輿として在る事こそが役目だと理解していた。
だが、そんな神輿にも出来る事はあるはずだと彼女はこれまでの戦いで負傷した兵士たちの見舞いに訪れたのだ。中には温室で育ったアルフィンにとっては見ているだけで辛くなるような酷い傷を負った兵士たちも居た、だがアルフィンはそこから目を晒さなかった。そして彼ら、彼女らに微笑みながら精一杯の思いを伝えたのだ、「ありがとう。貴方達の献身に心より感謝致します。必ずや私は皇女としてそれに報いてみせます」と。
正直に言えば、今すぐに何もかも放り投げて逃げ出したいとアルフィンは思う。この人達を死地に送るのは自分なのだ。彼らは誰でもない、アルフィン・ライゼ・アルノールのためにこそ命を賭けるのだ。一生物の怪我を負う人も出るだろう、命を落とす人も出るだろう。そして、それを生み出すのは他ならない自分なのだ。
ああ、本当に誰が望んでこんな重責を背負いたいと思うだろうか。衣食住に苦労したことのない、世間知らずの小娘の戯言なのかもしれない。それでも、この重責に比べれば、今までしてきた贅沢等到底釣り合っている等とアルフィンには思えなかった。
(だけど、それでも……)
自分はアルフィン・ライゼ・アルノール、父様と母様の娘なのだ。そこから逃げ出したくない、家族に誇れる自分でありたい。取り戻したい、幸せだった日々が存在する。
そして自分は報いると彼らに約束したのだ。決して彼らの献身を無駄にしないと。
今も、傍で支えてくれている大切な親友と姉のように思っている人がいる。彼女達は自分が逃げ出してもきっと責める事はしないだろう、彼女達二人だけは何があっても自分の味方をしてくれるとそう信じられる。
だから、今自分は逃げ出す事無くこうして立っていられる。そっと支えてくれる確かな二つの温もりを感じているから。
故にさあ、勇気を出すのだアルフィン・ライゼ・アルノール。あなたはこの国の皇女でしょう!
そう自分を叱咤して、アルフィンは足の震えを抑え込み、確かな決意を宿して静かに語り始めた。
「まず、皆さんに謝らなければ行けない事があります。ーーー私は、ずっと逃げていました。
皆さんが祖国のために命を賭けて、傷ついている頃、私はただ震えて隠れていました。
きっと自分ではない
そう、自分は甘えて逃げていた。オリヴァルト兄様のように皇族としての勤めを果たそうとそんな気概を持つこともなく、ただただ優しい親友と騎士、そして親友の両親へと甘えていた。
「そんな私の前に、ある人が現れました。その人はかつて私と親友を悪逆なるテロリストから助けてくれた人でした。
その人は私等とはまるで違いました。私と3つ程度しか変わらないはずなのに、年齢などをまるで言い訳にしない。
どこまでも真直ぐに、誰かのために何時でも全力で戦って居ました。誰かじゃない、自分がこの内戦を終わらせるのだとそう宣言しました。
英雄”という言葉はきっと、こんな人の事を言うのだとそう思いました。ーーー正直、自分は安心しました。ああ、これで安心だと。彼に任せればきっと前までの幸せな日々が戻ってくるのだと、恥知らずにもそんな風に考えたのです。
だけど、その人は言いました。自分と一緒に戦って欲しいと、この内戦を終わらせてこの国に秩序と安寧を取り戻して欲しいと。その時になってようやく私は気がついたんです、誰かではない。私が、アルノールの血を引く私こそが戦わねばならないのだと。ようやく、気がつく事が出来たのです」
そうしてアルフィンは静かに語りかけるような言葉から一転、目の前に居る将兵にその凛とした瞳を向けて
「故に、私アルフィン・ライゼ・アルノールは偉大なる皇帝ユーゲントⅢ世陛下の娘として此処に宣言致します。
帝国を混乱に陥れた元凶たる“逆賊”《クロワール・ド・カイエン》を討つと!そして、囚われの皇帝陛下を救出して、この国に在るべき秩序と安寧を、誰もが幸せに暮らせる祖国を取り戻すと!!」
気高き決意を有してアルフィン・ライゼ・アルノールを宣誓する。その姿は断じてそこらにいる小娘などではない、紛れもない人の上に立つ者としての風格を有したものだった。
「ですが、私は余りに無力です。私一人では、それを為し遂げる事など出来はしないでしょう」
一転、アルフィンは弱々しい声で告げる。そこに居るのは誇り高き皇女ではなく、弱々しいどこにでもいる15歳の少女の姿であった。
「ですから、どうか私に皆さんの力を貸してください!!私は無力で愚かな小娘です!!皆さんのように命を賭けて戦う事は出来ません。
だけど、
そのために、どうか……どうか私、アルフィン・ライゼ・アルノールに
皇女としての気高き決意と年相応の少女としての健気な思い、その双方を込めたアルフィンの演説。
それが終わるとほんの僅かな静寂がその場を包み込む。しかし、そうなっていのたもつかの間
「皇女殿下万歳!帝国万歳!逆賊カイエン公を討て!!!」
今回の作戦に於いても要となる、宰相の遺児たる《灰色の騎士》。皇女殿下が語った“英雄”のひときわ大きな声で響くと波をうったようにそれは広がっていき……
「「「「「皇女殿下万歳!帝国万歳!逆賊カイエン公を討て!!!」」」」」
凄まじい歓声がその場を包み込んでいく。そこには士気の低下の面影など欠片も残っていない。今、その場に居る者たちの心は一つだった。
そして、そんな兵士たちの様子を確認して総司令官たるヴァンダイク元帥は威厳に満ちた様子で
「これより、双龍橋攻略作戦を開始する!各員、我らが至宝たる皇女殿下に勝利を捧げるべく死力を尽くせ!」
「「「「「イエス・サー!」」」」」
12月8日 09:20
帝国正規軍は東部戦線に於いてウォルフガング・ヴァンダイク元帥指揮の下、乾坤一擲となる《双龍橋攻略作戦》を開始した。