正規軍の双龍橋攻略作戦はこの上ない大成功で終わった。
単に双龍橋を制圧するのに留まらず、要塞司令官たるハルテンベルク伯の調略に成功したのだ。これによって正規軍は双龍橋に存在する物資や要塞機能をほとんど破壊する事無く、そのまま手に入れる事が出来たのみならず、ハルテンベルク伯という帝国東部における大貴族の協力を得たことで一挙に補給上の問題を解消する事に成功したのだ。
これを受けて後退した貴族連合は防衛に向かないケルディックを放棄、アルバレア公爵家の本拠地たるバリアハート方面に防衛線を敷き、帝都方面には貴族連合より援軍が派遣された事で、戦線を立て直すのであった。
正規軍側もまた、一先ず補給を行い、部隊を再編する事と双龍橋の以東の安定化を優先するのであった……
・・・
「それでは、これにて契約成立という事でよろしいですね」
「はい、それは勿論。他ならぬアルフィン皇女殿下直々の保証まであるのでしたら、こちらに異論などあるはずもございません」
にこやかな笑顔を浮かべながら握手を交わすアルフィン皇女とオットー元締めの姿、それは取引の内容が双方にとって益のあるものである事を証明するものであった。
レーグニッツ知事とアルフィン皇女が護衛を伴いケルディックへと訪れた理由、それは一つには内戦の最中で不安な民の心を慰撫するためであったが、もう一つ重要な理由があった、将兵の食糧事情の改善である。
帝国正規軍の将兵は長らく粗食に耐えてきた、補給上の理由から新鮮な食事を取ることなどおぼつかず、栄養価と保存性だけは保証されている凡そ食事と呼ぶことすらおこがましいレーションを開戦以来の一ヶ月余り続けてきたのだ。
文句を言う事は出来なかった、何故ならば彼らにとっての雲の上の存在たるレーグニッツ知事も軍神ヴァンダイク元帥も、そして機甲師団の長たる中将達までもが黙々とそれを食べていたのだから。
だが、それでも食事というのは日々の喜びなのだ、幾ら上の人間も同じ粗食に耐えていたからと言って不満が無いはずがない。「このままじゃ命を落とす前に、俺達の舌のほうが女神の下に召されちまうぜ」「このレーションを考案した連中には同情するぜ。こんなものを食べ物といえる位にそいつらのママは料理が下手くそだったってことだからな」等というジョーク及び罵倒が日常茶飯事に飛び交う程度には兵士達の間では不満が燻っていたのだ。
人はパンのみに生きるに非ず、されどパンがなければ生きてはいけない。双龍橋攻略にあたっての正規軍の常軌を逸した士気の高さの由縁は、アルフィン・ライゼ・アルノールの演説に依るところが8割だが、そんな双龍橋を落とせばこんな不味い食事からはおさらばだと言った即物的な理由もまた存在したのだ。
そして双龍橋を落として、ケルディックという帝国東部における最大の穀倉地帯たる交易都市との契約が成立したことでその願いは叶えられそうであった。正規軍側が持ちかけた契約の内容は至極真っ当なもので、適正価格で食料を買い取りたいというものだーーーただし、今すぐの支払いは難しいため内戦終了後に正式な支払いを行うというものだが。
正直に言えばオットー元締めには不安もあった。此処で正規軍と取引をしてしまえば、領主たるアルバレア公爵家から裏切りと見なされる恐れがある。正規軍がこのまま勝利すれば良いが、敗北すれば途端にケルディックが冷遇される事を目に見えているからだ。無論心情的に言えば、彼とて旧知の中であるヴァンダイク元帥の力になりたい思いはあった、しかしそれでも彼はこのケルディックという都市のまとめ役なのだ。自分の心情だけを理由に動くわけにはいかなかった。
そんな元締めの心情を読んだかのように現れたのがアルフィン皇女は微笑みながら告げたのだ。「アルフィン・ライゼ・アルノールと取引して下さいませんか?」と。正規軍や帝国政府と取引したならばともかく、皇族たる自分と取引をしただけであれば、アルバレア公とて責める事は出来まいと。
具体的な契約の内容は自分が
元締にとっては渡りに舟という提案であった、確かに皇女殿下相手との契約であれば流石の四大名門とて無下には出来ないだろうし、加えて言うのならばアルノールの名の下に行われた取引であれば、万一にも取り逸れる心配はないーーーそれこそ、革命が起こりでもしない限りは。
かくして此処に交渉は一件落着、正規軍の将兵はようやく真っ当な食事にありつける事となり、ケルディック側もまた正規軍という大口の顧客を手に入れた事で、内戦の最中で物流が滞り、食料を無駄に腐らせる事になる等という事態を避ける事に成功するのであった。
ーーーケルディックを護る我らに対して糧食を提供するのは当然であると我が物顔に振る舞っていた領邦軍に対してあくまで対等の取引を求め、どこまでも紳士的に振る舞った正規軍側とケルディックの民の心に貴族連合への不信と正規軍側への信頼を植え付けながら。
・・・
「さて諸君、改めて言わせてもらうが内戦は未だ終結したわけではない。こうして双龍橋を手中に収めはしたが、それでも未だ貴族連合は健在であり、北部と西部では我々正規軍は苦境にある。この国を覆う戦禍は絶えず、皇帝陛下もまた囚われの身にある。勝って兜の緒を締めよという言葉が示す通り、勝利の美酒に酔いしれる事を戒める警句は数多く存在する」
厳粛な面持ちでヴァンダイク元帥はケルディックにて調達したワインが注がれたグラスを手にしたままで、その場に居る者たちに向けて訓示を述べる。我々はあくまで緒戦に勝利したに過ぎないのだと。
「だが、それでも勝利は勝利である」
しかし、そこでヴァンダイクは表情を緩める。固い挨拶は此処までであると、そう告げるかのように。
「諸君、良くぞ一ヶ月もの間戦い続けてくれた。戦いはこれからも続いていく、しかし今日この時の間は思う存分に勝利の美酒に酔いしれて欲しい。傍らにいる戦友達と共に、今生きている事の喜びを噛み締めて欲しい。そして明日より再び戦い続ける英気を養って欲しい」
微笑みながら告げた後にヴァンダイクはその手に持ったグラスを高々と掲げて
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「「「「「「「「「「
ヴァンダイクの宣言と共にその場に居合わせた者達もまたワインの入ったグラスを、未成年者達は果実を絞ったジュースだが、高々と掲げた後にそれを飲み干す。そして、長らく酷使していた舌を存分に労うべく、用意された料理の数々に舌鼓を打ち出す。それはタダの栄養の摂取ではなく、紛れもない食事である。顎を鍛えるための筋力トレーニングの道具ではないかと思わせるカチカチに固まった黒パンではなく、ふわふわに焼き上がった白パンがある。保存性を優先させるために食べるだけで喉が乾く、塩っ辛い干し肉などではなく、新鮮で柔らかい肉を久方ぶりに噛みしめる。それらは涙が出る程に喜びに満ちたものであった。
此度の酒宴、それを提案したのは総司令官たるヴァンダイクである。この場に於いて誰よりも軍歴が長く、軍神等と称されているヴァンダイクは当然ながら戦いにおける呼吸というものを誰よりも良く理解している。“大義”だの“理想”だの、そんなもののために一心不乱に全力で歩み続ける事のできる存在が圧倒的少数派で、兵士の士気を維持するためには何よりも衣食住に不満を抱かせぬ事、それこそが肝要なのだと。そう、総司令官自ら言われてしまっては異論の出ようはずもない。かくしてケルディックより手に入れた新鮮な食材に各部隊の給仕係は久方ぶりにその腕を振るう事となったのであった。
「さあ少佐、ぐいっといきたまえ!ぐいっとね!おお、そうだそうだ。良い飲みっぷりではないか!!」
「ほほう中々強いようだな少佐、さあもっと飲みたまえ。此度の酒宴の主役は間違いなく君なのだから!!」
そんな酒宴の中、少佐へと昇進したリィン・オズボーンはしたたかに酔った先達達に囲まれて次々と酒を飲み干していた。彼は未だ未成年だが、アルコールハラスメント等という言葉が未だ存在しないこの世界で、そして体育会系の権化たる軍隊社会に於いて、それを気にするような者などほぼ皆無と言って良い。流石にアルフィン皇女やエリゼ嬢、そしてアルティナと言った少女に勧めるような真似はしないし出来ないが、勝利の立役者たる若き英雄に対して彼らは善意と先達としての可愛がり、そしてこのどこか超然とした様子の若き俊英の酔った姿を見てみたいという悪戯心から次々にリィンのグラスへと酒を注いでいく。
そしてリィンもまた未成年だから等と断るような真似をせずに礼を述べながら次々に飲み干していく、同じ釜の飯を食った仲、盃を交わした仲等という言葉が示すようにこうした酒宴に於ける付き合いというのは集団の連帯感と仲間意識を高めるために有益だと認識しているが故に。帝国軍にその名を轟かせる諸将らと知己を得るまたとない機会である故に。注がれる酒をそれこそ
「閣下、せっかくの機会ですので質問させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ふむ、何かね少佐」
「はい、知っての通り私は未だ士官学校を卒業したばかりの若輩者です。戦時下故に少佐等という地位を拝命いたしましたが、経験の不足は否めません。そこで歴戦たる閣下より訓示を頂ければと思いまして……」
そしてリィンはまるで味のしない酒を飲み交わしながら、恐縮した様子で眼前の人物たちへと希う。
若輩者である自分に対する指導をお願いしたいと。それはタダのお世辞だけではない、本音であった。
鉄血宰相の改革によって徹底した実力主義が推し進められた正規軍に於いて将官にまで上り詰めるような人物の中に無能者など居ない、将官としては無能な者がいたとしてもそれは能力不相応の地位まで上り詰めてしまった事によるもの。将官にまで上り詰めた時点で佐官の時は有能であった事は疑いようがない事実なのだ。
そして、眼前の人物たちも名将と称される程ではないにしても、良将として知られる優秀な先達。その経験話というのは上を目指すリィンに取ってみれば宝石よりも貴重なものとなる。食事を楽しむ等という事が出来なくなったリィンに取ってみれば、もはやそうして会話を楽しむ事位しかこの酒宴で楽しめるような事はないのだから。
「ふむ、そうかね。そういう事であれば、君のような大器に私如き凡人の経験談がどこまで参考になるかはわからんが話させてもらうとしよう」
そしてそんなリィンの態度に諸将らもまた如才無い事だと笑いながら応じる。若い者にうっとおしがられながらも経験談、自慢話を行いたがる年長者というのは多い、逆に言えば自ら積極的にそうした話を聞きたがる若者というのは基本的に年長者から可愛がられるものなのだ、そこにある程度のリップサービスを感じたとしても、それがあからさま過ぎなければ。
故に華々しい功績を立てながらも、謙虚な様子で指導を乞うリィンの様子は正規軍の諸将らから好意的に見られていく。
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
そしてそんなリィンの立ち振舞いをリィンの家族たるオーラフ・クレイグにクレア・リーヴェルト、レクター・アランドールの三名は複雑そうな様子で眺めていた。
「目覚めてから何を食べても味を感じない」この酒宴を前にオーラフは義息子よりそんな事を打ち明けられた。オーラフだけでなくクレアにレクターもまたリィンからその内容を打ち明けられていた。それは、家族であるこの三人は自分がどれだけ上手く演技したとしても見破るだろうという確信がリィンの中にあったからこそであった。
動揺しながらすぐに医師に見てもらうべきだと告げる三人とは裏腹にリィンは笑みを浮かべながら告げたのだ、「今すぐに命が危険にさらされるわけでない以上、今は内戦の終結こそが急務だと。この事は家族だからこそ打ち明けたので、周囲には無理に気を遣わせたくないので他言無用でお願いしたい」と。
そうして迎えた酒宴の場でリィンは実に如才無く立ち回っていた、その様子はどこからどう見ても18の少年ではなく、交渉の場に赴いた政治家や外交官と言った様子だ。そう、レクター・アランドールが公的な場で行っている仮面を被り行っている事だ。幼い頃に家庭教師として散々に叩き込んだ内容、お前はどうにもこの手の腹芸が苦手みたいだなと揶揄しながら評したそれを見事なまでにリィンは行っている。ハルテンベルクに対して行った調略のときもそうだったが此処に来て政治家としての才をリィン・オズボーンは急激に開花させて来ていた。
それは革新派にとって、そして帝国にとっては紛れもない福音だろう。「狡兎死して走狗烹らる」、そんな軍事的才能は有していたが政治的な立ち振舞いが欠けていたがために破滅する事となる英雄、そんな前例を灰色の騎士はなぞることはないという証明なのだから。
だが、実直で質朴そのものと言った様子で素朴な笑みを浮かべるただのリィンを知っている彼らにとって、そんな年相応の隙を一切見せる事無く、完璧な立ち振舞いを見せるリィンの姿が、どこか遠くに感じるのであった……
未成年者に飲酒を勧める事は犯罪です。
また無理に酒を呑ませることもアルコール・ハラスメントとして歴とした犯罪です。
お酒は節度を守って楽しみましょう。