「此処は……」
目覚めるとそこは知らない天井だった。いや、知っている天井かどうかの見分けがつく程に日頃天井の観察なんかしちゃいないが。
「なんで、俺は生きてるんだ……?」
目覚めて、最初に去来した疑問はそれだった。俺、アルフレット・リンザー25歳は不幸にもクソッタレな上官に鋼鉄の棺桶に乗る事を命じられて、《灰色の騎士》とかいう英雄様に呆気なく蹴散らされる英雄譚の端役としてその短い生涯を終えた……はずであった。だというのに、何故自分は生きているのだろうか?あの状況下で自分が助かる要素など……と思ったところで脳裏に過るのは、敵であった英雄様の良くわからない発言。まさか、あの英雄様が助けてくれたのかという考えが頭を過るが……
(いやいや、あり得ねぇだろ。だって俺なんてただの平民だぞ)
例えば自分がどこかの貴族のお坊ちゃんなりと言ったVIPであれば助ける価値もあっただろう。だが、生憎リンザー家は普通も良いところの代々田畑を耕してきた筋金入りの平民の家庭。恐らく250年以上前の頃にはそもそも家名なんてものさえ持ち合わせていなかったであろう、ド平民である。そんなたかだか平民の命をわざわざ危険を冒して救う価値などどう考えても無いはずだ……しかし、だというのならば何故自分は生きているのか……と思考を巡らせていると腹の虫が盛大に鳴り響く。やはり実は此処があの世だった等というオチではなく、歴とした現実のようだ。その証拠に盛大に、自分は盛大に腹が空いている。
「おや、どうやら気がついたようだね」
腹の音が聞こえたのだろう、医師らしき壮年の男が声をかけてくる。
「あんたは……」
「あんたはないだろう、所属は違えどこれでも軍医として正規軍では大尉の階級を得ている。まあ寝起き故に大目に見るがね」
階級章を見てみるとたしかにそこには大尉の証だ。話の分かるタイプでよかったと言うべきだろう、たかだが准尉が大尉に向けてこんな態度を取ろうものならぶん殴られても当然のところであった。……うん、ちょっと待て正規軍?
「なんだって正規軍が領邦軍の俺を……」
「おいおい、何を当然の事を言っているんだ。我らがゼクス中将閣下は捕虜を虐待するような方では……と、そうか君はその辺の事情を知らないままに気絶した状態で此処に運び込まれていたんだったな。大まかにだが事情を説明してもらうと、監視塔は我ら第三機甲師団が奪還して、そこに駐屯していた部隊の多くはこちらに降伏した。故に今の君たちは捕虜として扱われている。幸いな事に、高原に平穏が戻ったのあって糧食には余裕があるから、口減らしのために捕虜にせずにそのまま殺すだなんて事はないから安心してくれて構わないよ」
壮年のその大尉殿は落ち着いた様子のままでサラリと物騒な事を告げる。
捕虜の虐待、暴行、そして殺害は国際法によって固く戒められている。しかし、戦争中において捕虜というのは大きな足手まといだ。抱え込むだけで食わせるための糧食を用意しなければならないし、当然全く自由にさせて置くわけにも行かずある程度の監視体制が必要だ。故に、相手が降伏してきたという事実そのものを無かった事にして秘密裏に始末してしまう、なんて事は戦争では良く有ることだ。故に、そういう心配はないのだと告げているのだろう。
「はは……そりゃ、そうじゃなければこうしてわざわざ治療しないでしょうね……しかし、そもそもの俺の疑問はなんで俺は生きているって事かって部分なんですがね」
そう、自分はあのクソッタレな上官に乗せられたクソッタレな機体の爆発に巻き込まれて哀れ二階級特進となるはずだった。なのに何故だか生きている、これは一体どういうわけなんだ。
「ふむ、それに関しては私も詳しくは知らないんだが、聞いた話によればオズボーン少佐が君を助けたという事だ。爆発寸前の機体から危険を省みずにコックピットを機体からえぐり取ったとね」
医師は淡々とした様子で答える。本気の本気であの英雄様は敵である俺を助けたって言うのか……
「……何だってわざわざ危険を犯してまで敵である俺を助けたというんですかね。下手しなくても自分も爆発に巻き込まれる危険の方が高かったっていうのに」
少なくとも俺だったら、いや俺じゃなくても大半の兵士はあの状況下でわざわざ敵兵を助けようとなんとしないだろう。あんなみっともなく情けない八つ当たりまでしていたんだから、尚更である。……これがとびっきりの健気なかわいこちゃんであればわからんでもないが。
「敵でないから、だそうだよ」
「は?」
「だから、君は敵ではないから助けたということだよ。「現在不幸な行き違いがあって相分たれているが、それは奸臣クロワール・ド・カイエンのせいであって領邦軍の兵士達は自分たちの敵ではない。むしろ共に肩を並べる戦友であり、戦友を助けるのは当然の事だ」とそんな事を言っていたみたいだ」
告げられた言葉に呆気に取られる。その英雄の気高さの前にアルフレット・リンザーをかつてない程打ちのめす。そして自分も彼のようにならなければという決意がその身に宿る……等という事はなく、凡人たるアルフレットに去来した思い、それは……
「頭おかしいんじゃないですか?」
曲がりなりにも命の恩人に対してなんとも失礼だと自分でも思うがそれが素直な感想だった。
感謝する気持ちは確かにある。しかしそれ以上にアルフレットの心を満たすのはそんな思いだった。
だってそうだろう?自分があの英雄様に対してやったことと言えば、みっともない八つ当たりをわめき散らした事位だ。どう考えたって好感を抱かれる余地なんて無い。助ける義理も義務もないはずだ。だというのに、同じ帝国人だからという理由で助ける?わけがわからない。
そんなにも同胞愛が強いというのならば、どうして内戦でその愛する同胞をその手にかける事が出来るのか?対峙していた時に目前の相手から発せられる威圧感は断じて戦場に出ていながら「殺したくない」等とほざく甘ちゃんやお坊っちゃんのそれじゃなかった、今すぐにも逃げ出したくてしょうがなかったのだ。
つまり、リィン・オズボーンなる英雄は同胞、戦友だと思う存在を必要であれば
何故ならば人は
だというのに、その英雄様はそのおかしな事を平然とやってのけている。そんな存在を気狂い以外にどう評せというのか。
「そうだね、私も同意見だ。少し言葉を交わしただけでわかった、
ただ、発言には注意した方が良い。今回の活躍で、彼を崇敬する者は多いし、そこまで行かなくても窮地を救ってもらった恩人である彼に感謝している者はこの基地には多い。
大尉殿の真摯な忠告に俺は黙って頷く。言われてみれば、俺の言っている事はかなり危ういラインだった。
准尉である俺の無礼を笑って受け流してくれた件と言い、この大尉様は中々に人間が出来ているというべきであった。
「しかし君は中々に珍しいな。言った通り、彼を崇敬している者は多い。ましてや君の場合は直接命を助けてもらったわけだから、それこそ熱烈な信望者にでもなるのではないかと思っていたが……」
「いや、そりゃ感謝する気持ちもあるにはあるんですけど、なんというか困惑する気持ちの方がデカいというか……」
あるいはあくまで言葉を交わしたのがコックピット越しだったからだろうか。直接会って言葉を交わしていれば、それこそ英雄様のカリスマとやらに俺も魅了されていたかもしれない。
「そういう大尉殿は大尉殿で少数派側みたいじゃないですか」
「ああ、私はこれでも医者だからね。だからどうしても冷めた目になってしまうんだよ。多くの若者を死地へと誘い殺すであろう“英雄”という人種に対してはね。彼自身が悪いわけではないとわかっては居るんだがね……」
深々とため息と共に吐き出された言葉に俺はなんとも言えない心境になる。医者とは人の命を救う仕事だ。当然労力をかけて救った患者には長生きしてもらいたいと思うのが、人の情であり職業意識というものだろう。だが、軍医というのはその助けた患者をまた死地へと送り込まなければならない仕事なわけだ。思う所は当然あるのだろう。
「おっと、長々と話し込んでしまってすまなかったね。長い間眠っていたために空腹だろう。連絡して食事を用意するから少し待っていてくれたまえ。幸い、そこまで大きな怪我もなかったから、少し静養すればすぐに此処から出られるだろう」
それだけ言うと大尉殿は去っていく。兎にも角にも俺の戦いはもう終わったのだ。
内戦がどちらの勝利で終わるかはわからないが、どっちが勝ってもそう悪い事にはならないだろう。
正規軍はどうやら俺たち捕虜を丁重に扱ってくれているようだし、領邦軍にしても俺は奮戦虚しく敵に囚われの身になったという立場だ。犯罪を犯したわけでもないし、どちら勝っても処刑されるとか実刑判決を受けるとかそういう事にはならないはずだ。そう、俺は晴れてクソッタレなあの鉄の棺桶からおさらばして、見事に准尉に昇進したという飴だけ手に入れる事に成功したのだ。
そう思うとやはりあの英雄様には感謝しなければならないだろう。ありがとう英雄様、貴方が頭のおかしな人種だったおかけで俺は生き残る事が出来ました。今後もどうか国のため、民のため精一杯頑張ってください。俺はそれを関わり合いにならないで済む遠くから応援しています。
そんな清々しい気分でアルフレット・リンザーは存分にその飢えを満たして、生きている事の喜びを噛みしめるのであった……
知らなかったのか、激動の時代からは逃れられない。