何故ならば立場というのは文字通りその人物の依って立つところでもあるからです。
立場を超えた友人がいるのならば、同じ立場のところには基本的に違う立場の友人に倍する数の友人がいるわけです。
重苦しい沈黙がその場を包み込む。
伝えたい言葉や思いがたくさんあった、もしも憎悪に囚われていると言うのならば必死に説得しようと思っていた。
復讐や敵討ちが下らないだ等と言うつもりはなかった。法治国家に於いては決して推奨する事が出来ぬ行為ではあるが、過去への禊としてそれらの儀式を必要とする場合とてあるだろう。だけどそれでも過去に囚われてしまい、今と未来を疎かにしてはいけないのだ。故人への思いの余り、今を生きている人々を蔑ろにするというのならば、やはりそれは間違っているのだと。そう思い、止めるための手立てを彼女たちは必死に考えていた。
だが、憎しみを超克してあくまで“軍人”として国の敵を討つのだと宣誓した彼を一体どう止めろというのか。クロウ・アームブラストが大罪を犯したことは事実なのだから。そしてその上で、一度は手を差し伸べたが向こうがそれを振り払ったのだと告げた英雄に。
何故ならばリィンの語る言葉は「軍人」としてはどこまでも正しいのだから。正しい、そう正しいが故に恐ろしい。まるで”英雄”という人の形をとった現象へと彼が成り果てて行っているようで。もはやあの質朴な笑みを浮かべる事は無く、憎悪さえも飲み干し、過去を振り返ることなく未来へ進むための燃料と変えてどこまでも突き進んでいくのだと突きつけられた故に。
その場に居合わせた者はただ一人を除いて、余りの衝撃に言葉を発する事が出来ずに居た。
「いや~やっぱり親子って似るもんなんだね。今のリィンってばおじさんとそっくりだよ」
場違いなまでに明るい声が響く。
リィン・オズボーンの変貌を前に一番ショックを受けたのがトワ・ハーシェルだというのならば、特に意に介していないのは間違いなく彼の義妹たるミリアム・オライオンに他ならなかった。
元々彼女はどこか一般的な感性とずれているところがある、それは一見すると年相応の無邪気さ故の爛漫さに思えるが、彼女のそれはあまりにも度を越しているのだ。
何せ彼女は哀しさで涙を流した事がないのだから。情がないわけでは決してない、好意を抱いて積極的になつく人物もいれば、余り近づきたくないと思う存在も居る。交流のあった人物が死ぬような事があれば残念に思いもする。
だが彼女はそれを何時までも引きずらない。「残念だったね。でも僕が嘆いていてもあの人が生き返るわけじゃないし切り替えて行かないと」と言って、あっさりと切り替える事が出来るのだ。
どれほど幼くとも、そうは見えなくても彼女は歴とした情報局の人間であり、"白兔”の異名を持つ“鉄血の子どもたち”の一員。その根底にはシビアでドライな情報局員としての死生観が息づいているのだ。
故に彼女は己が義兄の変貌も発言も気に病んだりなどはしない。
ともすれば冷酷と思われかねない態度だが、本人の容姿とそして何よりも天真爛漫という生きた見本のような愛嬌がそういう印象を与えないのだ。この信頼に足る誠実さとある種の冷徹さ、相反するようなこの二つの要素こそが情報局の人間には求められるのだ。
そしてミリアム・オライオンはどこまでも自然体でそれをこなしてみせるのだった。
「オズボーン宰相閣下か……確かに先ほどのリィン君はまさしく彼の後継と称する他ない風格だった」
深刻な表情を作りオリビエは考え込む。
思い出すのはかつて、宣戦布告を叩きつけてまずは敵を知らねばならないとばかりに恩師であるヴァンダイク元帥に、ギリアス・オズボーンとはいったい如何なる人物かと問いかけた時の師の回答だ。
「かつての彼はあのように強引な人物ではありませんでした。能力、人格いずれも非の打ちどころがなく多くの部下や同僚から慕われていました。それでいて才幹を鼻にかけたような事もなく、人格は誠実そのもの。いずれ私の跡を継いでくれる事を当時の私は疑っておりませんでした。しかし、ある不幸によって妻を失ってからというもの人が変わってしまいました。行方をくらませたかと思えば、次に会った時には他者からの反発等まるで意に介さないように強引な手段を取るようになっておりました。今の彼が何を考えているのかは私にもわかりません。彼を教え導いた上官としては不甲斐ない限りですが」
そんな風に師は懐かしむように、そして悔しさを滲ませながら答えてくれた。
ギリアス・オズボーンが変貌を遂げる前、彼は愛する妻を失い、数週間もの間行方知らずとなっていた。
そして彼の息子もまた目の前で父を失い、一ヶ月もの間行方知らずとなっていたかと思えば別人の如く変貌を遂げていた。オリビエは基本的に楽観的なロマンチストで一般的に言えばおめでたい男になるのだろうが、それでも断じて現実の見えぬ男ではない。鉄血宰相ギリアス・オズボーンは斃れたが、彼の遺志はその息子に引き継がれたとそういう事なのだろう。
世間一般的に言えば、美談であり実際多くの帝国人は彼に快哉を浴びせるだろう。しかし、オリビエにはどうにもそれを手放しに賞賛する気にはなれない。皇子としては叱責されるべき甘さなのかもしれないが、それでも大切な思い出を、そして自分自身さえも燃料へと変えてひた走るその姿に拭いがたい不安を覚えたのだ。
「ええ、正直末恐ろしい。いえ、既に十分に恐ろしいと言った方が正確な表現となるでしょうか。
3ヶ月前に会った際にあの年で既に皆伝に至っていた事に驚かされたものですが、今回はそれ以上の衝撃です。
彼は今や、”理”に到達するまで後一歩の境地まで来ている」
帝国最強の一角に数えられる”光の剣匠”ヴィクター・S・アルゼイドもまたリィン・オズボーンに戦慄していた。
彼が戦慄したのはその強さではない、単純な強さで言えば騎神を抜きにすればまだ自分の方が上だ。
ヴィクターが戦慄したのはその成長速度だ。急激にリィン・オズボーンは力をつけている。
半年前の彼であれば、自分とは勝負にならなかっただろう。---皆伝にさえ至っていない未熟者と光の剣匠とでは勝負にならない。行われるのは稽古である。
3か月前の彼であれば、自分の勝利は疑いようがなかっただろう。---皆伝に至った状態ならば、最低限勝負にはなるだろうが、それでもヴィクターとの間には厳然たる実力差がある。
そして今の彼が相手であっても、ヴィクターは依然有利だ。されどその刃は十二分にヴィクターへと届き得る領域へと到達しつつある。
半年、たかだか半年だ。これではもはや成長ではなく進化だ。皆伝にしても理にしても本来そんなにも短期間に至れるものではないのだ。
彼よりも10以上も年上でそれこそ物心ついた時から剣を振るっていたミュラー・ヴァンダールでさえも皆伝に到達したのはつい5年前、今の彼よりも5年余分に経験を積んでようやくだ。
10も年齢が離れた兄弟子と今や彼の実力は並び、そして追い越そうとしている。もはやこれでは成長ではなく、”進化”。別種の生物へとなろうとしているかのような変貌具合だ。
「……ある意味ではヴァンダールの理想像と言えるのだろうな。
アイツの述べた事は「軍人」として考えればどこまでも正しい。
正直に言おう、その変貌具合には確かに面を喰らった。だが同時に俺はアイツの在り方にどこか羨望を覚えた。
何故ならば、主君と国のための一振りの剣と化すこと、それこそがヴァンダールであるが故に」
私人としては弟弟子のその変貌に驚いた。しかし軍人としてみればその在り方には敬意を抱かざるを得ないとどこか複雑そうな様子でミュラーは告げる。
「ミュラー、それは……」
「わかっているさ。お前がそういう在り方を俺には求めていない事位な。
主君によって求める剣の形状が異なる以上、俺はお前という主君に合った剣となろう。
そして、それはアイツの在り方とはまた違った形状だという事も重々承知しているとも」
英雄を間近で見たことで衝撃は受けた、しかしその程度で揺らぐ程ミュラー・ヴァンダールの積み重ねてきたものは軽いものではないのだ。
「君って奴は……それはつまり僕色にどうとでも染まるという愛の告白と受け取って良いんだね親友!?」
「お前という奴は……どうしていつもいつもここぞという時にそうやってふざける!ここのところようやくその立場に相応しい落ち着きを見せるようになったと思っていたというのに……!」
「いや~ほら、空気が重いからさ。これはおちゃめなジョークで場の空気をなんとかして和ませようと……おっと誤解しないでくれよ親友!決して僕の君への思いが冗談だというわけではないんだ。なんならその証拠を今この場で見せても……」
「黙れ」
「すいません、調子に乗りました」
主従の繰り広げた漫才によって、重苦しかった空気はどこか弛緩していく。
鉄血の親子が存在するだけでその鋼鉄の意志によって場の空気を引き締めるのならば、オリビエは持ち前の人徳でどこまでも場の空気を和やかにする。どこまでも対照的な在り方であった。
「とにもかくにも、ミリアム君が意味じくも言った通り、我々が何時までも暗くなっていても仕方がない。
リィン君のイメージチェンジにすっかり気を取られてしまったが、今我々が優先すべき事はヘルムート殿を拘束してユーシス君をアルバレア公爵家の当主代行へと押し上げる事だ。ひとまず気持ちを皆切り替えて欲しい」
「「「イエス、ユア・ハイネス!」」」
リーダーであるオリビエより告げられた言葉に一同は再起動を果たす。その眼には確かなオリビエに対する敬意が宿っており、彼が親しまれてはいても軽んじられてはいないことを示していた。
「あ、それじゃあ僕はリィンに付いて行ったアルティナって子に会いに行こうと!何だか苗字的に僕の妹みたいだし、いっちょ姉の威厳って奴を教えてあげないとね~~~」
「……私もリィンさんに確認したい事があります。行きましょうセリーヌ」
「はいはい、ついて行ってあげるわよ。どうにもアンタひとりでアイツと会ったらアイツの覇気に呑みこまれちゃって何も言えなくなりそうだし」
「……私も懐かしい顔を見かけたし一応挨拶してくるかな。別に仲良しだったわけでもないんだけど、ま、礼儀として」
そんな言葉を告げてミリアムとフィー、そしてエマはリィンのいる格納庫へと進み始める。
そして去り際にミリアムはどうにか立ち上がり、ふらふらとした様子で仕事に没頭して哀しみを誤魔化そうとしているトワに向けて
「会長、どれだけ泣いてもリィンはもう
なぜなら今のリィンはおじさんと同じだから。きっとどこまでも進んで行っちゃう。たとえ会長が泣いていても、それさえも燃料にしちゃってね。
会長の涙をぬぐうためだけに進む速度を落としたり、ましてや来た道を戻って来るなんて事はしない。だって今のリィンの眼にはもっと多くの人たちが映っちゃっているから」
淡々とした口調で告げられたその言葉にトワはビクリと肩を震わせ、唇を慄かせる。
なぜそんな追い打ちをかけるような事を告げるのかと困惑と怒りの混じった視線がミリアムへと集中するが、彼女はそれらを意に介さずに続ける。
「だからさ、もうリィンの事なんて忘れちゃいなよ。そんな風に会長を泣かせて、見も知らない誰かなんかを優先するような唐変木よりもはるかにいい男を会長ならきっと掴まえられるよ。そうした方がきっと会長は幸せになれるよ」
まるで義兄の心情を代弁するかのように慈愛さえ感じるような優しさに満ちた口調でミリアムは告げる。
最初から住む世界が違ったのだと、そう告げるように。自分たちはただ一時的にそちらの世界にお邪魔していただけに過ぎないのだとでも告げるように、どこか寂寥感を覚えさせるような言葉と共に。
「真面目な話はこれでお~しまい。さーてそれじゃあ、妹にきっちり厳しい上下関係ってものを叩きこんでやるぞ~~~」
それだけ告げるとミリアムの背中もまた遠ざかっていく。
それはミリアムもまた鉄血の子どもである事を選ぶのだと突きつけるかのような、別れを告げているかのような光景であった……
ミリアムはⅡで鉄血パッパが現れた時迷う素振りは見せましたが結局鉄血パッパの方に行きましたよね。
だからこの時の彼女はまだ鉄血の子どもとしての立場が最上位にあったのだと思います。
その考えが変わったのはやはり、卒業するタイミングで初めて泣いたあそこでしょう。
あそこで離ればなれになる事を突きつけられて、ミリアムは自分にとってⅦ組の皆の存在が知らない間に自分の中でとても大きな者になっていたことに気づいたのだと思います。