彼はどこまでも祖国とそこに住まう民のためにその剣を振るいます。
故に国を統べる皇族には当然敬意を払いますが、それはあくまで高貴なる者の義務を果たしていてこそです。
もしもその責務を果たさず、排除したほうが国のためになると判断したら彼はその剣を容赦なく振るう事でしょう。
そういう意味では為政者の器が試される事となる中々厄介な魔剣と言えるかもしれません。
「それで、殿下は今後どうされるおつもりでしょうか?」
不躾な襲撃者の殲滅を終えて帰還したリィンはそう、切り出していた。
残らず殲滅した事でしばらくは安泰だろうが、それでもしばらくすれば音沙汰が無い事に気づいた敵は再び動き出すだろう。
今度は更に多くの戦力を投入して、それこそ“北の猟兵”は傷ついた威信を回復するためにも総力を挙げて依頼主からの要求を完遂せんとするだろう。
一男爵家によって一個大隊を殲滅された挙げ句、おめおめと逃げ出した。そんな悪評が立ってしまえば、彼らがこれまで死にもの狂いで築き上げたものは総て水泡に帰すのだから。
それを避けるためにはただちに此処を発つ必要があるのだが、そうして逃げ続けて一体何になるのだろうか。
シュバルツァー家のような芯の通った皇室への忠臣等そうそう存在しない。
テオ・シュバルツァーに比肩しうる皇道派の忠臣と言えば、ヴィクター・アルゼイドとマテウス・ヴァンダール位だが前者はオリヴァルト皇子と行動を共にしており、領地には居ないし、ユミルからレグラムは余りに距離が離れすぎている。途中の関所の何れかで貴族連合に補足されて、丁重に“保護”される事となるだろう。
そして後者はクロウ・アームブラストにより殺害され、一門の人間も逆賊の汚名を着せられて投獄の身の上であり、とてもではないが頼れる状況ではない。
残りの皇道派に所属している領地持ちの貴族は忠臣というよりは単なる日和見と言う表現の方が適切で、実際貴族連合が徐々に優位に立ちつつある昨今では既に貴族連合へと鞍替えする者たちが続出している。
ーーー一概に不忠者だと、責める事は出来ないだろう。彼らは彼らで護るべき領地と領民の生活があるのだから。実際、アルバレア公が貴族連合に就こうとしないシュバルツァー男爵にどのような態度で応じようとしたかを思えば。
命を賭けても忠義を貫く、それは高潔なる生き様だろうが同時に茨の道。長いものに巻かれる生き方を選ぶ者の方が世に於いては大半なのだから。
このままユミルの地に留まれば男爵家へと迷惑が掛かる、されど他に行く宛もないーーーいや、仮に逃げる先が見つかったとしても待っているのは結局今回の焼き直しだろう。内戦、それ自体を終わらせない事には。
そうして返答に窮するアルフィン皇女へとリィンは
「ーーー殿下、このリィン・オズボーン。殿下にお願いしたき義がございます。私と共にどうか討伐軍の方へと合流頂けませんか、この国のために逆賊クロワール・ド・カイエンを討つために殿下にはどうかご英断頂きたく」
臆せずして跪きながら願い出る。ただ逃げるのではなく、内戦それを終わらせるために共に戦って欲しいと。ーーーだが、それは
「待ちなさい、オズボーン少尉。つまり貴方は殿下を、革新派のために利用しようと言うのですか」
アデーレ・バルフェットは今にも剣を抜き放ち突きつけんばかりの勢いでリィン・オズボーンを睨みつける。
貴方も貴族共同様に権力争いに皇族を、アルフィン皇女を利用するつもりなのかと。
だが、その視線をリィンは臆する事無く受け止めて
「革新派のためではありません。この国のためです」
「ぬけぬけと良く言いますね、もっと正確に言葉を使ったらどうですか。
貴方方革新派が作り上げて行く
雷光の如き気迫を持ってアデーレ・バルフェットは目の前の少年を射抜く。結局は貴方方革新派も同じなのかと、私利私欲のために殿下を、皇族を利用するつもりなのかと。そんなアデーレに対してリィンは
「それは誤解ですアデーレ大尉、私は真実この国のためにこそ行動しています。
ーーーそれがこの国にとって最善だというのならば、あらゆる感情を呑み干して父の仇であるカイエン公とて笑顔で握手して見せましょう」
どこまでも清廉に曇りが一つとして存在しない蒼穹のような澄んだ目で真摯に語りかける。
その瞳と落ち着いた声で気勢を削がれたアデーレへと尚もリィンは語りかける。
「ですが、クロワール・ド・カイエンは果たしてこの国を託すに足る器でしょうか?
この国を騒乱へと導いたのは彼です、我が父、いえ帝国政府代表ギリアス・オズボーン宰相を暗殺して帝都を占領するという暴挙を行って」
瞬間わずかにだがマグマのような憤怒がリィンの内より滲み出るがそれをすぐさま抑え込む。
呑み込まれるな、これに自分が呑まれたのが今日の事態を招いたのだと鋼鉄の意志で持ってねじ伏せる。
「まあ、それだけならば宰相閣下の強硬な態度と強引さこそが原因だったと、だから
ギリアス・オズボーンが殊更貴族派を挑発するような強硬な態度を取リ続けていたのは動かし難い事実だ。
だからこそ、対話という手段が困難だったからこそやむなく暗殺という手段を取らざるを得なかったのだという詭弁も、業腹ながら成立したかもしれない。
しかし
「ですが、彼らはそうして宰相閣下をやむなく排除する事に成功した後も、レーグニッツ知事の紳士的な申し出もオリヴァルト殿下の真摯な説得も拒絶したと聞いて居ます。
今の事態を招いているのは紛れもなく貴族連合主宰たるクロワール・ド・カイエンです。
この内乱は彼を討つか、あるいはそれこそ革新派側が完全に彼の支配を認めて屈服するかをしなければ終わることはないでしょう。
その上で改めて問いかけさせて頂きたい、果たしてクロワール・ド・カイエンはこの国を託すに足る器ですか?」
そう言われればアデーレは何も言えなくなる。
紳士的な態度にてあくまで国を重んじて対話の姿勢を見せたレーグニッツ知事と中立の立場からそれを取り持とうとしたオリヴァルト皇子
そんな差し伸べられた手を振り払い、手袋を投げつけたのは間違いなくカイエン公だ。
鉄血宰相のやり方が強引だったためそうせざるを得なかった等という論法は既に通じないだろう、何故ならばその宰相はもうこの世に居ないのだから。貴族連合によって仕組まれた凶弾に撃たれたのだから。
「彼にこの国を託せると思うのならば、彼に力を貸すという手もあるでしょう。
ーーー無論、私は到底そうは思えないので、もう一つの手段を、正規軍の一員として内乱の元凶として彼を討つという道を選ばせて頂きますが」
憎いから、父の仇だから討つのではなくこの内乱を終わらせるためにこそ自分は戦うのだとリィンは誓約して
「改めて、お願い申し上げます殿下。どうか逆賊クロワール・ド・カイエンを討つために、我ら討伐軍の御旗になって頂けませんか。
さすればこのリィン・オズボーン、非才の身なれど我が身命を賭して、御身へと我が双剣を捧げる事を亡き師、マテウス・ヴァンダールより授けられし守護の剣へと誓約致します」
その言葉と共にリィンは己が双剣の柄を跪きながら差し出す。
それはエレボニア帝国に伝わる騎士の礼だった。
そんなどこまでも私心無き忠誠はアルフィン・ライゼ・アルノールを否応なく駆り立てる。
ずっと彼女は迷っていた、皇女としてはたして本当にこうして自分は隠れ続けているだけで良いのかと。
兄であるオリヴァルト兄様は一日も早く内乱を終わらせるべく懸命に動いているのに、自分はそんな兄の助けが来るのを待つだけで良いのかと。
大切な家族が囚われているというのに
皇女として、祖国と民のために自分にも出来る事があるのではないかと。
カイエン公に、貴族連合に協力する気は起きなかった。それはリィンのようにこの国を託すに足る器ではないから等と言った理由ではない。もっと感情的なものだ。
自分の穏やかで幸福だった日々、家族や大切な友人と共に過ごしていた幸福な日々を奪ったのがカイエン公だからだ。
故にどちらを支持するかと言われれば、それは正規軍の方になるのだろう。
しかし、それでも正規軍に味方すると決断する事は出来なかった。
無理もない、いくら皇女とは言え、未だ15歳の少女に自分のために戦い死んでいく兵達の命を背負う等というのは余りにも酷かつ重すぎるのだから。
だから、諦めていた。自分はまだ若く皇女と言っても何も知らない小娘なのだから
周囲に居るのは優しい人達ばかりだったから。友人であるエリゼ・シュバルツァーも、匿ってくれているシュバルツァー夫妻も、そして傍で護ってくれているアデーレ・バルフェットも口々に自分は何があっても味方だと言ってくれていたから。
だからこそ、彼女はその周囲の優しさに
だが、そう思っていた少女に無情にも現実は襲いかかってきた。
自分を“保護”するためにアルバレア公はこのユミルへと猟兵を送ってきた。
幸い
他ならぬ自分を匿ってしまったがために。それは少女に否応なく、自分はただの市井の少女ではなくこの国の皇女であるという事を突きつけた。
故にこそ皇女は苦悩した。本当にこれで良いのか、逃げ続けて、隠れ続けて、匿ってくれた人達に迷惑をかけて、自分はただそうして助けられているだけで。
そんな状態で彼女は出会ってしまった、どこまでも真直ぐに祖国のために己が身を捧げようと文字通り身を粉にして国へと尽くそうとしている“英雄”と。
背負わなくても良い荷さえも進んで背負うとしているその姿を間近で見てしまった。
そしてよりにもよってそんな“英雄”に共に内戦を終わらせるために戦って欲しいと剣を捧げられてしまった。
人は感情によって動く生き物である。
理と利に従い、感情を排して動く等という事が出来る人間などそうは居ない。
あいつの言っている事は正しいけど、気に入らないから従いたくない、そんな例が世の中にはいくらでも転がっているだろう。
言っている内容、それ自体よりも誰が言っているかが大事なのだ。
多くの人が戦うのは理念や理想と言った
アルフィン・ライゼ・アルノールは善良な少女であった。
家族に愛され、家族を愛し、民に愛され、民を慈しみ、友人にも恵まれて蝶よ花よと育てられたまさに帝国の至宝の名に違わぬ可憐なる皇女だ。
故に奔放なれど彼女には皇女として国と民に在るべしという責任感もそれ相応に抱いていたし、己を犠牲にして国家という全体幸福に尽くすという在り方が尊いと思う気持ちも当然存在していた。
だからこそ、一切の躊躇いなく国へと尽くすリィンの高潔な在り方はどうしようもなく皇女を
民と国を護るためにこそ存在するのだという
軍人の理想像というお伽噺の中にしか存在しないような
何故ならばリィン・オズボーンの姿は皇女の持つ言い訳を一切剥ぎ取ってしまうのだから。
まだ若い?リィン・オズボーンとて未だ18歳という成人を迎えていない年齢だ、この年代に於いて3歳差というのは大きな違いなれど年齢を理由には出来ないだろう。
家族と離れ離れになった?リィン・オズボーンは目の前で父を失った。それでも彼は折れる事無く立ち上がり、後ろを振り返る事無くただひたすら前へと進み続けている。
重い。捧げられた剣はどうしようもなく重い、内乱を終わらせるために発つという事はすなわちこの剣を預かるという事だ。
この剣が奪う幾多の命を背負わなければならないという事だ。正直に言えば、逃げ出したい。そんな事は私には出来ませんとそう言いたい。
ーーーああ、けれど自分はこの国の
彼が自ら背負い込もうとしている重荷は本来であれば、実際に戦場で命を賭けて戦う彼に代わって自分が背負わなければならない代物なのだ。
その責任から
今も傍らで自分を支え続けてくれている誇り高き騎士の主なのだと。
逃げ続けて、好意に甘え続けて、迷惑をかけ続けるだけの小娘で居て良いのか?
良いはずがない。何故なら自分はエレボニア帝国第一皇女アルフィン・ライゼ・アルノールなのだから。
決意と共にアルフィンはリィンより捧げられた剣を受け取り、その肩へと刃を置きながら告げる。
「リィン・オズボーン、汝此処に騎士の誓いを立てエレボニアの騎士として戦う事を誓うか」
「イエス、ユアハイネス」
「汝、大いなる正義のために剣となり、盾となることを望むか」
「イエス、ユアハイネス」
覚悟を宿した皇女より告げられる言葉、それにリィンは万感の思いを以て応じる。
血筋ではなく、アルフィン・ライゼ・アルノールという少女の宿したその決意に心よりの敬意と、この少女にそんな重荷を背負わせざるを得ない我が身を不甲斐なく思いながらも。
「私、アルフィン・ライゼ・アルノールは汝、リィン・オズボーンを此処に騎士として認めます。
これより汝の身は全て偉大なる祖国と皇帝陛下の御為に。
汝、我欲を捨て何時如何なる時もこの誓いに背いてはなりません」
「イエス、ユアハイネス」
そうして本来の騎士の受勲であれば、そのままリィンへと再び返す剣はアルフィン皇女はその場で高く掲げて
「私、アルフィン・ライゼ・アルノールは此処に誓います。
“奸臣”クロワール・ド・カイエンを討ち、囚われの身である皇帝陛下を救う事を。
この内戦を終わらせ、この国に秩序と安寧を取り戻す事を」
捧げられた剣に見合うだけの御旗に自分はなってみせるのだとそう高らかに宣言する。
その気高き姿を前にエリゼ・シュバルツァーもテオ・シュバルツァーもルシア・シュバルツァーも、そしてアデーレ・バルフェットは何も言えなくなる。
美しい光景なのだろう、逆賊を討ち内戦を終わらせるのだと誓う若き皇女と騎士の姿。
それはまるでお伽噺のように清廉で気高き光景だ。実際に見ている者たちの心に響く美しさが其処にはあった。
成長……なのだろう、若き皇女はどこまでも祖国に尽くす若き騎士の姿に感化されて、己が血に流れる責務を自覚し、それを必死に果たさんとしている。それは確かに
だが、それは同時にアルフィン・ライゼ・アルノールが
それが、彼女の友人であるエリゼ・シュバルツァーと彼女の姉代わりであるアデーレ・バルフェットにはどうしようもなく悲しかった……
一体何時からリィン・オズボーンの薫陶を受けるのがセドリック皇太子だと錯覚していた……?