(完結)灰色の騎士リィン・オズボーン   作:ライアン

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セドリック殿下は兄と姉へのコンプを抱えていた。
そしてこの作品ではオリビエとアルフィン殿下は原作にも増して活躍した。
この意味がわかりますね?


臣友

 バルフレイム宮の一角、豪奢な寝台に華奢な身体を横たえながら一人の少年が臥せっていた。

 彼の名はセドリック・ライゼ・アルノール。現皇帝ユーゲントⅢ世の次男(・・)にして皇太子(・・・)である人物である。

 しかし、その表情はひどく浮かないものであり、元々のものもあったのだろうが、それ以上に今の彼は酷く衰弱しており、それこそ今にも砕け散りそうな繊細な硝子細工を彷彿とさせるような脆さを見るものに与える状態であった。

 

(何も出来なかった……僕だけが……何も……)

 

 床に臥せりながら出来る事もなく、ただ考える時間だけが存在する今のセドリックの心を埋め尽くすのは、そんな自分自身への無力感であった。

 

(兄上もアルフィンも、皇子として皇女としての使命を果たしたというのに……皇太子である僕だけが……)

 

 内戦を終わらせるべく。紅き翼を駆り第三勢力を率いた兄、皇女として正規軍の旗頭となった姉。

 そんな中皇太子である自分が、本来であれば最も活躍しなければならなかった自分はカイエン公の人質にされる始末。

 これでは一体姉と自分どちらの方がお姫様なのかわかったものではないとそんな自嘲の笑みが浮かんでしまう。

 セドリック殿下よりもオリヴァルト殿下やアルフィン殿下の方が余程次の皇帝に相応しいのではないかという口さがない言葉に対してもまるで反論する事が出来ない。

 だってそれはセドリック自身がずっと思っていた事だから。

 自分などよりも兄上の方こそが余程、皇帝に相応しいのではないか?と。

 瞬間、セドリックの脳裏に過るのは幼い頃の記憶。

 

 自分たちアルノール家にとって偉大なる先祖であるドライケルス大帝の伝記を兄に読み聞かせてもらった頃の記憶だ。

 『もうお兄様もセドリックも難しい話ばかりなんだから』

 英雄譚に焦がれ、目を輝かせながら聞いていた自分とは違い姉はどこかつまらなさげにそんな風に口にしていた。

 『でもすごいよ……!兄上は何でも知っているんですね!』

 優しくて聡明な兄は、自分がわからないところがあって質問をすると嫌な顔ひとつせずにわかりやすく説明してくれた。そんな兄は自分にとって身近な憧れだった。

 『はは、ミュラーやゼクス先生のスパルタの賜物と言ったところかな?

  君たちが大きくなったら僕以上に知り、考えるようになるだろう』

 自慢するでもなく優しい笑みを浮かべながら兄はそう答えた。

 

 今、自分はあの時の兄と同じ年になった。

 なのにどうだろう、兄との差は広がる一方だ。兄は今や副宰相となった。放蕩皇子だなんて揶揄の言葉を今や親しみと尊敬の込もった言葉に自分の力で変えてみせたのだ。

 いや、兄だけではない。『政治なんて私達の年では早すぎるわ』そんな風に語っていたアルフィンは兄と一緒に囚われていた父と母を救い出した。ヴァンダイク元帥もレーグニッツ知事もそんな姉の事を口々に讃えている。

 自分だけが……自分だけが何も出来なかった。皇太子だというのに。

 

 

(どうして……僕はこんなに弱いんだ……)

 

 自分が皇太子である理由は兄の母が平民で、姉は女だったから。

 そんな消去法によって定められた理由に過ぎない。自分自身の力で勝ち取ったものではないのだ。

 強くなりたい。強くなりたい。心を満たすのはそんな強さへの渇望。

 脳裏に浮かぶのはどこまでも雄々しかった“英雄”の姿。

 

(強くなりたい……あの人のように)

 

 セドリックの心に焼き付いているのは、あの何もかもがおぞましく変わってしまった城の中で輝いていたある一人の青年の双剣を携えた威風堂々たる姿。

 意識を失う直前に目にした魔王を相手に心通わせた友と肩を並べ、ひるむこと無く立ち向かったまるで物語の英雄のような姿だ。

 

 いや、ようなではない。彼は真実英雄なのだ。

 帝国宰相を父に持ち、名門トールズ士官学院の主席にして、灰の騎神を駆り内戦を収め、宿敵共和国を打ち破った英雄《灰色の騎士》。

 満足に身体を動かす事が出来ないセドリックの数少ない楽しみが、そんな帝国の“英雄”の活躍を聞く事であった。

 何故ならば、彼は皇族ではなかったから。

 その活躍を聞いても、兄や姉と違い自分と比較して落ち込む事無く、純粋にその活躍に心を躍らせる事が出来たのだ。

 

 自分もトールズに入学すればきっと掛け替えの無い友人が出来るとそう彼は言ってくれていた。

 だけど実際はどうだろうか?こんな有様のために今年度の入学は見送りとなって、もうあの時出会ったⅦ組の人達の後輩になる事は叶わない。

 ドライケルス皇子と共にあったロラン・ヴァンダールのようにーーー出会った頃にそう約束してくれた少年は自分の見舞いにすら来てくれない。

 家族はーーー父も母も兄も姉も、皆自分の事を気にかけてくれている。

 だけど、それが余計に心の焦燥を駆り立てる。家族をそんな風に心配させてしまっている自分の弱さが何よりも嫌でたまらない。

 本来であるならば、兄こそが皇太子になるべきなのだ。

 平民の母を持つ兄が皇太子になる事、それに反対していた貴族の多くがこの内戦で凋落して一方の兄は紅き翼を駆ってこの内戦を灰色の騎士と共に終結させた。まるで獅子戦役の時のドライケルス大帝のように。

 だから、副宰相への就任と同時にその気になれば皇太子になることだって出来たはずだ。

 なのに、兄の皇位継承権は回復されなかった。理由は明らかだ、そうなってしまえば功績の差で兄こそが次代皇帝の座に相応しいという声がどんどん高まって行く事となるからだ。

 だからこそ、兄も父も自分に遠慮(・・・・・)して兄の皇位継承権を復帰させなかったのだ。

 今回だけじゃない、兄はいつだって自分に配慮してくれた。その気になれば、自分を蹴落として皇帝になる事だって容易いはずだというのに、あえて道化の面を被って“放蕩皇子”などと笑い者に自分からなるような真似をしてきたのだ。

 それが、どれだけ有り難く、一体どれほど惨め(・・)だったか。

 

「受ケ入レヨ……我ヲ受ケ入レヨ……」

 

 そしてそんなどす黒い気持ちを抱く度にどこからともなく声が聞こえてくる。

 まるで深淵の奥底に潜むような、この世のありとあらゆる悪意の結晶のような大きな黒い影が自分を呑み込もうとしてくるのだ。

 違う、自分はそんな事思ってなど居ない。だって兄は自分にとっての掛け替えの無い家族なのだから。

 尊敬している。嘘じゃない。兄のように自分も成れたらとずっと憧れて(・・・)居たのだから……

 

「ダガ、ダカラコソ疎マシイ……ソンナ兄ダカラコソ……」

 

「違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うーーー違う!」

 

 大切な家族の事を疎ましいなどと思うはずがない!

 あの人さえいなければ(・・・・・)などと自分は思ってなどいない!!!

 

「受ケ入レヨ……受ケ入レヨ……ソレコソガ紛レモナイ汝ノ真実ノ想イ……」

 

「違う……僕は……僕は……」

 

 狂え。狂ってしまえ。そうその声は囁き続ける。

 堕ちてしまえば楽園なのだと。年若い皇太子を闇に引きずり堕とすべく。

 

「よもやと思って見に来れば、やはりと言うべきか……つくづく何処にでも現れるなコレ(・・)は」

 

 瞬間、響いたのは鋼鉄の意志の宿った言葉。

 脆弱さも狂気も一辺たりとも有していない、どこまでも勇壮でどこまでも気高い、そんな強さに満ち溢れた宣誓だ。

 

「オズボーン宰相……」

 

「失礼しております殿下。何やら尋常でない様子故、お許しも得ずに参上した無礼。どうか平にご容赦を。

 そして殿下を今まさに蝕んでいるものについて……凡その原因は把握する事が出来ました」

 

 その発言はどこまでも覇気と自信に満ち溢れている。。

 きっと目前の人ならば、他者に対する妬心等抱かないだろう。

 ああ、そうだ。眼の前の人のような強さ(・・)が自分にあれば。

 きっと自分は大切な兄にこんな醜い思いを抱かずに済む。

 皇太子として、次代の皇帝として副宰相を務める兄に対して素直な気持ちで協力を求める事が出来るだろう。

 皇太子として、姉に守られるような醜態を晒す事無く、自分が姉を護る事が出来るだろう。

 父も母も、流石は自分の子どもだと安心する事が出来るだろう。

 そうだ、強くなればーーー強くなれば、自分が次代の皇帝として相応しい強さを手に入れれば総てが丸く収まるのだ。

 

「些か躊躇われるが……殿下に、一つ提案がございます。

 お忘れになる可能性もあります故、どうか良く考えてご返答をーーー」

 

・・・

 

「リィンさん!お忙しいだろうに、わざわざ見舞いに来ていただけるとは思っていませんでした」

 

 見舞いに訪れたリィンとクルト。そんな二人を出迎えたのは、とても静養中とは思えない活力に満ち溢れた様子のセドリック皇太子であった。

 

「クルトも、良く来てくれたね。正直見捨てられたんじゃないかと思っていたよ、カイエン公の人質に取られるような情けない皇太子の守護役なんて役目に愛想が尽きてさ」

 

「そんな事は!……いや、確かに君がそう思うのも当然だなセドリック」

 

 まるで様子が変わったセドリック皇太子の様子に面食らったものの、クルト・ヴァンダールはすぐさま平静を取り戻し、冗談めかしながらも告げられた本音(・・)が込められた言葉の内容を噛みしめる。

 言われてみれば、守護役を解任された途端に会いに来なくなりもすれば、それは所詮役目だから仕えていただけに過ぎないのだと取られても無理からぬ事だと気が付いたのだ。

 

「クルト……?」

 

 そしてそんなクルトの様子にセドリックもまた面食らう。

 確かに今、目の前の友人は自分の事をセドリックとそう呼び捨てにした。

 いつの間にかあの日の約束等忘却したかのように、殿下とそう敬称で呼ぶようになっていたというのに。

 

「まずは謝らせて欲しい。守護役として……いや、君の友として(・・・・・・)僕は君が最も辛い時に傍に居る事が出来なかった。

 遅まきながらその事にようやく気がつけたんだ。何をいまさらと思うかもしれない。

 だけど、それでも改めて僕は君に誓おう。定められた役目だからじゃないーーー僕は君の友として君の傍にあり続けよう。

 ドライケルス皇子と共にあった、我がヴァンダールの祖ロランのように。

 君がこの国の皇太子だからじゃない、君が、セドリック・ライゼ・アルノールこそが僕にとっては双剣を捧げるべき主君にして最高の友だと思うからこそ」

 

 告げられたのはもう忘れてしまったのだと思っていた遠き日の約束。

 そう眼の前の友人はちゃんとそれを覚えていてくれていたのだ。

 そして、その上で自分が皇太子だからではなく、友だからこそ共に居続けると、そう眼の前の幼馴染は誓ってくれたのだ。

 それはーーー何よりも、兄や姉と比較され続け、皇太子という立場を何よりも重く感じていたセドリックにとって何よりも欲していた言葉で

 

「ーーーそうか、それじゃあ僕もまた誓おう。

 君が剣に捧げるに相応しい主君になってみせると。

 ロラン・ヴァンダールに剣を捧げられたドライケルス・ライゼ・アルノールのように」

 

 誓いと共に二人は固い握手を交わし合う。

 それは二人の交わした約束。共に(・・)未来を目指すという。

 そうして目前の友との友情を深めあうとセドリック皇太子は真剣な眼差しでリィンを見つめて……

 

「そして、そのためにもリィンさん。貴方にお願いがあります。どうか、僕を鍛えてくれませんか?」

 

「殿下には既に専任の、どの分野に於いても最高峰の教師が就いているはず。

 自分などが出る幕では無いかと思いますが……」

 

 皇太子であるセドリックは当然ながら幼少期より政治、経済、軍事といったありとあらゆる分野においてこの国でも人格、能力何れに於いても最高峰の教師役がつけられている。未だ学ぶ途上にある未熟者の自分などが出る幕ではないと、リィンには思えた。

 

「ええ、確かに座学に関してはそうかも知れません。

 ですが武術などの実技ではどうしても皆、皇太子である僕に対して遠慮してしまうんですよ。

 それではいけない、僕が望んでいるのは真実自分自身を鍛え直す事なんですから。

 貴方なら(・・・・)きっと皇太子だからと遠慮する事無く、僕と向き合ってくれる。そう、思ったんです。

 お忙しいのは重々承知です。ですが、どうかお願いします」

 

 そうしてセドリックは深々と頭を下げる。

 その様子にそこに込められた本気の度合いをリィンもまた感じて

 

「……顔を上げて下さい。

 殿下がそこまでおっしゃるなら、このリィン・オズボーン全霊を尽くして(・・・・・・・)殿下への指南役を務めさせていただきます。

 ただし、これまでの教師達を解任する事は避けて下さい。多忙の身故、取れる時間はそう多くないでしょうし、何よりも私はあくまで軍人に過ぎません。

 経済や政治等もトールズで学びはしましたが、それでも専門にそれを修めた者たちに比べれば遠く及びませんから。

 何よりも、殿下の立場を思えば私一人が指南役となるのは殿下のためにならないでしょう。

 殿下は何れこの国の至尊の座に就くお方。より多くのものと接するべきです。

 あくまで殿下のご指南役の一人として、殿下の成長の一助にならせていただければと思います」

 

「ありがとうございます、リィンさん!」

 

 伝えられた了承の意。

 それを確認すると同時にセドリック皇子はそれは嬉しそうに頷く。

 そしてそんな友の様子を見てクルトもある決意を固めて……

 

「リィンさん、その厚かましいお願いで恐縮ですが……」

 

「それと、クルト。お前には殿下の稽古相手を努めてもらう。

 この手の修練というのは共に切磋琢磨し合える友が居るだけで身の入り具合が全然変わってくるからな。殿下との関係性も含めてお前が一番適任だと私は判断した。引き受けて貰えるな?」

 

「!?はい!全霊を以て務めさせていただきます!」

 

 可能ならばセドリック殿下と稽古を共にさせて貰えないか、そう告げようとした自分の心を見透かしたかのように告げられた兄弟子の言葉にクルトは喜色を顕にして頷く。

 

「ふふ、負けないよクルト。すぐに君に追いついてみせる」

 

「こちらこそ。そう安々と追いつかせはしないさ、セドリック」

 

 笑みを浮かべながら二人はそう視線をぶつけ合う。

 そこにはもはや遠慮はない、どちらも対等の友人として相手と接する姿が存在した。

 そしてそんな二人の教え子(・・・)をリィンは笑いながら見つめて

 

「まあ、兎にも角にも今は身体を治す事に専念する事です。

 今、話していた事は総て身体が治ってからの事なのですから」

 

「ええ、わかりました。すぐに治してみせますよ、リィン先生(・・)

 

 そうして爽やかな笑みを浮かべるセドリック皇子に見送られて、リィン達は清々しい気持ちでその場を跡にするのであった。

 なお、セドリック・ライゼ・アルノールとクルト・ヴァンダールがこの時「遠慮なく」鍛えて欲しいと言った事を後悔する事になるのは、そう遠くない日の事であった……




リィン・オズボーンの立場:帝国宰相の嫡男にして皇帝直属筆頭騎士にして帝国最強部隊の指揮官にして皇太子の教師役。(内戦中には皇女の騎士となったり、副宰相を務める皇子とも共闘)
これはどう考えてもアルノールの剣とか称される寵臣中の寵臣ですね。

ちなみにパッパが皇太子のところを訪ねた事は皆知らないため
パッと見セドリック皇太子はリィンとクルトが見舞いに行った途端に見る見る回復したように見える模様。

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