「やぁリィン君、弟の様子はどうだったかな?」
バルフレイム宮の一角、そこの副宰相用に用意された執務室にてリィンは会談を約束していたその部屋の主たるある人物と出会っていた。
部屋の前にはオリビエの守護役を務めるミュラー・ヴァンダール少佐が弟と談笑しつつ、陣取り、部屋の中での会話を誰にも聞かれないよう警戒を行っていた。
「とても療養中とは思えない活力に満ち溢れていて、正直安心致しました。
あの分なら完全に回復されるのもそう遠くはない事でしょう」
用意された最高級の茶葉を用いた紅茶で舌を潤しながら、リィンは応える。
その所作はかつてアルフィン殿下に淹れて貰った時とは雲泥の差で、どこまでも洗練されたものであった。
「本当かい?それは良かった……あの一件以来すっかり気落ちしてしまっていてね。
私達も皆心配していたのだが、どうも難しい年頃みたいでね。私達が行くと「一人にして欲しい」と言われてしまったんだが……どうやら君に随分と憧れているようでね、君の話を聞く時は何時も嬉しそうにしていたんだ。
色々と忙しい身だろうが、君さえ良ければ今後もセドリックの事を気にかけてくれると嬉しい」
「ええ、それは無論。恐れ多くも皇太子殿下の指南役を務める事になった以上、我が
兄として、家族としての弟に対する確かな愛情の込もったその言葉にリィンは万感の思いを込めて頷く。
相手はいずれこの国の至尊の座に就くお方、だからこそそこに
敬意は持てど、そこに遠慮と諂いがあってはならない。自身に対して諂うような者をどうして師として仰ぐ事が出来るだろうか?
当人が遠慮なくと言っている中、そんな配慮をすることこそがひどい侮辱であり甚だしい不忠ではないかとリィン・オズボーンはにわかに背負う事となった重責に、心を熱く滾らせていた。
「……お手柔らかに頼むよ。意欲はあるが、これまで武術の方面はからっきしだった子だからね」
「無論、その辺りはきちんと
(強く生きるんだぞ、セドリック)
微笑みながらも静かな迫力を前に、オリビエはかつてゼクス・ヴァンダールより受けたスパルタ訓練を思い出してどこか遠い目で弟の幸運を祈るのであった…
・・・
「さて、それではもう一つの本題に移らせて貰おう」
セドリック殿下の近況という重要話を終えて、軽い談笑と社交話を終えるとオリビエは真剣そのものな様子でそう切り出していた。
「単刀直入に言おうリィン君、僕の同志になって欲しい」
「……改めて言われずとも、殿下は皇帝陛下より信認を受けた副宰相であり、私もまた皇帝陛下より信認を受けた陛下の騎士です。我らは既に皇帝陛下の御為、帝国の為に働く同志ではありませんか」
どこかはぐらかすかのようにリィンはまずはそう答える。
その瞳の中には目前の人物の器を推し量るような色が宿っていた。
「確かにその通りだが、私の求めているものは更に踏み込んだ関係でね。
宰相閣下に対する共同戦線、それに君にも加わって貰いたいんだ」
「……これは異な事を、宰相閣下は皇帝陛下第一の忠臣であり、同時に私の父です。
その宰相閣下に私が背く理由等一体どこにあるでしょうか?」
リィンにとっては渡りに舟というべき提案、それに対してリィンは鉄血宰相随一の腹心にして忠実なる後継者という仮面を被りながら応対する。
理由としては至って簡単で今のはそう振る舞わざるを得ないからだ。
リィンは18歳で准将という地位を手に入れた。それは彼の才幹と実績あっての事だが、同時にそこに父の威光が働かなかったと言えば、それは嘘になる。
今の彼の立場を支えるのは国民からの人気、皇帝よりの信認、そして鉄血宰相の実子でありその後継者として見られている3つがあってこそなのだ。
ならばこそ、自分を煙たがっている軍部の重鎮達も自分に対して
未だリィンは参謀本部総長でも、司令長官でもない
父たる宰相との関係に隙が生じたと見なされれば、必然実権を与えない飾りの名誉職へと軍のお歴々は自分を追いやろうとするだろう。
それでは父へと刃を届かせる事は到底覚束ない。ようやく自分はスタートラインに立ったに過ぎないのだから、此処から自分は軍部内に確固たる
故にこそ、今しばらく自分は公的には鉄血宰相随一の腹心にして後継者だと振る舞い続けなければならない。
理想としては父の持つ地盤を自分が奪い取る形で、父にこの刃を届かせること。
これこそが国にとっても革新派にとっても、最も被害を最小限に留めることの出来る最善の方策だ。
当然、あの父は自分の思惑など当然お見通しだろう。
だが、それでも自分がそうして
権力闘争というのはそういうものだ。一方的に利用する者もされる者も居ない。
自分は鉄血宰相という威光を利用して自分の地盤を築き上げて、内側からその刃を届かせんと足掻く。
そして父は父で自分の、灰色の騎士の力と人気を利用して自分の計画を推し進める。
そんな心洗われる
あるいはこうするならば、父に対する宣戦布告をする事無く、父に従う従順な息子として振る舞っておいた方が効果的だったかもしれない。
しかし、それをすぐに却下した。
理由としては明白でこと騙し合い、ばかしあいという分野に於いてギリアス・オズボーンやルーファス・アルバレアに自分が勝てるなどとは思えなかったのだ。
何よりも、そうして自分の意志を言葉にして叩きつけねば
仮面を被って行う、鉄血宰相の最も忠実なる剣にして後継者という立場の心地良さに。
なぜならそれは自分にとって紛れもないずっと夢に見ていた事だから。
欺くための演技と思っている間に、自分の心の中の刃は鈍っていき、気がつけば演じていた立場に身も心も呑まれていく、そんな予感があった。
だからこそ、戦略的には下策だった宣戦布告を行ったのだ。言葉にして決意を宣誓する事で、自らの
無論、信頼に足る一部の者たちにはその心中を明かしておく必要もあるだろうが、それでもそう簡単に鉄血宰相の忠実なる剣という仮面を見透かされるようでは話にならない。
これはそのための訓練であると同時に目前の皇子への
「確かに宰相閣下は優秀だ。
彼が職務に復帰した途端、またたくまに国内は纏まり、クロスベルを併合した事で我がエレボニアは大陸に於ける覇権を確固たるものにした。
この調子で行けば、宰相閣下の提唱する“パクス・エレボニア”の実現も決して不可能ではないだろう。そこで彼が満足して
私が危惧しているのはまさしくこれから先の事だよ、リィン君。
今や君達親子の人気は凄まじいものがある、当然だね。何時の世も鮮やかな軍事的勝利と年若い英雄の誕生ほど国民を熱狂させるものはない。ましてや、その勝利の相手が数十年来の“宿敵”相手ともなれば尚更だ。
加えて、結局内戦だけではなくクロスベルでの戦いでも良いところがなかった帝国軍の三長官は今や宰相閣下に頭が上がらなくなった。これまでは対等に近い力関係だった両者の間に明確な上下が生まれたわけだ」
クロスベルでの戦いは内戦中貴族連合に拘束されて良いところがなかった参謀総長マインホフ元帥、司令長官シュタイエルマルク元帥、参謀長カルナップ大将という帝国軍三長官にとっては名誉挽回を賭けた重要な戦いであった。
しかし終わってみれば結局灰色の騎士と黄金の羅刹、黒旋風らの活躍によって帝国正規軍の出る幕はなく、戦いは帝国の歴史上に残る大勝利で終わった。
こうなってくると三長官としても自らの進退を考える必要が出てくる、そんな時にこの三名の寛恕を皇帝へと願い出たのが宰相であった。「国家への貢献篤き功臣達を一度の失敗で更迭するはあまりに惜しい」と。
これによって三長官はオズボーン宰相の擁護によって失職を免れる事となった。それはすなわち宰相に借りが出来て、内戦前までは対等の“盟友”と言えた両者の間に明確な上下関係が生じたという事でも有る。端的に言えば、彼らはギリアス・オズボーンに頭が上がらなくなったのである。
だからこそ、そのギリアスの実子であり後継者と目されているリィンを如何に内心で快く思っていなかろうとも現状彼を排除する事が出来ないのだ。もちろん彼らとて貴族嫌いではあるものの、決して愚昧でも蒙昧でも無能でもない。そうした事情抜きに、内心穏やかならずともリィンの持つ才幹が帝国に有益と認めているからこそでもあったが。
兎にも角にも此処で重要なのは、ギリアス・オズボーンがついに正規軍の大半を掌握するに至ったという事である。かつてのギリアス・オズボーンは正規軍を7割を掌握しているとはいえ、それでも三長官との関係はある種対等の盟友とでも言うべき関係だった。しかし、此処に来て両者の関係には明確な上下が形成されるに至った。今後、彼らはギリアスの
「これまでの周辺諸国の併合、内戦による貴族勢力の凋落、そして今回のクロスベルの併合による共和国相手の優位の確立。これらは総て、宰相閣下の“ある目的”のために行われてきたと私は結論づけた」
「……その目的とは?これまでの口ぶりから察するに宰相閣下が日頃口にしておられる“パクス・エレボニア”ではないという事は察しがつきますが」
「ああ、その通りだ。パクス・エレボニアと呼ばれる国際秩序の形成等というのは耳障りの良い表向きの目的に過ぎない。
共和国との全面戦争、それの勝利を以てこの大陸の総てを呑み干す事。それこそが宰相閣下の真の目的だと私は睨んでいる、その過程で数十万数百万単位の犠牲者が出る事を承知の上でだ」
告げられたオリビエの結論。
それはリィンもまたミヒャエル・ギデオンの論文を読む事によって辿り着いた答え。
目前の皇子がそれに辿り着いていた事に内心で感嘆しつつも、リィンは依然仮面を被りながら応じる。
「それは些か、いえかなり論が飛躍し過ぎでは?
そのような事をして宰相閣下に何の利があるというのですか。
大国同士の全面戦争等というものが如何に愚かしく、国家へ甚大な被害を齎すか政に携わる人間であれば容易に想像が出来る事でしょうに」
それは宣戦布告を叩きつけたリィンの中に今もって存在する疑問であった。
数百年前と異なり、技術の発達に伴い今や国同士の経済的、物質的な結びつきというものはかつてとは比較にならないほどに密接なものになった。
それは“不倶戴天の仇敵”同士である帝国と共和国もである。
妙な話になるが係争地を巡っての衝突等というのは所詮は“局地戦”に過ぎない。
ある意味で、それは両国にとっても経済的に“許容しうる”損害であり、出費なのだ。
しかし、互いの国の存亡を賭けた戦いともなれば、そうは行かない。
文字通り国家の“総力”を費やした戦いが行われる事となるだろう。
そしてそうなれば、その過程で生じる損害は勝利によって得られる利を遥かに上回る事となるだろう。
そんな勝利に一体何の意味があるというのか?
そこがリィンにとっては不可解極まりない疑問であり、おそらくは父の言っていた“残酷で無情なる真実”とやらに関係する事だと推測しているのだが……
「ああ、その通りだ。
だからこそ、宰相閣下の目的とはそんな表だけを見ていたらたどり着くことの出来ない
そして、それについて他ならぬ君ならば推測出来るんじゃないかな?」
「……騎神」
リィンの告げた言葉にオリビエは正解だと言わんばかりに頷く。
そう、よくよく考えてみれば、これは間違いなくまともな代物ではない。
現行技術を遥かに上回る、時に災厄を退けて人々を守り、時に全てを破壊して支配する支配者として君臨した伝説の力など。
「250年前の獅子戦役。そして今回の内戦、それらは歴史の節目に目覚め、激突する。
まるでそれが定められた運命であるかのようにね。
突然だがリィン君、君は運命というものを信じているかね?」
「いいえ、全く。女神は慈しみ我らを見守って下さるのみです。
未来を切り開くのは何時だとて人の意志、そう私は信じています」
運命という言葉は実に便利だ。
それを使えば、あらゆる不条理の説明がついてしまうし、極論起こした罪もそのものの責任ではなくなるのだから。
自分とは関わりのないどこか大きな意志が定めた“運命”だったのだとそう思ってしまえば。
全く以て冗談ではない。
自分がこの道を進んだのは紛れもない自分自身の意志によるものだ。
そこで生じた罪も総て自分が背負うものだ。
そんな大いなる存在とやらに総て委ねるなど御免被るとリィン・オズボーンは怒りさえ伴いながら、烈火の如き覇気を言葉に乗せながら返答する。
「私も同じだ。人はただ大きな流れに翻弄されるだけの存在ではない。その価値を心の底から信じている。
そして空の女神はそんな人の可能性を信じたからこそ、揺り籠の中で世話をし続けるのではなく、少しずつでも歩み始めた僕らの事を慈しみ見守ってくれているのだとね。
ーーーだが、どうやら我がエレボニアにはそんな女神とは異なる神が居るらしい。
それも空の女神とは比べるのも馬鹿らしい程に意地の悪い……ね」
「それはどういう……?」
「黒の史書。
皇帝陛下よりお聞きしたことだが、我がアルノール家にはそう呼ばれるアーティファクトが存在するらしい。
そして、それの中にはこれまでの出来事、これから起きる出来事それら総てが記されているそうだよ。まるで予め定められた“運命”のようにね」
「ーーーーーーーー」
告げられた言葉にリィンは絶句すると共にある種の“納得”が心の中に生まれていた。
それはユーゲントⅢ世より感じた“諦観”その理由に説明がついたからだ。
もしも本当にそんなどうしようもない“運命”とやらが存在するのならば、まずはそれを変えんと足掻くだろう。
しかし、そうした足掻きが尽く失敗に終わって、愛する者の喪失という悲劇に繋がればどうだろう?
何をどう足掻こうとも決して変えられぬという無力感、それが心を満たすようになるのではないだろうか。
「残念ながら、皇位を継承した者という条件があるためにその中身までは教えて貰えなかったが、確かなのは一つ。
宰相閣下はその何れ起こるであろう
そして、それは恐らく碌でもない事だろう。獅子戦役に百日戦役、こんな“悲劇”を運命として位置づけた神等神は神でも邪神の類に決っているのだからね。
恐らく多くの血が流れるだろう、何百万単位の多くの血が。そしてその中には当然、君が心の底より守りたいと願うエレボニアの民の血も当然含まれる事となる。
改めて問おう、リィン・オズボーン。他ならぬ君が、それを良しとするのかどうかを!
あくまで父たる宰相の覇道へと付き従うのかを!」
虚偽は決して許さないという静かながらも確かな迫力を宿した瞳でリィンは見据えながらオリビエは問いかける。果たして、リィン・オズボーンという人間はそれを良しとするのかどうかを。
「私は決してそれを認める事は出来ない。この国の皇子として副宰相として、何よりも一人の人間として。
止む得ない事なのかもしれない、現実を知らぬ者の綺麗事なのかもしれない。
だが、それでも私はそんな地獄を作り出す事を“必要悪”だ等と許容する事は出来ない。
父が諦め、宰相が鋼の意志によって覇道を突き進むというのならば私はそれを止めて、その上で異なる道を示してみせよう。
ご都合主義でも何でも起こして、定められた“一流の悲劇”を筋書きの無かった“三流の喜劇”へと変えてみせよう。
そして、そのためにも君の力を借りたいリィン君。
かつて君の語ってくれた真実の願いの籠もった“綺麗事”を信じているからこそ。
どうか、僕の同志となって欲しい」
瞳の中に宿るのは確かな決意と覚悟。
綺麗事を現実に変えてみせると誓った高潔な、夢想家ではない真の意味での理想家の姿だ。
そうして差し伸べられた手を前にリィンは……
「これより、我が剣は貴方と共に。
かつてドライケルス皇子の道を切り開いた鉄機隊のように。
貴方の道を私が切り開きましょう、オリヴァルト殿下」
被っていた仮面を取り外してその手を取る。
眼前の皇子は期待通り、いや期待を遥かに上回る本物だった。
燃え盛るのは確かな理想と決意。
この方とならば必ずや、成し遂げられるはずだというそんな想いだ。
「ああ、共に頑張ろうリィン君。僕たちの愛するこの国を、世の礎を守るために」
それは、神聖なる誓い。
リィン・オズボーンとオリヴァルト・ライゼ・アルノール、二人の英雄の道は此処に交わりだす。
古き神によって定められたお伽噺の結末を塗り替えるべく共に足掻き出すのであった……
オリヴァルト・ライゼ・アルノール副宰相
皇帝直属光翼獅子機兵団司令官灰色の騎士リィン・オズボーン准将
どうでしょうか、このタッグなら鉄血ともやり合えそう感があるのではないでしょうか?