むしろ誰よりも世の理不尽に激するような、ある意味では非常に情深い存在と言えるでしょう。
夜中、シュバルツァー夫人の用意してくれた夕食に舌鼓をうった後、リィンはと言えばやはり全く以て味を感じ取れなかったが、一行は翌日の出立に備えて思い思いの時間を過ごしていた。
女性陣は鳳翼館の温泉に浸かりに行き、リィンはと言えばアルティナより渡された貴族連合内部の情報へと目を通していた。一介の少尉にすぎない自分が、見て良いのかと問いかけたところ、曰くオズボーン少尉やアランドール大尉、リーヴェルト大尉には見せても問題ないとの指示を予め受けていたとの事である。
記されている内容はと言えば、よくもまあこれ程まで調べたと感心出来る領域だ。貴族連合の現在の配置、戦力、更には率いる将の為人までが事細かに記されている。ーーーこの情報を齎した人物は貴族連合内に於いてもかなりの高位、戦略方針を決定できるような立場の人物だろう。
何にせよ、これ程の情報を持ってきた以上、アルティナ・オライオンが実は貴族連合の二重スパイという可能性は極めて低いだろう。北の猟兵たかだか1個大隊程度ならば、信用を得るための生贄にするという事も考えられたが、この情報は流石にそのためだけに行うには余りにも貴族連合への痛手が大きすぎる。故にアルティナ・オライオンは白であると、そうリィンは判断を下す。
全幅の信頼というわけには流石にまだいかないまでも、まずこちらの味方と考えて問題ないだろう。盲目になるのは危険だが、かといって同様に疑心暗鬼にとらわれるのもそれと同様に、いやそれ以上に危険だ。人一人で出来る事などしれている以上、大業を成すにはどうしても他者を信じ、その力を借りる事が必要不可欠なのだから。
そんな思索と共にリィンは猛烈な速度でレポートを書き上げていく。内容は主に騎神の持つ性能とその運用、そして対策手段である。内戦からおよそ一月、正規軍側は機甲兵への対抗戦術は編み出したものの、騎神に関しての性能は恐らく未だほとんど把握していないだろう。現状確認されている騎神の起動者は自分とクロウの二人であり、そのクロウは貴族連合側に就いているのだから。だからこそ、正規軍側に騎神の持つ性能を余さず教えるために、リィンは今夜中に資料を書き上げるつもりであった。先ずはどれほどの性能なのか、それを知らなければ運用も対策もあったものではないのだから。徹夜になることについては一切問題がない、何故ならば今のリィンはもはやほとんど
鳳翼館での入浴も勧められたが、その必要は存在しないだろう。衛生上の問題からシャワー程度は浴びる必要はあるだろうが、長々と入浴して身体を休める必要は今の自分には存在しないのだから。
そんな調子で昼間にアレだけの無理をしていながらもリィンが脇目も振らずに報告書を作り上げていると、コンコンと控え目なノックが聞こえて来て……
「オライオン曹長か、特に部屋の鍵はかけていないから入ってくると良い」
気配にて誰かを察知したリィンがそう声を掛けると、アルティナ・オライオンが控えめな様子で部屋へと入ってくるのであった。
・・・
「夜分遅くにすみません少尉」
訪ねてきたアルティナは湯上がりだからだろうか、そっちの趣味がない人間であってもその気になってしまうのではないかという妙な艶めかしさがあった。
「構わんよ。貴官は実に良く働いてくれた、貴官が居なければ北の猟兵の襲撃を受けて、ユミルは恐らく火の海となっていただろうからな。本当に良くやってくれた」
だがその手の欲情をかけらも抱かずにリィンは少女への礼を述べる。
自分は目の前の少女に信用してほしかったら、それに足る実績を示せと告げた。
ならば、自分はそれに応えねばならないだろうと。
「それが任務です。礼には及びません」
「そうか、ならば私の言葉も上官としてのよく働いてくれた部下に対する労いだと思って受け取ってくれれば良いさ。ーーーそれで、わざわざ私のところを訪ねてきて一体どうしたんだ?」
「少々お聞きしたい事がございまして……少尉、“友達”とは一体如何なる存在なのでしょうか?」
てっきり何らかの報告でもあるのかと思えば、予想だにしていなかった問いかけを行われリィンは目を丸くする。
「皇女殿下は少尉よりもエリゼ・シュバルツァーの自分への助力を喜んでいるように見受けられました。
ーーー全く以て不可解です、あらゆる分野で少尉の実力は彼女を大きく上回っています。皇女殿下の目的を達成するためにはどう考えても少尉の助力の益する所、彼女のそれよりも大きいはずです。それにも関わらず、何故皇女殿下はアレほどまでに喜んでおられたのでしょうか?」
どこまでも純粋に利益になるかどうかで人間関係を判断するアルティナの言葉にリィンは目の前の少女の歪な育ちを悟る。ーーー目の前の少女、アルティナ・オライオンは酷く極端な育ち方をしているのだろう。今日一日だが見せてもらったその「能力」はまさに情報局員として何ら不足のないものだった、だがその反面精神面が酷く幼い。
冷静沈着なように見えるその態度、それは自分のように自ら覚悟を定めた人としての意志ではなく、ただ上位者からの与えられた指示の通りに動くだけの人形としてのものなのだとリィンは悟る。それは上にしてみれば都合がいいものだろう、何せ反発する事も裏切る恐れも無く唯々諾々と動く駒なのだから。
故にリィンがそうした駒としてのみアルティナ・オライオンを動かすというのなら、この問いかけを適当にいなせば良いのだが……
「ふむ、その前に君自身はどう思う?“友”とは如何なる存在だと思う」
無論の事、この男はそんな事はしない。リィン・オズボーンは“意志”の力を信じている。
“意志”こそが人を人たらしめるものなのだと、そう思っている。
どのような物事であると先ずはそれを為そうと思う事から始まるのだから。
無論、中には自らに“道具”である事を課す者とているだろう、そういう生き方をリィンは否定する気は別段無い。ーーーそもそも国家のための必要悪を担う存在足らんとしている彼が、そういう生き方を否定したら自己矛盾も良いところだろう。
だがそれでもそう生きる事を自分自身に課したのと、それ以外の生き方を知らないのとでは決定的に違う。
故にこそ、この人形めいた少女をこのままにして良いはずがないとそう思うのだ。
ーーー少女の立場を思えば、戦場という地獄に正気にした状態で叩き込むある意味では余程残酷な行為であり、甚だしい偽善なのかもしれないが、それでもやはり人形のままにただ道具として扱う等という事はリィンには出来なかった。
加えて言えば、“オライオン”という名字とその年齢からリィンはどうしても血のつながらぬ妹の存在を想起せずには居られなかった。性格と外見は全く以て似ても似つかないが。
故にリィンは問いかける、先ずは上の与える答えに安易に飛びつかないように。自立というのは、自分自身で考えること無くして有りえぬ事なのだから。
「…………互いにとって益のある存在の事ではないでしょうか?」
「では、私とアルフィン皇女殿下は友だと思うか?私が殿下を味方に出来たことの益は今更語るまでもなく、殿下もまた私を味方にする事で憚りながらそれ相応の益を得たと自負しているが。ーーーそもそも君の疑問は殿下の友人であるエリゼ嬢が味方に就く事の益が私よりも客観的に見て少ないように思えるのに、何故殿下が私を味方につけた時よりも喜んでいたのかという疑問から立脚したものだろうに」
故にもう一度ゆっくり考えてみると良いと優しく告げられたリィンの言葉にアルティナは再び思案するが
「………………わかりません、私では答えが出せません」
期待に答えられない事で使えない存在だと見られるのではないか、そんな恐怖をわずかに抱いてアルティナ・オライオンは答える。わからない、単に辞書に乗っているように意味合いでなら無論アルティナとて答える事は出来る。だが恐らくそれを言っても、目の前の人は「それは自分自身で考えた答えか?」とまるでカンニングした生徒に釘を刺すような態度で応じるだろうとなんとなくだがアルティナには思えたからこそであった。
「そうか、ならばゆっくりと
というわけで悪いが、君の質問に対して答えてやる事は出来んな。
「……了解しました」
そう言われれば、アルティナ・オライオンとしてはそう答える他にはない。
基より今回の質問は自分でも今になって、何故このような質問を目の前の人物にしたのかと疑問に思うような内容であったのだから。
「それで、他に何か聞きたい事はあるか?」
「……いえ、特には」
「そうか、ならばそろそろ寝なさい。子どもには夢を見る時間が必要なのだから」
上官としてではなく妹に接する兄のような優しい笑みを浮かべながら告げられたリィンの言葉にアルティナはどこか落ち着かない様子になりながらも、ペコリと一礼だけして退出するのであった……
・・・
(友とは如何なる存在……か)
友について問われれば、リィンの脳裏に過るのは掛け替えの無い黄金の思い出。
アンゼリカ・ログナー、ジョルジュ・ノーム、トワ・ハーシェル、そしてクロウ・アームブラストの四人だ。
友人とは如何なる存在かという問いかけに対して、もしもリィンが答えていたらそれはこうなっただろう、例え敵になったとしても、それでも好感を抱けるような存在だと。
仲間や同志とは歩む道が同じだからこそ、共有する同じ目的や志があるからこそ仲間であり同志なのだ。
だが、“友”は違う。例え、道を違えようともやはりその人物が自分の友である事には変わりないのだ。
例え立場が違っても、道が別れたとしても、それでも生涯付き合う事になる存在、時に喧嘩してそれでもやはりどこか気になって、時折どうしているのかと近況が気になり、ふと会ってみたくなるそんな存在。
あくまでリィンの答えになるが、それがリィンの考える“友”だ。
そう、だからこそクロウ・アームブラストはやはり自分にとって未だ“友”なのだ。
自分の父がクロウの祖父を破滅に追いやった、そしてクロウは自分の父を殺した。それでもやはり、自分たちが語り合ったあの時間は決して嘘などではなかったのだと、冷静になった今ではそう思える。
だからこそ自分はあいつを
無論、激突を避ける事は出来る。それはクロウがカイエン公を見限れば良いのだ。
帝国解放戦線はザクセン鉱山で壊滅したというのが帝国政府の公式発表だ、政府がこれを覆して実はリーダーのCを取り逃がして居ましたとわざわざ発表しても政府の威信を傷つけるだけで、益する所は少ない。
故に、蒼の騎神を駆る蒼の騎士クロウ・アームブラストの表向きの立場はあくまでジュライ出身のカイエン公の子飼いの部下とそういう立場だ。
無論、宰相暗殺の実行犯という罪が彼にはあるが、それでも蒼の騎神の力は内戦によって国力を大きく削がれた帝国にとっては非情に魅力的なものだ。
故に、もしもクロウが、カイエン公を見捨てて帝国に絶対の忠誠を誓うのだとすれば、超法規的措置として彼のその罪が許される可能性は十分に在るだろう。ーーーそれこそ、自分が擁護しても良い。
だがリィンの中にはクロウがその道を選ぶ事は無いだろうという確信があった。
何故ならば内乱が終わった後に、待っているのは帝国の総力を結集したクロスベルへの併合、あるいはクロスベルを併合した共和国との戦争なのだから。これは国防上、避けては通れぬ必然だ。そも、父が撃たれたあの演説はそのために行われたものだったのだから。ガレリア要塞という盾を消失して、更には“内戦”という悲劇によって国が分断された帝国を再び一つに纏めるには圧倒的な“勝利”こそが必要なのは疑いようがなかった。
そして、クロウ・アームブラストはそういった事に加担する事、大国が自らのエゴのために小国を蹂躙するという類を毛嫌いして憎んでいる事は疑いようがない。まず間違いなく、あの男は命惜しさに帝国に忠誠を誓う等という事はすまい。
だからこそ、あいつを殺すとするならばそれは自分だ。
私情と誹りを受けようがこればかりは誰にも譲る気はない、クロウ・アームブラストは自分の獲物なのだから。
自分が憧れた父を
“過去”へと決着をつけて“未来”へと歩みを進める事が出来るのだと、リィンは戦意を滾らせる。
そうしてしばらく宿敵との決戦を夢見て居たが、そんな自分を諌めるように軽く首を振る。
余りにも気がはやりすぎだろう、物事には順序というもがあるのだからと。
そして逸る気持ちを抑えて再び、今なすべき事、書類の作成へと没頭しだす。
少女が眠りにつき夢を見ている間も、“英雄”は決して止まる事無く進み続けていた……
ちなみに今のオズボーン君は性欲もほとんど消えています。
故にどれだけ恋人のトワちゃんが過激な衣装で誘惑してもほとんど効果がないという哀しい結果に終わります。