書きたいもの詰め合わせた闇鍋話   作:オニヤンマンマ

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思うこと

 マーレは再び落ち込んでいた。

 リーザの胸を借り、普通の子供のように泣きじゃくってしまったことを、見ている周囲が戸惑うくらいに悔いていた。

 

「も、申し訳ありません、リーザ様!」

 

 マーレは平身低頭で顔を青くして謝罪する。

 シモベにあるまじき失態だと、死をもって償うほかないと、また思い込んでいるような様子だった。

 

 パンドラズ・アクターのときも思ったが、NPCたちは想像以上に、自分たちギルメンを慕っている。

 その忠誠を疑うのが申し訳なるくらいに、こちらの役に立とうと必死なのだ。

 

 NPCに対して恐々としていたリーザが、一番に胸打たれて、マーレを気遣うようになるくらい、こちらの懸念はあまりにも馬鹿馬鹿しいと理解できてしまう。

 

 ミーシャとリーザの女性陣が主となって気にしないでと慰めていたが、効いている様子がない。

 どうやら、彼らシモベの忠誠心というのはあまりにも高すぎて、ギルドメンバーである自分たちと比べるとかなり低い価値しかないと思い込んでいる節があるようだ。そんな価値の低いシモベが、モモンガたちを少しでも煩わせることは絶対にだめなことなのだと。今の所、言葉でどんなに言い募っても、その宗教のような絶対的な価値観は変わりそうにない。

 

(確かに、たっちさんたち仲間と比べてしまったら下に来るけど、NPCもみんなが残してくれた大事なモノには変わりないのに) 

 

 感情が宿り、まるで生きているのと変わらない。困惑するくらいの忠誠まで向けられてきているのだ。嫌いになるほうが難しい。

 もっと自分を大事にして、そしてこちらが大事に思っていることを知ってほしい。そう言っても、今の追い詰められたマーレには届きそうにないけれど。

 

 気にするなと言っても余計塞ぎ込んでしまうなら、言い方を変えよう。

 

 これでいいのか? もっと悪い方向に転ばないか? とドキドキしながらモモンガはおもむろに骸骨の口を開いた。

 

「マーレ、顔を上げて涙を拭け。お前を六階層の守護者としたぶくぶく茶釜さんの期待を裏切るな」

 

 小さな子供をなだめる優しい声音ではなく、叱りつける厳しいものであった。

 そんな言い方をしなくても、ととがめようとするリーザをたっちが腕で制止する。

 たっちはモモンガのほうに無言で頷いて、続きを促した。リーザも渋々といった体でこちらの言いたいようにさせてくれるようだ。

 モモンガは内心胸をなで下ろして続ける。

 

「お前は泣いていれば全てが許される小さな子供とは違う。理解できるな?」

 

 おどおどした表情に涙を溜めていたものを一変させ、マーレは膝をついたまま顔を上げた。

 

「は、はいっ」

 

「いや、そうだな……ウルベルトさんは期待などというのは曖昧な無駄なものと言っていたな。私もそれに同意だ。マーレ、お前は誰に対しても誇れる、このナザリックの第六層ジャングルの守護者だ。私も、お前に期待などしない。期待などしなくても、お前はその地位に対してふさわしい存在であることを私は知っているからな。

 また、お前たちがそうあれるよう私も努力しなければならない」

 

「し、至高のお方であらせられるモモンガ様がボクたちのために、ど、努力なんて!」

 

 マーレは酷く驚き、取り乱した。

 

「これに関して口を挟ませるつもりはないぞ。ナザリックの支配者としての義務だからな。

 お前が最初に罪と言ったことは、私たちが罰を与えられるものではなく、マーレ、お前自身が納得いくまで贖わなければならないことだ。どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても、幸せになるんだ。リアルの世界にいるぶくぶく茶釜さんを安心させられるように、立派に成長するといい。

 そして、リーザさんに抱きついて泣いたことだが……」

 

 正直これに罰を与えるというのは、あまりにも酷で、大人気ないと心の底から罪悪感が湧き上がってきて嫌なのだが、そうでもしないと場がおさまりそうにない。

 

「此度の失態を挽回する機会を近いうちに与える。

 ぶくぶく茶釜さんが失われたばかりであることも留意し、それによって、シモベにあるまじき態度を取ってしまったことを不問とする。

 いいですよね、リーザさん」

 

「はい、もちろん」

 

 リーザはマーレを安堵させるように優しげな笑みを浮かべて快くうなずいた。

 

「モモンガ様、リーザ様っ……!」

 

 感きわまると言った様子で、マーレはふたりを見つめた。居心地が悪くなる純粋に尊敬する眼差しである。

 そんな目で見られるような立派な大人だと思えないモモンガは、胸に迫ってくるものに「う」と苦しげに言葉を詰めた。

 

「モモンガ様、ボクは何をすればいいのでしょうか!」

 

 まだ決めてもいないことを、涙がまだ残るキラキラした眼差しで問うてくる。

 

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ、マーレ」

 

 ヘロヘロが助け舟を出してくれた。

 

「そうだよ、マーレ。そうだ、まずは第六層の報告を聞きたいな」

 

 すかさずたっちが話題を逸らしてくれる。

 

 素晴らしい連携であった。

 モモンガは心の中で感謝しきりであった。

 一人ではこうも上手くはいかなかっただろう。

 

「は、はい。六階層は異常なし。全く問題ありませんでした」

 

「そうか、それならば良かった。農場のほうも問題はないか? 転移の影響で作物が突然枯れたり、配置されたモンスターが突然凶暴になったり、そういったことはなかったのだな」

 

 ここにはたっち家族がよく遊びに来る場所で、さきほどもミーシャが遊びに行きたそうにうずうずしていた場所だ。より一層の安全確保は大事だろう。

 

「はい。転移前と変わりません。あ、あの、もし、モンスターたちが不安でしたら、御身のために全て処分いたします」

 

 可愛い顔で、真剣に物騒なことを言う。

 

「大丈夫だ、マーレ。そこまでする必要はないからね。あそこのモンスターは餡ころもっちもちさんとみんなで頑張って出した子たちだから、もう少し優しくしてあげてほしい」

 

 たっちがびっくりした様子でなだめはじめた。

 

「マーレお兄ちゃん、猫ちゃんたちいじめちゃだめだよー」

 

 ミーシャもおろおろしている。

 

「は、はい。す、すみません」

 

 たっちたちを不愉快にさせてしまったと、失言だったと思い込み、マーレはまた顔をさげてしまった。

 このままでは負の連鎖が再び始まる。モモンガは打開策を必死に考える。

 

「マーレ、アルベドに連絡を。各階層の報告が届いたか聞いてくれないかな? もし、全て届いているようであれば、モモンガさんに各階層の報告をするように言って」

 

 ヘロヘロがどろどろの黒い触手で、マーレの肩を叩く。

 落ち込む暇を与えずに、簡単な仕事を振るのはいい判断だったのか、マーレははっとして、すぐに命令を達成すべく動く。

 

 それとほとんど同じタイミングで、モモンガの頭の中に直接声が響いた。

 

『失礼いたします。モモンガ様!』

 

 声の向こうで、軍服姿の埴輪顔が、敬礼をしているのが見えた気がした。

 

「……お、おう。パンドラか」

 

 動悸、息切れ、めまいという不整する脈もないのに、不整脈のような症状が現れ、モモンガは一瞬呼吸を整えることを必要とした。

 

「人間の少女と遭遇し、友好的にナザリックに連れてこれるのか。よくやったぞ、パンドラ」

 

 パンドラは、手に入れた情報を次々に報告してくる。

 本来なら外に出られないはずの拠点NPCが、システムの規制から解き放たれて外出可能になっていることをモモンガが無言の内に確認したのがまずひとつ。

 外は、沼地から丘陵地帯へと変貌し、どうやらナザリックが転移した一帯は亜人たちが領土争いをしている地域だとのこと。

 丘陵から先にある山岳地帯にはバフォルクという山羊の亜人たちが住み、そこに偵察に向かう最中の少女に、自分たちがその偵察を請け負うことを提案した。

 交渉、という対等な立場にすら立たせない、圧倒的に実力が上のものから善意によって差し伸べられた手。

 偵察の安全をより一層図るため、互いの情報の違いをすり合わせ、周囲の亜人たちのことをよく知っておきたい。という名目で、違和感なく周辺状況の情報をさらに手に入れることを可能な状況にした。

 

(うわ、本当にやり手だわ。こいつに営業やらせたらばんばん仕事とってくるんじゃないか)

 

 サラリーマン的な感心をしてしまう。

 

 人間たちの住むローブル聖王国、亜人たちが暮らすアベリオン丘陵、二つの勢力の戦線となる城壁。

 蛙人間のようなツヴェークの巣から、今度は亜人の縄張りか。モモンガはひとりごちる。

 ゲーム内のPOPモンスターが拠点に侵入してくるのはまずなかったが、その亜人たちはおそらく違うだろう。

 警戒レベルを引き上げなければなるまい。

 やるべきことを脳内で構築し、次にするべき指示を考える。

 

 連れてくることに成功した少女だが、自分たちの前に連れて行くには、あまりにもひどい格好なので墓地地帯の領域守護者の私室で姿を最低限整えてから連れてくるそうだ。外は雨上がりで、ずいぶんと泥だらけらしい。そんな格好のまま連れてきたら、優しい女性陣がしきりに心配しそうだ。時間は気にせずに身ぎれいにさせてやるといいと伝え、パンドラに墓地地帯の領域守護者に伝言を頼む。

 

 地表の墓地地帯は、ナザリック防衛の最前線。侵入者がまず足を踏み入れるのはそこになる。

 侵入者がいた場合は、できるだけ怪我をさせずに生きてとらえるようにと命令する。

 右も左も分からない状況で、揉め事はごめんだ。

 

(他の守護者たちにも通達させないとな)

 

 少しの情報でも、やるべきことが目まぐるしく増えてくる。

 

(大秘術はやっぱり成功していた、とかなんとか言ってそれらしくまとめて、現状を教えて……たっちさんたちにも相談しなきゃ。亜人たちのレベルによってはツヴェークどころじゃない脅威になるし、表層やシャルティアの守護領域の警備レベルの引き上げは重要。外に出れなくなる籠城戦も覚悟しなきゃいけない……でも、ウルベルトさんが) 

 

 もし、レベル1のウルベルトが亜人たちの縄張りに一人で放り出されていたら。

 その可能性を思うだけで、恐ろしさで思考が凍りつく。

 悠長な判断のせいで、助けられるかもしれない彼に何かあったら、そう思うといてもたってもいられなくなる。

 

 何か大きな怪我をしたら、ポーションでの回復も間に合わないような致命傷を負ったら、最悪、自分の知らないどこかで死んでしまったら……

 

 真っ赤に染まったウルベルトの姿を想像した瞬間、がちりと恐怖の想像に歯止めがかかる。

 

 身のうちから湧き上がる恐怖をも押しとどめるストッパーに、モモンガは息をつく。

 焦った判断など、ろくなことにならない。それはぷにっと萌えさんがいつも言っていたことではないか。

 

『モモンガ様?』

 

 奇妙な沈黙とモモンガのため息に、パンドラが訝しげな声をあげた。

 

「あ、ああ。すまないな。なんでもない」

 

 ウルベルトがこの世界に本当にいるのかいないのか分からない今、モモンガがすべきことは慎重な情報収集だ。

 捨て鉢になっていいわけがない。

 目の前には大切な仲間がいるのだ。彼らのために、自分のできる限りを尽くすべきであろう。

 

 でも、もしも自分ひとりだけしかおらず、しがらみが何一つなかったのならば。

 

(なにもかも打ち捨てて、このゲームみたいな現実世界にいるかいないのか分からなくても、あの人を探しに行っていただろうな)

 

 身のうちに巣食う、餓鬼めいた不安を一刻も早く捨て去るために。

 

◆◆◆◆ 

 

 

 ウルベルトは嘔吐していた。

 出るものは何もなく、吐き出すものは胃液ばかり。出るものなどなにもないというのに、体内に入ってくる劇物を迫り出そうと、肉体が過剰防衛を働かせている。

 鼻からはだらだらと血が溢れ、目からは涙が溢れていた。ひどい有様だった。

 失禁までしていないのが、唯一の救いだろうか。

 

(なんだよ、これ!)

 

 巨大なイビルツリーが災いの渦に飲み込まれ、ギルドメンバーたちも光の泡となって消えた。それを見送った直後、ドン、と体に何かがぶつかってくる衝撃を感じた。

 見えない巨大なハンマーを叩きつけられ、細胞ひとつひとつまで丹念にすり潰されるような、激痛。

 自分の中にある何かが拡張されているのをうっすらと知覚するが、その拡張の速さが許容範囲を超えた時、肉体が悲鳴をあげた。

 

 入ろうとしてくる物の量に対して、許容量はあっけないくらいに小さかった。

 

 今の自分は、何かに溺れている。圧倒的な容量の何かに押し包まれ、つぶされそうになっている。

 仕事の最中に化学薬品の溶液の中で溺れかけたことを思い出す。

 呼吸ができない苦しさ、昔とは違い泳ぎの練習などしたことのない世代の人間だ。溺れるというのは初めての経験だった。無我夢中でもがいて、液体が限界を超えて口の中にはいってきた。

 今の苦痛は、あの時以上だ。

 

「うえっー、おげ」

 

 情けないくらいの喘鳴が、繰り返される。吐瀉物が何度となく地面を汚す。鼻血とまじった胃液の悪臭がせまってくる。

 地面に爪をたて、えぐった。

 ぶちぶち、と体内から異様な音が聞こえる。あまりにも力みすぎて、毛細血管が内側から破裂した音だった。

 

 苦しさのあまり、気が遠くなる。しかし、激痛ですぐに意識は戻る。

 その繰り返しだった。

 

 吐いて、吐いて、吐いて、薄くなった酸素を取り戻すために酸素を吸い、呼吸とともに入ってくる過密した物に拒絶反応を示してすぐに吐き出す。

 

 早く、この苦しいだけの時間が終わってくれ!

 ウルベルトは自分の中に、もうこれ以上この異物が入ってくるなと強く思い続けた。

 

 力の源となるモノなのだと、本能のようなものが察知していたが、必要以上のそれはただの毒だ。

 受け入れられるだけの器が育っていないウルベルトは、空気を詰め込みすぎて破裂寸前の風船を思い浮かべる。それが、今の自分の状況なのだ。

 

(くるな、くるな、くるな、くるな)

 

 頭がおかしくなるくらいに、そればかりを繰り返す。

 

 どれほど時間がたっただろうか。

 気が狂うくらいの長い時間だったような気もするし、十分程度の短い時間であったような気もする。

 

 やがて嘔吐も収まり、流れ続けた鼻血も止まった。全身に与えられ続けた激痛は引き、その余波が残っている程度だ。指を地面に突き立て、力を込めすぎていたせいか、いつの間にか爪が割れ、何枚か剥がれていた。その痛みも、あの内側から壊れる痛みに比べれば大したことはない。自分を苛む痛みとは感じない、どこか他人事のようだった。

 荒い息継ぎを繰り返せる程度には落ち着き、ウルベルトは剥がれた爪に気をつけながら手で顔を拭った。

 

「うわ、くっせ。きたな」

 

 涙と胃液と鼻血で、顔は随分と汚れている。土まみれの手に、その拭いた汚れが加わり気持ちが悪い。

 服で拭うことも考えたが、汚れを今着ている服になすりつけるのも生理的にいやだった。

 

(ここがゲームと変わらないなら、アイテムボックスが使えりゃいいんだけど)

 

 ウルベルトはここがゲームの法則が通じる現実、というのを否応なしに受け止めていた。

 あれやこれやと往生際悪く考えるのは無駄だということを、我が身をもってまざまざと思い知らされた。

 あの苦しみは、もしかしなくても急激なレベルアップがもたらしたものだったのだろう。途中からそれを拒絶したから、とてつもなくレベルが上がったような気はしない。苦しんだだけ損したようなものだった。

 あのイビルツリーはユグドラシルであったならば、レベル1から50くらいにまで急激にレベルアップできた経験値を持っていたのではないかとざっくりと考えた。

 ゲームであればデータとして簡単に処理されるものであるが、あれに現実の肉体が伴うととてつもない苦痛を味わうはめになる、ということをウルベルトは理解した。

 いわゆるパワーレベリングはやっちゃいけない。レベルアップしたければ適正な狩場に入り浸ってゆっくり上げろ、そういうことだ。

 

(はぁー、しんど。うん、でも、何も分からないまま死ぬのよりはずっとましだった)

 

 倦怠感が残る体に喝を入れ、ウルベルトは上半身を起きあげた。

 

 コンソールが使えないなら、アイテムボックスはどうやって使えばいい?

 魔法だって使える。

 アイテムだって使える。

 あんな巨大なモンスターも存在し、召喚魔法じみたもので倒せて、経験値が入り、レベルアップだってするのだ。

 アイテムボックスが使えてもおかしくないだろう。

 

 任意のアイテムを取り出せないものかとうろうろと手を空に彷徨わせると、手がどこかに入り込む感覚があった。

 

(お、やった。使えそうだ)

 

 窓を開くような動作で、アイテム欄を見ていく。

 ワールドディザスターという職業のため、ウルベルトには大量のスクロールやワンドが必須だ。結局はあっけないくらい簡単に二発で沈めたイベントボス戦のためにためこんでおいた大量のスクロールやワンドの在庫があり、最終日の安売りに買い込んだ各種のアイテムがいくつもある無限の背嚢に詰め込んである。

 

 これを現実世界でも問題なく使えるのならば、しばらく生活に困る気がしない。

 イリニに食事による補正をつけさせるために、食料も多く保管してある。

 ゲームとは違い、賞味期限や消費期限が気になるが、できれば不思議な力が働いてアイテムボックス内部は時間経過が止まっていてくれるとありがたい。

 

 まずはポーション、素材に使う布アイテムを数枚に、汚れを洗い落とすための無限の水差しを取り出す。

 低レベルだし、と試しにとマイナーヒーリングポーションを飲むと、驚くくらいに体が軽くなった。味は薄い栄養ドリンクといったところ。まずくはなかった。剥がれた爪が何事もなかったかのように戻っていくのは、凄いようでなんとも気味が悪いが、その効果を実感する。

 

 布ごしに無限の水差しの取っ手を掴み、傾ける。

 かつての世界ではお目にかかったことがない綺麗な水が溢れ出る。

 勿体無い、と思いつつ空いた手を出し、汚れを洗い落とし、綺麗になった片手で水をすくい顔にかける。

 

 一瞬、召喚したオーバーロードにつけられた傷が痛んだ。

 

(ポーションを飲んだけど、こっちは治ってないのか)

 

 恐る恐る触れると、じくりとした痛みが頬から広がった。皮膚や肉が焼けた気がしたが、顔の肉が焼け落ちているということはなく、瘡蓋のような固さのあるものが指を押し返すだけだった。

 我慢できない程度ではない。というか、つい先ほどのことを思うと屁でもない。

 怪我の具合は確認できないが、あまり大したことはない気がする。それよりも今はへばりついている汚れのほうが気になる。

 

 傷になるべく指をふれないように気をつけながら、水で何度も顔を洗う。

 さっぱりとした感覚が、とても気持ちが良かった。

 汚れのついた布を一旦置き、綺麗になった手に取っ手を持ち替える。

 同じように手を洗い、布で拭った。

 

 そうしてようやく人心地ついたウルベルトは、ギルドの指輪を見る。

 本来なら宝石に浮かんでいるはずのギルドサインはなく、その指輪を帰還のために使おうとしてもうんともすんとも言わない。

 宝石がはめ込まれているだけのただの装飾品になってしまっていた。

 

 あの召喚魔法はヘラルディストの解放(リリース)がもたらしたものだったのだろう。

 紋章の力が解放される、ということは後には何も残らない。力を発動させる代わりにアイテムを使い捨てにさせるのがこのスキルなのだ。

 

(ま、おかげで助かったけどな)

 

 もし、指輪の力がちゃんと発動してギルドに帰れたならばそれでいいが、帰還できる先がなかったら、ウルベルトはなす術なくあの巨木に殺されていたかもしれない。

 そう思えば、あのタイミングでのスキルの発動は最善であったはずだ。

 

 無限の水差しをしまい、『ゴミ袋』とラベルが貼ってある無限の背嚢を取り出した。昔、いろいろ作っていたアイテムの廃棄品やら未完成品やらを突っ込んでいた袋だ。今となっては何がはいってるのかもちゃんと覚えていない。仮に、これをうっかりなくしてしまったとしても、ウルベルトとしては痛くも痒くもないものしか入っていない。

 

 これだけ見事な自然の中に、ゴミを捨てていくのはかつての仲間のことを思うと罪悪感があったため、一応綺麗な布で汚れた布を入念に包み、その中に突っ込んだ。ポーションの空き瓶もそこに詰め込む。

 

(二度と中のものは触りたくないな)

 

 中のものに胃液と鼻血がついていそうだ。

 簡易のラベルを引き剥がし、背に負う。明らかにゴミとわかるものを、綺麗なものが並ぶアイテムボックスに放り込むのは、なんとなく抵抗があったためだ。どこかで布を捨て、それ以外の中身も処分したい。どうせ大したものははいっていないのだ。

 

 ウルベルトは、歩き出す。

 ユグドラシルではないよりはマシという気持ちでつけた装飾品だが、闇視の効果があり、昼間と変わらない明瞭な視界で動けるのは助かった。

 夜だからといって、こんなところで休む気にはなれない。もっと落ち着ける場所を探したい。出来れば、人里がいい。

 

(ここが、どこなのか。

 俺と同じように巻き込まれているプレイヤーはいないのか。

 モモンガさんたちはいないのか。いたら伝言(メッセージ)くらいはしてくれそうなもんだけど……もし、俺と同じようなことに巻き込まれていたとして、伝言(メッセージ)が通じないのは、こちらに来てから会ったことがあるひとじゃないと使えないとか、そういう縛りがあるからなのかもな)

 

 気になることはたくさんある。

 

 ひとつ分かるのは、ここでじっとしていても現状を何一つ解決できない、ということ。

 

 探索系魔法を無効化するワールドアイテムを外して、向こうに見つけてもらうことも考えたが、ここに仲間が本当に来ているのか分からない以上、身を守ってくれる物をわざわざ外しておくのは危険だとウルベルトは判断した。

 レベル1の自分があれだけ巨大な敵を倒せたのは、スキルの効果もあるだろうがワールドアイテムの魔力補正も大きいだろう。

 どんな敵が、いつ現れるのか分からない今、希望的観測のみで行動するのは極めて危険だ。黄金豊穣の宝鍵は、ウルベルトの命綱となり得るだろう。なにせ、かつては得意としていた魔法を今は一つとして扱えないのだから。

 

(ヘラルディストが使える魔法を調べて、あらかじめ黄金豊穣の宝鍵にストックしておいたほうがいいな。持ってるスクロールは大体第八階位以上だしなー。たぶん、使えねーよな。短杖も何本か出しておいたほうがいいか)

 

 緊急の何かがあった場合、アイテムボックスから即座に必要なアイテムを出せる自信がない。

 必要なものはあらかじめ、出しておいたほうがいいだろう。

 今の自分ができる全力を費やし、生きるための算段をつけなければならない。

 

(こんな訳の分からん場所で死んでやる気はない。俺は、あの世界に帰るんだ)

 

 それは、この世界にモモンガ達が来ていようと、来ていまいと変わらない決意だ。

 

(あの世界を、少しでもいいから、俺は変えたいんだ)

 

 殉じることに意味などなく、ベルリバーの命ほどに自分の命に価値はなくとも。

 少しでもいいから、あの壊れた世界を。

 

(たっちさんでもないのに、こんなことを思うのはホントないわーって感じだけど)

 

 正義が世界を変えられないのならば、悪として変えてやりたいのだ。

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