書きたいもの詰め合わせた闇鍋話 作:オニヤンマンマ
空には宝石のごとく輝く星々がまたたいていた。
光を遮るものなどない、満点の星空だった。それは見るものが見ればーー例えば環境汚染のせいで本当の星空を見たことがない者からすればーー絶句するほど美しいものであったが、三人のシモベにとっては意味のないものだった。
特に、アウラにとっては、至高の存在が手ずから作られた六階層の星空のほうが、尊く美しいものであったから。
周囲はなだらかな丘が視界の限り広がっていた。
草木が茂り、ときおり小動物が走っていく。
「……転移はやっぱり成功していたんだね」
アウラは固い声で言った。
尊い方の命が使われたのだ。失敗するはずがない。
三人の目の前には、かつてナザリックを覆うように広がっていた沼地地帯が姿形もない。
本当に、別の場所に転移したのだと実感する。
ソリュシャンはいつも元気で明るいアウラがやけに気落ちしている原因がわからず訝しむが、迅速な行動を求めていることが伝わってきた御方からの命令もあり、そちらを優先させる。
「この場にいない至高のお方々に、感謝をしましょうアウラ様」
事情を知るパンドラはアウラに優しく声をかけた。
うん、と少女は頷いた。
「高レベルの危険なモンスターが姿を消して潜んでいる様子もありません」
アウラのペットたちが、三人を囲むように輪になって周囲を警戒する。
ソリュシャンは地下墳墓から出ると周囲を見渡すことなく、視線をすぐに固定した。
「スキルを使うまでもなく、あそこに何かがいますね。あれで隠れているつもりなのでしょうか」
女はゆったりとした笑みを浮かべる。
アウラとパンドラズ・アクターは頷いた。
「レベルは高くありませんね。雑魚、と言ってよろしいかと」
何の変化もない墓地地帯をある程度観察し、この情報をそろそろ部隊に持ち帰ろうかと思い始めたころ、じっと見つめていた霊廟に変化があった。
誰かが出てくる。
ぞろぞろと出てきたたくさんのモンスターの数に、ネイアは絶句する。聖王国でよく見るような、ただのモンスターではない。遠目に見ても異様な気配を感じるのだ。相対してもいないのに、その存在感の強さに圧倒されて息を飲む。
あたりを警戒するように、あちこちに視線をやり、執念深く地のにおいを嗅いでいる獣たち。
何か、始まるのか。
ネイアは駆け出したいのをぐっと堪えた。
下手に物音を立てたら、すぐに存在に気づかれる。
こんな状況に陥ったら、小さな子供でも理解できるだろう。少しでも間違ったら、一巻の終わりだ。心臓がうるさいくらいに跳ねている。耳元で死神の呼気でも聞こえそうなくらいの、異様な恐怖に囚われた。
(まだ、気づかれていないはずだから)
ゆっくり、ゆっくりと逃げるのだ。
ネイアは判断を見誤ったことを今更ながら理解した。確実に地図と違う情報を届けるために、周囲の気配を探りながらすぐに撤退するべきであったのだ。
報告に必要な情報を届けることに命をかける意義はあるが、その情報がとどかなかったらただの無駄死にだ。
後ろに視線をやる。退路は確実にあるのか、不用意にぶつかるようなものはないか、慎重に確認する。
何もない。誰もいない。ほっと息を吐きそうになったのも我慢する。油断はダメだ。可能な限り自分を消すのだ。
正面に視線を戻し、草の陰に隠れられるていどに状態を起こしながら、後ずさる。
どんな変化も見逃さないようくいいるように視線を注いでいると、モンスターの群れに次いで、人影が出てきた。
出てきた影はみっつ。
こんな場所で見かけるのでなければ、そしてその顔が三つの黒い穴で構成された明らかに異形と言える姿をしていなければ、ネイアの中の美的感覚に著しく突き刺さって感心してしまう格好のいい制服を着た男。
この辺りでは見るはずのない、ダークエルフの少年。
恐ろしい亜人が跋扈する丘陵には、ひどく場違いな服装の人間に見える女。まるで宮廷に使えるメイドのようだ。
あの霊廟から出てきた三人にどんな関係性があるのかとか、なぜここにダークエルフがいるのかとか、人間が当たり前のように亜人たちといるのかとか、本当に人間なのかだとか、疑問詞が頭の中を大量に駆け抜け、最後にどっしりと根を張り残った至上命題は。
(どうすれば、生きて帰れるのか)
なめくじのようなじれったさで、足を後ろに下げる。
音をたててはならない。
驚愕で空気を揺らすようなことはしてはならない。
女はぐうるりと全体を見渡すように目線を動かし、ぴたと止まる。
草むらの陰にできるだけ隠れていて、どれほど視力がよかろうと見つけ出すのは難しいであろう距離で、ぴたりと、ネイアがいる方向で止めたのだ。
その一瞬、ネイアの心臓は確実に止まった。
大地にはいつくばるネイアと、メイドの格好をした美しい女の目が、合った。
(終わった)
その時ネイアの全身を満たしたのは『見つかった』という絶望ではなく、『終わった』という確信だった。
何が終わったのか?
一縷の希望にすがった逃走劇か、はたまたネイア・バラハという人生そのものか。
ネイアは絶望という心的状況に陥るには、ある程度余裕がなければできないということを、この時初めて知った。絶望の裏側には、掴み取れるか否かは別としても、わずかな希望が潜んでいる。なんらかの願望を抱けるだけの、隙間がある。
そんな浅はかな絶望というものから隔絶した、絶対的な終幕を理解させる、女の笑み。
蛇に睨まれた蛙のようにネイアは思考も奪われて動くこともできなかった。
モンスターが近づいてくる。
三人組も。
風の音も、その足音も、なにもネイアの耳には届かなかった。
ただただ、激しく動悸する脈拍の音を聞いていた。
死に向かうカウントダウンーーネイアの耳にはそのように聞こえた。
卵型の穴の空いた顔をした男が一歩前にでる。
もし、言葉をかけられるとしたら、それは死の宣告に違いないーーそう思っていたネイアが聞いたのは。
「やあ、こんばんは。お嬢さん」
やたら抑揚がはっきりとした、そして何処ぞで見た歌劇団のような派手な手振りをつけた珍妙な夜の挨拶だった。
「え、あ。はい、こんばんは」
ネイアは、先ほどまでの恐怖とは全く別の意味で思考を放棄し、ついうっかり普通に返事をしていた。
じっとしていたら死んでしまうのだろうか?
そんな疑問がぼんやりと思い浮かんでネイアがぽかんとしてしまうほどに、男は忙しない。
「お初にお目にかかります、お嬢さん。私はかの大いなる墳墓の主人たる至高の方の被造物であり、至高の方々が集めた財宝を収めた宝物殿を守護する名誉ある役職に就いております、パンドラズ・アクターといいます。以後、お見知り置きを。
初対面のお嬢さんにいきなりこのようなことを問うのは不躾かと思いますが、よろしければ貴方の名前を伺っても?」
卵顔の格好いい服を着た男は、まるでこちら側と会話する意思があると言わんばかりに紳士のように友好的だ。
背後にいるメイド服の女性はネイアを見下すような、値踏みするような視線を向けているし、ダークエルフの少年は敵意はないにしても、ネイアの一挙手一投足でたちまちに命を奪ってくるような人間に対する冷淡さを感じる。それに比べれば、見た目さえ気にしなければ、目の前の男は圧倒的に話しやすかった。
「え、ええと。ローブル聖王国の聖騎士の従者、九色の娘、ネイア・バラハといいます」
つい、自己紹介をしてしまう。相手取る男が丁寧に教えてくれるものだから、こちらも真面目に応答してしまう。
「……ふむ、ローブル聖王国の従者それに付け加え九色のご令嬢ともあろうお嬢さんが、このようなところで一人で泥だらけになって何をしていたのかお聞きしたいのですが」
皮肉のようにも聞こえたが、他意はなくただ疑問であったのだろう。ネイアはそのしみじみとした問いかけに、自分の置かれた状況も忘れて少しだけ恥じ入った。
それにしてもご令嬢とは! ネイアのように目つきがひたすら悪く犯罪者に間違われるような者に対して、使う言葉ではない。
「自国の聖騎士の恥を晒すようで言いにくいのですが……ひっ」
ネイアが言い淀むと、さっさと言えとばかりに背後の二人の眼差しがきつくなる。
剣呑さに気づき、男は振り返ってまあまあと宥めてくれる。
「その、バフォルクの領地を偵察してこいと隊長に命じられたので、あちらの山岳地帯に向かっていたところでした」
従者でしかないネイアがそんな命令を下された諸々の原因は伏せーー自国の誇るべき聖騎士がそんな者ばかりとは、たとえ人外であっても勘違いはされたくないーー正直に告げた。
「バフォルクの山岳地帯に偵察、ですか。貴方の様子からすると、それは無謀で無意味な命令だったのでは? 見た所レンジャーではありませんね。従者としての職分にない仕事を、無理矢理振られたように見えますが」
実にその通りだった。素直に頷くわけにはいかないが、気まずくなって逸らしてしまった視線のせいで、すぐに察せられたかもしれない。
「そうですか。それはとても、大変でしたね。道中危険も多かったでしょう? 敵対生物とは遭遇しませんでしたか?」
心の底から向けられたいたわりの言葉に、ネイアは緊張感がほぐれ少しだけ目頭が熱くなってしまった。
「はい……亜人と何度か鉢合わせそうになりました。ここに来るまでにいろいろな種族の領土を通りますので……」
(人間じゃなくても、こんなに知的? で優しいひとがいるんだ。亜人、とはまた違うんだろうけど)
ネイアの中に、目の前の男に対するわずかばかりの信頼が生まれた。
「そうですね。この一帯は、亜人たちの領土で、ローブル聖王国の人間である貴方にとってはとても危険な地域。とてもではないが、人間がおいそれと足を踏み入れられる場所ではない」
パンドラズ・アクターは役者が舞台で振り付けとともに台詞を読むように言う。
いちいち大仰な動きに、ネイアはなんと反応していいのか困った。
「……はい。その通りですね」
とりあえず、沈黙すると後ろの二人が恐ろしいので、端的な肯定で場をにごした。
「ところでお嬢さん」
一人舞台に酔っているような、自分の世界に入り込んでいたような状態から、す、とネイアに向き直る。
「は、はいっ。なんでしょうか!」
「聖騎士の従者として誇りがあるであろう貴方に、こんなことをいうのは一種の侮辱と取られても仕方ないかもしれませんが、私としては女性である貴方がこんな夜分に危険な仕事をしていることに、思わず案じてしまうのです」
「え、あ。心配してくださってありがとうございます」
何処までも丁寧で、他者の誇りにまで思いやれる優しい人外だった。
じいん、と胸に染みるものがある。
感動していると、パンドラズ・アクターは軍帽に手をかけ視線(ただの穴だが)だけをネイアに向ける。
「そこで、提案があるのですが」
思わせぶりに、異形は言う。
「偵察の任務、私たちに任せてみませんか?」