少女はカミの声を聴く   作:椋風花

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季封村入口

 整備されていない山道を、一台のバスが通過していく。

 秋も終わりに近づいて、空の色彩も薄まっていく時候ではあるが、この辺りの山々はまだ紅葉を残している。剥き出しの幹が目立ってきているものの、バスのただ一人の乗客である少女を楽しませるには、十分であった。

 

 後部座席に座る少女の目は、窓の外の景観に釘付けになっている。

 電車をいくつも乗り継ぎ、バスの停留所で一時間半待ったにもかかわらず、その瞳は生き生きと輝いていた。しかし、気持ちとは別に疲労は溜まっているようで、色白の頬と唇は彩度が低く、バスが揺れるたびに、細身な身体は大きく揺らいでいた。

 

 山間部のさらに奥へと向かうバスに乗っているにも関わらず、少女は軽装だ。

 ボタンの付いたキャスケット。厚手の白いワンピースに、薄紅色のカーディガン。焦げ茶色のタイツに、同系色のフラットシューズ。横の座席に置いてあるポーチも華奢で、帰省客にも観光客にも見えなかった。

 

 だれもいない停留所をバスが通り過ぎ、運転手が終点を告げる。

 少女は窓から視線を外すと、文字を確認しながらボタンを押した。終点なのでボタンを押す必要はなかったのだが、運転手がそれを口に出したりはしない。

 居住まいを正しながら少女は、膝に置いていた封筒をポーチにしまう。そらで読み上げられるほど、何度も読み返した手紙を。

 

 ――次の停留所で下りれば、ようやく目的の村に到着する。彼女がこれから長い時間を過ごすであろう、季封村に。

 

 運転手の男性に頭を下げ、おぼつかない足取りでバスステップから降りた少女は、バス停の前で立っていた少年に気が付く。

 最後に送られた手紙には、バス停に迎えを寄こすと書いてあった。

 

「お前が蓮野真希だな」

 

 初対面にもかかわらず、少年はそう断定した。

 一日に数本しかない停留所で、時間を指定していたからこそできる所業だろう。少女――真希は頷いた。

 

「はい、蓮野です。……お迎えの方ですか?」

「ああ」

 

 手紙の送り主である従姉は、同年代の女の子と同居していると手紙に書いていた。だから、その女の子が迎えに来ると思っていたけれど、どうやら、違ったらしい。

 

(ご近所さんの家の子かな)

 

 身長は小柄な真希より少し高い程度。長めな髪は癖があるのかセットしているのか、左右にきれいにはねていた。

 観察しているのは少年も一緒で、勝ち気そうな大きな瞳が、真希の顔をしげしげと眺めている。もしかしたら、従姉の顔と共通点を探しているのかもしれない。

 

「荷物はそんだけか?」

「はい。大きな荷物は郵送しました」

 

 昼に届くように手配したから、きっともう家に運ばれているだろう。

 今日のところは、世話になる方々への挨拶と荷解きで一日が終わりそうだ。

 

「いい心がけだな。行くぞ」

 

 男の子に促され、真希はその後ろに続いた。

 季封村入口と書かれた停留所の付近に民家はなく、あるのは田んぼと、この林道だけだ。

 

(この林道の奥に、季封村。林を抜けた先に山で囲まれた村があって――だから、ここが季封村入口)

 

 季封村を訪れる者は、必ずこの林道を通る。だからここは入り口でもあり、境界線でもあるのだろう。

 

 少年は林道をすたすたと歩いていくが、真希の足取りは重い。整備されていない道に慣れていないというのもあるが、やはり体質の問題だろう。

 引っ越しの季節が秋の終わりでよかった。これが夏だったら、バスに乗る前に倒れていたかもしれない。

 

 それでもなんとか林道を歩いていると、分かれ道が現れた。

 前方は林を抜けて村へと続く道で、また田んぼが広がっている。斜め上へと延びる横道は山道で、うっそうと茂る常緑樹が濃密な空気を作り出していた。

 少年は振り返らないまま、村道へと向かっていく。

 

 村道もコンクリートで舗装されていない。踏み固められている道の真ん中は雑草の浸食を免れているが、転がっている砂利が底の薄い靴に食い込む。

 日差しと長い道で息が上がってきた。徐々に少年との距離が開いてくる。頑張って歩き続けようとした真希だが、視界を覆い始めた靄に、とうとう音を上げた。

 

「あの、ちょっと」

 

 声はほとんど音にならなかった。

 風が吹けば掻き消されてしまうような小さな声だったけれど、前を歩く男の子の耳には届いてくれたらしい。振り返った彼が、大きく開いた距離に驚いて足を止めた。

 真希も立ち止まったが、その瞬間に血の気が失せて、ガクリとその場にしゃがみこむ。

 

「どうした!?」

 

 血相を変えて走りよってくる少年に、首を振ることしかできない。手足が痺れて呼吸も浅くなっていく。どうやら、貧血になってしまったようだ。

 ポーチに入っている飲み物を取り出そうと、震える手で肩紐を外すと、察した少年が真希の代わりにポーチを開いた。中に入っているピルケースを見て、顔色を変える。

 

「な、なんだよ、この薬の量」

 

 どうやら、少年は真希の事情を知らないで迎えに来たらしい。

 息も絶え絶えになりながら、真希は飲み物と個包装のチョコレートを手に取った。甘いチョコレートを舌で舐め溶かし、ちびちびと水を飲む。そうしているうちに視界が元に戻り、呼吸も楽になってきた。

 少年は不安そうな顔をしていたが、真希の頬に赤みがさしてきたのを見て、安堵したように肩の力を抜いた。

 

「もう大丈夫」

 

 安心させるために微笑むと、少年はしかつめらしく口を開いた。

 

「本当に大丈夫か」

「うん。ごめんね、びっくりしたよね」

「……」

 

 少年の眉間に皺が寄る。

 

「あ、ごめんなさい。びっくりさせてしまってすみません」

 

 つい、小さな子供に語りかける口調になってしまった。年齢をまだ聞いていないが、会ったばかりの人に子ども扱いされるのは不快だろう。男の子ならなおさら。

 

「こんなに歩いたのは初めてで。ちゃんと酔い止めの薬も飲んできたんですけど、駄目だったみたいです」

「そんなに移動したのか?」

「はい。病院にはいつも車で送ってもらっていたので」

 

 少年の顔に戸惑いと焦りが生まれる。本当に、なにひとつ知らされずに迎えを頼まれたのだろう。

 

 真希は生まれたときから体が弱かった。それでも乳幼児のころはよかったのだが、幼稚園に入園した時期から、たびたび原因不明の体調不良に悩まされるようになってしまった。幻聴が聞こえたり、急に熱を出したり、夢遊病のような症状を繰り返していたらしい。

 結局幼稚園は一年足らずで退園し、小学生になってからも同じような病気で入院を繰り返し、中学校に上がってからは一年のほとんどを病院で過ごした。

 高校生になったころには体力がついてきたのか通院するだけで済んだのだが、この秋に、在宅勤務をしていた母の、会社勤務が決まってしまった。

 

「それで、従姉の珠紀の家で居候することになったと」

「はい」

 

 わかりやすいように要点をかいつまんで話すと、やっと納得がいったというように少年が頭を掻いた。

 

 村道には日差しを遮るものがなにもなかったので、林道に戻って腰を下ろしている。大ぶりなハンカチを持ってきていてよかった。彼は頓着せずに草むらで胡坐をかいている。

 

「従姉妹といっても、珠紀さんのお父さんが私のお母さんの従兄にあたるので、厳密には親戚と言えないそうなんです。でも、珠紀さんはお姉さんと呼んでいいと言ってくれました」

「あいつらしいな」

 

 珠紀は高校二年生で、真希より一歳年上だ。直接会ったことはないものの、手紙でやり取りした印象では、面倒見のいい、気配り上手なお姉さんだった。

 

「要するに、お前は珠紀の父側の血縁者なんだな? 珠紀の母親とは血のつながりは一切ないってことでいいんだよな?」

「はい、そうです」

 

 入念に念を押されて頷くと、彼の表情が心持ち和らいだ。

 珠紀が暮らしている家は、珠紀の母側の祖母が住んでいた家だと聞いている。珠紀の母親と面識があったのだろう。

 

「えっと、珠紀さんとは、お知り合いですか?」

 

 そろそろ少年がどんな人物なのかを聞きたくなった真希は、少年に話を向けた。

 見た目は小学生から中学生くらいに見えるけれど、見た目と年齢が比例しない人はたくさんいる。入院している患者もそれは一緒だった。ちゃんと確認できるまでは、決めつけた発言は控えなければならない。

 

「知り合いっつうか、縁があるっていうか。一言で片づけるにはちょっとややこしい間柄だが、まあ、先輩と後輩の間柄だな」

「そうなんですか」

 

 この口ぶりだと、少年のほうが先輩らしい。

 クラブ活動での先輩なのか、それとも季封村で先に暮らしているからという意味での先輩なのか。

 

「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺は、鴉取真弘だ」

 

 もったいつけた声音で名乗りを上げる真弘に、真希は緩く笑みを向けた。斜に構えたような態度からして、まだまだ背伸びしたいお年頃らしい。

 

「あとりって珍しい苗字ですね。どう書くんですか?」

「ん? ああ、難しいほうのカラスに、物を取るの取るだよ。牙に鳥だ。」

「鳥に牙……? くちばしじゃなくてですか?」

「成り立ちは知らねえよ。鳥にくちばしあんのは当たり前だから、そっちにしたんだろ」

「あっ、そうですね! なるほど、勉強になります」

「いや、俺が決めたんじゃねえからな? ちゃんとあとで調べておけよ?」

 

 感心する真希に、不安げな視線を送る真弘。顔立ちのわりに大人びたその表情に違和感を抱いたものの、真希はさほど気にせずに会話を楽しんだ。時間が経っていくのも忘れて。

 

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