「太刀風」をお読みになっていなくても大歓迎ですが、目次から「太刀風」もお読み頂ければ幸いです。
1.【撤収する】
「もうそろそろいいだろう。敵に直撃弾を撃ち込まれる前に引き揚げよう。」
「了解したわ。」
指示を出すと、最初に雷が軽機関銃を担いで陣地を出た。その瞬間、砲弾が雷と俺達の間に落ちて炸裂した。もうもうと立ち込める土煙の中にチラリと雷の腕を見つけ、掴んで陣地に引っ張り戻す。…はずだった。軽い手応えと共にこっちに出て来たのは雷の腕「だけ」だった。すぐさま土煙の中に飛び込み、雷を探す。雷は着弾地点から五メートル程離れた場所に転がっていた。
「雷!大丈夫か!」
「うぁ、隊長?腕が、私の左腕が…」
「分かってる!ちょっと我慢してろ!」
雷を抱えて陣地に滑り込む。
「電、手当を!」
「お姉ちゃんっ!痛いかもしれないけど我慢するのです!」
電が手早く止血し、包帯を巻きつけていく。応急処置が完了すると再び俺は雷を抱え、武器を残りの三人に分けて持たせた。
「今から洞窟陣地に移動するぞ。遅れるなよ!」
目指す洞窟陣地は島中央にある未だ緑が生い茂る山の地形を利用して造られた陣地だ。多くの洞窟が存在し、多数の特火点が幾重にも構築されている。あそこならすぐには敵も上がって来れまい。俺達は全力疾走で山に向かった。
洞窟陣地に辿り着くと、無事な三人に空いている洞窟に入るように指示を出し、雷を抱えたまま野戦病院に駆け込んだ。野戦病院として使われている洞窟の一部屋は既に何人もの負傷者が寝かされていて、ムッとする血の匂いが充満していた。
「衛生兵!コイツを頼む!」
入口で叫ぶと、中から血まみれの衛生兵が出て来た。
「あ、はい。それじゃ、そこに寝かせて下さい。」
言われた通りに雷を寝かせる。
「これでいいのか?」
「大丈夫です。あとは我々にお任せ下さい。」
「ちょっといいか?」
衛生兵を雷から離し、彼女に聞こえないように小声で聞いた。
「…助かるか?」
チラリと雷を見てから衛生兵も小声で答えた。
「正直、見たところ五分五分ですな。」
「…頼んだぞ。おい、雷。俺は皆の所に行ってくるからな。また戻るから。それまでしっかり待ってろ。死ぬなよ。」
雷は無言で弱々しく頷いた。
野戦病院を出て、大急ぎで三人を探す。三人は山の麓の方から数えて九番目の洞窟に入っていた。
「皆、待たせた。」
電が心配そうに尋ねてくる。
「お姉ちゃんは…大丈夫、なのですか?」
「心配するな。きっと大丈夫だ。」
暁が恐る恐る呟いた。
「ならいいけど…。」
バタバタと足音が近づいてきた。味方だと分かっていても反射的に身構えてしまう。顔を出したのは若い兵だった。
「田村中尉、伝令に参りました。」
「要件は?」
「はっ。守備隊長が翌未明にも海岸線に向かって総攻撃を仕掛けると決断されました。特別小隊も総攻撃に加われ、とのことです。」
正直、俺は驚いた。てっきりこの陣地で持久戦をすると思っていたからだ。
「は?打って出るつもりか?」
「はい。敵の揚陸が完了しない内に叩きたいということです。それに、艦砲射撃で食料庫が破壊されました。長期戦は不可能です。」
だからといって総攻撃は無謀だ。司令部は敵を過小評価しているに違いない。敵の上陸の様子を見ていなかったのだろうか。
「しかしそれは無茶すぎる!悔しいが米国の工業力は本物だ。俺はさっき海岸で押し寄せてくる米兵と物凄い数の各種兵器を見たんだ!」
「失礼ながら、命令に背かれるおつもりでしょうか?」
「そんなつもりではないが…。こうしてる間にも敵は防備を強化している。いくら夜襲と言えど、そこに突撃をかけるのは…。」
「そうです。防備は強化されているでしょう。ですから、これ以上強化されない内に叩かねばならないのです。」
駄目だ。司令部の硬い頭は変えられない。
「…仕方がないな。了解した。参加すると伝えてくれ。」
「了解しました。では。」
伝令が走り去って行くのを見届けてから俺は愚痴を零した。
「何が総攻撃だ。敵情も把握してないのに突撃を仕掛けたところで、大量の無駄死にが生まれるだけじゃないか。」
「でも、参加するの?」
響が聞いてきた。目に光が宿っていない。
「参加しなければ、他の部隊から厳しい目で見られることになるだろうしな。」
「厳しい目?」
「そうだ。例えばアイツらは腰抜けだ、とか…裏切り者だ、とかな。最悪の場合、味方から命を狙われる可能性もある。雷の身も危ないし、それだけは避けたい。」
響はボソリと言った。
「隊長のことを悪く言う奴は許さないよ。隊長は必ず私が守るから。」
悩み疲れた俺にとって彼女の言葉はとても頼もしく聞こえた。俺は少し笑って返した。
「ありがとう。そう言って貰えると、とても嬉しいよ。」
響も少し頬を赤くして笑った。そして、そのまま嬉しそうに呟いた。
「守るにも限界はある。…いよいよ明日が最期になるかもね。」
彼女、まさか自殺願望があるのか。
「あのさ、響?まさか死にたいの?」
「そういう訳じゃないよ。…でも、隊長と一緒に死ねるなら悪くない。」
何を言ってるんだコイツは。見ろよ、暁と電が引いてるぞ。
「え、じゃあさ、お前の目の前で俺が死んだらどうすんの?」
「一緒に死にたいけど、隊長は自決を禁止してるからね。その時は仇を討つ為に敵を一匹でも多く殺しに行くよ。その途中で死ねば戦死になるから。」
どうしたらその考えに行き着くんだ。
「いいか?死んだ時点でそれが誰であろうと死体は死体だ。無闇に自分の命を危険に晒すような行動をとるな。あ、それからこれは全員に言っとくけど、俺が撃たれて倒れたりしても俺が来るなって言ったら来るなよ。素直に撤退してくれ。」
「どうしてなのですか?」
「隊長を見捨てるなんてできないわ。」
「状況によっては一人を負傷させて、助けに来た奴をどんどん殺すっていう罠の可能性もあるからだ。」
「なるほど。」
納得してもらえた。実の所、俺の為に誰かが犠牲になるのは御免被りたかっただけなのだが。しかし困った。このまま総攻撃に参加すれば、ほぼ確実に全員あの世行きになるだろう。ここは一計案じて上手く切り抜けなければ。
私は奇妙な満足感に浸っていた。隊長に私の覚悟を伝えられた。しかも隊長は私の身を案じてくれた。大事にされている。それだけでも嬉しくて仕方がないのに、今はいつもより一人少ないからもっと嬉しい。隊長の周りには私一人いればいい。他の人は要らない。ましてや女なんて論外だ。チラリと暁と電を見た。…目障りに見えた。
「んっ!そうだ、聞いてくれ。総攻撃に向かう列の最後尾につけばいいんだ。突撃が始まったら頭だけ上げて敵陣地の防備を確認し、ひっそりと撤退するんだ。」
「ちょっと卑怯なのです。」
「死んだ兵隊は戦えないんだぞ?それに敵陣地を確認できれば、のちのち役に立つだろう。」
「そうね、確かに役に立ちそうね。」
「よし、決まりだ!それで行くことにしよう!ちょっと待ってろよ、雷にも伝えてくる。」
再び野戦病院の洞窟に急ぐ。
「雷、起きてるか?……っ!」
病院内の状況を見て絶句した。衛生兵が負傷者に手榴弾を手渡していたのだ。
「おいっ、アンタ何やってんだ!?」
詰め寄られた衛生兵はやや困惑した顔をしながらも当然という風に言う。
「何って…総攻撃に連れて行けない負傷者は自決させろとの命令でして…。捕虜になるのを防ぐ為の措置なのですが。」
「確かに米兵の捕虜の扱いは酷いと聞いたことはあるが、何も今死なせることは無いだろ!まだ助かる見込みがあるかもしれないのに!」
「中尉殿、お言葉ですが戦えない負傷者を養っていける程の食糧は無いんですよ。食糧が無くなれば、まだ戦える私達まで共倒れですよ。」
これ以上話したところで何も変わらないと悟った。
「口減らしか、このクソが!人でなしめ!!」
悪態をつきつつ雷を探す。雷は洞窟の奥の方の担架の上で点滴やら輸血やらの管に繋がれて寝かせられていた。処置はきちんとされたようだ。
「雷?俺だ。分かるか?」
「ん…隊、長?」
「よし、しっかりしてるな。いいか?そこの衛生兵がお前に自決用の手榴弾を渡すかも知れないけど…分かってるな?」
「自決、は…禁止…?」
「分かってればいい。絶対に自決するなよ。」
「うん…。約束。」
「そうだ。約束だぞ。俺達はこれから総攻撃に行ってくるけど、必ず戻ってくるからな。じゃ、待ってろな。」
雷が頷くのを見てからカゴに入っていた手榴弾を一つ掴んだ。仮に敵に追撃されたとしても、投げつければ牽制程度にはなるだろう。何にせよ、無いよりはマシだ。手榴弾をポケットに入れて、三人のいる洞窟に戻った。
日もすっかり暮れた頃から大移動が始まった。総勢およそ二千人。俺達は計画通りに最後尾に続いて米軍陣地に向かった。
隊長が行ってしまった。離れてみて初めて分かった。私には隊長が必要なのだ。すすり泣く声があちこちから聞こえる。心細い、不安、恐怖。そんな感情が私を包む。必ず戻ってくると言っていたけど、そんな保証はどこにもない。もし誰も帰って来なかったらどうしよう…。最悪の事態が脳裏を過ぎる。
「おい、手榴弾が無くなったからお前にはこれをくれてやる。」
衛生兵から仕事を引き継いだ負傷兵が私に破甲爆雷を渡してきた。彼はニヤつきながら言った。
「対戦車兵器だ。一瞬で楽になれるぞ。」
私はムッとして言った。
「私は、自決、しない。」
負傷兵は笑った。
「そうか。死ぬのが怖いか?」
「違う…隊長…と、約束…した。」
「大層部下思いの隊長さんだなぁ。だが自決しろとの命令だ。」
彼は分かってない。私にとっては上の命令など、どうでもいいのだ。私は隊長の言う事しか聞かない。なぜなら、隊長が一番信頼できるから。いや、信頼以上だから。彼は今は亡き大好きだった父親にどこか似ている。容姿や声ではなく…性格、なのかも知れない。負傷した私を気遣ってくれる優しさなどは父親にそっくりだ。そんな彼との大切な大切な約束。だから私は言ってやった。
「それなら…あなたが…早く、自決、すれば…いい、じゃない…!」
負傷兵は豆鉄砲を食らったような顔をして言った。
「へぇ…、お前言うねぇ。小さくっても兵隊って事か。」
彼はウンウンと一人で納得したように頷くと、手にした手榴弾の安全索に手を掛けた。
「お前に言われなくても真っ先に自決してやるよ。」
彼は私の前から立ち去ると、野戦病院の真ん中に立ち、大声を張り上げた。
「貴様らよく聞け!」
全員の視線が彼に集まる。
「残念だが、我々負傷兵は此処で自決して果てる事と相成った。だが、決して無駄死にではない。我々が敵に狙われた分、撃たれずに済んだ味方がいるのだ。その彼らが今、米帝に攻撃を掛けようとしている。…後の事は彼らに任せよう。」
すすり泣く声はもう聞こえなかった。
「戦陣訓曰く、生きて虜囚の辱めを受けず!…靖国で逢おう。」
彼は安全索を引き抜き、自らの頭に手榴弾の先端を叩きつけると胸に抱いた。
「天皇陛下、万歳!」
それが彼の最期の言葉だった。言い終わると同時に手榴弾は炸裂。べシャッという音と共に血肉を撒き散らして果てた。
「大日本帝国万歳!」
「万歳!」
「万歳!」
他の負傷兵が続々と自決を始めた。ある者は手榴弾を胸に抱き、ある者は拳銃で自らの頭を撃ち抜き、またある者は銃剣で自らの首を抉って物言わぬ肉の塊へと変貌を遂げていく。
「ふぅ、ふぅ…。」
隣に寝かされている兵が拳銃を手に荒い息を立てていた。私は彼を暫く見ていた。やがて死の連鎖は終わり、野戦病院で生きているのはとうとう私と彼だけになってしまった。それでも彼は拳銃を手に躊躇っていた。
「どうしたの?」
私が声を掛けると、彼は上半身を起こして私を見た。
「怖い、怖いんだ。」
見れば彼は震えていた。
「傷が痛くて仕方ないんだ。だから楽になりたい。でも、怖いんだ。」
私は可哀想になって言った。
「貸して。」
「えっ?」
「私に任せて。」
彼は手にしている拳銃を見つめた。それから、私に渡そうと手を伸ばしかけて、止めた。
「…大丈夫。他人の手は借りない。」
彼はそうハッキリ言うと、二、三度頭を振ってから拳銃を咥えた。
「うあああぁぁぁぁぁぁ!」
引き金が絞られた。
パン!
べシャッという音と同時に壁に彼の脳漿が広がり、体が後ろへ倒れた。人の命のなんと儚いことか。パン!たったそれだけで死んでしまった。ふと自分に生きる意味があるのかと考えてしまった。今は隊長との約束があるから生きている。でも、その後は?砲撃を受け、片腕を失った時を思い出した。立ち込める爆煙の中から隊長が飛び出してきて、私を助け起こしてくれた瞬間が蘇る。あの時、私は命懸けで隊長に助けられた。ならば、今度は私が命懸けで隊長を助けたい。
この瞬間、私の生きる意味が定まった。私は隊長を助ける。隊長の為なら死んだって構わない。
この身は、隊長の為に。
深夜。米軍陣地に辿り着き、匍匐前進でギリギリまで接近していく。陣地まであと五十メートル程まで接近した時に照明弾が打ち上げられた。周囲は真昼のような明るさに包まれ、日本軍部隊の姿を照らし出した。
途端に突撃喇叭が鳴り響き、総攻撃が開始された。
抜き身の白刃が照明弾の光を受けて妖しく光り、あちこちで旭日旗や日章旗が掲げられて翻る。そこに二千人の雄叫びが重なり、雪崩のように敵陣に押し寄せていく。味方の俺でも恐ろしいと感じた。敵であれば尚更のことだったようで、迎撃が始まったのは突撃開始から五秒ほど経ってからだった。
計画通りに頭だけを上げ、敵の銃口から迸る発砲炎を頼りに敵の防備を探る。最初は味方が邪魔で全く見えなかったが、時間が経つにつれて少しだけ見えるようになった。いたるところで断続的に発光しているのはおそらく全て機関銃だろう。それ以外でパッパッと発光するのは小銃だろうか。更には砲撃まで加えられ始めた。これは素直に突撃していたら間違いなく死んでいた。
「もういい、引き返そう。」
「了解。」
匍匐のままジリジリ後退し、距離をとってから一気に走って逃げた。
洞窟に帰り着いた頃には既に日が登っていた。装備を下ろしてから野戦病院に向かう。
「雷、ちゃんと戻っ…!」
そこには見るに耐えない光景が広がっていた。出発時には生きていた負傷者達が皆、内蔵を無様に晒したり、脳漿をぶちまけ、頭から血を垂れ流して死んでいた。
「こいつら、本当に自決しやがったのか…。」
全員、拳銃や手榴弾で自決したのだ。…ただ一人を除いて。
「あ、隊長……?みんな、みーんな死んじゃった…。」
雷は生きていた。この凄惨な死体の山の中でただ一人だけ生きていた。チューブは外されており、その手には破甲爆雷(通称 亀の子。磁石が付けられており、戦車などに直接貼り付けて爆破する爆弾)が握られていた。
「…よく待っててくれたな。」
「約束だもの。ちゃんと守るわ。」
頭を撫でてやった。
「よし、偉いぞ。しかし衛生兵も凄いものを渡してきたな。対戦車用だぞ、これは。」
「手榴弾が無くなったから使えって。まだそこのカゴの中に一つ余ってるわ。」
「いい収穫だな。貰っておこう。」
雷から破甲爆雷を受け取り、そのカゴの中にしまう。
「ここに居るのは衛生的に良くないな。ちょっと待ってろ。」
破甲爆雷が入ったカゴを持って俺達の洞窟に走る。到着するとカゴを置き、電を引き連れて野戦病院に戻る。
「お姉ちゃん!…うわぁ、酷いのです…。」
「ここに雷を置いとくのは不味いよな?」
「当たり前なのです!」
「よし、俺達の洞窟に運ぶぞ。そっち側を持ってくれ。せーのっ!」
電と二人で雷の乗った担架を持ち上げげ、俺達の洞窟に移動した。
「あ、そこに石が転がってるから気を付けて。」
「大丈夫なのです。」
ゆっくりと担架を降ろす。
「これで大丈夫だな。電、ご苦労だった。」
「電、隊長、ありがとね。」
「なに、困った時はお互い様さ。気にするな。」
響が素っ気なく聞いた。
「大丈夫なのかい?」
「衛生兵の話だと二週間もあればピンピンになるそうよ。腕は戻らないけど、早く治して皆に恩返ししなくちゃ。」
それは雷を気遣って衛生兵が嘘を言ったんじゃないかと思いつつ、俺はこれからの行動予定を考えた。
「分かった。これからは雷が治るまで交代で見張りをしよう。敵を見かけても撃たれるまでは撃つなよ。できるだけこっちの場所を悟られないようにするんだ。」
「了解なのです。」
指示を出し終えた俺は司令部壕へと向かった。司令官が生きていれば指示を仰ごうと考えたのだが…。
壕の中はもぬけの殻だった。ふと見ると、紙が落ちていた。拾ってみると、それは大本営からの通信文だった。長々と文章が書かれているが、要約すれば「増援は送れないから自力でなんとかしろ。」という内容だった。つまり見捨てられたのだ。俺は苛立ちに身を任せて紙を破り捨て、四人の元に戻った。彼女達には通信文の事を話さなかった。
それから数日は何事も無く、雷の怪我は日に日に良くなっていったが、突撃に参加した将兵は文字通り全滅したのか、一人も帰ってこなかった。
そんなある日の早朝。見張りをしていた暁が慌てた様子で洞窟の入口に戻ってきた。
「隊長、早く来て!」
その声は語尾を強めていたものの、ひそひそ話をするような小さな声だった。
「どうした?」
手元に置いてあった小銃を手に取って洞窟から出ていく俺。
「こっち!」
暁は俺の服の袖を掴むと、引っ張って小走りで移動を始めた。
「何かあったのか?」
俺が問うと、暁は声を潜めながら言った。
「米兵がいたのよ。」
米兵。その一言で背筋に寒気が走った。遂にここまで進出してきたのだ。
暁が足を止め、岩陰にしゃがみながら様子を窺い始めた。
「隊長、見える?」
俺もしゃがみながら暁の見ている方向に目を凝らすと、特火点の向こう、密林の中に二人の人間がいるのが確認できた。体格や服装からしてどう見ても味方ではないのは明らかだった。
「隊長、撃つ?」
暁は小銃が装弾されていることを確認しながら俺に言った。
「それは駄目だ。しばらく様子を見て、できればやり過ごしたい。交戦は最終手段だ。」
「そうね、分かったわ。」
彼女は頷くと小銃を傍に置き、頭だけ岩陰から出して米兵の動きを注視することに専念した。
暫くすると、米兵は密林の中へと消えていった。
「行ったわね…。」
暁がやれやれといった感じで呟いた。俺は暁の頭を撫でてやった。
「よく教えてくれたな。偉いぞ。」
彼女は一瞬、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐにツンとした態度に変わった。
「と、とーぜんよ!私だって兵隊さんだもの!」
俺はニヤニヤしながら言った。
「そうか、そりゃ頼りがいがありそうだなぁ。」
「な、ちょっと、馬鹿にしてるでしょ!」
「いや、馬鹿になんかしてないぞ?率直な感想だ。」
俺はそう言うと頬を膨らませて怒る暁の両肩を掴み、真正面から彼女の目を見ながら静かに言った。
「…頼りにしてるからな。」
途端に暁は顔を赤くすると、プイと横を向いた。
「ももももちろんよ!」
「どうした?顔が赤いぞ?」
「わ、分かってるわよ!もう、隊長の馬鹿!」
俺の手を振り払って洞窟へと駆け出す暁。
「おい、馬鹿ってどういう事だ!?こら、待たんか!」
慌てて後を追いながら、俺は何か嫌われるような事を言ってしまったのだろうかと思案したが、思い当たる節がなかった。
洞窟に戻ってから、俺は座って思案した。偵察兵が来た以上、この陣地の存在は恐らく敵にバレてしまっているだろう。このままここに留まるのは危険かも知れない。しかし移動するとなると、雷に大きな負担がかかる事になる。まだ様子を見るべきか、速やかに移動すべきか…。
1.留まる(シリーズから太刀風 Bへ)
2.移動する(シリーズから太刀風 .Dへ)
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