「太刀風」「太刀風 A」をお読みになっていなくても大歓迎ですが、目次から「太刀風」「太刀風 A」をお読み頂ければ幸いです。
1.【留まる】
やはり、雷に負担をかける訳にはいかない。せめて二週間の安静が終わるまでは休ませる事にした。
事態が急変したのはもう少しで二週間という日の夕方だった。聞き慣れない金属音が聞こえ、全員が顔を出して外の様子を探ってみると、M4シャーマン中戦車が一輌とその周りに米兵が五人見えた。奴らは虱潰しに洞窟を制圧する作戦に出たらしく、奴らの目の前にある洞窟に爆薬を投げ込み、爆破した。この洞窟と奴らの間にある他の洞窟は七つ。この洞窟に来る前に何か打開策を考えねば。
響が心配そうに呟いた。
「まずいね。誰かが気を引いて、その間に脱出するとかしないと。そのまま出て行けば蜂の巣にされるね。」
俺は洞窟の中に引っ込み、座りながら答えた。
「だろうな。」
打開策を練る。誰かが気を引けば…。ついでに戦車を破壊できれば敵戦力を減らせてなお良い。戦車は破甲爆雷が二つあれば十分だろう。だが、破甲爆雷は戦車に肉迫して直に貼り付けなければならず、ほぼ確実に生還は望めない。
轟音と共に次の洞窟が爆破される。あと六つ。
時間が無い。こうなれば俺が行くのが一番手っ取り早い。俺一人が犠牲になって四人が助かるなら本望だ。
「決めた。俺が破甲爆雷を持って…」
「私がいるじゃない!」
「…は?」
俺の決意表明は雷の声に遮られた。
「片腕しかない私は小銃も撃てないわ。役に立てないなら、せめて隊長に助けてもらったこの命、隊長のために使うわ!」
轟音が鳴り響いた。あと五つ。
「馬鹿な事を言うな!お前は前途ある若者だ。こんな所で死ぬのは俺が許さん!」
反論しつつ、俺はあの時大佐が言った言葉の意味を頭で理解し始めた。部下を大事にし過ぎると、必要な犠牲を払う事もできなくなる。そして、その先にあるのは全員の死だ。
その時、ふらりと響が立ち上がり、俺の側に来て座った。そのくすんだ目は真っ直ぐに俺の目を捉えていた。
「隊長。冷静に、客観的に考えて。…この中で一番戦力にならないのは、誰?」
「それは……片腕のない雷だ。」
「ならば片腕でもできる事をさせて戦力化すべきじゃないかな?」
「つまり、破甲爆雷の…設置、か。」
さっきより近くで轟音が鳴った。あと四つ。
暁が目を見開いて言った。
「響、本気で言ってるの?」
「私はいつだって本気だよ。さぁ、決断するのは隊長だよ。」
響の言葉を受け、全員の視線が俺に集まる。俺は揺れていた。論理的に考えれば響の言う通りだ。だが、俺は決断を下せるほど冷酷な人間ではなかった。
「隊長、私に最後の仕事を任せて。かならず全うしてみせるわ!」
雷が吹っ切れた顔で俺に迫ってくる。
腹にくる爆発音。あと三つ。
もう本当に時間が無い。俺はどうすれば…?俺は…俺は…………決断した。
「雷、貴官に命令を下令する。貴官は破甲爆雷を使用して敵戦車を破壊し、我々の撤退を援護せよ。」
「…了解したわ!電、ちゃんと生き残って私の分まで生きなさいよ。」
電は泣いていた。暁も今にも泣きそうな顔をしていた。
「お姉ちゃん…!」
「雷…頑張ってね。」
響は、何も言わなかった。
俺達は素早く荷物を持つと、洞窟の入口まで出て伏せ、敵の様子を窺う。雷が破甲爆雷を二つ持ってついて来て、俺の横で伏せた。
「雷…本当にすまない。」
「構わないわ。仕方が無いもの。」
雷はそう呟くと破甲爆雷を一度置いた。そして付けていた髪留めを外し、俺に渡して言った。
「私の事、ずっと忘れないでね。」
俺は髪留めを握った。
「ああ、きっと忘れない。」
雷は俺の言葉を聞くと満足そうに笑みを浮かべ、破甲爆雷を再び持って安全索を咥えた。そして敵が次の洞窟を爆破した瞬間、彼女は飛び出した。
敵戦車に向かって全力疾走する雷。米兵が安全索を引き抜きながら走り寄る彼女に気付いたときにはもう遅かった。破甲爆雷が敵戦車の側面に叩きつけられ、爆発した。砲弾に引火したのか、雷と一緒に木っ端微塵に吹き飛ぶ敵戦車。さらに随伴する米兵が三人ほど巻き込まれるのが見えた。
「今だ!行けっ、行け!!」
洞窟から飛び出て密林の中に駆け込み、出来るだけ遠ざかった。走りながら泣きじゃくる暁と電をよそに、響は一人、にやついた。
――まず一人、邪魔者が消えた。
どれくらい走り続けただろうか。ひたすらに密林の中を北に向かって進み続け、見つけた洞窟に入って身を潜めた。
「さてこれからどうするかな…。」
雷がまさに命を懸けて守ってくれたのだから、可能な限り最善の策を考えなくては。
暁と響は黙って座っているが、電がまだ泣き続けていた。姉を目の前で亡くしたのだから無理もないが。
「お姉ちゃん…お姉ちゃんが…。」
まずは電を何とかしなくては駄目か。
「電、いつまでもクヨクヨするな。俺だって辛いけど、泣いてアイツが戻ってくる訳じゃないんだ。最期に、雷はお前に何て言ったんだ?」
「…私の分まで生きなさいって言ったのです。」
「なら前を向いて生き残る為の方法を考えろ。雷の遺言を蔑ろにするな。…雷が悲しむぞ。」
「……分かったのです…。」
「よし、偉いぞ。まぁ今すぐにとは言わん。まずは落ち着いてから、な。」
電の側を離れ、現状を整理する。武器は九九式短小銃が三丁、九九式短狙撃銃が一丁、南部十四年式拳銃が四丁、手榴弾が一個、軍刀一振り。機関銃は重いので、さっきの洞窟に放棄してきた。各火器の弾薬はそこそこあるが、四人で分けて使うとなれば少ない。それよりも懸念すべきは食糧だった。もってあと二日分ほどしか無いのだ。一見、南洋の密林は食い物に困らないように見えるが、実際には「緑の砂漠」と呼ばれるほど食べられる物は少ない。こうなったら米軍の食糧庫でも襲撃するか。危険は大きいが間違いなく食べられる物が大量に手に入る。しかし闇雲に襲撃した所で、発見されて蜂の巣になるのは目に見えている。まずは偵察からだ。
「皆、聞いてくれ。今現在食糧が尽きかけてるのは分かってるな?そこで危険は大きいが米軍の食糧庫を襲撃することにしようと思う。」
暁が疲れた顔をしながら聞いてきた。
「それ、いつやるのよ?」
「まぁ焦るな。明日の晩辺りにまずは偵察を行う。響と電に行ってもらおうと思うのだが…行けるか?」
「了解なのです。お姉ちゃんの為にも頑張るのです。」
電は了承してくれたが、響は難色をしめした。
「どうして暁は隊長と留守番なんだい?」
「一番暁が疲れているみたいだからな。それに響は冷静に的確な判断を下せるだろう。そこを見込んでの頼みだ。…行ってくれるか?」
「…仕方無いね。本当は隊長の傍に居たいけど。行くよ。」
渋々、といった感じで了承してくれた。
「では二人とも、頼んだぞ。もう暗くなり始めたし、とりあえず今日と明日の昼間は休んでくれ。見張りは俺がしよう。」
それから間もなくして俺以外の三人は寝てしまった。いつもより一人少ない彼女達の安らかな寝顔を見ていると、そこで一緒に眠る雷の姿を思い浮かべてしまった。涙が込み上げ、強烈な罪悪感と後悔に襲われた。やはり、俺が行くべきだった。いや、それ以前に早く洞窟陣地から移動すべきだった。考え始めると止まらない。
「雷…本当に…本当に申し訳なかった。」
三人の横、誰もいない空間に俺はそう言った。
疲れが溜まっていたのか、彼女達は翌日の昼間も眠り続けた。そして日もどっぷり暮れた頃、響と電を起こした。
「もう、そんな時間かい?」
響はすぐに起きた。
「よく寝てたな。もうすぐ夜になる。準備してくれ。おーい、電!起きてくれ!」
「んー…むぅ…。」
電が起きない。五分少々起こそうと格闘したが起きないので、少々手荒い方法だが電を思い切り強く揺すった。
「電っ!おーきーろー!もう夜になるんだぞ!」
「むぁっ!んん?もう夜なのですか?」
「見ろ、暗いだろ!響はもう準備を整えてるぞ。急げ。」
「はわわっ!ごめんなさい!」
慌てて背嚢をひっくり返すように漁って準備を始める電。その様子が可笑しくて、思わず笑みが零れた。
「まだかな?」
準備が整った響が苛立った声で言った。ひたすら「ごめんなさい」と謝る電が少し可哀想に見えて、俺は響を宥めようとした。
「そんなにイライラしなくてもいいだろ?電もわざと寝坊した訳じゃないんだから。」
「そう?…そんなに電がお気に入りなの?」
「お気に入りでは無い。俺はあくまでも君達の小隊長に過ぎないし、誰かを贔屓したりはしない。」
響は俺の言葉を聞いた瞬間、残念そうに俯いた。
「…そうか。そうだよね。隊長の考えが分かって良かった。誰かを贔屓にはできないんだね。…うん、分かったよ。」
「準備完了!お待たせしたのです。」
「それじゃ、行ってくるよ。隊長。」
「あ、ちょっと待て。響に手榴弾を渡しとくから、まずくなっなら使えよ。…では、頼んだぞ。」
二人が洞窟を後にする。後ろ姿が木々に隠され見えなくなるまで見送った。洞窟の中を見ると電の背嚢の側に恐らく彼女のものであろうヘアバンドが落ちていた。背嚢を漁った時に中にあった予備のヘアバンドが落ちたのだろう。とりあえずポケットに入れ、後で渡すことにした。それよりも俺は猛烈な眠気に襲われていた。見張りのために寝ていないので眠くなるのは当然である。俺はまだ寝ている暁の隣にフラフラと横になり、そのまま深い眠りに落ちた。
私は偵察のために米軍基地までの密林の中を歩いている。しかしその間も隊長の言った言葉が頭から離れなかった。――俺はあくまでも君達の小隊長に過ぎないし、誰かを贔屓したりはしない――そう、隊長は誰かを贔屓にはできないのだ。つまり贔屓ではなく、私一人しか見れないようにすればいい。そのためにはどうすればいい?…答えは簡単。
私は前を歩く電にそっと小銃を向け、言った。
「電、止まって。武器を捨て、両手を挙げてこっちを向いて。」
「えっ?」
「いいから早く!」
電が小銃と拳銃を足元に置き、両手を挙げてからゆっくりこちらを向いた。その顔からは極度の混乱がありありと見て取れた。
「いきなり、何なのですか?」
引き金を引いた。
―ダンッ!
「い゛っ!へ!?何で、何で…?」
電の腹を銃弾が突き抜け、彼女はもんどりうって倒れた。
私は一度銃口を電から逸らし、絵本を読み聞かせる母親のように言った。
「電?落ち着いて、医学的見地から教えて。…これくらいの怪我なら処置すれば治るのかい?」
「へっ?んと、きちんと…処置をすれば…多分、治るのです。」
苦痛に顔を歪ませながら喋る電。しかし、治ると分かればここでやめる訳にはいかない。排莢し、サッと銃口を電の胸に押し付けた。
「じゃあ、もう一発で足りるかな?」
「何で、ちょっと待つのです!どうしてっ!」
私はニッコリと笑いながら言ってやった。
「君達がいるせいで隊長が惑わされるんだ。だから…消えてもらうよ。」
みるみるうちに電の顔が恐怖に引き攣っていく。
「心配しないで。すぐに君の姉の元に送ってあげるから。向こうで仲良くするといいよ。あとから暁も逝かせるから。」
「やめるのですっ!どうして!?どうして私がっ…」
「う る さ い !」
ダンッ!
静かになった。さっきまでよく喋っていた女が目を見開いたまま転がっている。私は二回ほど女を軽く蹴って、ただの肉塊と化した事を確認してから、落ちている小銃と拳銃から弾を抜き取った。そして隊長には米兵に見つかったとでも言っておくかな、と思案しながら洞窟へと戻り始めた。
どれほど眠っていたのだろう。外は明るい。そして、ふと気がついて起きた俺の目に飛び込んできたのは涙を流す暁の姿だった。
「嘘…なんで、またっ…」
「おい、どうした?何かあったのか?」
立ち上がると暁の向こうに響が立っているのが見えた。…おかしい。電はどこに行った?
「響、電は…?」
黙りこくる響と泣きじゃくる暁を交互に見比べ、俺は全てを理解した。
「…最期を、教えてくれるか?」
響は静かに頷き、口を開いた。
「米軍基地まであと少しの所で偵察部隊と思しき米兵と鉢合わせしたんだ。隠れたけど見つかって…それで…。」
響が再び黙った。いくら冷静な響でも衝撃的だったのだろう。
「…分かった、もういい。ご苦労だった。」
俺の言葉を最後に、洞窟に沈黙が流れた。米兵と鉢合わせしたのでは恐らく彼女の遺体の回収は不可能だろう。遺体は米兵の手によって適当に埋められ、やがて土に還ることだろう。雷の願いも叶わなかった。
申し訳ない―そう心の中で呟き、電に手を合わせた。
しかし、いよいよ食糧が底をついてしまう。こうなった以上、もう俺自身も一緒に米軍基地まで行くほかないだろう。
「聞いてくれ。今夜にも別の道を通って米軍基地に潜入しよう。俺も行く。厳重に警戒し、食糧を入手したら素早く離脱するんだ。出来るだけ多く食糧を持てるように背嚢を空にして持って行こう。武器は重いから拳銃だけだ。…どの道見つかれば命は無いだろうからな。」
「…了解。」
三人とも背嚢から荷物を下ろし始めた。生きて帰れる可能性は低い。だが、行かなければ餓死するのみだ。
夜。俺達は洞窟を出発した。全員空の背嚢を背負い、拳銃のみを携行している。俺も普段腰から提げている軍刀を置いてきた。
密林を進むこと一時間。米軍基地まではあと少し。そこで暁が小さく声を上げた。
「あっ…」
「どうした?」
「認識票の紐が切れちゃった…」
「落ちたのか?」
「うん、多分。」
手探りで足元を探す暁。俺も一緒に探す。小さな金属が手に触れた。
「ん?これかな?」
俺は認識票を拾った。
「とりあえず俺が持っとくから先を急ごう。」
「分かったわ。」
再び米軍基地へ進む。いつしか南洋特有の激しいスコールが降り始めた。こちらとしては音がバレにくく、姿が見えづらくなるため大助かりである。
それから間もなく鉄条網が姿を現した。ここから先は米軍基地。全員に緊張が走る。そっと鉄条網に近寄ってワイヤーを外し、人が一人通れるほどの隙間を作る。まず俺が潜り、暁、響も潜り抜けた。灯りを避け、暗い所を進み、いかにも倉庫然とした建物に接近していく。
建物の入口を見つけて扉を開けた。幸運にも鍵は掛かっていなかった。米軍のあまりの管理の雑さに呆れながら中に入る。建物の中は様々な食糧が詰め込まれていた。今のところ順調。不気味なほどに。
「よし、とりあえず缶詰系の物を持ってけ。開けるだけで食えるだろうからな。」
三人とも背嚢を下ろし、中に手当り次第に缶詰を放り込んでいく。この作業は背嚢がギリギリ閉まるくらいまで行われ、俺達は当分の食糧を入手した。
「よし、もういいだろう。戻るぞ。」
そっと扉を開け、外の様子を窺う。人影は見えない。
「行くぞ。」
倉庫から出て一目散にさっきの鉄条網まで走る。が、俺達の運はここで尽きた。スコールはこちらの姿を隠してくれたが、これは敵も同じだった。突如として米兵が五人、目の前に姿を現した。一瞬、互いに通り過ぎていくのが誰なのかを確認するようにまじまじと見つめあった。次の瞬間、一人の米兵が何かを仲間に大声で伝え、こっちに発砲してきた。続いて残りの四人も撃ってきた。俺は咄嗟に腰から拳銃を抜き、デタラメながらも撃ちまくって敵を牽制しつつ鉄条網にたどり着いた。響と暁を先に潜らせ、いざ自分が潜ろうとしたまさにその時、右足の膝に激痛を感じてその場に倒れた。背嚢から缶詰が転がり出ていく。震える手で右膝を触ると生暖かさと、べっとりとした感触があった。撃ち抜かれたのだ。暁と響がこっちを見て助けに行こうと飛び出す機会を窺っていた。俺はスコールに負けないように大声で指示した。
「来るなっ!早く行け!!」
響が強く頷き、まだ留まろうとする暁を掴んで引っ張った。暁は少し抵抗したが俺の言った事を思い出したのか、すぐに背を向けて響と共に走り去った。
残された俺は拳銃を米兵に向けて撃とうとした。少しでもアイツらの逃げる時間を稼がなければ。しかし引き金を引いても弾が出ない。弾切れになったのだ。そこに米兵が走って来た。米兵は意地でも抵抗しようとする俺を小銃で殴りつけ、俺は側頭部に強い衝撃と痛みを感じて気を失った。
激しいスコールの中を缶詰で満杯になった背嚢を背負ってひたすら洞窟目指して走る。隊長を助けに行けないのは非常に残念だけど指示とあらば仕方が無い。
洞窟まで戻ると荷物を下ろし、座り込んだ。暁もそれにならう。
「隊長は、大丈夫かな…?」
暁が不安そうに呟いた。私は酷く腹が立った。こんな奴が隊長の心配をするなんて。事あるごとに泣きじゃくっては隊長に優しくしてもらおうと企む害虫が。身の程をわきまえろ。
「隊長は大丈夫に決まってる。何かあったら…私が許さない。」
ふつふつと湧いてくる暁への嫌悪感を押し殺して答える。これは私の確固たる予想であり、本音だった。だが、暁の次の発言で私の中で何かが弾けた。
「私ね、隊長と一緒にいると落ち着くんだ。ずっと隊長が側にいてくれたらなぁ…なんてね。」
弾けたのはかろうじて維持していた理性だったかもしれないし、堪忍袋の緒だったかもしれない。
「ふざけるな!この害虫っ!」
「えっ!?」
ただ、確かなのは暁に対して嫌悪感を通り越して明確な殺意を抱いたということ。
「事あるごとに泣いては隊長にベタベタベタベタくっついて!君みたいなのがいるから隊長が大変な思いをするんだ!ちょっとは自覚しろ!」
「ちょっと、何をいきなり…」
「隊長と一緒に居るべきなのは私だ!君みたいな足を引っ張るのばかり上手い害虫はさっさと失せろっ!!」
そう怒鳴りながら私は隊長の軍刀を掴んで鞘を払い、その切っ先を暁に突きつけた。ただの足手纏いならまだしも、隊長に手を出す女は生かして置けない。
「響っ!ちょっと落ち着いてよ!」
「へぇ、私に指図するんだ?害虫如きが?」
「指図じゃないわ!それに害虫ってどういう事よ!?」
「害虫は害虫だよ。こんな奴が隊長の隣に?ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない……やっぱり、害虫は一刻も早く駆除しなきゃね。」
もう少し利用してから殺すつもりでいたが、やはり今殺らなくてはダメだ。私は軍刀を振り上げた。
「待ってよ!話を…」
「うるさいっ!!」
軍刀を振り下ろし、暁を肩から袈裟斬りにした。
「く…はぁっ…!」
暁の肩から血が飛び散り、辺りを汚していく。
私はトドメを刺すために再び軍刀を振り上げた。狙うは首。
「本当はもっと苦しませてから殺そうと思っていたんだ。でも、すぐに逝かせてあげるよ。優しいと思うべきだよ?」
「どうして?…どうして、私がっ…?」
「ああ、電もそんなことを言ってたよ。死の間際に追い詰められた人間は皆同じことを言うのかな?」
「え…?電も…?つまり、電は、響が、殺した…って、こと…?」
「さぁ?どうかな。気になるなら、向こうに逝ってから聞けばいい。」
「響、あなたは…どうして…」
「殺す理由が知りたいの?じゃあ、教えてあげるよ。…私の隊長に手を出すのが悪いんだよ?」
「そんな、つもりはっ…!」
「さよなら。害虫さん。」
再び軍刀を振り下ろした。刃が暁の首に食い込み、頚動脈と気道を切断しながら抜けていった。大量の汚らわしい血液を撒き散らしながら暁はのたうち回ったが、やがて動きを止め、痙攣しながら二回ヒュウヒュウと息をすると完全に動かなくなった。
私は血の付いた軍刀を暁の軍服で拭うと鞘に納め、腰に提げた。いつまでも死骸と同居する理由はない。缶詰が入っている背嚢を二つどうにかして背負い、手榴弾を懐に入れ、ありったけの銃弾をポケットに押し込み、最後に狙撃銃を担ぐと行くあてもなく洞窟を後にした。
目を覚ますと俺は白い天井の下でマットの上に寝かされていた。どうしてこうなった?食糧庫に忍び込んで、バレて撃たれて、米兵に殴られて…。ああそうか。俺は捕虜になったのか。そこまで思い出して右膝を見ると包帯が巻かれていた。治療されている。あの米軍は捕虜の扱いが酷いという噂は嘘だったのか。
首を起こして周りを見回してみた。扉が一つある割と広い部屋の隅に俺は寝かされていた。すぐ横にアンテナが伸びている機械が一つあり、他に人はいない。
その時、外から話し声のような音が聞こえた。俺には理解できない異国の言語が近付いてくる。扉が開けられ、米兵が二人入ってきた。片方は手ぶらだが、もう片方は小銃を携えている。手ぶらの米兵が俺に近付いてきた。反射的に身構えた。
「気分は悪くないですか?」
米兵は日本語を喋った。これはどういう事だろうか?混乱しつつも答える。
「え、あ、はい。」
「よろしい。私は捕虜尋問官のスレッジです。よろしく。」
あろうことか、この米兵―スレッジは手を差し出してきた。
「えっと、田村です。よ、よろしく…。」
とりあえず握手する。彼の手は大きく、しかし優しかった。
多少落ち着いたところで俺は質問した。
「あの、ここはどこですか?」
「あなた方が忍び込んだ基地の病院ですよ。今はあなた一人ですが、怪我人や病人が出ればここに運ばれて来ます。…さて、本題に入らせて頂きます。日本兵はあとどれくらい隠れていますか?」
正直に答えるべきか迷った。暁と響、二人いるが…。
「…あと一人だけだ。」
「…嘘ですね。少なくともあなた以外に二人は見たと報告が上がっていますから。」
「分かった。二人だ。」
「それもまた嘘ではありませんか?あれだけの食糧を盗もうとしたのですから、もっと人数がいるはずです。」
これは予想外だった。俺は間が抜けた返事をしてしまった。
「へ?いや、二人しかいませんよ?確かに、俺が知らないだけで残存兵がいる可能性は排除しきれませんが…」
「嘘はあなたの為になりませんよ。正直にお答え頂きたい。」
「だから二人だけだって!缶詰を盗んだのも、あとどれくらい長期戦になるか分からなかったから大量に持って行っただけです!」
「本当ですか?」
「本当だって!それとも、あと二千人はいるとでも嘘を言えばいいですか!?」
「…分かりました。あと二人、ですね?」
念を押すように彼は聞いてきた。
「あと二人です。」
「では、その二人を降伏させる手伝いをしてくれませんか?いつまでもジャングルの劣悪な環境に居させたくないでしょう?」
俺は迷った。確かに米軍の捕虜への待遇は悪くない。今のところは。仮に二人が投降した場合、俺も含めて三人まとめて始末される可能性もある。それに、もしかしたらあの二人に何か考えがあるかも知れない。
「…それは、出来ません。」
「そうですか。残念です。…では、今日はここまでにしましょう。いつか良い返事が聞ける事を期待していますよ。あ、それからそのラジオは好きに使って下さい。日本の放送の周波数に合わせてあるので、電源を入れれば聴けますから。では。」
俺は出て行こうとするスレッジを呼び止め、もっとも気になる事を聞いた。
「あの、俺を殺さないんですか?」
「ご安心ください。捕虜は敵ではありません。どうしてあなたに銃を向ける理由がありましょうか?」
「…ありがとうございます。」
スレッジともう一人が出て行った。
再び静寂に包まれた病院で俺は一人悟った。自分には生きる資格など無い、と。自分は死罪が決まっていたとは言え、生きている捕虜の米兵を的に使ったのだ。大本営は鬼畜米英などと声高に叫んでいたが、自分が一番鬼畜だった。こんな外道、生かされる価値も無いのだ。
それから一ヶ月ほど病院で怪我の治療を続けた。その間、何度かスレッジに尋問されたが、その内容は時に武器弾薬などの重要な事項だったり、あの二人についてなどの話だったりと様々だった。杖を使ってどうにか歩けるまで回復した頃には、すっかり打ち解けたスレッジに勧められ、基地内をうろつく許可を得た。久しぶりに自然の風を浴び、散歩をした。それから毎日リハビリを兼ねて散歩をするようにしたが、やはり生きる事に対する意欲は失われたままだった。
毎日一個小隊ほどの米兵が基地から出て行き、内幾人かが担架に乗せられて戻って来るのを見かけた。だが、病院に戻ってみても一人もいない。つまり担架に乗せられていたのは皆死体だったのだ。負傷ではなく、一撃で確実に相手を死に至らしめる日本兵。俺の脳裏に一人の少女が浮かんだ。
隊長がいなくなってからひと月が過ぎようとしている。殺した米兵の数は数えていないが、三十は下らないだろう。死骸の転がる洞窟を出た私は少し離れた場所に浅い岩穴を見つけて、そこを新たな拠点として行動した。ゆくゆくはここで隊長と一緒に暮らすつもりだ。その為にまずは米兵を可能な限り減らしてから米軍基地に突入し、隊長を救出しなければならない。
今日も狙撃銃を担いで岩穴を出る。奴らの掃討隊の通る場所は大体掴めている。そこを見下ろせる位置に伏せ、ジッと待ち続ける。
しばらくすると米兵の一団が通りかかった。格好の獲物だ。狙撃眼鏡を覗き、隊長格の米兵を探す。奴らの階級章は分からないが、全体を観察すればなんとなく中心的な人物が見えてくる。今日は…あの指を指して何かを言っているアイツかな。狙撃眼鏡内に十字に表示されている照準の中心にその米兵を捉えた。奴の動きの止まる一瞬を逃さず、引き金を引いた。
ダンッ!
狙った米兵が脳漿を撒き散らして倒れ、周囲の米兵が一斉に逃げ始める。素早く排莢して再び狙撃眼鏡を覗き、岩陰から頭が覗いている哀れな米兵に照準を合わせ、引き金を引く。
ダンッ!
頭を割られた米兵が岩陰の向こうに倒れた。まだもう一人くらい殺れそうだが、欲張りは良くない。こちらの位置がバレる前に撤収した。
岩穴に帰り着くと、私は狙撃銃を立て掛けて腰を下ろした。隊長の事が恋しくて仕方が無い。一刻も早く会いたい。けれども、その裏では心に黒い霧が広がり始めていた。本当に隊長は生きているのかな?もし、そんな事はないと信じているけど、隊長が既に死んでいたら……私はどうすればいいのかな?今までは隊長に振り向いてもらう為に頑張ってきたのに、隊長がいなくなってしまったら…。私の心の中の黒い霧が渦を巻き始める。無論、隊長が死んだなら、私は直ぐに後を追うつもりだ。だけど、まだ、生死も分からない。死んでいると分かれば今すぐにでも隊長の元へと逝くのに、分からないから迂闊に動けない。私は、どうすれば……。
そこまで考えたところで私は衝動的に軍刀を掴んで鞘を払い、その刃を手首に押し当てた。鋭い痛みと熱さを感じ、思わず声が漏れる。
「…っ!」
手首に血が滲み、やがて皮膚を伝って流れ出す。その生温かさが、渇き、そして冷えきった私の心に潤いと温もりを与えてくれた。
「…大丈夫。」
そう、きっと大丈夫。確認するように呟く。隊長はきっと生きている。米軍の病院にきっといる。もしいなければ、自決するまで。考え込んでいた自分が馬鹿馬鹿しい。
しかし、私は焦りを感じずにはいられなかった。隊長の怪我が治らない限り、彼は病院内に留め置かれるはずだ。しかし、時間が経って怪我が治ってしまえば移送されるとも分からない。そうなれば救出はおろか、見つける事さえ困難になるだろう。そうなる前に突入する必要があるのだ。まだ敵戦力を十分に減殺したとは到底言えないが、いつまでもこうしている訳にもいかない。突入するなら昼間。夜は夜襲を警戒しているはずだからだ。その裏をかく。
…決めた。突入は明日の午前中にしよう。
翌日。
俺はいつものように散歩に出かけた。どういう訳か今日は掃討隊の姿を見なかった。それだけでなく、見張りの兵も少ない。不思議に思いながら基地を一回りして病院に戻った。何気なくラジオのスイッチを入れ、日本語に聴き入る。
〈本日正午に重大発表が放送されます。全日本国民は必ずラジオ放送を聴くように…〉
そんな重大な事を流すのか?嘘にまみれた大本営のことだ。またデタラメな戦勝のニュースでも流すつもりだろう。それとも基地の様子が変なのと何か関係があるのだろうか?まぁいずれにせよ俺には大して関係ない事だろう。
そんなことを考えていた時だった。
外から銃声が聞こえた。そう遠くない距離だ。続いて英語の叫び声が聞こえ、一気に騒がしくなった。残存兵が襲撃でもしたのだろうか。どこの誰だか知らないが、どうせすぐに鎮圧されてしまうだろう。
ある程度日が昇ってから岩穴を出発した私は一時間ほどかけて米軍基地までたどり着いた。様子を窺ってみると、割と警備が緩い。油断している。
狙撃銃を構えて狙撃眼鏡を覗き込み、見張りの兵を狙う。引き金を引くと、見張りの兵はその場にひっくり返った。それに気付いた別の兵が周りに敵襲を知らせた。余計な事をと思いながらソイツも撃ち倒す。敵が集まってくる前に突入したい。私は狙撃銃を手放し、拳銃を手に地を蹴って駆け出した。目標は赤十字の書かれた白い建物、病院だ。だが、敵の方が早かった。たちまち米兵が何人も出てきて私に銃を向けた。私は構わず走り続け、出てきた米兵に拳銃を連射した。目の前に立ち塞がった米兵が二発の拳銃弾を受けて、踊るように体をねじらせて倒れた。拳銃を左手に持ち替え、素早く抜刀。基地内を駆け回って、手当り次第に米兵を撃ち、斬り倒した。最後に病院の前に立って、私を狙っている二人の米兵の片方に弾切れとなった拳銃を投げつけ、もう片方に鞘を投げつけた。反射的に手が出て構えが解かれた隙に拳銃を投げつけた米兵に駆け寄り、喉を切り裂いた。血飛沫をあげて倒れる米兵の隣で鞘を投げつけた米兵に向き直る。彼の顔に恐怖とも焦りとも見える表情が浮かび、銃を構えようとした。だが遅い。軍刀を真っ直ぐに突き出し、彼の腹に突き立てた。横に滑らせて腹を切り裂きつつ軍刀を抜き、よろめいてガラ空きとなった首に必殺の斬撃を叩き込むと、盛大な血飛沫をあげながら膝を折って崩れ落ちた。
辺りが静かになった。もう私を阻む者は誰もいない。病院の扉に手をかけた。
不意に外が静かになった。ラジオの音がよく聞こえる。やはり鎮圧されたか。
「言わんこっちゃない。」
やれやれといった感じで呟いて上半身を起こしたその時、病院の扉が派手な音と共に強引に開けられた。そこに立っていたのは血の滴る軍刀を片手に握り、軍服と長い白髪のあちこちを同じく血で赤く染めた少女。
「……響?」
信じられなかった。さっきまでの騒ぎは彼女が一人で引き起こしていたのか?そもそも何故この敵陣のど真ん中に彼女がいるのだ?
「やっぱりここにいたんだね、隊長。ずっと…ずーっと会いたかったんだよ?」
「おい、ちょっと待て。その軍刀は俺のか?暁はどうしたんだ?」
「…暁なら死んだよ。そんな事はどうでもいいでしょ?」
彼女の棘のある言い方に不信感を抱いた。
「…お前が殺ったのか?」
「まさか。そんな事はしないよ。」
そう言いつつ響はゆっくり俺に近づいてきた。ところどころが鮮やかな朱に彩られた彼女の顔には狂気じみた微笑みが張り付いていた。
「これで私一人になったんだ。私だけを見てくれるよね?それに、言ったよね?私は隊長の為なら何だってできる。だから迎えに来たんだよ?ほら、行こう?いい場所を見つけたんだ。もう誰にも邪魔されない、二人だけの場所。私は隊長とずっと一緒に居たいだけ。だから、ほら。」
少しずつ、少しずつ距離を詰めてくる響。
その時、再び外が騒がしくなり、米兵が三人飛び込んできて、響に小銃を向けた。
「おいっ!撃つな!!」
咄嗟に叫んだ。しかし米兵全員がスレッジのように日本語を理解している訳ではない。
言葉の壁は高かった。
無慈悲に引き金は絞られ、まばゆい発砲炎に包まれながら三発の銃弾が放たれた。銃弾は関係するあらゆる物理法則に忠実に従って飛び、響の小さな背中に三つの穴を穿った。
私は背中に強い痛みと衝撃を感じて、前につんのめるように倒れた。軍刀が手から滑り落ち、甲高い金属音を響かせる。
「馬鹿野郎!撃つなと言ったのに!!」
隊長が怒鳴っている。もしかしたら暁を殺してないって嘘ついたから天罰が下ったかな。でも、ここで止まる訳にはいかない。痛みに耐え、力を振り絞りながら、自分の血だまりから隊長の元へと這いつくばって行く。
あと五メートル、四メートル、三メートル、二メートル、一メートル…そして隊長に触れた瞬間、嬉しくて涙が出てきた。隊長の元へと戻れた。私は、私の居場所に帰ってこれた。
「響、大丈夫か?しっかりしろ!」
私はまず、心配させてしまったことに謝罪した。
「ごめん…ね。」
「馬鹿野郎!謝るぐらいなら最初から来るな!おいっ!衛生兵はいないのか!?早く手当をしろっ!!」
やっぱり、隊長は優しい。こんなに出血してたら助からないのは目に見えているのに。
「もお、いい…。もたない…から。」
「決めつけるな!きっと助かる!これからは幾らでも一緒にいてやるから!だから、生きろ!おい、衛生兵は!?畜生、通じないのか!」
もたないものはもたない。自分の体の事だから、自分で分かった。ならば、どうせ死ぬなら、隊長と一緒に。
「隊長、ずっと、一緒に…。…あの世で。だから、一緒に…逝こ?」
そう言って私は懐から手榴弾を取り出した。使わずにとっておいて正解だった。
「えっ?何を言って…むぅ…そうだな。二人一緒なら、悪くない。俺も、自分は生きる資格が無いと思っていた所だ。」
隊長が同意してくれた。あれだけ自決は禁止って言ってたのに。何があったのかは分からないけど、もうそんなことはどうでも良かった。
「じゃあ、やるよ?」
「ああ、許可する。」
私は残る力を振り絞って手榴弾の安全索を引き抜き、自分の胸に当てて隊長に抱きついた。これで隊長と一緒に逝ける―。
…と思っていた。奇妙な沈黙が流れる。手榴弾は不発だった。互いに顔を合わせ、力なく笑う。
「なんでかなぁ…。」
「そっか…隊長は、生きろって、こと、だよ。」
呼吸が苦しくなってきた。いよいよ最期か。
「また、来世で、逢いに…行くから。そのとき、は…平和で、そして…二人、きりが、いい、な。」
伝えたい事は伝えられた。私が死ねば、暁と電の死の真相は闇に葬られ、彼女達は戦死として扱われるだろう。隊長には私が仲間殺しである事を知られずに、綺麗なまま死ねる。さらにこうして隊長の腕の中で死ねるなら、ことさら悔いはない。きっと来世でまた逢える。だから、だから……しばらくの間だけ。
「さよ…なら…。」
響の目が眠りにつくようにスッと閉じられて腕が力なく垂れ下がり、彼女の全体重が俺に預けられた。
「…響?…おい、寝るなよ。まだ昼だぞ…?」
頭では響が息絶えた事を理解した。だが、心は頑なに現実を受け入れようとはしなかった。
「おい、起きろよ。目を開けてくれよ…。」
少しづつ冷たくなってゆく、いつもより白い、いや、青白い顔をした響を思い切り揺すった。
「おいっ!起きろよ!目を開けろよ!また俺の事を呼んでくれよっ!…何で、何で何も喋らないんだよぉっ!!」
俺の瞳から大粒の涙が零れ、重力に引かれて響の顔に落ちる。
「嘘だっ!嘘だああぁぁぁぁ…!」
俺の慟哭が病院に木霊した。響の亡骸を抱きしめ、いつまでも、いつまでも泣き続けた。
時に一九四五年八月十五日。泣き叫ぶ俺の隣に置かれているラジオからは後に玉音放送と呼ばれる天皇陛下の肉声がこれまたいつまでも流れていた。
響の亡骸は日本軍兵士の共同墓地に埋葬されることになった。せめて形見にと彼女の首から認識票を外し、ポケットに押し込んだ。埋葬は俺の手で行った。
あれから七十年の歳月が過ぎた。戦に敗れ、四等国と馬鹿にされたこの国は異例の速さで目覚ましい復興を遂げ、国際社会に復帰し、大きな役割を果たしてきた。かつて欧米の植民地であり、我が国が解放した太平洋の島国もその多くが独立を果たし、図らずもかつて夢見た「大東亜共栄圏」に近い形になっている。決してこの国が多大な犠牲を払った先の大戦が無駄では無かったと信じたい。
俺は復員してから地元の田舎町に戻った。結局足は完治せず、杖無しでの歩行は困難だ。七十年を経て、いつ天上からの迎えが来てもおかしくない老いぼれになったが、今でもあの頃に思いを馳せる事がある。特にこうして自宅の縁側に腰掛け、隣の空き地で遊ぶ子供達を見ているとあの四人を思い出す。杖をついて立ち上がり、不確かな足取りでタンスに向かう。一番小さな引き出しを開け、中から古びた髪留めとこれまた古びたヘアバンド、二枚の認識票を取り出した。そしてそれらを手に、再び縁側に座って子供達を眺める。
遊んでいた子供の内、一人の男の子が不思議そうな顔をしてこっちに来た。
「おじいさん、よく僕達の方を見てるよね。…これ何?名札?」
「ん?それは認識票っていう物だぞ。まぁ名札みたいなモンだよ。」
そう言いつつ胸ポケットから丁寧に折り畳まれた写真を取り出して開いた。そこには一式陸攻を背後に硬い表情で座っている少女が四人と、その中心に若い男が同じく座って写っていた。
少年は写真を覗きこみ、真ん中に写っている男を指さした。
「うわ…白黒の写真だぁ…。これおじいさん?」
「お、興味があるのか?確かに真ん中は俺だぞ。」
「じゃあ、周りの女の人は?」
彼がそう聞いたその時、一匹の白い蝶がヒラヒラと飛んで来て、写真の、ちょうど長い白髪の少女の上に止まった。俺は少し笑って言った。
「…来たのか?ずいぶんかかったなぁ。」
来世、というものはやはりあるようだ。そして俺は少年に向き直り、いたずらっぽい笑みを浮かべ、言った。
「本人も来た事だし…よし、少し昔話をしてやろう。こいつらはなぁ…」
― ABルート・完 ―
最後までお読みいただきありがとうございます。
主人公だけが生還する結末となりました。実はこのルートが一番最初に書いたもので、当初は特に分岐とかをするつもりはありませんでした。ですが溢れる妄想を形にしていくうちに「せっかくだからマルチエンディングにしてみよう」と余計な事を思いついたのでこうなったのです。
もし宜しければ他のルートもお楽しみ頂ければ幸いです。ご意見ご感想、お待ちしております。