「太刀風」「太刀風 C」をお読みになっていなくても大歓迎ですが、目次から「太刀風」「太刀風 C」をお読み頂ければ幸いです。
2.【北部へ】
いや、島北部まで撤退しよう。どの道勝算はないのだから、少しでも敵から離れよう。
「よし、これから島北部まで一気に撤退するぞ。敵からできるだけ離れるんだ。」
「了解。」
俺達は北部を目指して歩き始めた。
北部への道中、ふと満州にいた頃を思い出した。歩兵の列となって行軍し、時々小休止をしてはまた歩く。そんな時もあった。
「…暁雲の下 見よはるか 起伏果てなき 幾山河…」
気がつけば歩きながら歌っていた。明るい曲調で気に入っていた部隊歌。あの頃の戦友はどうしているだろうか。
「隊長、何の歌だい?」
響が訊いてきた。
「ああ、昔居た部隊の歌だよ。思い出してね。」
「そうなんだ。」
「まぁ、ただ歩くのは辛いからな。おしゃべりくらいしてもいいんだぞ?」
これまでの道中、全員がほぼ無口だった。あまりに寂しい。
「お前ら、何か歌える?できれば全員で歌えるようなの。」
まず響が提案した。
「露営の歌。」
「おい、暗いだろ!明るいのにしようや!」
続いて雷がうしろから言った。
「加藤隼戦闘隊!」
「お、悪くはないが…。皆歌えるか?」
振り向いてみると、暁と電が首を振った。
「じゃあダメだな…。」
次は暁が言った。
「月月火水木金金は?」
「海軍じゃねーか!…せめて陸軍モノにしようや。…電は?」
「えっ、んー…。」
最後になった電は少し考えた。
「歩兵の本領なんてどうですか?」
「お、名案!」
歩兵の本領なら全員が叩き込まれているはずだ。確実に歌える。
「それで行こう。よーし、軍歌、歩兵の本領ー!」
「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男と生まれなば 散兵線の花と散れ…」
「あ、男は俺だけか。」
四人からどっと笑いが沸いた。
夜。
歩き通してかなりの距離を進んだが、まだ島の北端には着かない。近くに身を隠す場所がなかった為、やむなく今夜は露営だ。雨が降らないことを祈るばかりである。
空腹に耐えかね、座って背嚢から乾パンを取り出して齧った。実の所、食糧事情も良くない。できるだけ少しづつ食べなければならない。
「お腹減ったなぁ…」
暁が呟いた。
「暁、お前、自分の食い物は?」
「…もうないの。」
俺は腰を抜かした。いつの間に支給された分を完食したんだ。仕方無く、俺は自分の分を暁に分けた。少ないけど。
「ほれ、食え。死なれちゃかなわんからな。」
「本当!?やったぁ!」
彼女は俺が差し出した二枚の乾パンを奪うように取ると、美味しそうに頬張り始めた。
その様子をじっと見つめる響。不意に立ち上がって俺の前まで来ると、二枚の乾パンを差し出してきた。
「はい、隊長。」
「おい馬鹿、そしたらお前の分が減るだろ。」
「でも、さっき暁に二枚あげてたから、その分。」
「何でお前が出してくるんだよ。いいから自分で取っときなさい。」
響の瞳が潤み始めた。…俺、何か泣かせるような事言ったか?
「そっか…私のはいらないんだ。」
「お、おう。そーだ、いらん。自分で持っとけ。」
俺が言い放つと、響はくるりと背を向けて元いた場所に戻っていった。
すると今度は入れ替わりに雷が近付いて来た。
「はい隊長、あーん!」
「馬鹿お前、何をいきなり…。」
雷は手にした乾パンを俺に差し出しながら満面の笑みを浮かべている。
「…食べないの?」
「だから自分の分は自分で食え!俺は大丈夫だから!」
「でも隊長が倒れたら大変よ!だから食べて!」
「いらん。」
意地でも拒否する俺に対し、雷は最終手段を発動させた。
「じゃあ無理矢理でも食べさせてあげるわ!」
雷の手が俺の顎を掴んだ。所詮は子供の腕力、俺の顎をこじ開けるには不十分……ではなかった。
「あ゛ーー!」
何だコイツ、むちゃくちゃ力強い。顎めっちゃ痛てぇ。助けて欲しくて響に目線を向けると、彼女は虚ろな瞳でこちらを凝視していた。正直怖い。
と、そこに悪魔が降臨した。
「手伝うのです!」
「あ゛ーーーーー!」
電ぁぁぁぁ!一生恨むぞ!
結局、どうにか耐えていた俺の顎は電の加勢により陥落し、満面の笑みを浮かべたままの雷によって口の中に乾パンを投下された。さすがに吐き出すわけにはいかず、よくよく味わって食べる羽目になった。
「どぉ、隊長?美味しかった?」
「はい、美味しかったです。…つか、何で電は加勢したんだよ!」
「体調管理は衛生兵の仕事なのです!」
自信に満ちた顔で答える電。間違ってはいないのだろうが、その、これは体調管理とは言わないんじゃ……なんだか眠くなってきたな…。
「あーもういいや。分かった分かった、仕事な。おい、もう寝るぞ。疲れたぁ…。」
どうにか横になったところで俺の意識は猛烈な眠気に押し流され、途切れた。
隊長のすぅすぅという寝息が聞こえだすと、途端に雷と電がはしゃぎ始めた。
「やったわ!」
「成功なのです!」
私は殆ど反射的に小銃を掴んで構え、その照準に雷の頭を収めた。同時に電が私に拳銃を向ける。
途端に暁が驚きの声を上げた。
「ちょっと響!電もいきなり何を…。」
「暁は黙って。雷、電…隊長に何をしたの?」
満面の笑みから一転、いつになく真剣な表情を浮かべた雷がゆっくりと両手を挙げながら答えた。
「さっきの乾パンに電の睡眠薬を入れただけよ。とりあえずその物騒な物を下ろしてよ。話があるの。」
私は照準をそのままに、一歩、雷に近付いた。
「…言ってみて。」
「まずは銃を下ろしてよ。」
「それはできない。先に話して。」
雷はやれやれといった表情を浮かべてから口を開いた。
「私は隊長の事が好き。そしてあなたもそう。だから私達はいがみ合い、憎み合っているの。でもそれは、隊長を自分だけの物にしようとしているからなのよ。」
「…何が言いたいの?」
私は苛立たしげに言った。雷が続ける。
「早い話、まずは休戦して、それから隊長を二人で共有しようと思うの。」
「共有…?」
「そう。隊長をどこかに留め置いて、二人とも受け入れてもらえるようにするのよ。あなたも隊長に言われたんでしょ?」
脳裏にあの時の隊長の言葉が蘇った。―俺は君達の小隊長に過ぎない。だから、俺は君達をそういう目でみることはしない―そうか、コイツも同じ事を言われたのか。悔しいが、少し雷の気持ちが理解できた。
「…確かに受け入れてもらえなかった。」
「私もよ。だから…名案でしょ?」
私は今一度熟考し…小銃を下ろした。
「その提案、乗った。」
雷が両手を下ろし、電に目配せすると彼女は拳銃を腰に戻した。雷は満足そうに頷くと縄を出しながら言った。
「じゃあ休戦ね。とりあえず隊長を縛るのを手伝って欲しいの。」
「分かった。」
それからは素早かった。隊長は雷と電によって両手を、私によって両足を縛られた。その横で暁が呆然としていた。
少しキツめに足を縛った。少々手荒だが仕方が無い。首を縦に振ってくれなかった隊長が悪いのだ。
どれくらい眠っていたのだろう。俺は体を揺さぶられる感覚で目を覚ました。陽の光が眩しい。時折、視界の中を木の枝が通過していく。
…通過?移動してる?慌ててまずは起き上がろうと両手を…動かせなかった。ついでに足も動かせない。どうにかしようともがくと、下から雷の声が聞こえた。
「あ、隊長!目は覚めた?」
続いて響の声も。
「おはよう、隊長。」
何で下から…?首を動かして初めて状況を理解できた。
俺は雷と響によって担がれ、移動していた。雷が前、響が後ろだ。そして先頭には小銃を持った電が歩いていた。暁は…いた。最後尾で荷物持ちだ。
「…なぁ、一ついいか?」
頭の下から雷の声がした。
「なぁに?」
「どうしてこうなった?」
「隊長が私達の気持ちに応えてくれないのが悪いのよ?」
「は?」
さらに響が言った。
「私の乾パンも受け取ってくれなかった。」
「ちょっと待て、それだけでこの仕打ちか。」
「『それだけ』?…隊長にとってはそんなものなんだね。」
訳が分からない。そもそも、こいつらは俺を縛ってどうする気なんだ。
「大丈夫、隊長を殺したりはしないから。ね、雷?」
「そーよ、響。」
お前ら仲悪くなかったのかよ。いつの間に協力関係になってんだ。
「あ、着いたのです!」
電から喜々とした声が上がった。見れば海が見えた。北端に達したのだ。
「じゃあ隠れる場所を探しましょ!隊長、ちょっと待ってて!」
「すまない隊長、少し離れるよ。」
雷と響が俺を下ろして何処かに走って行った。小銃を持った電も辺りを警戒しに行ってしまった。暁が一人、残された。
「なぁ暁、状況が理解できないんだが。」
暁もやれやれという顔をした。
「ごめんなさい隊長。私もよく分からないの。とにかくあの三人が暴走してるのよ。」
「みたいだな。で、俺はどうなるんだ?」
「分からないわ。何か、二人で共有するとか言ってたのは聞いたんだけど。」
「は?共有?」
「うん…」
「隊長ー!移動するわよー!」
雷が戻って来て会話が中断された。続いて響も戻って来て、俺は再び二人に担がれた。
「何処に行くんだ?」
「手頃な洞窟を見つけたんだ。皆でそこに入るよ。」
少し嬉しそうに響が言った。
再び二人に担がれ、移動が始まった。海岸近くの岩場にぽっかりと洞窟が見えた。真っ直ぐそこに向かって行く。彼女の言った通り、全員が洞窟に入った。
「はい隊長、お疲れ様!」
「これで、これからずーっと一緒にいられる。」
俺を下ろした雷と響が恍惚とした表情を浮かべ、俺を挟むように座った。普段なら可愛く見える二人の顔が、今はどう見ても狂気を孕んでいた。
この日から監禁生活が始まった。
監禁生活の朝は雷と響によって起こされるところから始まる。決まってその日最初に見るものは俺を覗き込む二人の顔になった。暁が釣った魚を電が調理し、朝食を食べると後は昼食までの午前中は雷がべったりくっ付いて来て、事あるごとに「好き、大好き。」と囁いてきた。昼食を食べ、午後になると今度は響がべったりくっ付いて来て、何かと言うと「愛してる、ずーっと…。」と囁いてきた。そして夕食を食べた後は寝るまで二人がくっ付いて来て、寝る時も二人が俺を挟み込むようにして眠った。因みに翌日は午前が響、午後が雷になり、毎日交代だった。なお、電と暁は二人の使い走り状態となっていた。
一日中彼女達はいつになく幸せそうであり、最初は俺も二人の気持ちを尊重してされるがままになっていたが、二週間ほど経つとさすがに苦痛になってきた。「たまには外に出して」と要求してみたが、雷にはきっぱり拒否され、響には黙殺された。
三週間目に入った頃のある朝、俺は自分で目覚めた。二人は俺の両脇でまだ寝ていた。珍しいなと思っていると、電がやって来た。
「しーっ。隊長、助けてあげるのです。」
電は俺の手足の拘束を銃剣で断ち切ると、俺を洞窟の外へと連れ出した。救いの女神とはまさにこの事。
「来たわね。早く行きましょ。」
「うん、早く逃げるのです!」
外では小銃を持ち、もう一丁肩に掛けた暁が待っていた。暁は手にしている小銃を電に渡すと、肩の小銃を下ろして洞窟に向けて構えた。
「私が殿をするから、二人は先に進んで!」
「頼んだのです!さ、早く!」
俺は電に連れられるがままに駆け出した。
どれくらい走り続けたのだろうか。人間必死になれば底力を出せるものである。電に導かれて到着したのは、密林の中の少し開けた場所にぽっかりと口を開けている奥が深い洞窟だった。
「ふぅ、これだけ走ったんだからアイツらもすぐにはこれまい。いや、本当に助かったよ。」
いそいそと洞窟に入ると、後から電が付いてきた。
「で、これからどうするんだ?」
しばしの沈黙。俺の問に答えは返って来なかった。
「…電?」
ゆっくりと振り返る俺。背後に立っていた電は小銃の筒先を持って、野球のバットの様に構えた。
「ごめんなさいなのです。」
「は?」
小銃が野球選手顔負けのスイングで俺の頭部を捉え、俺の意識はホームラン球の如く吹き飛んだ。
私はかつて経験した事のない程の達成感に包まれました。愛しの人が目の前に居る。なんて幸せなのでしょう。
お姉ちゃんと響が隊長を取り合っている事は知っていました。だから響はとにかく、お姉ちゃんの目的を達成させてあげたくて、私は自分の気持ちを押し殺していました。乾パンに睡眠薬を仕込む考えも私が出したものでした。隊長には悪いけど、お姉ちゃんがそれで満足するなら…。…でも、だんだん我慢ならなくなったのです。手足を縛られて毎日毎日お姉ちゃんと響にベタベタされる隊長を見ていたら、心にモヤがかかるような感じがしたのです。…あの二人のように私も隊長と一緒に居たい。ずっと傍に居たい…。とうとう私はお姉ちゃんに相談しました。たまには私も隊長の傍に居させて欲しい、一日だけでもいいから、と。あの時のお姉ちゃんの剣幕は忘れられません。「あなたも隊長を狙うの?響だけでもかなり我慢してるっていうのに、あなたもなの!?例え妹でも容赦はしないんだから!!」…そう怒鳴ってからお姉ちゃんは銃剣を私に向けたのです。咄嗟に私は謝りました。ごめんなさい、隊長はお姉ちゃんのものだからもう二度とそんな考えはしません、だから許して、と。幸いにもお姉ちゃんはそこで許してくれました。でも、お姉ちゃんにとってはそこで私を殺してしまうべきでした。何故なら、あの瞬間に私はお姉ちゃんを敵とみなしたからです。姉妹だから、そんなのは理由にならないのです。
そして昨晩、私は響と雷の分の夕食の魚に睡眠薬を入れました。青酸カリを仕込んでも良かったのですが、何かの間違いで隊長が食べる可能性を考慮してやめておきました。暁にも協力を仰ぎました。彼女は私の申し出を快く了承してくれました。なんと愚かで可哀想なのでしょう。都合よく利用され、お姉ちゃんと響の処分が済めば切り捨てられるだけなのに…。
とにかく、こうして私は隊長を手に入れる事ができたのです。もう私の傍から離さないのです!
頭が痛い…。俺は何をしていたんだ…?電に助けられて、暁が外に居て、洞窟まで連れられて行って、そしたら電が俺の事を…小銃で…。そうだ、いきなり殴られたんだ!
思い出した俺は立ち上がろうと…できなかった。手足が縄で拘束されていたのだ。
「目が覚めたのですね。」
声がした方を見れば、電が立っていた。
「おい、こりゃどういう事だ!?」
「どういうって…助けてあげたのです。」
不思議そうな顔をしながら答える電。さも自分が善行を働いたというような態度である。
「確かに助けてもらった。だが、何故また俺は縛られてるんだ?」
「どこにも行かないように、なのです。」
「は?」
「お姉ちゃんと響が羨ましかったのです。…私だって隊長の傍に居たかったのに、二人だけで独占して。…だから、自分から行動を起こす事に決めたのです!もう誰にも邪魔させないのです!」
いつになくハキハキと言った彼女は、とても正気には見えなかった。
「何を言ってるんだ…?誰にもって、暁はどうしたんだ?」
「まだ生きてるのです。」
「まだって…怪我でもしたのか?」
「してないのです。」
「それってつまり…。」
「もう、隊長は他の人の事なんか考えなくていいのです!私だけを見て欲しいのです!」
俺の言葉を遮りつつ、彼女はにっこりと笑った。嘘だ。心から笑ってなどいない。間違いなく彼女は暁を殺すつもりだ。
「やめろ。頼むからやめてくれ。仲間内で殺し合いなんかしないでくれ!」
俺の絶叫が洞窟に木霊した。それに対する彼女の答えは簡潔かつ冷徹であった。
「嫌なのです。」
「狂ってる、お前も、雷も、響も
…皆狂ってる!」
「狂ってなんかいないのです。目的を達成する為に必死になっているだけなのです。」
優しく子供を諭す母親の様な口調で電は言い、しゃがみこんで俺の頬に手を触れた。背筋に寒気が走る。
と、その時、場の空気を破壊する声が聞こえてきた。
「あーもう嫌になっちゃう。電?雷と響は追ってきてないわ。」
暁だった。マズイ、このままでは彼女が殺されてしまう。暁に危険を知らせようと口を開きかけた時、電が俺の喉を掴んだ。
「…言ったら、本当に暁の命がなくなっちゃいますよ?」
俺はハッとして口を噤んだ。何と無力な事か。自分で自分が嫌になる。
「お疲れ様なのです。」
「大変だったわ。あ、隊長!無事なのね!よかったぁ。」
縛られてるのを無事と言うだろうか。少なくとも、俺はそうは思わない。
「全て計画通りなのです。これも暁の協力のお陰なのです!」
「いいのよ。これくらいなら私だってできるわ!」
あ、縛られるのも織り込み済みって訳でしたか。なるほど。…じゃねぇよ。
暫く談笑した後に、二人が濁りきった瞳でこっちを見て、恍惚の表情を浮かべた。
「やっと一緒に居られるのです。」
「私だって一緒に居たかったのよ。これから一緒に暮らしましょ。」
この瞬間、俺ははっきりと悟った。助かってなんかなかったんだって。
目が覚めると、隣で寝ているはずの隊長がいなかった。響もすぐに起き、同じ状況を確認した。
「…これはどういう事だい?」
「分からないわ。私も今起きたばかりだから。」
とりあえず私は電と暁を呼んだ。
「電ー!暁ー!来て!」
…返事が無い。おかしい。立ち上がって洞窟の出口へ向かう。
外に出ると既に高く上った太陽が照りつけてきた。…昼?ありえない。私達二人が揃って寝坊なんて事は考えづらい。あるとすれば、誰かが意図的に起きないようにしたか…。
「あはは…あははははは…。」
乾いた笑い声が私の口から漏れた。睡眠薬。そうとしか思えない。
「電ぁぁぁぁ!暁ぃぃぃぃ!あんたら、絶対に許さないっ!」
もう疑いの余地は無かった。簡単な話だ。電と暁が手を組んで私達を眠らせ、その間に隊長を連れて何処かに逃げたのだ。
「そっか、私達は裏切られたんだね。」
響が洞窟から出てきて呟いた。彼女の眠たげな瞳に静かな怒りと殺意の炎が灯るのが見えた気がした。
「探しましょ!今すぐに!」
「勿論さ。それに、裏切り者には死を与える必要があるしね。」
私達は一度洞窟に戻って小銃と弾薬を持つと、二人で密林へと入った。
電と暁による新たな監禁生活は響と雷の時と大差無く、午前と午後、交代で俺にくっ付いて来た。三日で音を上げて死にたくなったが、両手足が縛られていては何もできなかった。時々、どこかから銃声が響いてくる事もあったが、ここが攻撃された訳でもない為、俺にとっては限りなくどうでもいいことだった。
一週間が経った頃の朝、いつもなら隣にいるはずの二人が小銃を持って洞窟の出口にいるのが見えた。漂う物々しい雰囲気。と、その直後、二人が洞窟から出ていった。またとない幸運。体を芋虫のように動かし、洞窟の出口へと這って行く。
しかし、やっとの事で出口に辿りついた俺が目にしたのは眩暈のするような状況だった。
「さぁ、隊長を返してもらうわ。」
「…裏切り者。」
小銃を構えている雷と響がいたのだ。だが、その筒先は俺に向いてはいなかった。その先には…。
「それ以上近付いたら撃つのです。」
「あなた達なんかに隊長は渡さないわ。」
同じく小銃を構えた電と暁がいた。
よく見れば、雷と響の小銃は九九式ではなかった。M1半自動小銃。米軍の制式装備であり、従来の小銃よりも圧倒的な弾幕を張ることができる優れものだ。この間の銃声は、彼女達が米軍を襲撃して武器弾薬を鹵獲した時だったのだろう。
張り詰める緊張と不気味なまでの沈黙。互いを睨んだまま動かない。と、次の瞬間、電と暁がパッと回避行動をとった。雷と響が発砲する事を恐れての事だろう。そこで沈黙は破られた。
「撃っ!」
雷が叫ぶと同時に聞き覚えのあるM1の咆哮が鳴り響いた。槓桿を引く必要の無いM1は引き金を引く度に凶弾を吐き出し、射線上の暁の命を吹き消そうとした。暁は岩陰に身を隠してこれをやり過ごすと、M1の弾切れを示す甲高い金属音が鳴った瞬間に飛び出して、必殺の一撃を放とうとした。が、響が制圧射撃を行い、頭を出せなかった。これを電が逃すはずが無かった。同じく岩陰に身を潜めた彼女は響の射撃が始まると同時に飛び出し、雷を狙った。雷は咄嗟に伏せ、転がって木の幹の後ろに身を隠す事で難を逃れた。雷に逃げられた電は直ちに銃口を響に向けたが、響も雷と同様に木の後ろに身を隠した。直後、雷が何かを電に向かって投げた。それは弧を描いて宙を飛び、正確に電の足元へと落下した。黒く、丸い金属球―手榴弾。それを認めた電は瞬時の判断で手榴弾を掴んで投げ返した。空中で炸裂した手榴弾が金属片を辺りに撒き散らし、ヒュンと風を切る音が鳴った。途端に雷と響が頭を出し、電と暁がそれぞれ隠れている岩に向かって猛射を浴びせた。岩の表面が破砕され、火花と土煙を吹き上げる。俺は堪らなくなって叫んだ。
「お前ら、もう止めろ!頼むからやめてくれ!」
しかし、俺の叫びは銃声にかき消され、彼女達の耳に届く事は無かった。
この間に電と暁は小銃に銃剣を装着し、弾切れの甲高い金属音が響いた瞬間、飛び出して突撃した。…が。
「引っ掛かったね。」
弾切れを起こしたの雷だけであり、響は一発だけ残しておいたのだ。予想外の事態に一瞬怯む暁。響が引き金を絞り、発砲炎に包まれて放たれた一撃が暁の腹部を貫いた。
「うぐっ!」
血を散らし、正面から突き飛ばされた様に仰向けに倒れる暁。その横を電が突っ切る。その進路上には装填中の雷。
「雷!」
響の声で突進する電に気付く雷。
「電の本気をっ!」
瞬く間に両者の距離は詰められ。
「見るのです!」
激突の瞬間、電は銃剣の鋭い突きを繰り出した。雷は間一髪で身をよじってこれを躱すと、振り向きざまにM1を振り抜いた。
「ぐぇっ!」
確かな手応えと呻き声。M1の銃口が電の背骨を強打したのだ。つんのめる様に倒れ込む電。そこに雷が追い討ちをかけようとM1を振り上げる。
「させないっ!」
どうにか体を動かして小銃を構えた暁が発砲。雷の背中から心臓部を撃ち抜いた。
「あぅ…う…そ…?」
雷は胸に空いた穴からドクドクと拍動に合わせて血を流し、グルリと眼球を上に向けると、その場に崩れ落ちた。
「死に損ないが…!」
響がM1を装填し終え、息も絶え絶えの暁に向かって容赦なく連射した。銃声と同時にグシャッグシャッという肉をぶち抜く音がしたっきり、暁は動かなくなった。
直後、電が背中の激痛に顔を歪ませながら起き上がる。響はその頭に照準を合わせた。―勝った、隊長は私のものになる。そう思った。
だが次の瞬間、彼女が見たものは頭部を柘榴のように撒き散らす電ではなく、密林の中から突然、まっすぐ自分めがけて飛んでくる真っ赤な火焔だった。避ける間も、なす術もなく火焔に包まれる響。
「うあああぁぁぁぁっ!熱いっ、熱いよぉぉぉ!」
全身に火がつき、叫び、体をはたきながらのたうち回るその姿は凄惨を極めた。更にもう一度、火焔が彼女を焼き払った後、そこには黒く炭化した響であったモノがあるのみだった。
電が走って洞窟へと戻ってきて、俺の襟を掴んだ。
「隊長、早く奥へ逃げるのです!」
「おいっ、今のは何だ!?」
「米軍なのです!」
言うや否や、機関銃の掃射が電のすぐ頭上を襲った。最悪の状況。つまり俺達は洞窟に追い詰められてしまったのだ。しかも敵は機関銃と火焔放射器を備えた有力な部隊だ。立て篭ったところで爆薬を投げ込まれるか、火焔に焼かれるか…いずれにせよ、命はない。
俺は電に引き摺られて奥へと入った。
「お前、何で味方同士で殺し合うんだ!?」
「隊長を狙う奴だったから、なのです。隊長と一緒にいるのは一人だけで充分。だから、邪魔者を消しただけなのです。」
彼女は何の迷いもなくそう言った。いつからだろう、俺が彼女達への教育を誤ったのは。いつからだろう、彼女達が精神を病んだのは。そして、どうして俺はそれに気付かなかったのだろう。今更どうにもならない疑問が頭に浮かんだその時、外から訛りの酷い日本語が聞こえてきた。
「降伏しろ。殺しはしない。」
米軍の降伏勧告。…どの道命が無いのならば、いっそ米軍に下るのもアリかも知れない。すぐさま俺は電に相談した。
「なぁ、もうどうにもならないから、いっそ降伏…。」
「嫌なのです!やっと二人きりになったのに、また人がいる所に行くのですか!?」
「馬鹿、お前、このままじゃ命がないぞ!」
「隊長と一緒に死ぬなら大歓迎なのです!」
電はそう言うと、いつも携行している救急箱を開け、中からカプセルを取り出した。それは自決用の青酸カリだった。
「どうせ死ぬなら、一緒に!…だから!」
カプセルを咥え、徐々に顔を俺の顔に近付ける電。
「馬鹿野郎っ!何してんだ!」
何とかして逃れようとするが、拘束されていては全く抵抗できない。そうしている内にみるみる電の顔が迫り…。
「…ずっと一緒なのです。」
俺の口が電の口で塞がれると同時に、電はカプセルを噛み砕いた。二つに割れたカプセルの一つが俺の舌を転がり、喉に落ちた。吐き出そうとするも間に合わず、反射的に飲み込んでしまった。激しい頭痛が急速に襲い、同時に眩暈を覚えた。それでも、同じ様に苦しいはずの電は俺の口から離れなかった。次第に遠くなっていく意識の中、俺は強く、しかし時を追うごとに遅くなっていく自らの心臓の鼓動を聴いた。そして、ゆらゆらと揺さぶられる視界の中で最期に見たのは、苦しげな表情を一切見せずに俺をきつく抱き締めて離れない電の幸せそうな顔だった。
日本兵が洞窟に逃げ込んでから三十分が経とうとしている。数回に渡る降伏勧告にも関わらず、洞窟からはネズミ一匹出てこない。俺はジェームズに焼かれて黒焦げになっている憐れな日本兵に目を向けた。いくら日本人が小さいと言えど、まだ子供としか思えない小さな体だ。ジェームズが火焔放射器を撃つ直前、これが生きている姿を見た。ハッと息を呑む程に長く美しい白髪を持った女性。しかし、彼女は銃を持っていた。武装している以上、敵兵とみなすより他は無かった。すぐ近くには茶髪のショートカットの少女がガーランドを手にして死んでいた。見た所、彼女は心臓を打ち抜かれて即死したのだろう。胸に拡がっている生々しい血痕には早くも蛆が湧いていた。確か、四日前に偵察分隊が襲撃され、多数が死傷した上に武器を強奪されたという報告が上がっていた。生存者の証言を思い出すに、恐らくこの二人がやったのだろう。
少し離れた場所には別の少女が仰向けに倒れていた。長い黒髪を持つ彼女も数発の銃弾を叩き込まれて既に息絶えており、その手にはアリサカ・ライフルが握られていた。
奇妙なのは先行して偵察していた兵による、彼女達が同士討ちをしていたという報告だ。果ては白兵戦まで始めたというから訳が分からない。
「マイク、スナフ!二人で洞窟の中を見て来い!」
曹長に名前を呼ばれ、意識を目の前の洞窟に戻した。
「イェッサー。スナフ、ついて来い!」
「了解。」
スナフを従え、洞窟へと恐る恐る近付いて行く。入口で一時停止し、耳を澄ませる。…何の物音もしない。
「行くぞ。」
洞窟へ足を踏み入れる。中は薄暗く、少し進むと懐中電灯を取り出してつけた。洞窟の奥まで光が届き、そこにあるものを照らし出した。拳銃を構えつつ接近すると、どうやらそれが人体である事が分かった。
「動くな!武器を捨て、両手を挙げろ!」
呼びかけてみたが、反応がない。「動くな」という点に関しては満点だ。
更に接近していくと、それが二人の日本兵で、折り重なっているのが分かった。警戒しつつ、ゆっくりと至近距離まで迫る。下は男性の日本兵で、上に茶髪を後ろで縛った少女が乗っている。スナフに懐中電灯を渡し、空いた片手で二人の首筋に手を添えて脈をとった。何も感じられない。既に二人とも事切れていた。
改めて二人を検分すると、奇妙な事に気がついた。男性日本兵は両手足を拘束されており、そんな彼に抱きついて口づけするように少女兵は折り重なっていたのだ。天皇の為とあらば命を投げ出すという彼らの心理にはまだまだ未解明の部分が多いと思い知らされた。
洞窟を出て曹長に状況を報告すると、遺体を埋葬するようにと命令された。再び洞窟へと入り、二人を引き剥がそうとしたが少女兵の手はどうしても離れず、スナフを手伝わせても徒労に終わった。仕方なく二人まとめて外へ運び出した。他の兵が近くに穴を掘り、次々に遺体を収め、最後にあの二人を穴に入れた。遺体にスコップで土を掛けていると、一つの仮説が頭に浮かんだ。二人は恋仲であったかも知れない。そして二人は駆け落ちし、後を追ってきた味方と同士討ちを演じたのでは、と。彼、或いは彼女らの一個人を崇拝するように重んじる心が天皇ではなく、他の誰かに向けられた末路ではないだろうか、と。もちろん真相は彼らしか知らないだろう。しかし、抱きついて離れなかった少女兵の幸せそうな顔を見ていると、割と的を射た推測に思えたのだ。もしそれが真実であれば、二人はきっと天国で結ばれることだろう。俺は彼らにそっと十字を切った。
「…願わくば、汝らが結ばれんことを。」
再びスコップを手にして彼らに土を掛け、埋葬を完了した。
一九四五年八月十五日。度重なる本土空襲と二度の原子爆弾の投下を経て大日本帝国は遂に降伏。ここに第二次世界大戦、太平洋戦争は終結した。
それから70年後。かつては最前線であった南洋の島には多くの日本人観光客が訪れるようになった。「戦跡巡り」と題されたツアーの五人の参加者達が今日も密林の中へと分け行っていく。
「前日の雨のせいで地面がぬかるんでいます。気を付けて下さい。」
ガイドの注意を受け、一行は慎重に足を進めていく。やがて密林の少し開けた場所にぽっかりと口を開けた洞窟が現れた。
「ここがツアーの最後の場所です。この島の最後の日本兵が射殺された場所です。」
ガイドが説明すると、参加者からどよめきが上がった。
「どうぞ、中へ。」
ガイドに促され、参加者がぞろぞろと中へと入っていく。その時だった。
「…れ…か…。」
「ん?」
先頭にいた男性が奇妙な声のような音に気が付いた。彼は足を止め、耳を澄ませた。
「どうかしました?」
急に足を止めた男性の後ろの男性が声を掛けた。
「いや、何か声のようなのがしませんでした?」
訊かれた男性は首を竦めながら答えた。
「いや…自分は何も。」
「気のせいかも。すいません。」
そう言って彼は歩き出した。…が。
「…な…で…。」
彼の耳が再び奇妙な音を拾った。
「ほら、聞こえました?」
「確かに何か聞こえたような…ん?あれは?」
今度は後ろの男性が前方に何かを見つけた。先頭の男性が目を凝らす。
「…人?」
洞窟の奥から人らしき影が近付いてくる。やがてそれは髪を後ろで縛った幼い少女の姿となり、なおも近付く事をやめない。
「君!こんな所で何をしてるんだ?」
先頭の男性が声を掛けた。が、彼女はその問には答えなかった。代わりにこう言った。
「誰なのですか?来ないで下さい。」
彼女は日本語を喋った。先頭の男性は少し笑って言った。
「君、日本人?親とはぐれちゃったのかい?」
しかし、彼は奇妙な事に気付いた。彼女は日本人らしいものの、服装は見慣れない物だった。上下カーキ色の服。言うなれば、軍服のような…。そこまで考えた彼の脳裏にガイドの説明がよぎった。「日本兵が射殺された場所」。確かにそう聞いた。
「君は…。」
君は誰?そう聞こうと口を開いた時、不意に彼女が右手を横に広げた。次の瞬間、その右手には棒状の物が現れた。男性はそれが何なのかすぐに分かった。ライフル銃。
「えっ?何でそんなものが…!」
驚く男性を前に、少女は躊躇いなくライフル銃を構え、その軸線上に男性を捉えた。
「今すぐ立ち去るのです。…殺しますよ。」
冷ややかな声。その声は男性の恐怖心を煽るのには充分過ぎた。
「うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
一目散に逃げ出す男性。釣られて残りの参加者も我先にと逃げ出した。
彼らが逃げた後の洞窟には人はおろか
、猫の子一匹いなかった。
それからも洞窟では幽霊騒ぎが多発した。逃げてきた者は皆、口を揃えてこう話した。「少女が現れ、どこからともなく銃を取り出し、自分に向けてきた」と。
今日も私は洞窟の入口を見張ります。ようやく手に入れた、念願の平穏な生活。それを誰かに邪魔されるわけにはいかないのです。肉体は無くとも、魂は残っている。あの人がここにいる限り、私はここに居続けます。
「…電、死んでもここに縛るってのはどうかと思うんだ。いい加減、成仏させてくれないか?」
背後から声がしました。振り返ると、愛しの隊長が寝転がりながら私を見ています。…まぁ手足を縛っているので寝転がるしかないのですが。隊長も物わかりが悪いのです。何度も何度も答えているのに…。
「ダーメ、なのです。」
表情を曇らす隊長。そんな顔も好きなのです。だから、ついついまた言っちゃうのです。
「隊長とはずっとずっとずーっと一緒なのです。何年、何十年、何百年、何千年、何万年も…。」
私はトトトッと隊長の元に駆け寄って座り、まっすぐその瞳を見つめながら言いました。
「だから、これからもよろしくお願いします…なのです!」
― CFルート・完 ―
最後までお読みいただきありがとうございます。
全員死亡ルートとなりました。死んでも離さないとか魅力的だと思うのです。やっぱり心中は素晴らしい。
宜しければ他のルートもお楽しみ頂けると幸いです。ご意見ご感想、お待ちしております。