Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
勝ち抜けまであと二勝。
御影からの指導とコイン技のおかげで、順調に勝ち進んでいる。僕の目標までそう遠くはない。
ブックメーカーによるマッチメイクは、ムラがあるものの、だいたい二日から三日で一戦。全勝すれば、あと一週間足らずでバトルを終わらせることができる。
問題は、僕の望みどおりにことが進むかどうかだ。
リィンの話によれば、セレクターバトルを勝ち抜けた報酬は、あくまで『自分自身の記憶の操作』。他人の記憶に干渉できるかどうかはわからないそうだ。
だが、僕はそこに希望を持っていた。ルールやペナルティについて知らされているはずのルリグが、『できない』ではなく『わからない』と言っている。
ならばチャンスはあると思っていいだろう。
浮き沈みのない、いや、沈んだままの日が続いた。快晴の空も夕焼けも、僕の目には変わらず灰色に映る。
寝られない日も続いている。目を閉じれば、悪夢がよってたかって僕を襲ってくる。
そんな寝不足の頭では授業を受けても何も入ってこない。ちらちらとこちらを見るすず子に気づかない振りをして、窓の外に映る雲を目で追いかける。
僕たちの様子を、クラスメイトたちは恐る恐るといった感じで、遠目に見てきた。最近は休み時間も昼も放課後も一緒だったのだ。急に険悪な空気になっているのが気になるのだろう。
無気力な僕と落ち込んでいるすず子。周りはどちらが悪い行動をしたのか計りかねているようで、その話題を振ることを避けていた。
放課後になり、せつかれたようにさっさと鞄を掴んで立ち上がる。すず子は僕に話しかけようとしてきたが、無視した。
「伊吹さん」
誰を待つでもなく、誰を誘うでもなく、一人で帰ろうとした僕を、校門で引き止める一人の少女がいた。
「御影。もう学校に来てたんだな」
「はい、おかげさまで」
ぺこり、と頭を下げられた。
その顔にまだ幾分かの影が差しているが、もう元通りになったみたいだ。少なくとも、部屋から出て学校に来られるくらいには。
僕が彼女の家に行ってからまだ数日。思ったより早い回復だ。
「僕は別に……」
「あなたとすず子さんのおかげです」
僕が言い終わる前に、彼女は言い切った。
「伊吹さんがいなければ、私は立ち直れなかったかもしれません。ありがとうございます」
そんなことはない。
僕がいなくとも、誰かが代わりになる。それどころか、僕はいらなかったのかもしれない。御影姉やすず子がいれば、道を示してくれる。
僕がやったことと言えば、彼女たちに頼ることを進言しただけなのだから。そう思いつつも、問答をするつもりはない。
「話はそれだけ? なら僕はもう行くよ」
「すず子さんから聞きました。あなたに、もう近づくなと言われたと」
立ち去ろうとする僕を、御影は言葉で止める。
「疑問。どうしてそこまでするんですか。どうして、この手紙を書いたのですか……!」
御影が取り出したのは、くしゃくしゃになった一枚の紙だ。
あの日、彼女の部屋の前で僕がひとしきり話した後に、扉の隙間から差し込んだもの。『心に余裕が出来たなら、読んでくれ』と書いた封筒の中身。
それをぐしゃりと握る彼女の顔は、怒りと困惑と……悲哀に満ちていた。
「あのとき、あなたが私の部屋の前に来てくれたとき、あの言葉で私は救われました。私には家族がいる。私を友達と思ってくれる人がいる。すず子さんがいる。伊吹さんがいる。その人たちのためにも、失った悠斗のためにも、私は前に進まないといけない。進む資格がある。進む権利がある。そう教えてくれたあなたが、なんで、どうして、全部振り払おうとしているんですか! 何をする気なんですか!」
学校終わりの生徒たちが奇異の目でこちらを見る。
そんなことは気にせずに、御影は手紙に書かれた文字を僕に見せつける。
見るまでもなく、僕はそこに書かれている文を知っている。それでも彼女は濃い筆圧で書かれたそれを、目の前まで迫らせる。
「『すず子を僕に近づけさせるな』。この手紙の意味は何なんですか!」
「そのままの意味だよ」
御影は賢い。だからその言葉だけで気づくか、あるいはもうすでに気づいているものと思っていた。
混乱しているだけだ。冷静になって考えれば、僕の意図をわかってくれるだろう。
そう信じて、僕は彼女に短い文だけを残した。だけど今の御影は、その簡単な答えに辿りつけないほど余裕がない。
「すず子さんのっ……すず子さんの顔を見ても同じことを言えますか?」
「言ったさ」
目の端に涙さえ浮かべる彼女に、僕は言い放った。
「同じことをね。いや、それよりも酷いことを」
ちゃんとすず子の顔を見て、決別の言葉を投げた。彼女の気持ちを無視して、それでも別離を告げた。
納得できずに、御影は僕の手を掴む。すず子と同じように震えているそれは伝播して、僕の腕を小刻みに動かす。
「今のすず子さんは、千夏さんを守ろうとして強くなろうとしています。あの人のそばには、あなたが必要なんです」
「君にはすず子が必要だ。すず子にも君が必要だ。だけどそこには……」
そこには僕はいない。
▲
こんなことを思うなんて夢にも思わなかったが、今この瞬間においては、里見紅は一番安心できる相手だった。社交辞令も良い顔も必要なく、罪悪感なく嫌悪感を全面に押し出せる相手。そいつがいるとわかっていると、喫茶店の扉を開いた時点で心が動かなくなる。
「勝利おめでとう」
「どうも」
心にも思っていないことを言われていると分かっていると、逆に落ち着く。こいつの話は、反応する意味のない戯言だと分かるからだ。
「これで三枚。危険からは脱出ってところかな」
「とりあえずは、ですけどね」
また負けてしまえば、二枚か一枚に逆戻り。そういう意味で言えば、コインを何枚持っていようと危険なことには変わりない。
またしても奢ってもらったコーヒーをストローでかき混ぜる。どれだけ混ぜても色も味も変わらないそれを、何を考えるでもなく眺めていると、店の入り口が開いた。
気にせずにコーヒーを飲んでいると、僕と里見の間にぬっと森川が割り込んできた。
「これ」
「ああ、ありがとう千夏ちゃん。今回も早かったね」
以前見た時と同じように、森川は数枚の紙を渡し、里見からは封筒が渡される。代理契約とその報酬だ。彼女はそれをさっさと受け取り、肩掛け鞄の中に仕舞う。
すぐさま去ろうとする彼女を、僕は言葉で留める。
「待ってくれ森川」
森川は無視することなく、しかし怪訝な顔をして僕に向き直る。
誰、とは訊かれなかった。あの時の公園に、僕もいたことを片隅に覚えているのだろう。
「君の願いは、すず子に関する記憶を消す。そうだったよな」
「ええ」
「なんで引き伸ばしてるんだ?」
森川の眉がぴくりと動く。
「何が言いたいの」
「すず子のことを忘れたいのなら、もっとバトルをすればいい。なのに勝ち抜けしないのは、単純に君の実力が弱いからか、迷っているからか」
「弱いかどうか、迷ってるかどうか、見せてあげてもいいけど」
彼女はポケットからルリグカードを取り出す。するりとした肢体と髪をもつ緑色のルリグ。名前は確か……メル。
明るく笑ってみせるメルの顔に、どこかしら見覚えがある。
いいや、今はそんなことどうでもいい。僕は森川の目を見た。まっすぐ僕を射抜く強い眼差しは、負の感情で塗りつぶされている。先ほどの言葉にも怒りが満ちていた。
「いや、やめとく。バトルしたいわけじゃないし」
それに、森川が決して弱くないことを知っている。墨田に対して、押されているように見えながらも終始主導権を握っていたのは彼女だ。
並大抵の実力者じゃない。
僕が彼女を呼び止めた目的は、これからだ。
「ただ、すず子のことを避けて、すず子と決別するなんておかしいと思っただけだよ。このセレクターバトルのルールさえなければ、君はたぶん
わかりやすく挑発ぎみに言うと、バン、と机が叩かれる。憤怒の炎を目に宿らせる森川が睨んでくる。
「好き勝手言わないで」
「なら、好き勝手言わせないようにしないとね」
数秒見つめあったあと、森川は鼻を鳴らして店から出ていった。
僕はほっとする。無理矢理にでもバトルするなんて言われたら、どうしようかと内心ひやひやしていた。
とはいえ途中からそうならない確信はあった。森川の目と表情には、怒りに隠れて動揺が見えた。僕が言ったことが、遠からずといったところだろう。出ていったのも、話を切り上げたかったからだ。
それまで押し黙っていた里見が、ついに堪えきれなくなったように大笑いし始めた。
「なんですか」
「結構言うね、伊吹くん。千夏ちゃん相手にあそこまで言うなんて、見直しちゃったよ」
なおも笑い続ける里見を無視して、僕はコーヒーを飲んだ。
▲
ここ最近は運の良いことに、ホームルームが長引くこともなく、放課後にすぐ教室を出ることができていた。
しかし、それが長く続くこともなく、今日は
やたらと長いと感じるのは、目の前のすず子から一刻も早く離れたいと思っているからだろうか。
ようやく先生の長ったらしい話が終わると同時、僕は鞄を持って立ち上がる。
前の席の持ち主は、くるりと振り返る。すず子はいつもと同じように、目で訴えてくる。
『肇くん、どこに行くの?』
すず子に絶交を告げた時、彼女はそう言った。
僕の行き先はどこか。そんなこと決まってる。僕と君の道は、交わることなく続いて終わる。
すず子から目を逸らして、僕はさっさと教室を出る。
「肇」
声をかけてきたのは奏太だった。
突然、すず子と僕が喋らなくなってしまったこと、そして一年生である御影に詰め寄られたことは、意外にも噂になっているらしく、それとなく探りに来る者も多い。
そんな中で彼だけは、一言としてその話題を出すことはなかった。
セレクターバトルでいっぱいいっぱいの僕に訊いてきたことと言えば、この間無断で何日か休んだことだけだ。それも、調子が悪かった、とだけ言うとすぐに引き下がる。
表面上は相変わらずだが、僕のことを気にかけてくれているみたいで、ちょいちょい様子を見に来ては他愛のない話をする。
その気遣いが、今の僕にはこれ以上ない救いだった。
僕の過去を唯一知る友人としての、最大限の配慮なのだろう。
特に突っ込んだ話もせず、僕たちは帰路を歩く。
とても遊ぶ気にはなれなかった。まだ身体の調子が戻ってない、と嘘をついて、寄り道することなく家を目指す。
「あーあ、どっかにいい女の子いないかねぇ」
手で顔を扇ぎながら、奏太は心底つまらなそうな口調で言う。
「奏太の言う、いい女の子ってどんなの」
「可愛くて、スタイル良くて、優しい子かねぇ」
「そうやって求めすぎるから、いつまでも奏太は独り身なんだよ」
「だとしたら、彼女ができるのは肇のほうが先ってか?」
いひひ、と嫌みのない笑いを浮かべているが、ほんの少しだけ口角が下がったのを見逃さなかった。
しまった、とでも思っているのだろうか。僕とすず子の不和を、恐らく相当デリケートなものとして捉えているのだろう。友人として、僕をそっとしておきたいけれども、好奇心が勝ってしまったことを恥じている。
「それはないよ」
僕は平静を装った。
「ずっとないんだろうな」
すず子との関係が終わったことを……始まってもいなかったことを遠回しに告げ、彼への答えとする。
多分、僕はずっとこのままで、掴まれる手を振りほどいて、かけられる言葉を流す。
「言いたいことがあるなら、気にせずに言ってもいいんだよ」
奏太はうーん、と天を仰いでしばらく悩んだが、結局頭を横に振った。
「間違ってるとか、そんなのは他の奴らが言うだろうし……俺が出来るのは、お前に何があっても、変わらずに遊ぶくらいだからなー」
こういうことを言うやつだから、僕は奏太と一緒にいる。
深く柔らかい部分を傷つけず触らず、それでいて離れない絶妙な距離。それを保つのは友人といえども、いや友人だからこそ難しいはずなのに、彼は決してそこから近づこうとしない。
そんなつかず離れずを維持しているから、なんとか変わらない友情を続けていけているのだろう。
もし彼が少しでも踏み込んできたなら、僕は……僕はどうしていただろう。
『肇くん、どこに行くの?』
すず子に絶交を告げた時、彼女はそう言った。
僕はどこにも行かない。僕はどこにも行けない。
▲
奏太と別れて、マンションが近くなってきたころ、ポケットの中でスマートフォンが鳴る。相手はブックメーカー、里見紅だ。
『肇くん、次の相手が見つかったよ』
歩きながら応答すると、里見は開口一番上機嫌な声でそう言う。下卑た笑いを隠そうともしない、いやらしい声。
切ってしまいたい気持ちを抑えて、僕は続きを待った。
『いや、というより君をご指名だ』
わざわざ僕を指名する奴なんているのか?
相手の場所を聞き出そうとすると、すでにこっちに向かってきてるという。
くくく、という里見の笑い声を聞きながら数秒、そいつは現れた。
僕と同じ学校の制服。鞄につけたストラップは、よく見慣れたものだった。
『どうしても君と戦いたいってさ。俺は君の場所を教えただけ。やるかどうかは君次第だよ』
そこにいたのは、すず子だった。リルのカードを持って、僕を見る。
僕は歯軋りして、通話を切った。
『里見紅は、伊吹肇と穂村すず子を戦わせない』。ブックメーカーとの契約の際に交わした条件は、あくまで里見がこの二人をブッキングしないということだ。
すず子に僕の居場所を教えるのは、確かに契約に反してはいない。
そして里見が教えたにせよ、すず子が求めたにせよ、彼女が僕の前にいるということは……
「待ってたよ」
彼女はルリグカードをすっと掲げた。その仕草だけで、何のためにここにいるのかがわかる。
「僕と君は、お互いに戦わないと約束したはずだ」
一番最初にそう約束した。今までその約束は反故にされることはなく、僕たちは一緒にいながらも戦うことはなかった。
「でも、こうでもしないと、話してくれないよね」
纏わりつくな。
そう言って僕は彼女から離れた。でもすず子は僕のところへ来た。彼女を見ないようにし、聞かないようにし、一心不乱に遠ざけた僕と話すために。
「肇くんのこと、心配だったから」
酷い扱いを受けてもなお、すず子は僕を心配してくれている。自分自身も、森川千夏という一番の親友に遠ざけられて、苦しいはずなのに。
すず子は親友を守るために強くなろうとした。どんな言葉を浴びせられても、どんなことをされても、親友を信じて、帰ってくると信じて。
僕にもそんな強さがあれば、どれだけよかっただろう。
弱く脆い自分自身に腹が立って、語気が荒くなる。
「纏わりつくなって言ったはずだ!」
「それでも! 大切な友達だもん!」
そんなことを言わないでくれ。
僕は君を突き放した。君を敵だと言った。
友達でいられる資格なんてないんだ。心配される資格も君と話す資格も。
問答をすればするほど、僕の気持ちが揺らぐ。今ここでバトルを拒否して、すず子に謝って、友達に戻れたら……
そんな甘い気持ちを振り払って、僕はカードを胸ポケットから取り出す。
「いいだろう、バトルしてやる」
こちらを向くリィンは心配そうに見つめる。お前までそんな顔をしてくれるな。俺はもう決めたんだ。
ここで絶つしかない。
「ただし、僕が勝ったら二度と話すな、近づくな」
「……わかった」
お互いにカードを前に突き出す。
「オープン!」