Lostorage restrained WIXOSS【完結】   作:ジマリス

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夕暮れ

 里見から連絡が来たのは翌日だ。しかも朝。通勤通学とも少しずれた早めの時間。

 急いで制服に着替えた僕は、母に告げることもなくぱっと出た。

 汗を拭いながら足を動かしてたどり着いたのは、一度しか来ていないのに印象に残っているあの公園。森川がすず子と決別したあの場所だ。

 いやに静かに感じるのは変わらない。

 道路を挟んだ向こう側で待機していると、しばらくして二人の人影が姿を現す。

 すず子と森川だ。

 これから彼女たちは、自らの尊厳と記憶と友情を賭けて戦う。二、三か月で急激に変わったものをもとに戻すために、あるいはさらに変えるために。

 そういえば、と感慨にふける。

 セレクターバトルが始まって、時間は矢のように過ぎ去っていったが、大した日にちは経っていない。

 戦いに巻き込まれて、友達が出来て、希望を持って、絶望して、欲しいものを捨てるのに、季節が一つ移る程度は短すぎる。

 遠目に見知った顔を見つけて、僕はそいつに近づき、前に立った。

 

「そこ、どいてくれない? 今から一番面白いものを見に行くんだからさ」

 

 下卑た笑いを隠しもせず、里見は対峙するすず子と森川へ、期待と悪意をないまぜにした黒い視線を送る。

 

「すず子と森川のバトルか?」

 

 僕の言葉に、彼は目をこちらに向けるだけだった。

 

「俺の邪魔する気?」

「それが僕の最後にやるべきことだ」

 

 僕はリィンのカードを出す。

 大して里見はやや大仰なアクションで、手を広げて首を横に振った。

 

「といっても、俺はセレクターじゃないよ」

「嘘だ」

 

 僕は即答した。

 やはりどう考えても、ブックメーカーという役をこなすためには、セレクターであることが必須とは言えないまでも必要だとは思う。

 だけども、彼の表情や言動、そして目的を鑑みると、セレクターでないはずがない。

 

「人が堕ちるところを目の前でみたいお前が、一番の『最高の瞬間』を見逃すはずがない」

 

 墨田がコインを全て失った、あの森川とのバトルで、なんとなく感づいていた。

 自己の消滅、つまり死への恐怖を感じる過程は、ブッキングの際にたくさん見てきたことだろう。負の感情が膨れ上がっていくのと、ペナルティを回避するするためのあがきは、さぞ面白く映ったことだろう。

 それが極限まで成長し、爆発する一瞬を、見逃せるはずがないのだ。最も甘美な味が生まれる瞬間を見逃すなら、こいつが、里見紅がブックメーカーをする意味がない。そして同時に、セレクターじゃないはずがない。

 

「セレクターなんだろ、お前」

 

 確信をもって睨みつける僕をごまかせないと思ったのか、里見はやけにあっさりと一枚のカードを取り出した。

 波のように揺れる銀髪、身体のラインを際立たせる赤と紫のレオタードに白のタイツ。スケーターやダンサーを思わせる衣装だが、僕がそのルリグにホラー映画に出てくるピエロのような底知れなさと気味の悪さを感じたのは、彼女の被る仮面のせいだ。

 尖った目と涙が描かれているせいで、余計に表情がわかりづらい。わからないなら、今は考えなくてもいいだろう。

 

「あんたをすず子と森川のところへは行かせない。少なくとも、彼女たちの決着がつくまでは。どかせたけりゃ、僕を倒せ」

 

 僕が森川を挑発したのは、彼女たちに決着をつけさせるためだ。

 友達を取り戻したいすず子と、煮え切らない森川。双方が歩み寄って、言いたいことを言いたいだけぶつけるためには、もうただの話し合いだけで済ませるには複雑すぎる。

 ルリグも含めて、正面切って感情を吐露させるには、バトルをさせるしかないのだ。他の誰もいない空間と時間の中で、自分たちだけの思いを叫ぶには。

 もちろん、絶対に仲直りできるなんて保証はない。それでも、すず子なら……すず子ならきっとできると信じている。

 僕のせいで、縁を切られる苦さもまだ残っているだろうし、必死にならざるを得ないだろう。

 彼女の、森川に対する情の深さと、曲がりはしても折れない心の強さ、ひたすらに友達を信じる真っすぐさを、僕は信じている。

 その真剣勝負に水を差させないためにも、里見だけはここで止める。

 

「最初会ったとき、お前に面白いものを感じたけど、同時に嫌な気持ちにもなった」

 

 今日初めて、彼の顔が嫌悪で歪んだ。いや、そんな顔自体初めて見たかもしれない。

 

「生意気なんだよ、お前」

「そりゃどうも」

 

 周りに誰もいないせいで、風がそよぐ音もしっかり聞こえる。それ以上にうるさい心臓の音が、僕のやっていることをじわりと実感させてくる。

 ここまでで、やるべきことはほとんど済んだ。あとは最後、勝利すれば全てが終わる。

 数多のセレクターを駒にし、底へ叩き落し、あまつさえ消滅させた相手に勝てば……

 

「オープン!」

 

 

 

 『カーニバル』。それが里見が操るルリグの名前だ。時折漏れる小さな笑い声から、余裕が感じ取れる。

 デッキは赤色。ひねくれた性格のわりに戦術はストレート。

 

「アタック!」

 

 リィンの攻撃も、軽く手を振るだけでいなす。

 必殺の一撃というわけではないが、こうもあっさり避けられると冷や汗が出てくる。

 決してミスはしないように、カードを繰り出しながら常に場と相手に目を見張る。

 僕も里見もコインは四枚ある。

 

「コインベット」

「ふふ。『ジョーカー』」

 

 最初に仕掛けてきたのは里見だ。

 カーニバルの前面にあるシグニカードが少し浮いたかと思ったら、くるりと裏返る。そこにあったはずの赤色のシグニが、黒色の別物へと変化した。

 シグニを好きなものに変える能力か。

 黒の炎がリィンを叩いて、テーブルに転がす。

 だが、このダメージは想定範囲内。コイン技を使わせて、その能力を知れたいま、アドバンテージはこっちにある。

 僕もコインカードを出した。

 

「コインベット!」

「『リターン』」

 

 かちり、と時計の針が回る。通常とは逆回転に一周。テレビを早戻ししたように、全てが巻き戻っていく。

 ターンは一つ前の僕のターンへと戻った。つまり、里見が『ジョーカー』を使う前に。

 これで僕は相手よりも先に手を打てる……そのはずだった。

 

「はっ、なるほど」

 

 里見はくくくっ、と笑いだす。

 

「誰からも君のコイン技のことを聞けないから変だと思ったけど、使ってないんじゃなくて、使ったことを誰も知らなかったんだ」

 

 その目は僕を見ていなかった。それよりも上。そこにあるのは並べられたコインだけだ。

 

時間を巻き戻す(re turn)……ねぇ」

 

 嫌な予感は的中し、里見は僕のコインを指差した。

 僕の背中に、ぞくりと悪寒が走る。まさか、コイン技を使った直後、里見からすれば普通にバトルが進んでいるように感じていたはずなのに、コインが一枚減っていることに気付いたのだ。

 『リターン』が見破られたなら、直接盤面に関わるぶん『ジョーカー』のほうが有利になる。

 一転、追い込まれたのは僕だ。

 

「コイン技って、そのセレクターの本質が具現化したものなんだよ。絶対とは言えないけど、その傾向はすっごく強い」

 

 相当な数のセレクターを見てきた里見の言うことだ。『絶対とは言えない』と言っているが、確信を持っているのだろう。

 

「『記憶を取り戻すべきだ。自分の罪に目を背けず、自覚したまま生きるべきだ』そんなのは嘘で、誰よりも過去を悔やんでやり直したいのは君だったってわけだ!」

「黙れ……」

「自分の記憶を改竄しようとしないのは君が弱いからだ。怖いんだろぉ? 記憶を失うのがさ。だから代わりにすず子ちゃんの記憶を消そうとしてるんだ。酷いよねえ、自分がやりたくないことを、それもだぁい好きなすず子ちゃんに肩代わりさせるんだから」

「黙れ!」

 

 僕は温存していたカードを使い、鼻を明かしてやろうと猛攻を続ける。

 他のセレクターなら仕留められる連撃すらも、カーニバルはするりと避けるか受け止めてみせる。さらには隙をついて、『ジョーカー』で反撃もしてきた。

 光や武器、お互いの身体が飛び交う。炎が舞い、魔法が展開され、あちらこちらで爆炎と煙が上がるほどの激しい戦いに、僕も里見も様子見や温存は一切なしだ。

 

「肇、落ち着いて!」

 

 リィンはすんでのところで防御しながら、僕へ言葉をかける。だけど僕は止まらずにひたすら攻撃し続ける。

 手は休めず、

 お互いの攻撃は自らの防御をかなぐり捨てた、容赦のない一撃の連なり。レイラの『ドーピング』のような、自分すらも切りつける必殺の応酬だ。

 バトルそのものに愉悦を感じているのは、あのルリグ(レイラ)だけじゃない。カーニバルも、その仮面の下の笑みが隠しきれていない。

 彼女と里見の熱い視線は、リィンと僕にじっくりと注がれている。

 

「くそっ、アタック、アタック、アタック!」

 

 それからの僕の攻撃は激しいものではあったが、誰から見てもやけくそのもので、作戦なんてあったもんじゃない。

 息せききってがむしゃらに挑む姿は、里見大好物の醜い姿だろう。涼しい顔をして応戦している。

 単純な攻撃のし合いなら、赤色が勝る。そうでなくとも、里見のカードの強さ、使うタイミングなど、セレクターとしての基礎部分は最高レベルだ。

 言葉を搦め手として、隙を見出すタイプだろう。加えて『ジョーカー』があれば、相手の場に合わせたシグニを呼び出せる。

 赤色デッキの凶暴さは、かえでの使ったレイラのデッキが一番身に染みている。カーニバルはあれほどの攻撃特化ではないものの、こちらを粉々に砕こうとする勢いは黒色デッキにはない。

 パワーを下げたのに合わせて負けじと上げ、展開に合わせてバニッシュしてくる。

 リィンは腕、手、指をせわしなく動かし、カーニバルの攻撃を受け、避け、時には跳ね返してさえ見せた。

 しかしカーニバルは動きを鈍らせることなくしなやかにかわして、追撃をしてくる。

 彼女の強さは底知れない。彼女を攻略することは、今の僕ではほぼ不可能と言っていいだろう。だから、僕の狙いは最初からカーニバルではなかった。

 ギリギリのところで踏みとどまる僕とリィンを相手にして、カーニバルの攻め手が緩む。緩まざるをえない。

 彼女はあくまでルリグなのだから。 

 ようやく。ようやくだ。やっとこいつらのことがわかった。

 考え方も手札も場も心も、これで態勢は揃った。

 僕はピタリと手を止めた。

 

「これで全部だな」

 

 ふう、と汗を拭って、一息つく。

 表情も佇まいも元通りにして、舞った煙や埃を手で払う。もちろんそれで払いきれるわけでもなく、収まるまで待ったが。

 おかげで里見が現状を知る時間ができた。

 

「この野郎……っ」

「ようやく崩れてくれたな、気持ち悪い笑顔が」

 

 すでに理解はしているだろうが、あえて僕は自分の頭の上を指した。

 そこにはコインがあるはずだった。だけどもう一枚も残っていない。

 元々僕のコインは四枚。一枚はすでに使って能力を見破られた。だから残りは三枚。知られてしまったら使うこともない。

 里見はそう思っていたのだろう。

 僕はその隙をついた。

 奴にあらゆる手を使わせ、シグニ、スペル、アーツ。全てを暴いた。『リターン』を使っていることを悟られないように、感情に身を任せたような言動をして、激しい攻防を演出した。

 負ければ即消滅と代償は高くついたが、それに似合う対価は手に入れた。

 おかげで里見の手札もエナも底をついていた。僕をもう一歩で倒せるとあれば、少し無理してでもその一歩を踏み出そうとするのが人というものだ。

 そうさせるように考えて、演技しながら戦うのはかなり骨が折れた。

 

「僕が勝手だってのは、嫌というほどわかってるさ。情報と考えが古かったな」

 

 僕は自分の表情をできるだけ里見のいやらしいそれに似せ、精いっぱい挑発した。

 

「コイン技はセレクターの本質が具現化したもの、だっけ? お前の『ジョーカー』はどうかな。何にでもなれる。裏を返せば、何かになりたいのさ。人間を壊すことが快感なのは本当だろう。だけどそれ以上に、他人の本質を見抜いて、自分の存在を探そうとしてるのさ」

 

 ギリギリと歯ぎしりする音がこっちまで聞こえる。

 僕を睨む目の黒さが、精彩を欠いてきた。単純な闇だけだったのが、いまや怒りに困惑、焦り。ずいぶん人間らしくなってきたじゃないか。

 

「『自分』がない。そんなお前に何を言われたって、良くも悪くも心に響かんさ」

「勝手なこと言いやがって。会ったときから気に食わなかったんだ。何でもわかってるってそのツラが、クソほど癪に障る!」

 

 バン、とテーブルを叩く里見。この中でいま、一番落ち着いているのはおそらくカーニバルだろう。

 僕の激高は二割……いや三割本当だし、リィンは僕の戦術を知らないうえに敵の強さを肌で感じてる。

 冷静と興奮をコントロールすることができる、ああいうのが一番厄介だ。

 

「いいからかかってこいよ。そんなに知りたきゃ教えてやるからさ、人間ってやつを」

 

 バトルを続ける。だがその後の里見の動きは、力強さも緻密さも全くない。

 

「お前の思ってるような世界なら、お前が何をしなくてもクソで溢れかえるさ。結局人間はハッピーエンドを求めてるんだ。歪めて、歪んでるのはお前だけだ。だから気に入らないんだろ」

「黙れ!」

 

 それはさっき僕がしてみせた反応だ。

 真実にしろ嘘にしろ、聞きたくないから口を閉じさせようとする。

 そんな言葉で止まるわけないのを、こいつは呆れるくらい知っているはずだ。腐るほど見てきたはずだ。

 言わずにいられないほど、奴は追い詰められている。彼のカード捌きは僕が見てきた中で一番めちゃくちゃだ。

 

「お前に俺の何がわかるってんだ! カーニバル、攻撃しろ!」

 

 セレクターの宣言に、しかしルリグは反応しなかった。聞こえなかったわけじゃない。無視したのだ。

 

「カーニバル、どうした。攻撃しろ!」

 

 カーニバルはやれやれ、と頭を振ったが一歩も動かなかった。 

 少し思い通りにいかなかっただけで簡単なことも見逃すこいつに愛想を尽かしたんだ。

 すでに決着がついているのに気付いていないのは、認めたくないのは里見だけだ。

 手の内も知られ、感情も転がされたセレクターはひどく脆くなる。そんなことはこいつが一番知っているのに。

 所詮は、底知れない闇を抱えて人の本性を知っている()()をしていたに過ぎない。

 里見が一体何者であろうと、彼が忌み嫌い、ある意味では愛している人間と何も変わらない。

 

「なんにしても、お前は二流さ」

 

 そして、僕も二流だ。

 いざとなれば、勝利を目の前にすれば、心臓が異様なほど早く鼓動し、足も手も小刻みに震えている。

 落ち着こうと何度も何度も呼吸をするが、深く息を吸えないことに気がつき、さらに焦る。

 この選択はきっと、僕にとって後悔しかないというのはわかっていたが、勝利を、代償を目の前にするとこんなにも恐怖を覚えるものなのか。

 覚悟は出来てるなんて、かっこつけて強がってはいたけれど、実際はやめたい気持ちでいっぱいだ。

 こんな勝負挑まなければ良かった。こんな選択しなければ良かった。

 キリキリと胸が痛む。くらくらと頭が揺らぐ。

 

「肇?」

 

 出かけた涙を必死で抑える。崩れそうな意志を必死で固める。

 水も無しで砂を固めるような作業だけれども、それでも懸命に己を奮い立たせようとする。

 けれどやっぱりだめで、

 

「なあ、リィン」

「どうしたの?」

「正しいといってくれ。この勝利が、僕の願いが正しいといってくれ」

 

 そんなふうに求める。

 僕は弱いから。脆いから。

 嘘でもいい。たとえ虚構の希望で固められた意志でも、進められるのなら。脆弱な心でも覚悟を決められるのなら、なんにだって縋る。

 

「正しいかどうかなんて、私にはわからないわ」

 

 僕の目をじっと見て、リィンは言う。

 

「でも、決めたことなんでしょ?」

 

 今までの、そしてこのバトルで傷ついたリィンや、今も戦い続けるすず子のためにも、僕は止まることは許されない。

 本当は好きに生きたい。

 許しが欲しくて、助けが欲しくて、愛が欲しくて……生きてほしいと言われたくて。

 何度も優しい手が差し伸べられた。けど僕はそれを振り払った。僕が願ったくせに、欲しかったくせに、与えられたものを自分で捨てた。居心地のいい場所を捨てて、いるべき場所へと戻った。

 これは僕が決めた戦いだから。これは僕が望んだ結果だから。

 

「お前はほんっと、僕に厳しいよな」

 

 ついに流れる涙を抑えることは出来なかった。

 失いたくない。

 失いたくないのに願ってしまった。

 失いたくないから願ってしまった。

 つうと流れる雫が頬を伝うたび、後悔も溢れ出る。

 

「アタック」

 

 あらん限りの力を振り絞って出したはずの声は、しかし掠れてゆがんで小さかった。

 リィンが真っ直ぐにカーニバルへ向かう。

 里見は怒りと苦悶の表情を浮かべる。ピキピキと立つ青筋を見て、僕は満足する。

 僕は人を傷つけながら生きる。人を壊しながら生きる。その先にお前がいて、すかっとしたよ。

 音も立てずに里見とカーニバルの足場が崩れる。底の闇に落ちていく彼の罵倒はどんどん小さくなって、聞こえなくなっていった。

 

 

 耳をつんざくほどの静寂だけが耳に届いた。

 僕はいつの間にか、あの白い空間、リィンと始めて会った場所に立っていた。

 

「コインを五枚集めたあなたは、記憶を操作する権利を得た」

 

 目の前でそう言うリィンは、無表情を繕おうとしているけれど、口元が震えていた。

 さあ、リィン。コインは溜まった。僕の願いを叶えてくれ。僕のもとから離れられることを喜べ。そんな暗い顔をせずに、軽口でも叩きながら去っていってくれよ。

 どうする? なんて言わずに、リィンは五枚の金貨を握った。眩い光がその手から漏れる。

 最後まで無言なのは寂しかったけれど、僕のことを思ってのことだろう。ここで引き返せるだなんて言われたら、また迷ってしまうだろうから。

 リィンから発する光はどんどんと増してきて、彼女も僕も包まれる。今まで見たことのないほど強い光だけれど、ずっと一緒に戦ってくれた分身を焼きつけたくて、無理やり目を開ける。

 このセレクターバトルで、僕は人の役に立てただろうか。

 リィン、御影はんな、穂村すず子。このバトルがあったおかげで出会えた君たちの、このバトルがあったせいで僕と出会ってしまった君たちの役に立てただろうか。

 ほんの少し、ほんの少しでいい。僕が生きていてよかったと思えるような何かを残せたなら、それだけでいい。

 だけど、僕のことは忘れてくれ。

 すず子、君のことが大切だから。

 すず子、君のことが好きだから。

 

「だから、さよならだ。穂村すず子」

 

 

 ものすごく長かったようなセレクターバトルだけど、終わってみれば一シーズンすら経っていない戦いだった。

 元から九十日間という期間が設けられていたけれど、やたらと濃い密度のせいで人生一つ分を体験した気分だ。

 それだけの経験をしたけれど、僕の日常は結局、セレクターバトルが始まる前の、浮き沈みのないものへと戻った。

 登校中に話しかけてくる奏太もその他も変わらずだ。

 いつもと違うところがあるとすれば、暑くなってきて薄着になっているくらいである。

 変わらない。それが一番のはずなのに、少しだけ……いや正直に言うと、かなり寂しい気持ちがあるのも事実である。

 教室に入り、机に座ったところでそれを一番感じる。

 胸ポケットから話しかけてくる者はいない。前に座るすず子は、僕のほうを見ようともしない。

 ルリグにも知らされていないだけで元から出来たのか、それとも特例か。とにかく僕の願いは叶えられたようだ。

 

 あのあと御影から、セレクターバトルの結果を聞かされた。

 すず子は無事記憶を保持したままバトルを勝ち抜いた。最後の相手は里見。コインを失った彼は、カーニバルに乗っ取られたようだ。

 そして、森川千夏は一枚になったコインを持って、九十日間を終えたらしい。いまではわずかにしか記憶が残っていないらしいが、すず子とは再び親友になることができ、新しく時を刻んでいるようだ。

 だから、もう彼女を縛りつけるものはない。

 何度も『ならもう話しかけてもいいんじゃないか』という考えがよぎる。だけどそれはしちゃいけない。

 せっかく自由になった彼女を、僕が縛ってはいけない。 

 

「おーい、肇ー」

 

 教室の外で、奏太が手を振る。

 ああ、もう放課後か。鞄を持って立ち上がる。いつものように、彼の元へ向かう。

 入れ違いになるように、誰かが教室の中へ入っていこうとする。

 御影はんなだ。ぶつかりそうになったところを避けざまに、彼女がこちらを向く。

 僕が目を伏せると、彼女はそそくさとすず子のところへ向かった。

 

「なにボーっとしてんだよ」

 

 ちらりと振り返る。

 すず子は御影や他の女子と一緒に談笑していた。

 後ろ髪を引かれる思いを振り切る。

 まったく合理的ではないのだろう。

 あの輪に入りたいと思うのも、すず子を好きでい続けるのも、ずっと引きずってしまうのも。

 きっと、きっと、この想いを持ち続けるのは不毛なのだろう。

 それでも目が君の姿を追ってしまう。耳が君の声を探してしまう。心が君を求めてしまう。

 僕がそんなだから、君は困ってしまうんだろう。君に迷惑をかけてしまっているのだろう。

 好きだから。

 好きになってしまったから。

 たった一人、僕がいたせいで彼女は苦しんだ。

 たった一人、僕がいなくてもすず子の人生に変わりはないのだろう。

 だからこれが最善の選択だったと……

 

「いや、なんでもないよ。さ、今日はどっか行く?」

 

 ただ信じることしかできない。

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