Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
予感/呪縛と接触
誰かの視線を感じる。好意や敵意といったものではなく、ねっとりとした興味や好奇心のような、品定めをするような冷たい視線。
ぞくり、と悪寒がして振り向く。
誰かいるわけでなく、誰もいないわけでもなかった。
「どうしたん、
「いいや、なんでも」
僕は気のせいだと頭を切り替えて、親友である
登校途中の道は閑静と喧騒の間にある。生徒たちは友人と話しながら、あるいは一人で黙々と歩を進める。見知った顔はないし、こちらを見ているわけではない。
僕はため息をつく。
ただの高校生が、ましてや僕が、人の視線なり感情といったものを敏感に感じ取れるわけがない。やはり気のせいだ。
季節の変わり目で、少し肌寒く感じたせいだろう。
そう自分に納得させたはずなのに、じっとりとした焦燥感は心に纏わりついて、嫌な気分になる。
「来年、つーかあと数か月後には受験生かぁ。勉強やだやだ」
「だから、遊んでばっかりじゃいけないって言っただろ」
「へーへー。最近はお利口にお勉強してるみたいで、お前付き合い悪いしな」
奏太は天を仰いだ。
「ウィクロスだって、お前すぐやめちゃったし」
ちくり、と胸が痛む。
数か月前、奏太に勧められて始めたカードゲーム、ウィクロス。
初めて買ったスターターデッキには、世にも奇妙な動いて喋るカードが入っていた。自分の分身ともいえる、動く『ルリグ』カードだ。
それから僕は、同じく特殊なルリグを引き当てた者たち『セレクター』と、記憶を賭けた戦い『セレクターバトル』をしたのだ。
結果は……僕は記憶を失くすこともなく、元の生活に戻ることができた。
セレクターバトルのことを、奏太は知らないから、僕が突然ウィクロスを辞めたことを不思議に思っている。
だが、そのときの情緒不安定ぶりを察して、深くは聞いてこない。
「……遊ぶだけじゃ、だめだって気づいたから」
顔を背けて誤魔化す。
どうせ信じてはもらえないし、信じてもらったところで何がどうなるわけでもない。
セレクターバトルのことを話せる人は、僕の周りにはいない。
僕が、自分から捨てたから。
学校に着き、教室の前の扉を開け、できるだけ後ろを見ないようにして机に座る。
一番前の席。そこがいいと先生に直談判したら、勉強に集中するためかと解釈されて、快く受けてくれた。
クラスメイトも前の席を嫌って、その枠が一つ潰れるなら、と僕に抗議してくる者はいなかった。
しかし、僕がそこを選んだ理由は、勉強をするためでも、ましてや他人が嫌う場所に自ら向かう自己犠牲でもない。
ある女子を見ないようにするためだ。
彼女の名前は、
この間の席替えで、ようやく離れることができた。それも、彼女は一番後ろで、僕とはまったくと言っていいほど関わり合いのない席だ。
嫌いというわけじゃない。彼女が近くにいると、何かが間違いそうで、あるいは何かを間違えそうで気が休まらないのだ。
いまは視界には入らないし、できるだけ勉強やほかの事を考えていれば、そちらに集中できるようになった。
すず子もまた、セレクターだった。
僕らは非情な戦いに負けないように仲間となり、戦い抜くために強くなっていった。
そして……
そして僕は、彼女の記憶を消した。僕のこと、つまり『
僕も彼女のことを忘れようとしているおかげで、日に日に罪悪感は薄れていっているような気がする。
感覚が麻痺しているのかも。そうでないと、押しつぶされそうだから。
▲
人生の転機は急に訪れる。襲撃と言ってもいい。心の準備をさせてくれないまま、次々と牙を剥いてくるのだから。
放課後すぐに、僕は教室を出た。
特にやるべきことがあるわけでもないが、勉強に集中すると言った手前、だらだらと残っているわけにもいかない。
それに、教室は女子たちがウィクロスをし始めることが多々ある。そこには大体、すず子もいた。
これは喜ばしいことだ。転校生で、しかもこの学校に来てすぐセレクターバトルに巻き込まれた彼女が、友達に囲まれて日常を過ごしている。時間が過ぎるたびに苦しかった日々は薄れ、普通の女子高生になる。
足早に去ろうと、校門を出たとき、
「伊吹肇くん……よね」
声をかけられた。
制服からして、うちの生徒じゃない。
だけど僕は彼女を知っている。地味目な制服も、地味目な着こなしも、僕の記憶そのままだ。
一番変わりがないのは、冷たい目と感情のない顔だけれど。
「
彼女はこくりと頷く。
水嶋
僕と同じくセレクターで、一度戦ったことがある。そのときの僕が初心者だったことを差し置いても、とてつもなく強くてこてんぱんにされた。
「少し、いいかしら」
表情を変えることなく、彼女は言う。
通り過ぎる生徒は僕たちのことをじろじろと見てきたが、決して関わろうとはしない。
僕もその一人になりたかった。嫌な予感だけが胸をざわめかせる。
「用件は? いや、言わなくていい。何であろうと、聞く気はないし、協力もできない」
「その言い方だと、もう予想はついているんじゃないの?」
見透かされた。彼女とバトルしたときと同じような、心を読まれた感覚。いやしかし、一度戦っただけの相手に会いに来る時点で大体の察しはつくだろう。
やはり、と思う。やはり最悪なことが起きている。
逃げるように、踵を返したその瞬間、
「セレクターバトルは続いてる」
逃がすまいと水嶋さんは言い放った。その言葉に、僕は足を止めてしまった。
あの忌まわしいセレクターバトルには、数多の人間が巻き込まれた。だが、バトルした何人かの態度やバトルの慣れからして、全員が同時にセレクターになったわけじゃないと考えていた。
そうであれば、いまこの瞬間もどこかでセレクターが生まれているかもしれない。
「少なくとも、僕のセレクターバトルは終わった。これ以上下手につっついて、結果がひっくり返ることにでもなれば意味がない」
そう。僕は勝ち残った。そしてセレクターの資格を失った。満足とは言えないけれど、最善を尽くして結果を手に入れた。
やり直せると言われたとしても、頷くつもりはなかった。
「それに僕の実力は大したものじゃないし、そのうえもうセレクターじゃない。もし手伝いたくても、力にはなれないよ」
こう言えば諦めるかと思ったが、しかし水嶋さんはしつこかった。
「私では勝てなかった
突然の知った名前に、僕は息を詰まらせた。
里見紅とは、セレクターバトルの制度を利用して、僕たちを苦しめた張本人だ。人の心をぐちゃぐちゃにして、それを楽しんでいた下衆。
僕はなんとか彼に勝つことができたが、それは不意打ちのような戦法に、精神を乱す口撃をしたからだ。僕の実力じゃない。
それに、と付け足して、水嶋さんは続けた。
「セレクターじゃないのは、今だけかも知れないわ」
かも、というわりに、水嶋さんの言葉には奇妙な確信めいたものがあった。
僕は顔をしかめる。
嫌な予感だけは、よく当たるのだ。
▲
水嶋清衣は、前回の記憶を賭けたセレクターバトルだけでなく、その前にもあった戦いにも巻き込まれたという。
勝ち進めれば願いが叶い、三回負ければ願いが逆転するという過酷なバトル。
彼女は勝ち行んだ。その先には……
そこまで話して、水嶋さんは俯いてコーヒーを飲んだ。
夕方と夜の境目。そんな微妙な時間では、ファミレスはやたらと空いていた。
人もおらず、ゆっくりと話すにはいい場所。そんなところでされたのは、あまりにも唐突で、ありえない話。
僕がそれをなんなく受け入れることができたのは、前回のセレクターバトルの経験があるからだろう。
それに、願いを賭けるセレクターバトルの都市伝説は知っていた。『
現実に、それを体感した少女と話すとは思ってもみなかったが。
「でも、そのバトルは終わったはずじゃないのか?」
「ええ、ある少女が、そのバトルの発端となった女の子を倒してお終いになった……はずだった」
「だけどまだ続いてる、と」
「終わるはずがない」
静かに、しかし厳かで激しい怒り。恐らく僕が想像もできないような深い闇を、彼女は抱えている。
「君はどうして、そこまでして真実を追い求めようとするんだ。僕だけじゃなくて、君にとっても終わったことだろう?」
「いいえ、終わってなんかいないわ」
彼女は今日一番、力強く言い放った。
「前回のセレクターバトルで、私は記憶を少し失った。とても大事なはずの……何かの記憶を」
僕は驚いた。つまり水嶋さんは勝ち抜けることなく、九十日間を終えた。再開されたセレクターバトルの黒幕が誰か、その目的を知るために、わざと長引かせたのだ。
代償は高くついたようだ。カップを持つ手が震えている。表情はわずかに苦痛と悲哀で歪んでいた。
『記憶の残滓を見せられれば、それを求めてしまうのが人間というものです。特に、それが忘れてはいけないはずの記憶の場合は』
かつて僕が言われた言葉だ。
それを言った本人も、言われた僕も躍起になって戦いと勝利を求めた。
記憶とは、ただの思い出ではない。自分という人間を構成する大事な要素だ。失えば、身体の一部分がちぎれたように痛みが走る。命が削られるような気がする。
だから、その記憶が君をひどく傷つけるかもしれないからやめたほうがいいとは、どうしても言えなかった。
「それにもうこれ以上、傷つくだけのセレクターバトルを続けさせるわけにはいかない」
無力を噛みしめるようなその顔には見覚えがある。よく知っている。
決別かそれとも死か。大切な誰かを失ったのだろう。
何回もバトルをして、彼女は勝ったと言った。だが、願いを叶えたとは言っていない。まったく晴れやかな顔は見せず、しかもバトルを止めようとしている。
願いが叶ったものの、望み通りじゃない結果だったか。ある程度の察しはついた。
僕は目を逸らしてしまった。
穂村が同じ顔をしているのを見たことがある。三度も。しかもそのうちの二度は、僕のせいだ。
その顔を見ると、どうしても胸が締めつけられてしまう。苦しくなって、間違いだと言われているような気がする。
罪滅ぼしではないけれど、その顔が消えるなら……
「力になれるかはわからない。けど手伝うよ」
「……ありがとう」
カップを持った手を止めて、微妙に口元が緩んだ。彼女が笑ったと気づいて、僕は少し憤りを覚えた。
どれだけ酷い経験をしても、水嶋さんもまた普通の女子高生なのだ。人生を謳歌するべき年頃の少女なのだ。
理不尽は彼女の人生を壊している。セレクターバトルは、関わった全ての人間の人生を、曲げてはいけない方向へ曲げてしまっているのだ。
「君はどう思う? 前回と前々回の経験者として」
「誰かが始めたんでしょうね。自然と始まるわけがないのだから」
水嶋さんはすらりと答えた。
何度も考えたのだろう。誰がこの悪意あるバトルを再スタートさせたのか。
「誰か……」
人間ではありえないだろう。あれだけ隠し事を含んでいた里見でさえ、あくまでルールを利用していただけだ。創造主は別にいる。
ふと、僕の脳裏にある少女が浮かんだ。
最初に、ルリグカードに描かれていた少女。言われるがままにルリグの名前を決めると、その少女は姿を変えた。
だが変わる前、その姿はどのセレクターのものも共通だったらしい。
『始まりのルリグ』。
確か彼女は自分のことをそう言った。一番怪しいのは彼女だろう。
「どうしたの、伊吹くん?」
黙りこくっている僕を訝しんで、水嶋さんが覗き込んでくる。
「いや……」
確証のない憶測を言って混乱させるのはやめたほうがいい。
それよりも、もっと真実に近い誰かの意見を聞くほうがいいだろう。
「君でもわからないことが、他の誰かにわかるかな」
「バトルの経験者といっても、私は直接最後を見たわけじゃないから……」
「終わらせたのが誰かは知ってる?」
「ええ、
続けて、その三人とは関係なく、何人かセレクターを挙げてもらうが、やはり知らない。
僕らはお互い肩を落として、さらに手掛かりを探す。
「それか前回バトルの元ルリグなら、何か知ってるんじゃないか?」
「とはいえ、元ルリグの知り合いなんて……」
前々回のセレクターバトルでは、夢限少女になればセレクターが新たなルリグとなり、ルリグはセレクターの身体を乗っ取ってしまうという理不尽なルールだったらしい。
そして、その新たな身体を得た元ルリグが、セレクターの願いを叶えるのだと。
何度もセレクターとルリグを体験した水嶋さんも、前回のバトルではセレクターのみ。セレクターとルリグが入れ替わる場面は見たことがあるらしいが、それだけらしい。
元ルリグなんてのは、僕も知らない。負けたペナルティとしてルリグに身体を乗っ取られた男を見たことがあるが、知り合いとも呼べないし、連絡先も知らない。
だが、もしかしたらと思って、僕はスマートフォンを取り出す。
「知ってるの?」
「知ってる奴を知ってる……かも」