Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
『これから九十日間、あなたは他のセレクターとバトルしなければならない。勝てば黒いコインは金に変わる。五枚全部が金になればこのバトルを抜けられる。五枚全部が黒くなれば、あなたは消える』
「記憶を失うか、失わせるかのバトル……か」
翌日、僕は登校してさっさと屋上前の踊り場でへたりこんでいた。
カードに話しかけてるのを見られたら、変な奴扱いされるのは目に見えている。
昨日受けたセレクターバトルとやらの説明をもう一度聞いても、僕はいまいち咀嚼しきれなかった。
与えられたコインを賭けての勝負。勝てば記憶を取り戻すことができ、負ければ失う。それに僕は選ばれたのだと言う。
このバトルの行方は三通り。コインを全部失って記憶が全て消去される、コインを五枚集めて記憶を操作したうえで抜ける。
あるいはタイムアップ。記憶が一部抜け落ちた状態で終わる。
「とは言ってもな……」
失わせるのは罪悪感があるが、しかし自分から記憶を失うような真似もしたくない。
「与えられたコインは三枚。最短でも二勝が必要になるわね」
頭を整理したいってのに、リィンは話しかけてくる。僕はまだカードが喋るということが信じられていないのに。
「適当に勝って、コイン集めて、さっさと抜けることにするよ。それができたらいいんだけど」
記憶を失いたくないのは誰でも同じだろう。もしこの話が本当なら、他のセレクターとやらは必死になってくるに違いない。
適当に、とは言ったが、それほど簡単ではないのは流石の僕だって分かってる。
さて、どうするかなと思案していると、リィンが階段の下に目を向ける。
「セレクターが来る」
確かに足音が聞こえる。階段を上がってきたその音の主は、ゆっくりとその姿を現した。
「発見。あなたはセレクターですね」
「ということは、君も?」
あまり手入れされていないようなぼさっとした長い髪が揺れる。その少女が長く余らせた制服の袖で掴んでいるのは、僕と同じ、黒色のルリグ。妖艶さとなんだか底の見えなさを感じるそのルリグは、顎に手をあてて僕を見つめる。
動いてる。ということは……
「よ、よかった……」
「疑問。どうしたのですか?」
「いや、もしかしたら全部幻覚と幻聴の可能性をまだ捨てきってなかったからね。君が来てくれて助かったというか、ありがたいというか……」
「は、はあ……」
僕は安堵した。カードに名前つけて、ずっと持ち歩いて、話しかけるなんて、なに言われても反論できなかったからね。
「さてと、
「正解。私を知ってるんですね」
彼女は驚きはせず、自慢げに胸をそらした。
一年A組の御影はんな。ゲーム雑誌に攻略記事やレビューを書いていて、その中にはウィクロスも含まれる。『ゲームマスターはんな』といえば、ウィクロスをやっていなくても知られているほど有名だ。
「好都合。それなら話は早いですね。バトル、していただけますか」
「どうせ、嫌って言っても追いかけてくるんじゃないか?」
「明察。そのつもりです。せっかく見つけたセレクターを逃すわけにはいきません」
自信ありげに胸をそらす御影さん。それもそのはず、彼女が書いている記事の中には、ウィクロス含め対戦型のゲームも多い。単純な実力だけでなく、駆け引きもお手のものだろう。
「そこまでして、取り戻したい記憶があるのか?」
「当然。あなたもそうでしょう? 記憶の残滓を見せられれば、それを求めてしまうのが人間というものです。特に、それが忘れてはいけないはずの記憶の場合は」
「僕は……」
当然、と言われてもいまいちピンとこない。僕が見せられるその残滓とやらは、なんだか誰かとどこかで遊んでいるもので、いずれにせよこのまま歳を取れば風化していくと思われる程度でしかないのだ。
忘れてはいけない記憶なんて、僕には何もない。
「ま、とにかくバトルは受けるよ」
付き纏われるのも厄介だ。僕にはまだコインが三つ。一つ失ってもまだ余裕がある。セレクターバトルがどういうものか知っておくためにも、ここで戦っておくのは悪くない。
御影さんもようやく安心した顔になる。
「じゃあ」
すっとルリグカードを前に出す。
だが、いざ勝負と意気込みをかけたとき、鐘の音がなって、その意気込みは霧消した。
チャイムだ。あと五分でホームルームが始まる。
緊張の糸が途切れたのは御影さんも同じようで、彼女はルリグカードをポケットに納めた。
「落胆。気が抜けましたね」
「ん、なんかバトルって感じじゃなくなった」
「提案。バトルは放課後ということでどうでしょうか」
どうしてもバトルがしたいらしい。断る理由もなく、僕はそれを承諾した。
▲
今日は朝から余裕がなかったせいで、弁当を持ってくるのを忘れてしまった。
そのことに気づいたのは昼休みになって、鞄を探ったときだった。
仕方ない、と財布を持って、食堂へ向かう。利用したことは数えるくらいだ。なにせ当然昼は混む。あまりうるさいところで食事をするのは好きじゃないのだ。
到着すると、やはり人が多かった。食券機の前は行列が出来ているし、席も空いていない。辟易して、適当に惣菜パンと飲み物を買って教室へ戻ろうとする。
階段を上がっていると、穂村が前からやってきた。だけどその目は僕に気づいていない。ただ階段を降りているだけ。
まあ、用もないのにわざわざ挨拶することもないかと思い、すれ違う。
「待って」
胸ポケットから、リィンが言う。
「いますれ違った人、セレクターよ」
どくん、と心臓が跳ねる。行きかう生徒たちの中、僕と同じように止まっているのは一人しかいない。
「穂村……っ」
「伊吹くん……?」
これは何かの間違いだ。僕が呼んだから振り返っただけで、そこにはそれ以上の意味はないはず。
そう信じたかった僕の思いは、しかし次の言葉で覆された。
「伊吹くんもセレクターなの?」
その手には赤色のルリグカード。
記憶を賭けるというセレクターバトル。よりによって、その過酷な戦場に、穂村すず子が巻き込まれていた。
▲
昼食を食べるのは、ほとんど食堂か教室かで、中庭にはそれほど人は来ない。パンフレットには、ここで仲睦まじく喋る男女が何人も写っていたが、まああれは撮影用だろう。
周りに人がいないことを確認して、僕たちはベンチに座った。
僕が食堂に向かっている間に、穂村は昼食を済ませたらしく、自販機で買ったミルクティーを飲みながら、事情を説明してくれた。
友達作りのきっかけになるかと思ってデッキを買ったら、僕と同じくセレクターになってしまったらしいとのこと。
「まさか、穂村がセレクターだなんて」
「私もびっくり。リルが、近くにセレクターがいるって言ってたから、誰かなとは思ってたけど」
そう言って見せてきたのは、赤のルリグ。鋭い目つきをしているが、敵意は感じられなかった。
「リルっていうのか、そのルリグ?」
「ええ、初めまして。伊吹肇よね?」
そのルリグ、リルの通る声が耳に入ってくる。
「なんで僕のこと……ってそうか、セレクターの記憶を持ってるんだったっけ」
これもリィンから教えてもらったことだ。ルリグはセレクターの分身。それはゲームの設定上の話だが、セレクターバトルにおいては実際にそうなのだ。
「これが僕のルリグ、リィンっていうんだ」
「よろしく」
僕も自分のカードを見せた。リィンが彼女らに手を振る。
「私もセレクターがいることはわかってたんだけど、肇ったら、鞄に私を入れたままだから声届かなくて」
そうか。ルリグは別のルリグを探知できるのか。席の前後である僕と穂村なら、近いどころの騒ぎじゃない。
「教室で君に話しかけるわけにも、バトルをするわけにもいかんだろう」
「踊り場でバトルはしようとしてたのにね」
「踊り場?」
穂村とリルの両方が声を上げる。
「この学校にはもう一人セレクターがいて、挑まれたんだ」
「そうなの?」
「そのときは結局バトルできずに終わったんだけど、再戦の約束もしてしまった」
指でカードを弄びながら、今朝あったことを説明する。
そういえば、今日の放課後と言っておきながら場所の指定はしていなかった。彼女の教室か、いなければまた屋上前の踊り場に行けばいいだろう。
そう思案しながら穂村を見ると、彼女は顔を伏せた。
「あの、私はバトルとかしないから……」
バトルをしない。それはつまり、記憶が消えていくことを意味する。それをよしとしているのだろうか。
リルは心配そうに穂村を見つめている。穂村の分身は、彼女を心配している。なら穂村はなにを心配しているのだろう。
「嫌がる奴に吹っかけないよ。僕だって、危険を冒す気はないし」
「ありがとう」
ほっとして、彼女は笑顔になる。
何に礼を言われたのかわからないけど、受け取っておくことにした。
いろいろと吐き出せて少し元気になった穂村と、お互いに戦わないという協定を結んで別れを告げる。
「ははぁん」
リィンがにやにやと笑ったのは、穂村が見えなくなって、僕がジュースを飲みながら惣菜パンの包装を外しているときだった。
「なんだよ」
「あなた、あの子のこと好きでしょ」
唐突に変なことを言われて、飲んでいたジュースを気管に詰まらせる。何度もむせながら、僕は顔が熱くなるのを感じた。
「ふぅん、へぇ」
やっと落ち着いて、何か反論してやろうと思ったが、むせている間に追撃してきた。
「目は泳いでるし、早口だし、何よりあんたの心臓の音鳴りまくりなんですけど」
「それは女の子に慣れてないだけだよ。生まれてこの方、浮いた話のない寂しい生活だったんだから」
僕の人生は浮き沈みのないもの。それは恋愛に関しても同じで、いいなと思う相手はいたものの、告白したりされたりなんてのはなかった。
僕の青春は、駄弁って遊ぶ。ただそれだけだ。
「ねえ、あの子のどこが気に入ったの?」
「僕の話聞いてた?」
「だって、御影はんなと話してたときは普通に喋ってたじゃない。女友達もいるんだし、ほんとは慣れてないってわけじゃないんでしょ」
そうか、ルリグはセレクターの分身。記憶も持っているって言ってたな。
ってことは話さなくてもよくないか、この話。男子に言うのにも少しはためらいがあるんだぞ。それに僕の記憶があるなら、その理由もわかってるはずだ。
「教えてくれないなら、今度あの子に会ったときに言っちゃうわよ? 伊吹肇は穂村すず子と喋るとき、心臓張り裂けそうなくらいドキドキしてるって」
「おまっ……エグいこと考えるよな、リィンは」
ルリグの声は、ルリグとセレクターにしか聞こえない。つまりこの場合、ピンポイントで穂村に知られてしまうわけで……
僕は諦めた。
「別に、ただ……一人が怖いだけだよ」
濃く味付けがされているパンを頬張る。
「なんかさ、取り残されるのって怖いじゃん。周りには人がいっぱいいるのに、自分が世界に置き去りにされたような感じがして……僕だけじゃなくてさ、そういう人を見ると、想像して怖くなる。それだけの話」
奏太にも話したことのない、僕の心の奥底。
一人になることが怖い。一人でいる誰かが怖い。むりやり一人ではない世界に連れ込む。
だから、傷つけないよう、傷つかないよう言葉を選んでいるのだ。緊張してしどろもどろになってしまうのは、それが原因だろう。
これは恋とかそういうのじゃなく、同情だ。
▲
二年C組の担任はやたらと話す。うちのクラスのテスト平均点数は、他のクラスに比べて悪い。そのことで何か言われているのか、毎日のホームルームで勉強の大切さを説く。
しかしそんな説得で動くようなら悪い点数は取らないし、高校生に当たり前のありがたみなどいまいち伝わらない。教師が熱弁するも、真面目に聞いている生徒は少なかった。
僕もその一人で、終わったと気づいたのは、他生徒が帰りの用意をし始めたくらいだった。すでに、奏太には放課後は別件があると告げている。
さて、御影さんを探しに行くかと教室を出た瞬間、声をかけられた。
「待望。伊吹さん、今朝ぶりですね」
当の御影さんだった。
「逃げやしないのに、わざわざ待ってたのか」
「推測。場所の指定を忘れてたので、あなたが私を探すと思いまして。それならば私のほうから出向くのが早いかと」
彼女のクラスはすぐにホームルームが終わるらしく、それを見越して張っていたそうだ。
しかしこれで手間が省けた。あとはバトルする場所だけど……と悩んでいると、彼女はすでに当たりをつけていた。
先導する彼女についていき、たどり着いたのは今朝会った踊り場。
「到着。一回のバトル程度なら、邪魔されることもないでしょう」
屋上は閉鎖されている。昔は昼や放課後に駄弁る生徒でにぎわったらしいが、見る影もない。
何もないのに、わざわざ一番上の階に来る人はいないだろう。
「二年C組伊吹肇。交友関係は男女問わず広く、特にD組の相葉奏太さんと仲がいいみたいですね」
御影さんはくいっと眼鏡を上げながら、得意げに話す。
「今日でずいぶん調べ上げたみたいだね」
「無論。情報のアドバンテージは、勝利へと繋がりますから」
それは頷くところだけど、交友関係の情報は必要だったのだろうか。おそらく、調べているうちに入ってきた副産物なのだろうけど。
早速、僕たちはカードを目の前に掲げる。
「オープン!」
いつの間にか意識を失っていたのか、僕はまったく違う場所にいた。
どんよりとした灰色の空間。上も下も右も左も、どこまで続いているのかわからないほど続いている。
あたりには様々な大きさの四角い石が浮かんでおり、そのうちの一つに僕は立っていた。
離れた向こう側には御影さんがいて、同じように佇んでいる。
二人の上に浮かんでいるのはダーツの盤? いや、時計だ。巨大な針が、時刻のない黒い外周部を指している。
正面を向くと、横に長いテーブルが設置されていた。中心には、人形のように小さなサイズだが、リィンが立っている。
カードのイラストではなく、実際にいる彼女を見るのは初めてだ。
時計の針がぎぎぎと音を立てて動き、鐘の音が鳴った。
「先攻よ、肇」
リィンがこちらを向いて言う。バトル開始の合図だ。
ある程度の急展開を予想していた僕は、異様な雰囲気に呑まれることなく、なんとか目の前のことに集中することができた。何にしろ、ここではバトルするだけだろう。
「エナを貯めて、リィンをグロウ。シグニを配置して、ターンエンド」
初心者だけど、ルールはしっかり把握してる。僕は定石どおりにカードを動かした。
御影さんの実力は、噂以上だった。話題作りのためにゲーム好きを称する有名人が多い中、少なくとも彼女は本物だ。カードに書かれている効果をいちいち確認する僕と違って、流れるような動きで場を埋める。
「ナナシちゃん、攻撃」
ナナシと呼ばれた彼女のルリグが、手のひらから黒い光線を放つ。リィンが腕でガードするが、ライフクロスが削られた。
ターンが進むごとに、僕と御影さんの実力が明らかになってくる。手札やライフクロスも彼女のほうが多い。それほど差が開くゲームだと思っていなかったが考え違いだったようだ。
とはいえ、この展開は予想外ではなかった。
カードゲームは、知識以上に経験がものをいう。場の動き、自身や敵の動かし方、手を打つベストなタイミングは、その時々で全く違う。無数にある展開を読むことは不可能だ。
一つずつ失敗と成功を繰り返し、頭と手に染み込ませていくしかない。
「リィン、グロウ。アーツ発動だ」
腕を動かすと、濃緑の魔方陣が浮かび上がる。吹き出した炎がナナシを包み込むが、あっさりと払いのけられてしまう。
僕はため息をついて、今のも避けられたことを悔しがる。
「ナナシちゃん」
御影さんの命令に従って、リィンにトドメをさす。僕に残されたライフクロスはなくなり、最後の攻撃も許してしまう。
結局、盛り上がりのない展開のまま、僕は負けた。
手を開くと、五枚のコインが現れる。しかし、金のそれは二枚に減っていた。
「勝利。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる御影さん。
勝者と敗者のやり取りとか、セレクター同士の話し合いとか、そういったものを覚悟していた僕は、あっさりと去っていく彼女を呆然と見送った。