Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
あっさりと負けてしまい、僕のコインは残り二枚。これを失えば、僕の記憶は全て消え去る。そうは言われても、なんだか実感がわかない。
バトルに巻き込まれてはいるが、記憶を失うということがどれだけのものか、遠くのことのように思えて、感じるべき恐怖も湧きあがるはずの焦燥もない。
なにせ、何かを失っているはずの今でも、危険を冒してまで取り戻そうとは思わない。
何故だろう。このまま、失ったほうがいいような、そんな感覚。
『だめよ、肇。あなたはあんなふうになっちゃ駄目』
一瞬、ノイズ混じりの光景が頭に浮かんだ。
小さい男の子が誰かを呼びながら手を伸ばす。その手は初老の女性によって弾かれた。
男の子は泣いて、泣いて、ただ頷くことしかできなかった。
そんな光景が少しずつ、少しずつ消えていく。
僕が我に返ったときには、すでに御影さんの姿は見えなくなっていた。
先ほどの映像を思い出そうとしても、もやがかかったように邪魔される。
記憶だ。覚えていたはずの記憶が消えた。『始まりのルリグ』に、記憶をコインに変えられたときのような、頭から何かが抜け落ちる感覚。
けどやはり、焦燥感は沸き上がってこなかった。
恐れていたような消失感もなく、不思議と軽い足取りで家へと戻ってきた僕は、キッチンにつくなり、ぐるぐるとお玉で鍋をかき混ぜる後姿に声をかけた。
「晩御飯なに?」
「豆腐の味噌汁と焼魚。手空いてるならサラダ作ってくれない?」
「ほいよ」
急いで服を着替え、戻ってくる。
冷蔵庫の野菜室にあるのは、きゅうりとトマトとレタス。手を洗ってから、それらも洗って包丁で切っていく。
「何かあった?」
「ん?」
母はにっこりと笑って、僕の顔を指差す。
「変な顔してるから」
「いつものことだよ」
「ほら、いつもは眉間に皺よせてるのに、今日はなんだかすっきりしたみたいな顔」
「いいことじゃん。それを変な顔って、実の息子に言いますかね」
「いつもと違うってこと」
なにそれと言いつつも、僕はいい気分になった。母さんの嬉しそうな顔はなんだか久しぶりに見た気がする。
僕の顔が晴れやかなのがそんなに嬉しいのか、料理が終わって食べている間も、母さんはにこにこしている。
調子が狂いつつも悪くない気分の僕は、自室に戻っても、バトルに負けたことをまったく気にしていなかった。
「二枚……か」
ベッドに横たわり、リィンのカードを掲げて呟く。
「誰かに負ければ、そのぶん誰かは助かるんだよな」
「変なこと考えてない?」
御影さんとのバトルを終えてから、ようやく口を開いてくれた。反応がなかったから、僕の弱さに落胆したか、失望したかと思っていた。
彼女曰く、そうでなくて、バトルすると異常に消耗するらしい。放課後から夕食までずっと寝ていたそうだ。外で話しかけるわけにもいかず、帰ってきてからも鞄に入れたままだったから気づかなかった。
「母さんも言ってただろ? 記憶を失っていってる僕が、すっきりしてるって。このままのほうが、僕にとってはいいのかも」
「……」
これは奪い合いのゲームだ。コインを取られれば絶望への一歩だが、逆に勝てば希望への一歩なのだ。
けど絶望がない僕にとってマイナスはない。勝ったところでプラスにはならないだろう。
しかし、僕のことを知っているはずのリィンは納得せずに、眉間に皺を寄せる。
「コインを二枚のままにして、九十日間を終えればそれで丸く収まるんじゃないかな。五分の三失っても、生活に支障はきたしてないし」
そう、記憶が一部なくなってるとはいっても、成績が落ちたり、今までできていたことが出来なくなったりとかはない。
例えば計算のやり方だったり、必死に覚えた年号だったり。そういった『知識』はまったく失われていない。
知識と記憶の定義や境目については曖昧だけど、このままリィンの言うとおり『記憶を全て失った』としても、僕の場合は問題はないような気がする。
それを話してもまだ、リィンは表情を変えなかった。つまり、怒りと悲しみと憎しみの混じった顔だ。
「そのほうがいいのかもね」
不服な顔のまま、リィンは呟いた。
▲
次の日の僕は、いつもより身体が軽かった。
記憶を失うのは確かに怖くないわけではない。しかしどうしても取り戻して保持するべきではない。勝ちと負けは僕にとってさほど重要ではなくなった。
むしろ母さんを安心させられるなら、負けるほうがメリットがある。もっと言えば、バトルする必要もなくなったのだ。勝とうが負けようが関係なく九十日間を適当に過ごし、その後は残った記憶だけで人生を謳歌する。
セレクターバトルによる不安要素が取り除かれ、悪くない気分のまま登校していると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「伊吹くん、おはよう」
僕の前の人、穂村だった。
並んで挨拶をしてくる彼女の笑顔を見ると、こちらも元気になってくる。
「おぉ、おはよう、穂村。リルもおはよう」
「え、ええ、おはよう」
まさかルリグに挨拶するとは思わなかったのだろう、穂村の胸ポケットから覗くリルは困惑した表情を見せながらも返してきた。
「私もいるよ」
不機嫌な声色で言ったのはリィンだ。仲間はずれにされたのが気に食わなかったらしい。
胸ポケットからちらりとだけ見せて、挨拶を済まさせるとすぐに鞄に仕舞った。なにやら非難するような叫びを上げているが、聞こえない聞こえない。
「眠たそうだね」
「朝弱いんだよ、僕は」
小さくあくびをして、目を揉む。昨日はぐっすりと寝られたはずだが、それはそれ、やはり朝になると何時間でも寝ていたくなる。
特に今は寝ているのにちょうどいい気温だ。この後に控えている授業だって、起きていられる自信はない。
「……あのね……」
「へーい、肇ー!」
どすん、と背中に衝撃が走った。おはよう代わりに、同じクラスの男子が僕の背中を押したのだ。
幸いこけることなく体勢を戻した僕は、お返しにチョップを繰り出した。
「伊吹くんおっはー」
「おはよー」
それほど力を入れてなかったのに、やたらと痛いふりをする男子。
その後ろからは、同じクラスの男女が四人ほど寄ってくる。男どもは僕に、女たちは穂村にそれぞれ肩を回した。
「んん? 仲良く一緒に登校しちゃってさぁ」
「朝から見せつけてくれちゃって」
「穂村さん、伊吹くんのどこが気に入ったの? あ、伊吹くんのほうから話しかけたんだっけ?」
「そっかー、伊吹のほうから惚れたのかー」
ねっとりとした波状攻撃に、穂村はおろおろと助けを求めるように僕を見た。
「え、えーと……」
「こいつらの話にまともに返す必要ないよ、穂村」
肩に乗った手を払いのけ、しっしと手を振る。
「ひどーい。お熱い二人の馴れ初めを聞きたいだけなのにー」
「僕たちはそんなんじゃないよ」
「そんなんってどんなのかなぁ?」
「怪しいなぁ」
五人の矛先が、一気に僕へ向かってきた。ばんばんと肩や背中を叩いたり、頬をつついてくる。
「ええい、絡み方だけは一級品だな!」
「あっははー、怒った怒った!」
「穂村さーん、また休み時間に詳しく聞かせてねー」
笑いながら手を振って去っていく五人を、ため息をつきながら見送る。
悪い奴らではないんだが、すぐ色恋沙汰に持っていきたがるのは、高校生の性だろうか。
「まったく……ごめんな、穂村」
「ううん。伊吹くんって、友達多いんだね」
突然現れた嵐を受けた穂村は、きょとんとした顔のまま言った。
「奏太がいろんな奴を誘っていろんな遊びしてるうちに、僕のほうにもいろんなのが寄ってくるようになったんだ」
サッカー、草野球、カラオケ、ゲームセンター、ボウリング、ボードゲーム……インドア、アウトドア構わず、赴くままに遊んだ結果だ。
隣のクラスも、その隣のクラスにも知り合いがいる。
「高校生になってからの友達も多いけど、奏太……隣のクラスの相葉奏太は小学校のときからずっと一緒なんだ。親友だよ」
「親友……」
穂村はぼそりと呟いた。
「私もね、親友がいるの」
遠い目をする穂村は、嬉しそうに昔を語った。
「ちーちゃん、
小さいころ。そういえば、転校してきたときの自己紹介で、小学生の低学年までここらへんにいたと言っていた。
親友同士が離れ離れになる。幼心に、いや幼いからこそ寂しい別れだったのだろう。
「ほら、これ友達の証」
穂村は鞄につけられた可愛くデフォルメされた顔だけの小さな人形を指差した。
にっこり笑顔のそれをまじまじと見ると、一つ気が付いたことがあった。
「これって……」
「うん、リルだよ」
ヒントは髪が赤いだけだったが、予想通りの答えだった。
「ちーちゃんも似たのを持ってて、そっちはメルっていうんだけど」
ストラップをちょんとつつく穂村。懐かしむようなその優しい目から、彼女の輝いていた過去が透けて見えるようだった。
「その森川って子、今もこの街に?」
「わかんない。会おうとしたけど、前に住んでたところから引っ越したみたいで、いなかったの」
ぎゅっと胸の前で手を握る。しまった、この話題を続けるのはまずかったか。
「送りあってた手紙もね、いつからか送られなくなったし、届かないようになってた」
手と声が震えている。
大切な人がいなくなってしまう。それは、まるで身体の一部がなくなってしまったみたいに、多大な喪失感を与えてくる。
穂村の場合は、目の前でいなくなったわけではなく、何かを言われたわけでもないのに消えられてしまった。
誰かに聞いて欲しかったことなのか。
積もった感情の澱を吐き出してしまって、少しでも楽になれるなら、僕はいくらでも聞き手に徹する。
「ちーちゃん、私のこと忘れちゃったのかな」
「人との繋がりってのはわりと強くてな。そうそう忘れたりしないさ。そいつ、きっと穂村のこと覚えてるよ。忙しくなって送れないとかそんなんさ」
そんなこと思ってもないくせに、よくもすらすらと言えたものだ。僕の心がちょっとだけざわつく。
僕が彼女と同じ境遇になったなら、嫌われたか飽きられたかと思って、かつての親友を探すことなんてしないだろう。
信じる。その強さを持てない僕自身が嫌になる。
「ありがとう」
僕が言えたことじゃない言葉に救われたようで、穂村は笑った。
その笑顔を眩しく感じて、思わず目をそらす。
昨日までは肌寒かったのに、今日はなんだか暖かかった。
▲
放課後になっても奏太がこちらに来ないということは、あちらのほうが長引いているか、もしくはクラスメイトに捕まったか。
たまにはこちらから迎えに行こうかと廊下に出た瞬間、見知った顔が目の前にいた。
「うおっ」
思わず後ずさる。御影はんなだ。
「なんだ。まだ何か用があるのか」
「否定。あなたではなく、穂村すず子さんを待っています」
「穂村?」
ちらりと教室の中を見る。穂村はちょいちょい女子に絡まれているが、やんわりと避けている。ウィクロスに誘われているようだ。
セレクターでなければ、コインの奪い合いは起きない。それでもバトルをすることに対して恐怖心があるのだろう。
しかし、なぜ御影さんは穂村のことも知ってるんだろう。
「回避。今日バトルを申し込みましたが、かわされてしまいました」
思ってることを見透かされたように、御影さんが言う。
昨日の今日で穂村のこともセレクターだとわかったのは偶然だそうだ。穂村がルリグに話しかけているところを、御影さんが見つけたらしい。
「避けられてもバトルしたいってのか」
「私には、取り返したい記憶がありますから」
「ふぅん、ま、頑張ってくれ」
他人事のように言ってのける。
実際他人事だ。記憶を取り返したいなんて気持ち、僕にはわからない。
記憶は消されるといっても、消滅するわけではなくて、バラバラにされるという意味らしい。昨日から今まで何度かフラッシュバックを起こした。
泣いている男の子と、諭す女性。あれはかつての僕と母さんだろう。あれだけ僕が泣いていた理由は気になるが、わざわざ苦い記憶を掘り起こすこともない。
それが消えたことで僕がいい顔になるなら、母さんが元気になるならむしろ万々歳だ。
「おっ、肇」
奏太だ。男女数人を引き連れてやってきた。
ウィクロスは好評のようで、始めたことを言いふらしたら快くバトルに誘われたらしい。
御影さんに別れを告げると、彼女は袖を振ってもとの体勢に戻った。穂村が出てくるまで待つつもりらしい。
呼んでもよかったけど、バトルの準備ができていない穂村を戦いの渦中に放り込むのもいささか気が引ける。
顔見知りから初見の生徒まで、バラエティ豊かな雰囲気の一行に連れられて、僕もカードショップへ向かった。
▲
僕たちが初めてデッキを買ったそこは相変わらず繁盛していて、他の学校の制服を纏った男女が仲睦まじくバトルに興じていた。
テーブルが埋まっていたので、適当に混ぜてもらうことにした。一つのバトルが終われば、別の人とバトルを繰り返す。
繁盛結構。対戦相手には困らない。カードゲームにおいて必要なのは知識と経験。バトルという経験を通して、実際にカードを使い使われ、文章だけじゃ伝わりづらい強さを実感して、初めて知識となるのだ。
ある程度戦略も整えられてきた僕も、勝率は悪くなくなってきた。といっても、ここぞというときに攻めの手が詰まることがある。ほとんどスターターデッキそのままじゃ、無理もない。
「あー、またやられた」
奏太が机に突っ伏す。
赤色のデッキは攻撃的なぶん、考えなしにスペルやアーツを発動すればエナの消費も多い。シンプルゆえに奥深いデッキなのだ。
どんなことでもそうだ。単純なほど入り組んでて、複雑なほどいったん理解すれば扱うのは容易い。
「ちょっといいかしら」
他校の生徒とバトルに勝ったあと、一人の少女に話しかけられた。
「あなた、セレクターよね」
こっそりと耳打ちでそう言われる。
ばっと振り返ってまじまじと見ると、彼女も高校生だった。しかし纏う雰囲気はただものじゃない。バトルしていたときの御影さんに感じたような、堂々とした佇まい。
彼女の言葉と気配で、質問せずともセレクターだとわかる。
僕が頷くと、彼女は早速カードを取り出した。
「早速、私としない?」
盛り上がっている周りは、僕が抜けたところで気づかない。
誰かに告げるでもなく、彼女に頷いた。
連れられるままに着いたのは、カードショップと隣のビルの間。陽は差さず、道行く人からは見えづらい。見えたとしても、何か話してるくらいにしか思われないだろう。
バトルをしている間、周りにどう見られているかはわからないが、ここなら咎められることはない。
「伊吹肇だ」
「
名乗っておきながら、返されたことに驚いた。
御影のように、バトルをしてしまえばそれで終わりなのだから関係なしとばかりに仕掛けてくると思った。
紺色の制服だけには見覚えがあった。うちの学校からそう遠くない高校だ。前にカードを買いに来たときも、同じのを見た。
整った顔をしていつつも地味な印象があるのは、きっちりと制服を着ているからだろう。色気を振りまく気のないスカート丈は、昨今の女子高生にしては珍しいと思う。
真面目というよりも、そんなことに興味はないといったストイックさが垣間見える。
「あのカードショップには偶然来た? それとも常連なのかな。あるいはセレクターが集まるとか」
「始めましょう」
無駄話が嫌いか、それとも記憶を取り戻したいのか、水嶋さんは僕を急かしてきた。
ポケットからすっとカードを取り出す。それを受けて、僕もリィンのカードを胸ポケットから抜き出した。
「オープン」
わずかに聞こえていた風の音や道行く人の足音が、一瞬にして消え去る。
またしても灰色の空間だ。湿度や温度が感じられない、空虚な世界。二度目にしても、慣れることはなかった。
顔をしかめる僕とは違って、対面の水嶋さんは動じることなくまっすぐこちらを見る。
そのルリグは、水嶋さんとは違って爛漫な雰囲気を感じた。薄い青色の髪と衣装が華やか。右側に束ねたサイドテールを揺らして、にこりと笑う姿は少し幼く見える。いや、水嶋さんの廃れた態度が大人に見えるだけか。
何故、と思う。何故こうも、ルリグはセレクターとは全く違う印象を与えてくるのか。
分身だというなら、そっくりなほうが自然だろう。あるいは、ルリグとはセレクターの憧れや二面性が表面化したものなのだろうか。
あるいは……
穂村のルリグ、リルを思い出した。芯の強い目、凛とした雰囲気。それは穂村から聞いた、森川千夏という少女の印象と被った。
ルリグとは、記憶にある誰か、もしくは何かを
「肇……肇!」
必死に呼ぶリィンの声で、僕は思考の渦から抜けた。
「どうした?」
「どうした、じゃないわ。あなたのターンよ」
いつの間にか、宙に浮かぶ時計の針は黒を指している。
相手のターンだからといって、自分ができないことはないわけではない。防御のためにも、相手の一挙手一投足は見逃さずにおくのが鉄則だ。
幸いなのは、先攻が水嶋さんだったことだ。一ターン目は大した展開もできず、先攻は攻撃ができない。その証拠に、彼女の場にはグロウしたルリグと一体のシグニのみ。
僕は浅く息を吐いて、バトルに集中する。
青色デッキの特徴は手札の操作。相手の手札を捨てさせ、自分の手札を潤す。なら、温存は避ける。
そんな考えが甘いと知らされたのは、三回目の彼女のターンが回ってきた時だ。
「『ピーピング・アナライズ』」
水嶋さんがアーツを発動する。僕の手札から、レベル3のシグニがすべてトラッシュに送られた。
次のターンに僕が出すためのカードがなくなってしまった。
ため息をつきながらも、焦りはなかった。
僕が負ければ、誰かが助かる。僕は大したことのない記憶を捨てて、彼女は手放したくないものを手にする。
次の水嶋さんのターン、どこからともなく一枚のカードが現れる。真ん中にコインが描かれたものだ。
そういえば、と僕は思った。彼女の後ろには、それと同じものが四枚浮かんでいた。そのうち、コイン部分が描かれているのは一枚、穴が空いたように黒いのは三枚。水嶋さんが手にしているのと合わせて合計五枚。
コインは実際いま持っているものと同じだ。そしてそのコインは、ルリグの能力を発揮するためのコストになる。
「コインベット」
「『ピーピング』」
彼女のルリグ、ピルルクの目が光る。同時、僕の手札からレベル4のシグニが捨てられた。
先に述べたように、青色デッキの戦術は手札で勝つこと。自分の手札を潤し、相手の手札を捨て去る。反撃しようとしても、打つ手すら奪い去られるのだ。
コイン技までピーピングとは、なかなかにいやらしい。
「記憶消去の願望。生の理由への執着。死場所の渇望」
「は?」
突然、ピルルクが変なことを言い出した。
「あなた、過去を消したいのね」
同じく、水嶋さんも口を開く。
「今の存在ごと、自分を消して作り変えたい。けど同時に、今のまま生きたいという矛盾した願い」
ぞくり、と悪寒が走った。
今のコイン技、手札を捨てさせるだけじゃなくて、心を読む能力まであるのか。
誰にも言ったことのない、ずっと隠してきたことを言い当てられて、鼓動が早まる。
まだ残っている記憶が、がんがんと頭を叩いてくる。彼女の言ったとおりの矛盾が、頭と心をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
吐き気がこみあげてきて、テーブルに手をつく。喉を抑えて、息と思考を遮断する。
バトルしてる場合じゃない。クソみたいなことを言われて、思い出させられて、考えるのも嫌だ。
「シグニを全てリムーブ……」
攻撃と壁の両役であるシグニを取り除く。これで、僕の場はがら空きとなった。
「肇……っ」
リィンが僕を睨みつける。
所詮は決着のついた戦いだ。どうみても僕の打つ手はない。水嶋さんのアーツとコイン技はかっちりとはまった。
水嶋さんは、落胆ではなく失望でもなく、ただ僕が諦めたという現実を受け止めただけの、なんでもない顔をした。
「……アタック」
バトルが始まる前より、空は少し暗くなっていた。
ビルが作る影は水嶋さんの表情を隠し、ますます彼女のミステリアスさに拍車をかける。
わかるのは、彼女が勝利に喜んではいないということだけだ。
「わざと負けたわね」
「どうせ僕の負けは見えてたし、僕が勝とうが負けようが辿りつくところは同じさ」
水嶋さんは一歩僕に近づく。
「同じではないわ。負ければ、あなたが失うのは記憶だけじゃない」
唐突な話に、僕は困惑した。
観察しても一介の高校生に過ぎない僕には、彼女が嘘をついているかどうかなんてわからない。
まして、彼女は人形のように表情を動かさないのだ。
「失うのはあなたそのもの。人格がルリグに乗っ取られてしまう」
「人格が……?」
「あなたは消えて、その先を生きるのはあなたの姿をしたルリグ」
水嶋さんはまっすぐ僕を見る。その目には、真実か嘘かはともかく、説得力はあった。
「乗っ取られる……本当なのか、リィン」
僕の分身で、相棒であるはずのルリグは、しかし答えなかった。いや、その沈黙が答えだ。
真実を突きつけられ、思いっきりため息をつく。
僕の過去である記憶が消え、僕の現在を作ってる人格が消えたら……それは僕といえるのだろうか。
たぶん、友人たちは疑問を持ちつつも今と同じように接してくるだろう。それが、『本当の伊吹肇ではない』と知らずに。
僕を形作るものが消え、この世には『伊吹肇』は存在しても『僕』はいなくなることになる。
違う。僕は死にたかったわけじゃない。無になるんじゃなくて、ゼロにしてやり直したかっただけだ。
「消えたくなかったら、勝つことね」
言い捨てると、水嶋さんは去っていった。ただ一人、呆然と立ち尽くす僕を置いて。