Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
墓地というのは、僕にはまだ縁遠いものだと思っていた。実際、僕がお世話になるのは遠い先のことだろう。
それなのに僕がここにいるのは、とある用件で僕に呼び出された清衣が「その前に寄るところがある」とここへ連れてきたからだ。
『坂口家ノ墓』と書かれた墓の前で、その清衣が手を合わせて目を伏せてから、もうすぐで二十分が経とうとしていた。
僕はそれを遠目に見ながら待つ。
時折歪み、悲しみ、そして微笑む清衣の顔を見れば、「もうそろそろ行こう」なんて無粋なことは言えなかった。
「お待たせ」
やっと顔を上げて深く息を吐いた後、清衣がやってくる。その目は少しだけ腫れているが、表情はすっきりしていた。
「もういいのか?」
「ええ、良い報告ができたわ。ごめんなさい、付き合ってもらって」
「いや、急に呼んだのは僕のほうだし」
かつて交通事故に巻き込まれ、その後命を落としてしまった坂口という少女の墓参り。
清衣が言うには、その人はアミカと同じくらい大切な友人だったらしい。
詳しくは聞いていないけれど、『報告』というからにはセレクターバトルに巻き込まれた人物なのだろうか。
今までの話を総合すれば、なんとなく予想はつくけれど。
「こうして話すのは久しぶりね。セレクターバトルが終わってからは、月に一度くらいしか会えないし。アミカも寂しがってたわ」
「寂しいって……他の人たちとはちょくちょく遊んでるんだろ?」
「ええ、その人たちから『英雄』なんて呼ばれるのは、むず痒いけど」
「女性に英雄ってのは、正しいのかな……でもま、わかりやすい。それに君はまだいいよ。僕なんて『救済者』だ。大げさすぎ」
最初のセレクターバトルを終わらせたるう子は『伝説』、三回ものセレクターバトルを戦い抜いた清衣は『英雄』、全てを終わらせて白窓の部屋を潰した僕は『救済者』。
真実を知る者には敬意をこめてそう呼ばれ、そうでないウィクロスプレイヤーの中では都市伝説として扱われている。
まさか生きている人間が、しかも自分がまことしやかに噂される存在になるとは思わなかった。
「それだけのことをしたのよ。もっと胸を張ればいいのに」
「君が堂々と『英雄』を名乗るなら、考えるよ」
「そんな、私がしたのは……」
「それだけのことをした。そうだろ?」
彼女がどれだけ否定しようともそう呼ばれることに変わりはない。
みんなが認めてくれているように、僕たちはその二つ名にふさわしい働きをした……のだと思う。
あれだけ苦しい思いをしたんだ。少しくらいは自分のことを認めてもいいだろう?
墓参りを終えた僕らは、とあるカードショップの前まで来た。
僕としてはこちらがメインの用件だ。
「あ、えっと、肇さん……」
店の前であっちこっちを見ていた少女が、僕を見るなり駆け寄ってくる。
彼女はかえで。レイラに身体を取られていた元セレクター。
今ではもちろん元の人格に戻っており、凶暴さは見る影もない。
「来てくれてありがとう。警戒されて来ないかと」
「い、いえ、肇さんは恩人ですし」
「なら、その恩人の顔に免じて、会ってほしい人がいるんだ」
手招きして、ショップの中へと案内する。
そこは僕らの中ではなかばたまり場ともなっている、顔見知りのいる店だ。
今日はなかなか賑わっていて、カウンター周りには男女が混じってショーケースを眺めたり、ストレージ漁りをしていた。
「遊月」
店員用のエプロンを着けた知り合いに声をかける。遊月は広げようとしていたポスターをいったん段ボール箱の中に戻し、ぱっとこちらへ来た。
「や、こんにちは」
「こんにちは」
「もう来てる?」
「来てる来てる。そっちのテーブル」
「悪いね。場所取っちゃって」
「いいっていいって。あたしだってサプライズ受けて感動した身だからさ」
遊月が指差したテーブルには少女が二人。少し乱れた金髪とすらりと整った黒髪。カードゲームに興じるでもなく、ただ座っていた。
「あ、あの……」
何の話かわからず、困惑したかえでが口を開こうとしたとき……
「清衣!」
座っていたうちの一人、黒髪の方がこちらへ声をかけた。
「アミカ……いえ、あなたは……」
「久しぶりだね、清衣」
アミカにそっくりの少女……ピルルクは清衣に抱き着くなり顔を擦り付ける。
混乱したレア表情の清衣は、わけもわからないまま視線をこちらに動かす。
「どうして?」
「大変だったよ。二人とも意外と姿を現さなくてさ」
「そ、そうじゃなくて……」
ようやっとピルルクを引きはがした清衣が、彼女と僕を交互に見る。
「なんで、彼女がここに?」
清衣の問いは、つまりなぜピルルクが人間となって目の前に現れたのか、だ。
「みんなが望んだから」
予想していた疑問に、僕は即答する。
「セレクターとルリグ、みんなが……そしてなにより、僕が望んだから」
理由なら、それだけで十分だ。
どうせ始まりから終わりまで超自然的な出来事だったんだ。ごちゃごちゃした説明はいらない。
「肇さん、いろんな人にすっごい聞きまくって、毎日探してたんだよ」
「ピルルクのほうは、最初会うのを躊躇ってたけどね。まだ会う時じゃないって言って。じゃあいつ会うんだよって引っ張ってきた」
セレクターの人格は元に戻った。ならルリグはどうなったのか。
それは見て分かる通り、新しくこの世界で生きる人間として生を与えられることになった。
今まで何組か、セレクターとルリグを再会させてきたが、サプライズ感を出すために、他には黙っておくようにしていた。
意地の悪いサプライズだけど、まあそれは許してほしい。
「かえで」
「レイラ……」
「その、悪かったよ。あんたを煽って、滅茶苦茶言ってさ。身体も乗っ取ったし、その間学校にも行ってなかったし、ずっとそれでいいって思ってたし……」
もう一人、金髪の少女。レイラの言葉は尻すぼみになる。その様子は、彼女がバトルしている姿を知っている者には衝撃的だ。
だからこそこれは本当にレイラが思っていることだろうとわかる。それはかえでもわかっているようだった。
「私ね、強くなりたかったんだ。弱い自分が嫌いで嫌いで、変わりたかった」
かえでがそう望んだ結果、生まれたのがレイラだ。
孤高で強く、したいことをして、言いたいことを言う、はちゃめちゃな女。
自分勝手で自分本位ではあるが、それこそがかえでに足りなかったもの。極端ではあるが、かえでが望む理想の姿なのだろう。
その理想像もまた、他人や新しい世界というものを知って変わっていっている。
「あれからちゃんと言いたいこと言えるようになったよ。いじめられることもなくなったんだよ。レイラにも酷いことされたけど、でも私が強くなれたのはレイラのおかげ」
一歩下がろうとするレイラの腕を掴んで、かえでは近づく。一歩、また一歩。
二人の距離は縮まって、ついには……
「ありがとう、レイラ」
ふわりと躊躇いなく、かえでがレイラに抱き着く。それは彼女の感謝のしるしであると同時に、赦しの証拠でもあった。
人間が人間らしくなるたび、強くなって弱くなっていく。
彼女たちはたぶん、人間として生きていくには強すぎて弱すぎたのだろう。
補うために、お互いにとってお互いが必要だった。だからこそ、かえでは赦した。
「肇」
レイラは、いきなりのことに驚き宙ぶらりんだった腕をゆっくりとかえでの背中に回す。
「生きる目的だとか理由だとか、まだわかんないけどさ」
レイラはかえでを愛おしそうにぎゅっと抱きしめたまま、顔を振り向かせる。
その顔は、白窓の部屋から現実へ飛び越えることを決めた顔とそっくりだった。
「生きたいって思えてきたよ」
△
セレクターバトルの終結から半年が経った。
肌寒い季節はとっくに過ぎ、今はもう半袖が推奨される気温に落ち着いていた。
三年生に進級して、僕は大きく変わった。自覚できるほど僕の心情は変化して、周りとの関係も変わっていく。
変化したのは僕だけじゃない。
記憶を奪われたり、人格が変わってしまったセレクターは元通りになった。少なくとも僕の周りと、僕が探し出した限りは。
その一方で解決していないこともある。
願望や記憶、存在。バトルの過程では他にもっと多くのものが動いていて、金だったり時間だったり……命は戻ってこない。
そのせいで絶望に伏している者もいるだろう。
多くのものが失われて、それでも世界は回っている。いやらしいほど残酷に。
僕は扉を開ける。
何度も来たあの喫茶店だ。ここでいろんなセレクターが里見と契約し、その身を乗っ取られ、あるいは記憶をなくし、あるいは無事にバトルを抜けた。
多くのセレクターにとって、ここはもしかしたら救済の場だったのかもしれない。
訳が分からなくなっているプレイヤーにバトルの機会を与える。動機が悪意に塗れていたとしても、幾人かのセレクターは助けられたはずだ。
そう割り切れるのはバトルが終わったからか、知ってる人間がほとんど元通りになったからか、僕が救われた面もあるからか。
いつも里見が座っていた席を見る。
そこには面白くなさげにコーヒーをスプーンでかき混ぜるスーツの女性がいた。
僕はその正面に座る。女性は僕のほうを向かず、しかし相席に文句は言わない。
カップのコーヒーから湯気は立っていなかった。
「馬鹿にしにきたの?」
ふてくされた表情のまま、彼女は言う。
長い髪はあまり綺麗に手入れされていないみたいで、キツめの目元は見えるか見えないかくらい。それでも整った顔であることは感じられる。
「それもいいけど、今日は違うよ、カーニバル」
覇気がなくなっているものの、僕は彼女がカーニバルだとすぐに気づいた。
セレクターバトルがなくなって、彼女は好きなように人間を操ることも傷つけることもできなくなった。物理法則だったり法だったり、この世そのものや人間が作り出したルールに縛られている。それがたまらなく退屈で嫌なのだろう。
レイラと同じだ。ルリグとして生まれたから、ルリグとして好きに生きる。それがなくなれば、生きる価値も目的もないと勝手に決めつけているのだ。
そんな彼女を放っておく気はなかった。
「君を誘いに来た」
「誘う?」
眉をひそめて、僕を阿呆を見る目で見つめてくる。
「こんどウィクロスの大会をやるんだ。店を貸し切って身内でね」
「あれだけの目に遭って、まだウィクロスをやるっての?」
「ウィクロス自体は悪くない。あの部屋を作り出したのは、あくまで人の感情だ」
というのはあくまで僕の推測で、結局は正解かどうか知ることはできなかった。
まあ、否定する人はいなかったし、それにあの部屋の最後の所有者は僕だ。そういうことにしておいていいだろう。
なんにせよ、ウィクロスそのものに善や悪の力がないことはカーニバルも反論のしようがない。
「感情を一人で溜めこまないように、こうやって定期的に集まって発散してるんだ。人数を増やしながらね」
「弱者の傷の舐め合いってわけ」
「舐めて良くなるなら、それでもいいんじゃないか」
はっ、と嘲笑したカーニバルは、これまた馬鹿にするように僕を指さす。
「さすが、夢限を倒した救済者様だね。その優しさでみんなを救おうってか」
わかりやすく馬鹿にしてくる。
ひとしきり言葉を吐き出した彼女は、肘をついた手に顎を乗せて、そっぽを向く。
「断る。私はあんたたちとは違う。過去に怯えて前を向けないあんたたちとはね。それに……」
彼女は口をつぐんで、一瞬だけちらりとこちらを見た。
言おうとしたことを、僕はなんとなく察した。
『あれだけのことをした私がいまさら許されるわけない』
カーニバルの策略によって人生がめちゃくちゃになった者や、存在が消えてしまった者はたくさんいる。
彼女自身がセレクターを手にかけたこともあるだろう。
それは紛れもない真実で、僕が手を伸ばせないところでもある。
超常現象を可能にする白窓の部屋、その所有者となっても叶えられないものはある。全てがチャラとはいかないのだ。
目の前の女性は罪を犯した。罰せられる必要のある人間なのかもしれない。だけど……
「僕は君を許す」
僕は彼女に心身ともにスタボロに傷つけられた。それに関して恨むこともある。
だけれども、それがなければ母さんやみんなの素直な気持ちを聞くことはなかったろうし、受け止めることもできなかっただろう。こうやって自分と向き合って許すこともできなかった。
暴力を肯定するわけではないが、必要であったことは確かだ。
結果としてひどく傷ついてしまったが、それ以上に彼女は僕の助けとなった。そういった面では感謝すらしている。
「君を許すよ」
どんな時にも見せなかったカーニバルのきょとんとした顔を初めて見た。
「僕たちは傷つけ合いすぎた。今は傷を癒す必要がある。前を向くのはもうちょっと先でもいいんじゃないか」
彼女の言う、過去に怯えて前を向けない弱者。強がってはいるが、僕にとっては、カーニバルのほうこそそう見える。
許しを欲しながらも、他人を怖がって遠ざかろうとする弱者。
放っておけないのは、その姿に昔の僕が重なってしまうから、というのもある。
僕は事前に仕込んでいた小さな紙をポケットから取り出し、彼女の前に置いた。
「大会の日時と場所、あと僕の連絡先。みんなから一発殴られるくらいは覚悟しておいたほうがいいかも」
「まだ行くとは言ってないよ」
そう言いながら、カーニバルは懐から出した高級そうな薄い長財布にそれをしまった。
僕はそれを見て思わず苦笑する。
「なにさ」
「いや別に」
眉をひそめる彼女に笑いをこらえきれず、背中を向ける。
今はもう話すことはない。僕はそのまま出口に向かった。
扉に手をかけ開く。外に出る前にカーニバルをちらりと見た。
明るい照明に照らされた彼女は悩むように額のしわを深める。しかし不機嫌ではなかったように見えた。
△
クーラーの効いていた室内とは違って、屋外は光が容赦なく降り注ぎ、熱気が遠くの景色を歪ませる。
本格的な夏まではまだあるものの、セミはもう鳴いている。
「ごめん、待たせた」
店の前で待っていたすず子へ声をかける。
どこかで涼んでいてくれと頼んだが、ずっと待っていてくれていたみたいだ。
「ううん、いいよ……どうだった?」
「さあ、当日のお楽しみってところかな」
とは言いつつ、半ば確信めいたものを心の中に持っていた。
いつになるかはわからないが、カーニバルは僕の目の前にまた現れるだろう。
手は伸ばした。あとは彼女が掴むだけだ。
「今度の大会、ちーちゃんもはんなちゃんも参加するって」
「僕の知ってる限りにも声をかけたよ。るう子に遊月、一衣に……当日は大所帯だな」
カードショップに頼んで、貸し切り状態にしてもらったおかげで大人数でも入りきる。遊月が店員だったのが大きい。
「いまどれくらい集まってるの?」
「参加って返してくれたのは……二十くらいかな」
「に、二十!?」
すず子が驚くのも無理はない。僕だっていま頭に浮かべてびっくりしたくらいだ。
その中にはまだ僕が見たことのない人や、かつてルリグに人格をとられた人、いまではすっかり人気者になったモデルだっている。
「知り合いのセレクターや元ルリグも呼んでくれって言ったら、こんなに集まってくれたよ。僕もいろいろと探したしね。まだ増えると思うよ」
「へえ、楽しみだね」
これだけの人が集まったのは初めてだ。
最初、僕が話をもちかけた時には、この半分もいかないくらいしかいなかった。それからいろんな手段を使って元セレクターや元ルリグを探して、集めた。
思い返してみると、この半年の忙しさったらない。よく頑張ったと自分で褒められるほど、手を尽くしてきた。
けど、まだやり残したことがある。
「すず子」
歩みを進めたまま、僕は口を開く。
「君に伝えたかったことがあるんだ。ずっと前から」
すず子は頷く。
「聞くよ」
「それを言うためには、まず僕が君にしたこととその意味を言わないと」
「うん、聞くよ」
「それで、君が抱いてる僕の印象が変わるだろうし、印象が変わったことで答えが変わるかもしれないから、だから……」
「肇くん」
すず子は一度、僕を遮った。
その声には覚悟と、そしてなにより優しさが込められている。
「ちゃんと最後まで聞く。だから教えて、肇くんのこと」
ああ、そうだ。すず子はずっとこういう人だった。僕を信じて、僕の言葉を待っていてくれていた。
ずっとずっとずっと。
それこそ、セレクターバトルの最中も、記憶を失っている時でさえ。
僕はそれに応えるために、もう一度口を開く。
人生の先にはいくらでも理不尽なことが待っているだろう。一人では解決できないこともたくさんある。
そんなときに人を頼るのは悪いことじゃない。
それでどんどん弱くなっていったとしても、僕は構わない。僕にはこんなにも大切に思ってくれる人たちがいるから。その人たちを守れる力さえあればそれでいい。
僕はすず子の手を取る。彼女も握り返してくる。
この関係は、僕たちが苦しんで、傷ついて、それでも逃げずに選んだ結果だ。
もうあんな経験はごめんだけど、それ以外なら喜んで立ち向かおう。
戦い続け、手を繋ぎ続け、ともに歩んでいく。
それがどんなに険しい道でも、この一瞬の閃光を永遠に続けさせるために……
これからも僕たちは選び続ける。