Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
ぱしゃり、と水を顔に叩きつける。困惑が頭の半分以上を占めていた。
負ければ人格を失う。昨日戦ったセレクター、水嶋清衣から明かされたバトルのペナルティは、一種の死を示している。
あんなことを聞かされながらも、
洗面所の鏡に映る自分の顔は、焦燥と冷静が入り混じった、複雑な表情を浮かべていた。
ぽたり、ぽたりと顔から水滴が落ちる。いつも通りの表情を作れるようにして、ようやくタオルで拭いた。
そこで昨日剥がすのを忘れていた、首に貼ってある大きめの絆創膏が気になって、それをゆっくり剥がす。
歪に抉られた傷が現れる。乱暴に傷つけられたような痕が、ぱっくりと口を開けていた。
ぎょっと驚いたが、すぐに落ち着く。どこかで誰かにやられたのだろうか。血が出ているわけじゃない。昔につけられた傷のようだ。
記憶が失われているせいで、それがいつ、誰のせいで、どのようにしてついた傷かは思い出せない。
グロテスクゆえ目の毒だから、もしくは問われるのを避けるためか、どちらにせよ見られたくないものだ。絆創膏で隠していたのはそのせいだろう。
ここは、過去の僕に倣って、同じく隠すこととする。
自室を漁ると、机の中にも鞄の中にも、剥がしたのと同じものがたくさんあった。
新しい絆創膏をぺたりと貼り付けて、鞄を持ち上げた。
▲
僕は放課後に穂村を呼び出した。カードをちらつかせながら、大切な用事があると伝えると、彼女はすぐについてきた。
御影さんも必要と思って一年生のクラスに行くと、彼女はなにやら頭を抱えていた。
僕の後ろから、おずおずと穂村がついてくる。他クラスでも緊張するのに、学年も違うとなればさらに緊張するらしい。
僕は特にそういうのは気にしないから、ずんずんと進んで、目的の人物の前に立つ。
「御影さん?」
「雑音。私はいま考え事をしています。用なら後で」
必死にノートに何かを書き込んでいた姿勢のまま、彼女はきつい言葉を浴びせてくる。前に立っているのが僕だということも気づいていないだろう。インパクトを出すために、彼女に倣って、まず重要な部分から話すことにした。
「コインを失った場合、どうなるか」
御影さんは、ようやくはっと頭を上げた。
ちらりとノートを見ると、僕と同じことで悩んでいたみたいだ。なら好都合。
「外で話そう」
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昼食時には賑わう中庭も、放課後にはほとんど人がいない。わざわざここでぼうっとするほど、高校生は暇じゃない。
それは、僕たちには幸いだった。聞かれるわけにはいかない会話をするのに、ここは最適だった。
どこからか聞こえてくる吹奏楽の音が小さいBGMとなって、寂しい空気を和らげる。
昨日、水嶋さんから聞いた話をすると、各々眉をひそめながらも驚きはしなかった。
「私も、昨日戦ったセレクターの人から同じこと聞いた……」
「不確定。ですが、私もこの間戦った相手が豹変したのを見ました。あの佇まいは、その方のルリグに非常に似ていました」
「参ったな……」
水嶋さんの嘘だったらそれでよかったのだが、三人がそれぞれ別の人間から見聞きしたとなると、一気に信憑性が高まる。
リィンによると、残り一枚となったコインが消えるまでせいぜい数日。逼迫してきた事態を自覚して、汗がにじんできた。
「警告。すぐにバトルをすることをおすすめします」
「だけど、セレクターに会える確率だって高いわけじゃない。このコインが消えるのだって時間の問題だ」
「あ、だったら私と……」
「君と僕とでコインのやり取りをしたら、今度は君が危険になるだろう」
穂村はセレクターバトルをコイン一枚でスタートした。それが今や、バトルに二回勝って三枚。気持ちは嬉しいが、せっかく手に入れたコインを僕のために使うのはよろしくない。
僕にコインを渡せば、穂村は危険領域に入る。コインベットして負ければ、一気にゼロ枚になるのだから。
「それに、そういったことにはペナルティが課せられますのよ」
ふふふ、と笑いながら言ったのは、御影さんのルリグであるナナシだった。
「ペナルティ?」
「一回の取引のためにわざと負けるのは咎められないけど、何回も繰り返そうとすると罰が下る」
「それがどんなのか、私たちも知らないけどね」
リルとリィンが続ける。これまで押し黙っていたのに、ずいぶんと饒舌になったものだ。
言いたいことと言いたくないこと、言うべきこととそうでないこと、言えることと言えないこと。
ルリグにも感情はあり、ルールがある。嫌味の一つでも言ってやりたかったが、縛られている状態の彼女たちに言っても仕方ない。
「というわけだ。結局、セレクターを探してバトルするしかない。あるいは何かしらの抜け道を探すか」
「同意。それで、私たちも情報を得るためにブックメーカーを探してます」
「ブックメーカー?」
「はい。セレクター同士のバトルをブッキングする人物です。あくまで私たちはセレクターバトルのことについてだけ聞くつもりですが。すず子さん、あれを」
「うん」
御影さんに促され、穂村が鞄から一冊のノートを取り出した。
それを受け取って、ぱらぱらと中をめくる。彼女が言ったブックメーカーなる存在のことが事細かに書かれていた。
ネットの情報だけでなく、足で稼いだものも多い。
デマだと分かっているものには横線が引かれていた。それだけでもなかなかの数で、本気で探していることが伺える。
直接コンタクトを取ろうとしたことも少なくないようだ。
「今のところ、二人で調べてわかったことだよ。ほとんどは、はんなちゃんが調べてくれたことだけど」
「危険なことしてるんだな」
「危険?」
穂村が、きょとんと首をかしげる。
「女の子が、会ったこともない人間と待ち合わせなんて、危険極まりないだろう。何されてもおかしくないぞ」
「確かにいかがわしいお店を指定されたこともあるけど……」
やっぱり。僕に言ってくれればよかったのに、とため息をつく。
僕はそれほど頼りないだろうか。確かに腕力はあるほうじゃないけれど、女の子に任せるわけにもいかない。
「待ち合わせだったり、どこかに行くとなったら僕が行くから、君たちは情報収集してくれないか」
一番ブックメーカーに会いたいのは僕だし、と加えて、僕はノートを預かった。
迫るタイムリミットはそれほど残されてはいない。他人に任せるより、僕が一番危険を冒すべきだ。
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情報を集めるのは御影さんが、ブックメーカーを名乗る者とのやり取りは穂村が、実際に会うのは僕が担当することになった。
ノートに記された住所には、確かにいかがわしい店も多かった。待ち合わせの際には、僕が男だとわかると、それだけで近づこうともしない輩も多かった。
女性としか契約しないなら僕は役立たずになってしまうけど、そうだという噂はない。ということは、ブックメーカーを騙って女の子をどうこうしようという輩が少なからず存在するのだ。
これまでよく何もされずに無事だったな、と胸をなでおろす。手遅れになる前に知れてよかった。
しかし彼女らの無事が保証されても、僕はそうはいかない。やらしいことをされる、という意味ではなく、コインのことだ。
このままブックメーカーが見つからず、セレクターも見つからなければ、それこそ取り返しのつかないこととなる。
逸る気持ちを抑えられず、遅くまで様々な場所を回った。遅れることさえ連絡しておけば、母さんには何も言われない。
だがどれだけ探しても、ブックメーカーの影は見えなかった。
二日経って、コインも半分黒く蝕まれている。このままいけば明後日かその次の日か、僕はいなくなってしまう。
ノートに書かれている場所を全部回っても、結局ブックメーカーには会えなかった。
「探している間に、一人くらいセレクターに会えると思ったけど……」
噴水前のベンチに座って、ペットボトルのお茶を飲む。
落ち着いた気温のおかげで汗だくになることはないが、焦ったり落ち込んだりで精神はよろしくない。
「まったくいないんだろ?」
「ええ」
胸ポケットからカードを取り出すと、辟易した様子のリィンが返してきた。
「そう言って、戦わせないようにしてるんじゃないのか?」
「馬鹿ね。私がそんなことするわけないじゃない。あなたが脱落して、その身体貰っても何の得にもならないわよ」
「結構なこと言われた……」
「私だって心にもないこと言われて結構ショックなんですけど。バトルできないまま終わりなんてみじめすぎるし」
それに、と付け足して、
「あなたが消えたくないって思ってるのも、よくわかってるし」
リィンの言葉を信じれば、彼女は僕の記憶を全て持っている。むしろ僕自身よりも、僕のことをわかっているのだ。
記憶が消えるのはまだ良しとしても、存在を消したいわけじゃないのは、リィンが一番わかっているかもしれない。
「悪かったよ」
「ん、私も色々黙っててごめん。本当はもっと多くのセレクターとバトルして、あっという間に勝ち負けが決まるって思ってたんだけど」
そうなれば、嘆く暇も喜ぶ暇もなく、あるいはこのセレクターバトルというシステムに懐疑を抱くこともなく終了しただろう。実際、水嶋さんから真相を教わるまではなんの躊躇いもなくバトルしてコインを減らしたのだから。
「ま、嘆いても変わらんさ。やれることをやって、なるようにするしかない」
「そうだよね、セレクターくん」
いきなり声をかけられて、ペットボトルを落としそうになった。
スーツ姿の男が、いつの間にか僕の隣に座っていたのだ。
「努力もしないで、ただ運に任せるなんてのは、消え行くにはお似合いだ」
大仰に手をひらひらさせながら、彼は続ける。彼は僕のことをセレクターだと言った。だけど、リィンは何も気づいていなかった。彼はセレクターじゃない? なら、もしかして……
「ブックメーカー、
表面上はさわやかな笑顔を見せて、彼は手を伸ばしてきた。
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「ブックメーカー……ねぇ」
それなりに雰囲気のいいところで、あまり人がおらず、静か。知られたくない話をするのには最適な場所だった。
奢りだと言われたから、遠慮なくサンドイッチとコーヒーのセット、ケーキも頼む。もっと頼んでもよかったが、家に帰れば飯が用意されてるし、軽めに済ませておく。
ブックメーカーを自称するスーツ姿の男、里見紅は、僕がその全てを平らげたタイミングを見計らって口を開いた。
「そう、噂くらいは聞いたことないかな? 対戦相手をブッキングするって」
聞くどころか、その噂を頼りにして探し回っていたのだ。
ブッキング。『予約』や『契約』を意味する単語。
ここで契約すれば、同じく彼と契約したセレクターとバトルをすることができる。つまり、自分から対戦相手を探す必要がなくなる。
「そんなことして、なんか得とかあるんですか」
「このバトルの制度を利用して、少し稼がせてもらってるよ」
くいくいっと指をいやらしい形に変えて、にやっと笑う。バトルで金を稼ぐ方法なんて僕には思いつかないけど、彼からはそれ以上の何かを感じる。
この不安定なセレクターバトルのブッキングで稼ぐくらいくらいだ。他ならもっと金持ちになれるんじゃないか。
「悩んでる暇なんてないんじゃない。残りコイン一個なんでしょ?」
ぴくり、と反応してしまった。僕は彼を探していたが、どうやら彼も僕を探していたようだ。
でなければこんな切羽詰ったタイミングで話しかけてくるわけがない。
「情報通なんですね」
「そうじゃないとブックメーカーなんて出来ないからね。さてどうする?」
怪しいものを感じるけど、彼の言うとおり僕には余裕がない。残り一個のコインが消えてしまう前に、セレクターを見つけて勝利できる保証なんてない。
話を聞く時点で、契約を拒否するつもりはなかった。
彼のもつネットワークはかなり広いようだし、ここで変に断って機嫌を損ねてしまえば、この街のセレクターへ『伊吹肇とはバトルするな』と触れ回ることだって出来るだろう。そうなれば僕は戦うまでもなくコインを失い、消滅する。
だけど、僕にだって譲れないものはある。
しばし考える振りをして、思い出したかのように彼に告げた。
「『穂村すず子とは戦わせない』。これが条件です」
「ふぅん、条件付きか」
里見は少し意外そうに眉を動かす。
後がない者を契約させる手腕がなくとも、彼の提案はセレクターからすれば魅力的なものだ。二つ返事で了承する者がほとんどだったのだろう。
「穂村すず子。おそらく明日か近いうち、あなたのところに来るであろう女の子だ」
「俺と会っても、契約するとは限らないんじゃない」
「その意志があろうとなかろうと、契約させるんじゃないですか。たとえば、あなたと契約しているセレクターとは戦わせないように仕組むとか、そうやって脅しをかけて」
返事を待たずに畳みかける。
「あなたもこれで稼いでるんでしょ? バトルをブッキングしている以上、負けてペナルティか勝って抜けるかで、どちらにせよセレクターも減っていく。だからこうやって契約を取ってるわけだ。これくらいで契約できるなら、安いもんじゃないか?」
あくまでもこれは推測であるが、それが真実だと言わんばかりに笑みを見せる。
あなたが上の立場じゃない。僕らは対等な立場だ。取り繕った余裕を崩さないように、残っていたコーヒーをゆっくりと飲み干す。
彼の口角がさらに上がった。さて、どうくるか。
「へぇ、面白いね、君」
「そりゃどうも。で、どうします?」
「いいよ、今のは少し面白かったし、君でも楽しめそうだ」
少しはごねられるかと思ったやりとりは、意外とすんなり決まった。
彼の用意していた契約書に書いてあることを簡単に言うと、こうだ。
『里見紅は、契約者のコイン枚数が時間経過によって減らないように、バトルをブッキングする』
『里見紅は、伊吹肇が望んだ場合、できるだけ条件に合わせた時期と相手をブッキングする』
『ブッキングされたバトルを伊吹肇が拒否した場合、他セレクターに伊吹肇の情報を公開する』
この三つ目の文を見て、やはりと思う。一度契約したら、セレクターである限り逃れられなくなる。
『里見紅は、伊吹肇と穂村すず子を戦わせない』という文面を追記してもらい、サインする。
「それで、ですが……」
「うん、わかってるわかってる。すぐにセッティングするよ。ただし決して君が有利になるってわけじゃないけど、いいかな?」
「はい」
胸をなでおろす。バトルができるとあれば、最大の不安要素は消え去った。あと心配するべきは、僕自身の実力だけだ。