Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
「くそっ、初心者じゃなかったのかよっ」
勝負は、僕の勝ちで幕を閉じた。
バトルフィールドは閉じ、墨田は壁を叩いて憎憎しげに僕を睨んで去っていった。それもそのはず、彼はこれで残りコイン一枚になったのだから。
だけどこれは契約上で避けられない戦いなのだから、恨まれるのは少し違う。それに、彼のほうが有利だった。最後を除けば、僕は教科書どおりの動きしかできなかったから、初心者を食い物にする彼にとっては恰好の餌だったに違いない。
油断さえしなければ、僕程度には勝てただろう。
何はともあれ、これで僕のコインは二枚。だけどコインをベットして負ければ、敗北時のペナルティと合わせて一気に脱落が決定する。まだ余裕をかましてはいられなかった。
そして余裕を出せるほど、僕の頭は正常に働いてはくれなかった。
コインを取り戻した影響か、これまで砕かれていた記憶が再生されていき、一気に流れ込んでくる。目は開いていて、前を向いているはずなのに、道が見えない。
その場を去り、ふらふらと怪しい足取りで進む。気持ち悪くなって電柱によりかかると、よりいっそう頭が過去に支配されていく。
これではいけないと、がくがくと震える足でなんとか歩を進める。こみ上げてくるものを我慢して、定まらない視点のまま先へ進む。
その努力は空しく、僕の頭には過去が押し寄せてきていた。
ああ、思い出した。思い出してしまった。
今までもやがかかっていたのが嘘のように、鮮明に思い出される。
▲
伊吹肇の父親は、つまり僕の父はとにかく上っ面なだけの男だった。
そのことに気づいたのは、もう手遅れになったときだったけれど、最初は良き父親だったと思う。
休日には嫌な顔をせずに僕と遊んでくれたり、どこかへ連れて行ってくれたり、家事を手伝ったり。
自分の父親だからという贔屓もあったのだろうけど、幼心の僕は父がこれ以上ない男だと憧れた。
そんな理想の父と家庭が崩れたのは、僕が小学校六年生に上がって、しばらくのこと。父が、外に別の女を囲っていたことを母が知ったときだった。
どうやって知ったとか、詳しいことはわからなかったけれど、とにかく怒号が飛び交ったのを覚えている。
両親のあんな顔を見たのは初めてだった。僕も叱られることはあったけど、それとは比にならないくらいの、まったく愛のない表情と言葉。
そこで僕は、父が簡単に暴力を振るう男だと知った。
悪いのは父親のはずなのに、家具や小物に当り散らすだけではなく、妻である僕の母もその理不尽を受けた。
『だめよ、肇。あなたはあんなふうになっちゃ駄目』
殴られて蹴られて、浮気もされて、心身ともにずたぼろにされた母さんは、僕だけは守りきった。
離婚したあと、莫大な慰謝料と養育費を貰ったものの、母さんが回復して立ち直るには、かなりの時間がかかった。
僕たちは祖母の家でしばらく過ごし、また二人だけで過ごすことができるくらいになるまでに三年の月日を要した。
僕は父を恨み、彼とは違う男になると決めた。軽い調子で接するようにし、あの男から何の影響も受けていないことを証明し、そして母さんの頭からあの男を消し去ろうとした。
功を奏したようで母さんは歳相応よりも老け込んだけれど、僕をまっすぐ育ててくれて、なおかつ好きなことをさせてくれた。
でも、母さんはときどき暗い顔をする。あのときを思い出しては、深夜に一人で泣いていたこともあった。
関係を断絶してもなお、経験が、記憶が、母さんを傷つけて縛りあげる。
僕が成長して、だんだんと顔が父親に似てきたのも問題だろう。
僕の中には、憎むべき父親の血が流れている。どれだけ嫌だと願っても、決して断ち切れることのない呪い。
母さんは僕の顔を見るたびに一番辛い時期のことを思い出して、心を締めつけられて泣くのだ。
この顔である限り、この血が流れている限り、僕は半分父の生き写しだ。誰かを愛する資格なんてない。恋という感情を抱く資格なんてない。
否定したくとも、僕が僕であることが、父の息子であることが全てを証明していた。
だから。だから、僕は……
▲
倒れこんで数十分。腹の中にあったものが全て吐き出されてしまった。
気づけば息を荒くしたまま壁にもたれこんでいた。
気持ち悪さがまだ残っている。力の入らない身体をなんとか起こし、また歩き出す。
一歩一歩が短く、重いものに感じられたが、穂村と御影さんがどうなってるかも気になる。
なんとか里見のいる喫茶店にたどり着き、息も絶え絶えに店内を見渡す。この前と同じ席に座っていて、アイスコーヒーを飲みながらスマートフォンを操作する里見の顔は、いやに上機嫌だ。
穂村たちの姿はない。
どうも、と挨拶して僕が正面に座ると、彼はますます笑みを広げた。
「勝ったっていうのに、酷い顔じゃないか」
「おかげさまでね」
里見は手のつけていない水を差し出してきた。遠慮なくそれをあおると、いくらか気分がマシになった気がする。
グラスを見ると、指の形に赤色がついていた。首を触って確かめると、べっとりと血が手についた。
自覚すると刺すような鋭痛と熱が感じられる。いつの間にか掻いていたのか、貼っていた絆創膏もどこかへいっている。
鞄から予備の絆創膏を取り出して貼る。
「これで墨田さんのコインは残り一枚。君のおかげで面白いものが見れそうだよ」
「面白いもの?」
「墨田さんは消えて、すず子ちゃんとはんなちゃんはセレクターバトルの真実を知ることになるだろうね」
「何……言ってるんだ」
里見は穂村と御影さんの名前がサインしてある契約書を見せてきた。
彼女らは僕がここに来る前に、とっくに取引を済ませていたのだ。
他のセレクターと戦わせないようにするという脅しがある以上、契約してしまうのは仕方がないが、こんな短時間で話し終えるものだろうか。
御影さんはセレクターバトルの真相を暴くために、情報通のブックメーカーを探していた。契約内容の説明や駆け引きを合わせれば、まだここにいるはずだと踏んでいたのに。
「君が来る前、ちょうどすず子ちゃんとはんなちゃんが来てね。墨田さんと千夏ちゃん……森川千夏ちゃんがバトルするって言ったら飛び出して行っちゃった」
「森川千夏?」
前にも聞いたことがある名前だ。しかもつい最近。
「知ってる? 千夏ちゃんって子、すず子ちゃんの親友だったんだよ」
思い出した。穂村が話していた昔の親友。ずっと一緒だったという『ちーちゃん』。彼女はよりによって、セレクターに選ばれていた。
僕は里見の言い方が気になった。
『親友だった』。過去形を強調する彼の口調は、『親友という間柄である時期があった』というよりも、『今はもうそうではない』というニュアンスが強い。
彼はさらに続けた。
「彼女はね、自分の中にあるすず子ちゃんの記憶を消そうとしてるんだ」
「なんっ……」
いきなり頭を殴られたような衝撃。
詰まってしまった喉を、浅く息を吸って広げて、言い直す。
「なんでそんなこと……」
「邪魔なんだって、すず子ちゃんのこと」
ぞくりと背筋が凍る。
穂村が話をしたとき、彼女は森川千夏が親友であることに誇りを持っていた。そう思っていたのは穂村だけなのか。
彼女たちを繋げる手紙という唯一の糸を断ち切ったのは、わざとなのか。
穂村がそれを知ってしまったときのことを考えると、胸に刃が突き刺さったように激しく痛む。
邪魔。その言葉が自分に向けられたような錯覚に、冷や汗が出た。
似たようなことを誰かに言われた気がする。誰か大切な人にそれを投げられたような気がする。
いくら脳の中を探しても、そんな記憶は見当たらなかった。
「さて、このままだとそれを知ることになるすず子ちゃんは、どんな顔をしてくれるかな」
「お前っ」
テーブルを叩いて里見を睨む。
やはり、こいつの狙いは金なんかじゃなかった。理不尽なバトルに巻き込まれたセレクターを救済しようなんていうボランティア精神でもない。
人の苦悩を食い物にして、楽しんでいるのだ。
なるほど、ブックメーカーなどという噂を流せば、困りに困りきった餌が向こうからやってくる。
そして、バトルのブッキング自体は、セレクターにとっては願ってもない救いの糸。彼の意図がどうであれ、セレクターはここに辿りついた時点で契約をせざるを得ない。
「あれぇ、いいのかな。こんなところで俺に構ってて。すず子ちゃんがどうなるかまでは、流石の俺でもわからないんだよ?」
ギリリと歯を食いしばって、もう一度机を叩く。ここでこいつを殴ってもどうにもならない。
聞き出す前に、里見は場所を伝えた。ここからそう遠くはない公園だ。
穂村と森川千夏を会わせてはいけない。俺はすぐさま店を出て走り出した。
▲
吐いたあとの全力疾走は、予想よりもきつい。
まだ腹にも頭にも不快感がこびりついているのに、何度も転びそうになりながら、必死に汗をかいて走る。
そんな状態の身体では、たいしたことのない距離も長く思える。
血が出ていたのも関係あるのか、思ったよりもふらふらした足取りになってしまう。
公園のそばにはたどり着いたが、生垣に囲まれて、公園内は見えない。しかし、公園の入口に立つ御影さんは見えた。
「御影さんっ」
ようやく彼女の近くまで達した時……
「オープン」
視界は一気に灰色でいっぱいになった。
見渡せば、石でできたようなブロックがいくつも浮いている。そのうちの一つの上に立たされている僕のほかに、同じく御影さんもいた。
「ここは……?」
「バトルが始まったとき、近くのセレクターは巻き込まれるの」
リィンが説明する。確かに、今まで三度経験した場所とそっくりだ。ただ、観戦側は立ち位置が違うから気づかなかった。
まさかと思って、やや遠くでバトルする二人を見た。戦っているのは墨田ともう一人の少女。
穂村ではない。とりあえず最悪の事態を免れたことにほっとする。全身の力ががくりと抜け、その場に尻餅をついた。
落ち着いて別の場所を見やると、穂村もいた。僕には気づかず、バトルをしている二人を凝視している。
「ちーちゃん、どうして……」
そう呟いたのが聞こえた。墨田と相対しているあの少女、あれがちーちゃん、森川千夏か。
里見の言ったとおりならば、あの二人の戦いの決着は……
とにかく、今の状態じゃ僕には何も出来ない。消費してしまった体力の回復とともに、大人しく観戦することにする。
森川は緑デッキ。そしてあっけに取られるような癖なんてない、王道の動きだった。
悪く言えば初心者のようなカード捌き。ターンが進むごとに、初心者狩りの墨田が若干押している形となっていく。
気を良くした墨田は、ダメ押しと言わんばかりにコインをベットする。
「『ダイレクト』」
レベルの上がったグズ子の鎌が、メルに襲い掛かる。柄を掴んで抵抗するが、ついには刃が肩に刺さった。
あれは僕も食らった。コイン技によってルリグと繋がった痛みは本物だ。なのに……
「刺されたってのに、あんな笑顔ができるなんて」
リィンも僕と同じ感想を抱いた。
刃であれだけ深く刺されるなんて、普通にしていれば経験したことのない壮絶な痛みだ。だというのに、それを意に介せず冷たい笑顔を浮かべる森川に、僕はぞっとした。
「あれが森川千夏……穂村の親友……」
痛みに悶える姿も見せず、感情を捨て去っているような姿には、穂村がした話とはまったく真逆のものを感じた。
「コインベット」
今度は森川がコインを場にだした。
「『ベルセルク』」
メルが墨田に視線を合わせる。しかし相手の視界を奪うナナシの『ブラインド』や、手札を捨てさせるピルルクの『ピーピング』のように、わかりやすい何かは現れなかった。盤面を見ても、何も変わっていない。
グズ子の『ダイレクト』のように、プレイヤーに干渉する能力か?
森川はそのままターンを終了する。
「めんどくせえ、全力で攻撃だ!」
ターンが移った瞬間、手札のシグニを並べて、総攻撃をしかける墨田。
ミサイルのごとく怒涛の攻撃は、決まれば勝ちだが、森川は許すことなくアーツによって防いだ。
防いだだけじゃない。森川のカードの効果によって攻撃は跳ね返されて、墨田のシグニを消滅させる。
何から何まで、ガード要員まで攻撃に回したんだ。墨田にはもう攻撃も防御の手段も残っていない。
いや、残されなかった、のほうが正しいか。メルのコイン技を発動したあと、明らかに墨田の攻めっ気が強くなった。
攻撃を強制させる技か。転じて、相手を無防備にさせる技と言ってもいい。
それにしても、全力で攻撃されても動じない胆力と戦略。コイン技がなくても、墨田に勝ち目はなかっただろう。
無防備となった墨田の命乞いが聞こえないかのように、森川が攻撃を宣言した。それに応えて、メルがトドメの一撃を繰り出す。
墨田の背後に浮かんでいた最後のコインが、黒く染められていく。苦悶の表情を浮かべた墨田の足場が、悲鳴とともに崩れ去る。
その結果が当然だというふうに、森川の表情は動かない。視線はただただ真っ直ぐ闇の中。敗者である墨田すら、その目には映っていない。
夕陽の眩しさに目を細める。舞台は公園に戻っていた。
「す、すみません。すみません」
公園の入口で立ったままの僕と御影の間を、男が通り過ぎる。
墨田とは思えない少し高めの声と、伏し目がちな顔。今にも泣きそうな目とその言葉には覚えがあった。
彼のルリグ、グズ子だ。
「確定。コインを全て失うと、セレクターはルリグに……」
そうだな、と言えればよかったが、どっと押し寄せてきた徒労感と記憶と異常な状況に、動けなかった。
「懐かしいね、この公園。変わらない。全部あの頃のまま」
優しげな声だった。森川が穂村に向けたのは、
おそらくこれが、穂村の知っている森川なのだろう。凛とした佇まいに、柔らかくも芯のある目。クールな中に可愛らしさも備えた雰囲気。憧れるのもわかる。
その全てが一瞬にして豹変し、空気がぴりついた。
森川は鞄のストラップをぶちりと千切り、重力の任せるままに落とした。穂村との友達の証、森川自身の分身。それが誰のものでもなくなり、地面に転がる。
それはつまり、本当に自分の中から穂村を消そうとしている表れだった。
「会えてよかった」
その声には、なんの感情も入ってなかった。
足が震える穂村と、毅然と佇む森川。やっと会えた親友は、しかし一番遠い存在となってしまった。
「私の中にね、いらないものがあるの」
森川は、落ちたストラップを容赦なく踏みつけた。ぐしゃりと音を立てて、砂まみれになり、潰れる。
「すず、あなたよ」
そう言って、彼女は語り始めた。
森川も穂村のことを親友だと思っていた。そして、親友であるために努力した。
優等生であり続け、優しく、強くあり続けようとするのは、穂村の親友として、そして彼女の憧れとしてい続けるための努力だった。
だが、このセレクターバトルに巻き込まれ、コインを失い、穂村のことをひと時忘れてしまった森川は気づいた。
自分を縛りあげるもののなくなったときの解放感。自分以外の何者かになろうとする努力をしないでいいと知った晴れ晴れしさ。
そこで彼女は思う。穂村すず子という存在は、森川千夏にとって必要なものだろうか、と。
記憶を、穂村を消して、思う通りに生きる。それが、森川千夏にとって必要なものなのだと本人は語る。
彼女の全ての言動は、決して親友に向けるものじゃなかった。
森川にとっては、メルのストラップのように、踏みにじってしまいたいのだから当然の台詞なのだろう。
だけど、穂村は違う。穂村にとっては、森川はずっと親友で、憧れで、片時も忘れたことのない存在だ。捨てたいだなんて微塵も思っていない。
信じた相手から告げられたのは、あまりにも残酷すぎる決別の告白。去っていく足取りには、迷いは感じられなかった。
残され、泣きじゃくる穂村に、僕は何も言えなかった。