Lostorage restrained WIXOSS【完結】 作:ジマリス
何度目かになるウィクロス講座の場は、本日は趣向を変えて僕が指定した喫茶店だ。
オープンテラスの席に座って、三人で円形の机を囲う。
少し暑い日が続いてきたから、日陰で涼しさを感じられるここはいい。
「驚嘆。成長の速度は著しいですね」
「お褒めにあずかり光栄です。といっても、まだ御影には敵わないけど」
「当然。私は強いですから」
御影のおかげでだいぶ洗練されてきたけど、まだまだ彼女のほうが勝ち越している。
僕はまだまだウィクロスを始めたばかりの初心者で、彼女よりも圧倒的に経験が足りないから仕方ないが。
本日の講義が終了し、いつもと同じく穂村が白い箱を取り出す。
「まふまふのチョコマフィン!」
御影が感涙しそうなほどに菓子を掲げる。
まふまふ、というのは店の名前だろうか。御影の喜びようから察するに相当の有名店だそうだが。
袋にも入っておらず、店名やロゴなどが一切箱に描かれていないのに、少し違和感を覚えた。
「美味! チョコバナナは神です!」
御影はいつの間にか手にとって食べていた。
僕も箱の中から一つ頂戴する。ほのかに匂うバナナの香りが食欲を煽った。
一口食べる。ふんわりとした生地と、確かに主張してくるチョコがマッチしてたまらない。
「実はそれ、私が作ったんだ」
僕たちは驚いた。綺麗に形の整えられたマフィンをしげしげと見て、もう一口頬張る。
「ん、美味い。言われなかったら店のと勘違いするよ」
見た目だけでなく、味も一級品。
穂村と御影の間で、最初にどんなやり取りが行われていたのかは知らないから口を噤むけれど、しかし、これだけ美味いのなら、最初から作ったほうが良かったんじゃないのか、と僕は思う。
「えへへ、お母さんから教えてもらったとっておきのお菓子だから、自信はあるんだ」
「質問。お母様に料理を教えてもらっているんですか?」
御影の質問に、穂村は顔を伏せる。
「お母さんは小さいころに病気で亡くなっちゃったんだ」
御影はしまった、という顔をした。けども、穂村はそれ以上落ち込むことなく、続きを話した。
「お母さん、ずっと身体が悪くてね。ちーちゃんが励ましてくれたんだ」
森川の存在は、穂村にとって大きなものであることは、既に知っている。
依存ではない。拠りどころとして、彼女の支えになっている。
それよりも、穂村の話を聞く限り、やはり森川千夏はあのような冷たい人間だとは思えない。
今の年齢になるまで様々な経験があったとは思うが、穂村のことを忘れるどころか、むしろずっと覚えていたのだ。
必要なのは、森川の頑固な考えを砕く何か。その何かに、穂村はなろうとしている。
「告白。私も家族を亡くした経験があります」
揺れることのない友への信頼を見せられて、御影も過去と心情を吐露した。
御影がまだほんの小さいころ、弟が死んでしまった。幼いながらに、弟を失ったことは相当なショックだったのだろう。そのせいで、抜け落ちたパズルのピースの如く、記憶にぽっかりと穴が空いた。
弟の死に関して、思い出せることがあるなら、知るべきだと彼女は言った。
彼女にとってセレクターバトルは希望の光だった。探しても探しても見つからないピースが、ウィクロスに勝つだけで手に入るのだから。
それができるだけの実力と自信が御影にはある。
思い返せば、ノートにびっしりとセレクターやブックメーカーの情報を書いていたり、毎日ネットの海を彷徨ったり。真実を知ることに関して一番必死になっていたのは、僕でも穂村でもなく、御影だった。
「御影が必死になるのも……」
僕の言葉はそこで止まってしまった。
わからない。僕は彼女とは逆で、記憶を消してしまいたいから。パンドラの箱を封じたままにしておきたい僕には、御影に同意する権利はなかった。
「いや、何でもない」
誤魔化して、コーヒーをすする。
記憶を消したくない穂村と、取り戻したい御影と、消したい森川。三者三様の目的があり、誰もがそのために強くなろうとしている。
そんな強さは僕にはない。
▲
「は、肇くん」
誰かに呼ばれた。可愛らしく高い声は女子のものだが、錯覚だとすら思わなかった。
見逃すはずも聞き逃すはずもない。数十センチしか離れておらず、しかも目の前にいる穂村が言ったのだから。
ぽかんと開けられた僕の口は、阿呆のように塞がらない。
穂村は椅子を反転させ、僕と向き合う形になると、包みから取り出した弁当を手に持って、遠慮がちに僕の机に置いた。
「その、一緒に食べない?」
穂村の顔と弁当を交互に見る。つまり、僕と一緒に昼を過ごそうと言っているのか。
最近は僕の友人が彼女の友人となって、穂村はクラスで孤立することもなく、昼休みはいつも卓を囲んで食事をしていたはずだ。
その共通の友人はというと、にやにやとこちらを見ているが、来ようとはしない。何かを期待するような眼差しからして、特に仲違いしたわけでもなさそうだ。
「構わないよ」
僕も同じく弁当を取り出す。穂村のそれと二倍近い大きさだが、僕からすればむしろ女子の弁当の小ささが気になる。
外聞を気にしないならもっと食べたいとの弁も聞いたことがあるが、それは女子全員の切なる叫びなのか、それともそいつだけだったのかはいまでもわからない。
それよりも気になることが僕にはあった。
「僕の名前知ってたんだ」
「ええと、嫌だった?」
「嫌なわけはないけど、ちょっと気になっただけ」
いきなり名前で呼んでくるのは、僕の経験上ありきたりなことではない。しかもそれが女性からとなると、母と祖母しか覚えがなかった。
「ほら、結構一緒にいるのに、苗字だと距離感じるよね?」
よね? と言われてもいまいち同感は出来ない。奏太から苗字で呼ばれたら違和感しかないが、それはずっと名前で呼ばれているゆえの気持ち悪さである。
まあ、そう思うのは僕の乏しい過去と出会ってきた友達のせいであり、親友のことを『ちーちゃん』、最近知り合った御影のことも名前で呼ぶ彼女にとっては、僕のほうが異常なのだろう。
「それに、もっと仲良くなりたいし」
そう言われれば断れない。僕としても、セレクターバトルのことを抜きにして彼女とは親しくなりたいと思っている。
恥ずかしそうにはにかむ彼女に、頬を掻きながら答えた。
「えーと、じゃあ、すず子?」
「うん、肇くん」
いっそう顔を輝かせるすず子は、めいっぱいの笑顔で頷いた。それが見られて、意を決した甲斐があったことを喜ぶ。
ひとつ不快なのは、視界に映るクラスメイトが皆、いやらしく微笑んでこちらを監視していたことだけだ。
思春期特有の下卑た目線をしっしと手で払い、ようやく弁当の蓋を開ける。
すず子の弁当は、素人目にも彩りや栄養がしっかりと考えられていて、熟練を思い知らされる。
「それも自分で作ったのか?」
「うん、朝も昼も夜も私が作ってるんだよ」
すず子の母は死んだが、生前に教えてもらったことは彼女の中に残っている。料理やお菓子、あるいは彼女の心遣いや強さといった形で受け継がれている。
記憶は薄れていっても、実際のところ全てを忘れるなんてことは難しい。身体と心に刻み付けられている。脳以外にも記憶を収めている場所はあるのだ。
良くも悪くも、特に身体は正直に過去を語る。
「肇くんって、いつもその絆創膏してるけど、治らないの?」
無意識に左手で絆創膏を抑えていたことにはっとして、誤魔化すように撫でる。
「ちょっと傷がついちゃってさ、治るってなるとかさぶたができるだろ? いつもいつも剥がしちゃって治りかけての繰り返しだよ」
「もう、そんなことしてるとどんどん悪くなっちゃうよ?」
「わかってはいるんだけどね」
早口になって怪しまれるかと思ったが、すず子は気にせずに僕を心配してくれた。
何か変だ、と僕は感じた。今の問答だって何回もされたことがあるのに、僕は動揺してしまった。
何故か彼女といると、いつもの僕じゃいられなくなる。少しだけ落ち着きがなくなってしまう。いつもは誰相手だってすらすらと言葉が出てくるのに、いざ彼女を前にすると言葉を選んでしまう。
心臓が鼓動を打ってるのが自覚できるほどなのに、それがむしろ心地よい。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもないよ」
止まっていた箸を動かす。今までの昼休みの中で、一番充実した時間に思えた。
▲
「講義は今日までです」
御影がそんなことを言ったのは、すず子が教えてもらっていた最中のことだった。スマートフォンが震え、メールチェックをした彼女の目の色が変わった。
「バトル?」
「正解。おそらくこれが最後になるでしょう」
御影の実力からいって、これははったりではない。現状四枚のコインを持っている御影が勝てば、晴れてセレクターバトルから抜け出せるだけでなく、お望みの記憶を手に入れる。
そうなれば、心の整理やセレクターバトルについて執筆など、僕たちに構っていられる余裕も時間も無くなる。その間に、僕たちの行く末も決まるだろう。
彼女の言う通り、講義はこれで最後。それまでで培ってきた力で、僕たちは進むしかない。
「私も行く」
穂村も急いでカードを片付ける。
「はんなちゃんの最後のバトル、見届けたいから」
御影は頷いた。
すでに彼女たちは師匠と弟子だけではない。ブックメーカー探しやバトルを通じて、それだけでは言い表せないほどの情がある。
その仲間の最後の舞台を見届けようとするのは、友人としての義理だ。
ついていこうとした僕のスマホにもメールが届いた。差出人は里見。
「肇くんも一緒に来るよね?」
「悪いけど……」
僕は今しがた来たメールを見せた。
「僕もだ」
場所が書かれた本文に、少女の写真。バトルの合図だ。