かえみと短編集 作:kemt
帰宅途中の電車に揺られながら、いつも通りかえみとスレを開く。もはやかえみとスレを眺めるのは日常の一部と化していた。昼間に開いたきりだったので、だいぶたまってしまっているログをのんびりと消化していく。
さて今日は何か供給あるだろうか。ほんの少しの期待を込めてスクロールを続けるが、まあ予想通り特に何も起こっていないようだった。ここ最近供給が減ったせいか、かえみと民の奇行が目立つようになってきている。気持ちはわからなくもない。時々妄想を垂れ流して書き込んだり、なりきりしたりとついついやってしまうものだ。そのささやかな楽しみを誰が責められようものか。いつの間にかスレの最下部までたどり着いてしまい、そっと溜息をついた。期待しすぎも良くないな。これはアニメや漫画のように劇的な展開やきれいな結末が待っているとは限らない。何もない状態が基本としたほうが精神衛生上いいのだろう。内心で誰にするでもない言い訳をしながらも、飽きずに毎日スレを覗いてしまうのはかえみとの魅力故。
更新するとまたいくつかレスが増えている。その中に気になるものを見つけた。委員長ゲリラするらしい、という書き込みだ。マジか。ツイッターを見に行くと朝見たときにはなかったはずの告知があるではないか。日付と時間しかないそれでは内容まではわからない。委員長のゲリラというのは非常に珍しい気がする。確実に見に行かねば。時間は二十一時から。会社と家の距離はかなり近いため、帰宅時間は大体十九時くらいになる。
電車が最寄り駅に着く。見慣れた道を歩く足は、普段より少し早くなっていた。
帰宅し時計を確認するとジャスト十九時。放送までにはまだまだある。じっと待っているのが辛く風呂に入ってしまうことにした。風呂から上がり委員長のツイッターを確認すると、なんと予定時刻が二十時に変更になっているではないか。すぐに発見することが出来て助かった。危なく致命傷を負うところだ。
委員長のライブ画面に向かうと既に多くの囚人が集まっている。みんなどんな放送をするのか気になっているようで、盛んにコメントが飛び交っている。例に漏れず期待はしていた。滲むものがあるといいなあ。またいつかの時のように「でろでろだねw」ってのがあると大変喜ばしい。残念なことに樋口のツイッターは朝から動いていないので、放送に来るのかさえ怪しいのが現実だった。ハ埋めは大事。
委員長のツイッターでこれから配信する旨のツイートがされた。同時にライブも開演する。
『きりーつ! 気をつけ! こんにちは、月ノ美兎ですー!』
いつもどおりの挨拶に安心感を覚える。
『えー、突然配信することにしてしまってすみません。今日はどうしてもやりたいことが出来てしまったので、急遽やることに決めました。結構来てくれてる人いるみたいですね~。ありがとうございます』
やりたいことか。一体なんだろうか。それも突発的にとなると想像がつかない。頭の中で想像を膨らませながら聞いていると、やりたいことは二十一時になってから行うようだった。時間指定となるとコラボでもするのだろうか。委員長の考えは樋口と違って予想がつかない。頭のネジが一本どころか何本も外れてそうな人の頭の中なんて、予測するだけ時間の無駄だ。素直な気持ちで見ていようじゃないか。
委員長の奇抜でぶっ飛んだトークに耳を傾けていると、インターホンの音が鳴る。自分の家かと一瞬勘違いしてしまったが、発信源は委員長の家のようである。すみません、と囚人達に告げばたばたと委員長の動く音が聞こえた。おっと、これは不味いんじゃないか。生活音が丸聞こえになってしまうのは心配だ。と思いつつも気になるので音量をぐっと上げて耳を澄ます。かちゃりと鍵を開ける音がした。
『美兎ちゃん! めっちゃ久しぶりやんな!』
えっえっえっ。この声ってもしや樋口では。まさかまさかオフコラボで樋口呼んだのか。やばい、嬉しすぎて口元のにやけが止まらなくなってきた。かえみとスレを覗きたくなったが、一言一句聞き逃したくないのでじっと我慢する。きっと今頃かえみと民ははしゃぎまくってるだろう。
『ちょうど一ヶ月ぶりくらいですね。楓ちゃんも元気そうでなによりです』
『今なんて言うた? もしかして楓ちゃん言った?』
『ちょ、ちょっと待ってください』
『二人の時はかえちゃんって呼ぶ言うてたやん!』
『違うんですよ! 一旦落ち着いて――』
『なぁ~んで! なんで呼んでくれへんの?』
『……』
『みとちゃぁん……』
『……かえちゃん』
『恥ずかしがってる美兎ちゃんかわいいなぁもう』
『もう! そんなのいいですから早く着いてきて下さい』
「おっほ」
あまりの尊さについついキモオタボイスが漏れ出てしまった。なんやねん二人の時はかえちゃん呼びってよぉ! てか二人共かわいすぎか。樋口攻めの委員長受けとはなあ。ツイッターでの弱気ムーブはどこに消えたんだよと小一時間は突っ込みたい。
『はい、皆さんお待たせしました~。本日のゲストは樋口楓ちゃんです!』
委員長の紹介虚しく、コメントはかえちゃん? かえちゃん! かえちゃんかえちゃんてな感じで埋まっている。いやまあしょうがないよなあ。丸聞こえだしそりゃそうなる。
『はぁ!? どういうことこれ!?』
樋口が驚きのあまり大きな声をあげる。そっか。やっぱ配信中だと知らなかったんだな。察してたらあんな風に玄関先でいちゃつかないだろう。ただ樋口、グッジョブよくやったよお前は。感謝しかない。恐らく配信時刻が変更されたことに気づいていなかったということか。現在は二十時半と最初の告知では二十一時だったはずなので油断しまくりだったわけだ。
『だから、落ち着いてって言ったじゃないですか』
委員長は呆れた様子で言った。樋口はそれどころじゃないくらいに大慌てしている。さっきまでのガン攻めはどこ吹く風。焦りすぎてなんだかいたたまれない。こっちまで恥ずかしくなってくるからやめてくれ。
『さっきのやりとり聞こえてたん!? 美兎ちゃん時間変えたなら言ってよ!』
『えー、このまえ楓ちゃん私のツイッター監視してるからみたいなこと言ってたじゃないですか。私はそれを信用していたんですよ』
『いやいや、移動中ってこと忘れてない? 無理やって』
『まあいいじゃないですか』
委員長の独特な笑い声が響いた。
『マジかぁ。……はっず』
『耳まで真っ赤になってますよ』
『わざわざ言わんでええって!』
笑い声が混じったからかうような委員長の声。いやなんだこれ。供給過多になってるだろ流石に。今までのやり取りだけで当分の間生き抜けるレベルだ。照れてる樋口。あー最高だ。自分の発言で照れるなんてマジなんなんだよ。深呼吸をして一旦落ち着く。KOOLになれ。
『どこ座ったらええ?』
『どこでもいいですよ。私の隣来ますか?』
すとんと荷物を置いた音が聞こえ、服の擦れる音で二人が移動しているのがわかる。耳を凝らすとベッドのスプリングがきしむような音を察知した。これは……。あの伝説の再現が行われているのでは。
『ちょ、ちょっと流石に近すぎません?』
『いいやんこれくらい』
『これくらいってかくっついてるんだけど!?』
『言わなきゃわからんのになんで言うん!?』
なんだと。ベッドにくっついて座ってるだと。聞き間違えじゃないよな。耳を疑うほどの衝撃だった。確実にこの二人は仲を深めている。あの一ヶ月から今日までやはり裏で親密なやりとりが交わされていたのは、確定的な事実。同時浮上だし絶対裏で通話してるって~みたいなやりとりが、このような形で証明されてしまうなんて。かえみと民大勝利って次元じゃねえ。
何万人というリスナーを放っておきっぱなしのまま、二人はわちゃわちゃと騒いでいる。いいぞ。もっとやれ。リスナーなんていらんかったんだ。ずっとイチャついてくれ。
『もういい……』
『やった』
小さく呟くような声の大きさだったがばっちり流れている。いちいちやりとりが尊いのだわ。
『というわけで今回は企画とか用意していません。雑談メインで行こうかなーと思ってます』
それは正しい。かえみとが揃えば企画なんて必要ない。二人が仲よさげに喋っている様子をこっそり聞いていられれば、幸せを享受できる。なんて良い人生なんだ。
『楓ちゃん。喉乾いてません?』
『あーそやね。ちょっとな』
『見て下さいこれ』
『あっ! さくら恋紅茶』
『ハマっちゃいまして。自分でもまた買ったんですよ』
『気に入ってもらえて嬉しいな』
『じゃ、用意してくるので待ってて下さい』
『はーい。ねえみんなどう思う? 私があげたのあんなに気に入ってるってめっちゃかわいくない?』
委員長の足音が遠ざかり、樋口はこれまた喜びを抑えきれない様子で話しはじめた。でろでろだねwって今の樋口にぴったりだと思うんだが。しかもあれは適当なものをポンと渡したわけじゃないだろう。委員長の好みである紅茶に絞り、その中からさらに気に入ってもらえそうなものを熟考したんじゃないかと勝手に想像していた。きっとそれは遠からず当たっているはず。そんな思いのこもったプレゼントを気に入ってもらえたとなるとな。無関係なのに胸の奥から嬉しさがこみ上げてきた。心の中の樋口が騒いでいるな……。
『はいどうぞ』
『ありがとぉ。あれ? なんか冷たい?』
『アレンジティーってやつですよ。グレナデンシロップと炭酸水。それに一晩出しておいたさくら恋紅茶を混ぜ合わせたんです。公式まんまですけどね。今すごい気に入ってて、ぜひ楓ちゃんにも飲んで欲しかったんです』
『淡い赤色が透き通ってて見た目もいいなあ。じゃあさっそく飲むね。――あーめっちゃいいなあ。なんか大人っぽい感じもする。ありがと、美味しいよ美兎ちゃん』
『あはは、気に入ってくれて何よりです。グレナデンシロップってカクテルで用いることが多いですからね。大人っぽいってのは中々鋭いですね』
『美兎ちゃんもカクテルとか飲むん?』
『普段はビー……ごほん。JKなんでね、アルコールとか全く飲んだことないですよ。清楚で委員長ですし』
樋口の快活な笑い声があがった。聞いているこちらも釣られてしまいそうになる。百合的な意味を抜いても二人のやりとりは心が踊る。
そのまま仲よさげなやりとりは続いていき、二十二時を迎える頃となった。
『そろそろ良い時間ですし締めますね』
『アレのこと言わんの?』
『えっ、言いたいんですか? まだ時期尚早じゃないですか?』
おっと、また突然いちゃつきを始めやがった。428と比べてもさらに親密度が上がっているのは間違いない。お互い遠慮がなくなってきたのが伝わってきて、にやにやがずっと止まらなくなってしまった。それにしてもアレってなんだ。今日はもう十分かえみと摂取したってのにまだあるのか。
『まぁ楓ちゃんがいいなら良いか。えーとですね、楓ちゃんが卒業したら、私達同棲することになりました』
すまん。何言ってるか全然頭に入ってこなかった。えっとつまりどういうことだ。どうせいって。どうせいって同棲のことか? コメントを見ても同じようなこと言ってるやつが複数見られる。爆弾発言に皆脳の処理が追いついていない。
『まだ先のことなんだけどね。同棲しよーって結構前から話しててさ。ほとんど確定になったんよ』
樋口の追撃についに脳の処理が追いついてきた。マジか。マジかよ。マジ卍やんけ。
「うっひょぉおおおおお!!!」
またしても声に出てしまった。無限に湧き出る泉のようなこの感情は身体の中で抑えるには狭すぎた。今のは心が叫んでいるんだってな感じで、意識せずに漏れ出たかえみと成分である。本当なら走り回って祝福を叫びたい。それなのにたったあれだけで抑えるなんて褒めてほしいくらいだ。いや、現実逃避はこの辺にしよう。
かえみとはもう幻想ではないのだ。そうこれこそがリアル。かえみとはあったんだ。コメント欄は祝福の嵐で流れている。みんな嬉しいんだ。かえみとがかえみとでみんな喜んでいる。
嗚呼、生きていて良かった。彼女らが恒久的に幸せであることをそっと願おう。
そうだ。感無量のあまり忘れそうになっていた。かえみとスレを開く。放送終了までの間にいくつかスレを消費しているようだった。更新すると未だにとんでもない勢いで流れていくそれに俺はそっと書き込んだ。
勝ち卍、と。