ソ連への引き渡しを目前に控えた響は、提督と離れ離れにならずに済む方法を模索する。

Pixivに置いてあるものと同じです。
ご意見ご感想、お待ちしております。

1 / 1
例え姿が見えずとも

提督は床に倒れて薄れ行く意識の中、彼の血を浴び、ナイフを片手に恍惚の表情を浮かべる響をぼんやりと見つめた。何が悪かったのか、どこで間違ったのか。やり直すには全てが遅すぎたのだろうが、考えずにはいられなかった。

ずいと響の顔が迫り、目前で止まった。宝石を彷彿とさせる青い双眸が提督を覗き込み、やや癖のある長い銀髪が垂れ下がる。

「ねぇ、司令官…。」

最早機能していないに等しい感覚が、肌に触れる彼女の吐息を辛うじて感じ取った。

「どうして?」

問う事に意味など無いと知りながら、それでも提督はそう言おうとした。しかし出かかった言葉は切り裂かれた喉から微かな息となって漏れ、虚空に消えた。届くはずも無いのに壁に付けられた非常ボタンへと手を伸ばす。

「どうして…?私は司令官を心の底から愛してるんだ。なのに…。」

彼女は瞼を下げると悲しげな表情を見せ、必死に言葉を繋いだ。

「なのにどうして、司令官は私を拒絶するんだ…!」

じわりと涙が浮かべて言葉を詰まらせ、袖で顔を覆う。隠し切れずに見えている口は固く閉ざされ、その内から歯軋りの音がギリッと鳴った。

 

 

 

―1時間前。

敗戦に伴う戦後処理の一環として、多くの艦が連合国側に引き渡される事になった。ある艦はすぐに解体され、ある艦は海没処分となり、またある艦は改修の後に再就役した。

暁型駆逐艦最後の生き残りである響もソビエト連邦への引き渡しが決まり、明日にはナホトカに旅立つ予定となっていた。彼女の処遇は明言されておらず、あらゆる可能性が排除できない。即ち、数日後には海の底という可能性もあった。

「司令官。今晩ぐらいは一緒に過ごさせて欲しいな。」

そう言って深夜の執務室に押しかけて来た響は、椅子に腰掛けた提督の膝の上にちょこんと乗っていた。

「響が甘えてくるなんて珍しいな。」

「もう暫く会えないだろうからね。」

響は寂しげに言うと、耳を提督の胸にピタリとつけた。軍服を挟んで伝わる心臓の鼓動がこの上なく心地よい。しかし彼女の心はどういう訳か満たされた感じがしなかった。

響が「今晩ぐらいは」と言ったのには理由があった。彼女の引き渡しが決定してからというもの、提督の彼女に対する態度はどこかよそよそしいものになっていた。会話も必要最低限程度で、長くは続けない。突然の変わりように、響は正直戸惑っていた。

「司令官、どうして私をそんなに避けるんだい?」

上目遣いに提督を見詰める。すると彼はサッと目を逸らした。

「まぁ、な。」

ボソリと呟き、響を無理やり立たせる。

「明日があるだろう。早く寝なさい。」

やはり素っ気ない対応。大人びた響の我慢も限界に達していた。勿論彼女も、提督を単に上司と認識していればこんな思いをする事はなかっただろう。しかし運悪くと言うべきか、姉妹が落命する度に悲嘆に暮れる響と共に涙を流し、励ましてくれた提督には、いつしかただの上司以上の感情が湧いていた。

「…嫌だ。離れたくない。」

遮ろうとする提督の手を押し退け、また膝に座る。普段は感情を表に出さない彼女がこうして我を通すのはかなり珍しい。

「駄目だ。離れなさい。」

「嫌だ。」

「命令だ。離れろ。」

「…嫌だ。」

「上官抗命罪に問われたいのか?」

少々声を荒らげる提督に、響はムッとして返す。

「それで司令官と一緒に居られる時間が得られるなら。」

「全く…。」

観念した提督は、彼自身が立ち上がる事によって響を下ろした。そして背中を押して執務室から追い出すと、扉を閉ざして鍵を閉めた。

「司令官!どうしてなんだい!開けてよ!!」

ヒステリックな響の叫びと共に扉が乱打される。しかし次第に声は衰え、打音も回数が減っていった。

「開けてよ!ねぇ!開けて…!」

終いには静かになり、一切の物音がしなくなった。どうやら諦めて立ち去ったらしかった。

「行ったか…?」

提督はそっと扉を開けて廊下を覗いた。誰の姿も無い。

「やっと諦めてくれたか。」

扉を閉め、椅子に戻る。しかし台詞とは裏腹にその表情は暗く沈んだものであった。

「響…すまない。これもお前の為と思って…!」

響の引き渡し決定後から彼女を避けるような態度を取り続けてきた提督だったが、決して響が嫌いな訳では無かったし、彼女が自身に対して特別な感情を抱いているのは薄々感じていた。

しかし一度引き渡されてしまえば向こうの管轄下。即時処分を免れて生き延びたとしても、再び会うのは難しい。余計な要望で彼女の立場が悪くなるぐらいなら、いっそ想いを断ち切ってもらうのが一番だと判断した。その結果の冷たい対応。提督が彼女にしてあげられる、最後の優しさだったのだ。

「明日。明日旅立つまでの我慢だ。」

勿論提督は心苦しくて仕方が無い。本当は彼女の願いを聞き届け、一緒に今夜を過ごしてやりたかった。だが全ては前途ある彼女の為。ただひたすらに心を鬼にしていた。

「俺ももう寝なきゃな…出航に立ち会わなきゃならんし。」

大あくびをしてぼんやりと時計を見ると、針は丁度1時を指している。日々の心労もあって眠気はどうにも抗い難い強さになっており、彼は自ら自覚する事もなくそのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 

響は自室で座り込んでいた。背中に提督に押された感覚が蘇る。大きくて暖かい掌は、かつて泣きじゃくる響を優しく抱き寄せて慰めた時と何ら変わりないように感じられた。

「司令官…。」

布団の端を何気なく掴んでいた手にギュッと力が籠る。恐らく、提督は最後の最後まで態度を変えないつもりなのだろう。

「私はどうすべきなんだろう。」

誰にでもなく呟く。数日の内に消えるとも分からない命。仮に生き延びられたとしても、彼の居ない遠い異国の地など耐えられるはずが無かった。

「なんとしても司令官と…。」

後の事など考えても意味が無い。ただとにかく、どうにかして提督と共に居られないかと思考を巡らせる。

「そうか…!」

そして彼女はある結論に至った。愛しい人とどうすれば一緒に居られるか、どうしたら離れずに済むか、離れられなくなるか。その最善の方法に。

 

 

 

提督は誰かに腕を触られる感覚で目を覚ました。見れば響が隣に立ち、腕をとっている。

「お前…どうやって入った?」

「普通に扉から。鍵が掛かってなかったからね。」

言われて思い返してみれば、確かに扉を閉めただけで鍵を掛けていなかった。

「…そうだったな。」

時計に目をやると、時刻は2時より少し前であった。

「で、何をしに来た?寝ておけと言った筈だ。」

提督が問うと、響は少し眉をひそめた。

「一緒に過ごさせて欲しいと言ったじゃないか。だから来た。」

「駄目だ。戻って寝なさい。」

相変わらずの対応に響は溜息をついた。

「ねぇ司令官。」

「ん?」

「今の内に2人で逃げ出さないかい?」

「何を言ってんだお前、そんな事をしたら後がどうなるか…。」

「後の事は後でも考えられる!でも今を逃したら次は無いんだ!」

提督を真っ直ぐに見詰めて訴える。

「葛根廟や敦化の件を聞いただろう?向こうに引き渡されたらどうなるか分からない。だったら、私は司令官と一緒に逃げたいんだ!」

詰め寄られて一瞬怯む提督だったが、すぐに言い返す。

「駄目だ。君の身を必要以上に危険に晒すことはできない。」

「でも引き渡されたら解体されるかも…!」

「考えてみろ!解体や海没処分になったのは状態の悪い奴ばかりだ!でも君は違う!」

立ち上がり、響の肩を掴んで揺する。

「君はきっと大切に扱われる。それを逃げ出して処分なんて事にはしたくない。分かるだろ?」

「違う!」

響は叫ぶように言った。

「命が惜しいとかじゃない!私はただ司令官と離れたくないだけなんだ!」

提督は大きく目を見開いた。

「お前…。」

「だから一緒に逃げよう!確かに捕まるかもしれない。でも逃げなきゃ捕まったも同然。だったら、捕まりさえしなければ生き延びられる可能性に賭けたい!」

一気に言い切り、逆に提督の両肩を掴む。

「お願いだ…一緒に逃げて欲しい。」

悲痛な声での懇願に、提督は黙りこくった。響は次の一言を静かに待つ。

やがて、提督は静かに口を開いた。

「…お前の気持ちは良くわかった。」

「じゃあ…!」

「すまない。」

「えっ?」

呆然とする響。提督はそっと肩に添えられた彼女の手をどかした。

「すまない。俺の事は諦めて、そして忘れてくれ。」

重々しく告げられた彼の決断。それは同時に響にもある決断をさせた。

「…そっか。」

響が目を伏せる。

「じゃあ仕方ないね。」

分かってくれたかと安心した提督だったが、次の瞬間、彼は凍りついた。

「…ごめんね。」

響がポケットに手を入れ、何かを取り出した。それは照明の光を反射してギラリと禍々しい光沢を放つ、ナイフだった。

「おい待て、何をする…。」

提督が言い終わるより早く、瞬く間に響が首の高さでナイフを凪いだ。肉を捉えるズルリとした感覚が彼女の手に伝わる。

「かはっ…!」

提督は声にならない叫びを上げ、無意識に両手で首を護りながら前屈みになった。当然、腹はガラ空きだ。

「えいっ!」

響が腹を突き上げ、刺さった得物もそのままに提督を思い切り引き倒した。床に叩きつけられ、ナイフが更に奥深くへと突き刺さる。更に身体を仰向けすると、彼女は馬乗りになった。

「本当は一緒に逃げるのが一番。」

響は提督の腹で呼吸に合わせて上下するナイフを掴み、思い切り引き抜いた。血が飛び散り、彼女の顔に赤い斑点模様を作る。

「でもそれが叶わないなら、こうするしかないんだ。」

再び腹にナイフをあてがって服と肌を切り裂く。そうして開かれた部分に、彼女は手を差し入れた。

「温かい…。」

血に濡れた温かい臓物が、恍惚としている彼女を迎える。

「心は冷たいのにね。」

顔を提督に寄せる。最早意識が朦朧としているのであろう彼の双眸がぼんやりと響を見た。

「ねぇ、司令官…。」

提督が何か言おうと僅かに口を動かしたが、その息は裂かれた喉から漏れ出て声にならなかった。

不意に彼は遠い壁に向かって手を伸ばした。その先には非常ボタン。

「どうして…?私は司令官を心の底から愛してるんだ。なのに…。」

響は瞼を下げると悲しげな表情を見せ、必死に言葉を繋いだ。

「なのにどうして、司令官は私を拒絶するんだ…!」

じわりと涙が浮かべて言葉を詰まらせ、袖で顔を覆う。隠し切れずに見えている口は固く閉ざされ、その内から歯軋りの音がギリッと鳴った。

「嫌われるのは仕方ない。それは司令官の意思だ。でも、やっぱり諦め切れないんだ…!」

腕が下ろされ、再び顔が露わになった。潤んだ瞳に大粒の涙が浮かび、提督の顔に落ちる。出血によって体が冷え始めていた彼には、それがやけに温かく感じられた。

「ずっと傍に居て欲しい。離れるなんて耐えられない。だから…!」

ナイフを握り締めた右手に左手が添えられ、そろそろと振り上げられた。小さく震えているのは、最後の良心の呵責か。だが今更思い止まる理由などありはしない。後戻りできないのは、響自身が一番良く理解していた。そして彼女は全ての迷いを断ち切るように目を閉じ、次の瞬間、カッと見開いた。

「ずっと一緒に居ようね。」

振り下ろされた残酷なまでに鋭い刃先は、狙い違わず提督の首を捉えた。頸動脈が裂かれ、血がドッと溢れ出る。同時に彼の意識は自身の血が噴き出る音を僅かに耳にしたのを最期に途切れ、永久に戻る事は無かった。

 

 

 

響はこれまでに感じた事の無い、えも言われぬ達成感と幸福感の只中にいた。ようやく愛しい人と共にあることができる。願い、待ちわびた瞬間が遂に訪れたのだ。

「あっ…勿体無い。」

たった今切り裂いた首から流れ出る深紅の鮮血を見て呟き、迷いもなく吸い付いた。

「んぐっ…。」

彼女の口腔に血液が流れ込む。鉄のような、しかしどこか甘美なそれが味覚を激しく刺激する。そして口中で十分に味わい、一気に嚥下した。全身の細胞が震え、彼を歓迎する。水などでは決して潤う事はない心の渇きを、彼の血がいとも簡単に潤し、満たしていく。―足りない。そう思った響はそのまま首に歯を立てた。ゴムのような皮膚に歯が食い込むが、なかなかそれ以上先へは進めない。渾身の力を込めて噛み付く事で、ようやく歯は彼の内側への侵入を果たした。そのまま顔を引き、首の皮を引き千切る。そしてゆっくりと、しっかりと何度も咀嚼し、彼を味わう。

「もっと…。」

ナイフで提督の指を切り落とし、爪や骨もそのままに頬張る。噛む度に甘美な血が溢れ出るそれは、彼女が今までに食べたどんなものよりも美味しく感じられた。骨も飲み込めるものは飲み込み、爪はポケットに仕舞う。

全ての手の指を同様に食し終えたところで、いよいよ切り裂かれた腹部に目を移した。細い裂傷を両手でこじ開けて臓物を表に晒す。灯りに照らされてヌラヌラと艶めかしく光るソレに、彼女の神経は昂った。顔を寄せて味見するように舌先で舐め、そのまま口を開いて幾度も喰らいつき、咀嚼しては胃に送る。胃は胃液をもってして彼を溶かし、腸はいち早く彼を取り込まんとその働きを活性化させた。そして分解された彼が血管を、或いはリンパ管を通って身体の隅々にまで行き渡り、文字通り一心同体となる。

響は朝日が昇るまで、提督を文字通り貪り続けた。

 

 

 

 

 

朝9時。

ナホトカへ発つべく響が快晴に恵まれた港を訪れると、待っていた護衛の憲兵団が揃って怪訝な顔をした。出発には提督も立ち会う筈だったからだ。

「提督は如何された?」

憲兵の1人が訊くと、響は不思議そうな表情を浮かべる。

「え?」

「提督もお立会いになられる筈だ。何故居ない?」

重ねての問いに彼女は一層困惑した様子を見せたが、すぐに思い出したように言った。

「あぁ、それなら心配ない。」

「急用でも入ったとか?」

別の憲兵が訊いた。すると響はゆっくりと首を横に振る。

「例え姿は見えずとも…。」

胸に手をあて、爽やかな笑顔を浮かべた。

「ここに、一緒に居るよ。」




最後までお読みいただきありがとうございます。
ヤンデレ響たそに死ぬほど愛されて眠れなくなりたい…いや、眠りたい(永眠)です。
ご意見ご感想、お待ちしております。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。