「それで体の具合は?」
「左手が少し痛みますが、全然平気です!」
「そうか」
津上が教室に姿を見せてから約30分後、津上は保健室のベッドに
今朝病室で目覚めた津上は遠くから聞こえたテレビの音で日付と時間を知ると、遅刻だと焦ってベッド脇に有った自身の荷物をひったくり、着の身着のまま病院から走って学校に向かったのだ。
幸か不幸か、この辺りの土地勘がある津上は病院から学校までの最短ルートを駆け抜け、失踪が発覚する前に学校にたどり着いたというわけだ。
そんな経緯を話すと、相澤は頭を抱え一昨日何が起こったか記憶にあるか確認してきた。
勿論津上は
そう伝えたところ相澤は、呆れて言葉も出ないなとぼやいた。
病室からの失踪はあわや大騒動となるところだったと、20分近く掛けて相澤にみっちりと叱られた津上は、責任をとって退校すると土下座して訴えようとしたが即座に捕縛布で拘束され、それを口にすることはなかった。
現状確認を終えた相澤と津上の間に静寂が訪れる。
校医であるリカバリーガールを待っている最中であるが、その到着にはまだ時間がかかる予定だ。
「俺の力不足で大怪我を負わせてしまった。守ってやれず、すまなかった」
相澤は静寂を切り裂き、深々と頭を下げた。
「頭を上げてください、相澤先生のせいじゃありません! あれは、俺が勝手に!」
突然の謝罪に津上は大慌てで言葉を並べていった。津上からすれば闇雲に突っ込んでいって大して何も出来ず大怪我を負っただけなので、相澤から謝罪を受ける理由が一切無い。
むしろ相澤を含む多くの人たちに迷惑をかけてしまったことを謝るべきは自分だと、ベッドに縛られている状態で出来る限り頭を下げる。そんな謝罪を一部肯定しながら
「それでも、プロにとっては結果が全てだ。命の危機に晒し大怪我を負わせた事実は、お前がどう思おうと変わらない」
重ねて深々と頭を下げる相澤の姿に津上は何も言葉を返せず、そうさせてしまった自分の不甲斐なさをこの上なく悔しく思った。
あの時は、命を捨ててでも、手を汚してでも梅雨やみんなを守ろうという一心での行動だった。そして大した事も出来ず怪我を負い、梅雨を泣かせ、尾白や峰田たちを心配させ、多くの人に迷惑をかけて、今相澤に謝罪をさせている。
強く在れればこうはならなかったと、津上は今改めて思った。
「強くなります。強くなってみんなを守れるように、みんなに心配されないようなヒーローに、俺はなります!」
「ああ、期待してる」
期待と共に津上の肩に置かれた相澤の手は暖かく、表情は柔らかった。
◇
「あんたはまったく、朝から本当に驚かせてくれるね!」
「リカバリーガール! すみません、ご迷惑お掛けして」
それからほどなくして、保健室にリカバリーガールがやって来た。津上の謝罪もそこそこに、リカバリーガールはすぐさま診察を開始した。
リカバリーガールが最初に診はじめたのは津上の頭の様子だ。
脳無に殴られた頭は今となっては痛みは全く無いが、傷がどうなっているのか見当もつかない。包帯の下を確認しているリカバリーガールが時おり上げる悩ましげな声に僅かばかりの不安を覚えた。
立て続けに目の動きの確認や単純な思考問題が出されたが、これといって難しい問題でもなかったのでスラスラと答えられた。
「意識もはっきりしてる。MRIで見た通り、頭の方は問題なさそうだね」
その言葉で津上はホッと胸を撫で下ろす。
頭が終わると次は左腕の診察だ。強い痛みの残るそここそ最大の重症であることは間違いなく、頭と同様に包帯の下がどうなっているのか分かっていない。
慣れた手つきでリカバリーガールが包帯を外すと、人差し指と中指の間から肘に至るまで、くっきりと残る大きな破壊の痕が顕になった。
未だ治りかけの赤みを帯びた生々しいその傷口を見た津上は、他人事のように「そこに沿って裂けそう」だと考えていた。
「滅多なこと言うんじゃないよ!」
どうやら考えが口から漏れていたらしく、リカバリーガールにはこっぴどく叱られ、相澤は呆れたような目を津上に向けていた。
「指を動かせるかい?」
リカバリーガールの指示に従って津上は左手に力を込めるが、動かせたのは小指と薬指だけで、その2本すらも強く曲げようとすると傷口に激痛が走る。
痛みに耐えて無理に動かそうとしたがリカバリーガールに止められ、診ていくから決して動かすなと命じられた。
「やっぱり、治りが早すぎるね」
左腕の容態を一通り診たところでリカバリーガールがそう漏らす。
「リカバリーガールの個性のお陰では無いんですか?」
「わたしの
「じゃあ、どうしてここまで……」
「こっちが聞きたいくらいさ。アンタの個性が何らかの形で作用したのかもしれないけど、今すぐ確証は得られないよ」
今まで生きてきて津上は自身の怪我の治りが目に見えて早いと感じたことは一度もない。専門家が分からない以上考えても答えは出ないだろうと津上は考えるのをやめた。
リカバリーガールの個性でも治せない重傷と聞いて、左手は元通りにならないのだとなんとなく理解し、漠然とした不安がじんわりと胸に染み出してくるのを感じた。
リカバリーガールが
「今日の処置はこれで終わり、治癒も掛けたから午前中はここで寝てるんだよ。いいね!」
「はい……」
「休んだ分の補修はつけてやる。そんな不安そうな顔はよせ」
「わかりました」
リカバリーガールから渡されたグミを口に入れて津上はベッドに体重を預ける。治癒力の活性化により体力が大きく削られたからか、瞼を閉じるとあっという間に深い眠りへと落ちていった。
◇
「――ないな」「――よ」「――だねぇ」「――から、――」
途切れ途切れに耳に入る音が眠っていた意識を浮上させていく。心地の良いその音を微睡みの中でずっと聞いていたい気持ちも湧くが、時折自分に向けられるその
「おはよう?」
「おはよう、津上ちゃん」
津上の第一声に真っ先に答えたのは、津上の事を直ぐ側で見ていた梅雨だった。
それに続いて、飯田や切島たち来ていたA組のクラスメイトが次々に津上に声を掛ける。起き抜けでなくともキャパオーバーな言葉の濁流に慌てふためいて一分くらいはただ返事をする事に終始する羽目になった。
「みんな、ちょっと落ち着こう。津上が困ってる」
尾白が止めてくれなければそれももっと続いていたかもしれない。尾白の言葉でそれぞれが謝ったり申し訳なさそうにするのを見て津上は胸に暖かさが満ちるのを感じた。
「ううん、すごく嬉しいよ。本当にみんな、ありがとう」
津上は、そこにいた一人ひとりそれぞれと目を合わせながら心を込めて感謝を伝える。
そうすると、尾白は朗らかな笑みを浮かべ、峰田は歯を見せて笑い、緑谷は涙を堪える。他のクラスメイトもそれぞれ反応は違えど、安堵しているであろうことは分かった。
最後に1番近くに居る梅雨と目が合うと、梅雨は満面の笑みを浮かべる、細くなったその目には大粒の涙が溜まっていた。
そんな梅雨に対し次にどうすべきか戸惑った津上は、袖で涙を拭った緑谷に声を掛けられ、緑谷の方へ視線を移した。
「津上くん、ごめん。僕のせいで……僕が何も……」
「緑谷、違うぜ。お前だけじゃなくて謝るのはオイラもだ。オイラだって、何も出来なかった」
言葉に詰まっていた緑谷に峰田が助け舟を出した。怪我をさせてしまってごめん、と謝る2人の姿に津上の胸中に申し訳無さが湧いてくる。気にしないでと津上が言葉にする前に、梅雨が2人に続いた。
「津上ちゃん、助けてくれてありがとう」
津上の右手に両手を重ねながら感謝を伝えてきた梅雨を見て、津上は出かかっていた「気にしないで」といういつも使う言葉を飲み込んだ。なんとなく、ただなんとなくその感謝の気持ちを受け止めておきたいと思って、別の言葉を選んだ。
「助けられて、良かった」
きっと、この瞬間の事はこれから先も自分のなかに残り続けると津上は確信した。
「ブラーボー! ブラーボー!」
そんな湿っぽい雰囲気を飯田がガラッと変えた。常闇や障子が静かにツッコミを入れているが、冷静になって気恥ずかしさを覚えていた津上は少しだけ救われたような気持ちだった。
――――グゥゥゥ。
人心地つくと同時に、津上の腹からそれはもう大きな大きな音が鳴る。それもそのはず、一昨日の事件から食べたのはさっきのグミひとつで、ここ2日点滴による栄養摂取だけを行ってきた津上の空腹はとうの昔に限界を越えていたのだ。
照れ隠しに笑いを浮かべた津上だったが、クラスメイトたちは一大事だとばかりに深刻な様子でリカバリーガールに津上の昼食について答えを迫る。もう食べても平気か、何か買ってきていいかと、困っている仲間を放っておかないとてもヒーローらしい振る舞いだ。
「この子の分はもう手配してるから、アンタ達は自分のお昼を考えなさい」
「なら、津上と一緒に飯食いたいんですけど、良いっすか?」
「まあ、しょうがないね、片付けはするんだよ」
切島が一緒に食べる許可をリカバリーガールからもぎ取ると、すぐさま飯田や佐藤、緑谷ら男子たち数名が弁当の買い出しに動きだす、気付けば昼休みも3分の1が過ぎようとしていて昼食を取ることを考えればあまり余裕は無い。
保健室に残った面々はてきぱきとテーブルや椅子を用意していく。
「俺も手伝うよ!」
「絶対に言うと思った」「病人は安静にしておけ」
「だ、だよね」
津上の申し出は言うや否や、耳郎や常闇を筆頭に却下される。それを不思議と嬉しく思った津上は静かにクラスメイトの様子をベッドに座って見守った。
テーブルの準備が完了しようというとき不意に保健室の扉が開いた。買い出し組が帰ってきたのかと目を向けると、そこには怪訝な目を据えた相澤がトレー片手に立っていた。
「何してんだお前ら」
「事の成り行きで津上さんとお食事をご一緒する事になりまして」
「そうか……
八百万の返答を聞いた相澤は一瞬リカバリーガールに目配せし、会釈をして津上の居るベッドへと向かう。その途中で梅雨が相澤に声を掛けた。
「相澤先生も一緒にお昼どうかしら?」
「いや、俺はいい。津上」
「わざわざありがとうございます!」
相澤は持っていたトレーを津上の目の前に置くと、すぐに踵を返し「5限目、遅れるなよ」とだけ言い残して足早に保健室を後にした。
それと入れ替わるように買い出しに行っていた男子たちが両手にビニール袋をぶら下げて戻ってきた。
「みんな待たせてすまない。弁当を渡すから二列に並んでくれ」「いや、適当に配りゃいいんじゃね?」
「相澤先生とすれ違ったけど、何か有ったの?」「先生、津上くんのお昼持ってきてくれたんだ」「あっ、なるほど」
「種類は?」「こっちはアジフライ、からあげ、カルビ弁当だな」「どれにしよっかなー」
弁当が届いてからもずっと話が尽きることはなく、
ちらほらと食べ終えた男子が現れ始めた頃になると、話題は今朝HRで伝えられた雄英体育祭へと移っていた。
津上はHRに居なかったが、多少の事は入学前から知っていたのと、飯田や八百万が開催概要を丁寧に説明してくれたので話についていくことができた。
「津上も出るんだよな、体育祭!」
「勿論!」
気合い漲る切島の言葉に二つ返事で言い放ったが、それに待ったが掛かった。
「あんな大怪我した後で大丈夫なのか?」
「津上ちゃん、無理はしないでちょうだいね」
待ったをかけたのは尾白と梅雨だ。動かない左手の事を思い出し、出場の是非をリカバリーガールに問いかけた。
「今のところは許可出来ないよ。本気で体育祭に出ようと思うんなら言うことを聞いて治療に専念するんだよ」
「分かりました!」
力強く返事をしながら津上は期待の表情を浮かべる切島に頷いてみせる。特に言葉を交わすことはしなかったが、切島たちの期待は裏切りたくない、そう思った。
それからも津上を中心に盛り上がりあっという間に時間は流れた。
「宴もたけなわですが、片付けを開始しましょう」
「そうだな、授業に遅れるわけにはいかん。それでは、ゴミを分別する係と机・椅子を移動する係、拭き掃除を行う係に……」
「もう始めてるぞー」「すぐ空転するじゃん、委員長」
片付けの最中も和気あいあいとしているクラスメイトの姿を、津上はベッドの上で羨ましく眺めていた。そんな津上の下へリカバリーガールが歩み寄り、津上の胴体を縛っていた捕縛布を外した。
「午後の授業は出ていいよ。実技なら見学だけど、その辺は相澤先生の言うことを聞きなさいよ」
「分かりました、ありがとうございます!」
「それと、これから毎日、朝のHR前と放課後はここに来るんだよ」
津上が発した返事で状況を大まかに理解したクラスメイトが「復帰早え」「体育祭出場確定か」と囃し立てる。
すぐにベッドから降りた津上は友達に囲まれながら自分たちの教室への帰路につく。左腕の痛みも今はどうでもいいと思えた。
◇
午後のヒーロー基礎学を終え時は放課後。リカバリーガールに言いつけられた通り、保健室行くことになっている津上は片手で手早く荷物を纏めて出入り口へと向かった。
「なにごとだあ!」
そんな声を上げたのは麗日だった。その視線の先、1ーA前の廊下は黒山の人だかりで埋め尽くされていた。体育祭に向け、
(困った、これじゃあ外に出られない)
片腕を負傷しているので人垣を押し通る訳にもいかず、どうしたものかと頭を悩ませていた津上の横を、不敵な様子の爆豪が通り過ぎた。
一体どうするのかと津上が観察を続けていると、爆豪は人垣に向けて大胆に言い放つ。
「敵情視察なんざ意味ねえから、どけモブ共」
爆豪の高圧的な物言いにクラスの外も中も剣呑な雰囲気に包まれた。だが、その間で津上は爆豪の言葉を異なる意味で捉えていた。
(怪我を負っている俺が通れる道を拓こうと、そんな言葉を選んだのか!)
もちろん断じて違うが、津上の中で爆豪に対する評価がまた上がった。
もっとも、爆豪の言葉は道を拓くどころか、それに反応した生徒の多くが教室ギリギリまで距離を詰めることになって、人垣がより強固になったのは言うまでもない。
このままでは爆豪が更に激しい物言いをしてしまいかねないと危機感を抱いた津上は詫びを入れるジェスチャーをしながら人垣へ向かっていった。
「すまない、保健室に行かないといけないんだ。道をあけてくれないか?」
そう言いながら現れた包帯だらけの津上の姿を見て最前列に居る何名かはギョッとした表情を浮かべ道を開こうとしたが、それ以外の生徒は耳に入っていないようで人が通れるほどの空間は開かなかった。そうして開いた隙間に今度は背の高い紫髪の男子が滑り込む。
「こういうの見るとちょっと幻滅するなぁ」
「そうだよね、こんな包帯まみれの姿、ヒーロー科には相応しく無いよね……」
「は?」
男子生徒――心操人使は、津上の物腰の低さに驚いて胸中の毒気を見失ったようで、二の句を続けられずにいた。
数拍の後に、目の前の
「ありがとう!」
「いや……俺だってヒーロー科への編入目指してるし……体育祭! ヒーロー科だからって慢心してると俺みたいなのに足元掬われるから」
「ああ、お互い頑張――――「そうだそうだ!」
心操の宣言に同調して周囲の生徒たちが声を上げたことで、津上の言葉はかき消された、特に後列に居たトゲトゲしい派手なまつ毛が特徴的な銀髪の生徒の声が大きく響き渡っている。
どうにかして保健室に行きたい津上と、それを察して道を開けようとする心操ら数名の生徒、様子見に来たという本来の目的を忘れ声を荒げる生徒たちで1ーAの教室前は混沌としてきた。
「怪我人の話も聞けねーような連中がヒーローになろうとかガキの
普段は火に油な爆豪の言葉だが、今回に限ってそれは騒動を水を打ったように一発で沈めた。その放つ迫力に気圧され、人垣の中に自然と道が開かれていくのだった。
悠然と歩く爆豪の後ろを津上はついて歩いた。
「ありがとう、爆豪くん」
「あ?」
津上が放った感謝の言葉に爆豪は眉を歪めてただ睨み返した。そんないつも通りの爆豪の振る舞いは津上にとってこの上なく喜ばしいものだった。
体育祭に向けて努力しているのはヒーロー科だけではない、その事実を目の当たりにして津上は体育祭への参加を今一度強く意識した。
その為に必要な治療を先ずは頑張ろうと、足早に保健室へと向かっていった。