濡烏のユーフォリア   作:只野凡骨

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人は鳥が翼を持つのが羨ましいと言うけれど、鳥は人の何かを羨ましがるものだろうか。

インガノックを魔境へと変貌させた《復活》で、少女は翼を得た代わりに笑顔以外の全てを失った。

少女を襲った変異は翼を与えてくれたが、飛び方を教えることは無かった。


地を歩む鳥、空を飛べぬ人

―――私は歩く。歩く。歩く。

 

翼を持つ鳥禽(パルデス)でありながら、私は羽ばたける事を知りながら、歩く。

 

無限雑踏街の人混みの中で、笑いながら。人々が笑顔を忘れたかのように、厳しく、あるいは無表情で振る舞う中、ただ笑顔で。

 

私の歩みはただ私自身の興味に向かい、分からない何かに向かって歩む。

 

 

「こんにちは、ユーリア」

 

私の瞳の片隅に道化師が舞う。皆が知っているけど、皆知らないフリをする仮面の道化師さん。

 

男の人も女の人も、大人と子どもも、インガノックの全ての人の中で踊る道化師さん。

 

「ごきげんよう、道化師さん」

 

私は道化師に挨拶を返す、さも当然のように。

 

舞台で踊れど観客の無い孤独な孤独な独演会。だけど、私は道化師さんの公演を観る。

 

「今日もお散歩です、道化師さん。探しものは見つからないけれど。」

 

「君の探しものは見つからないだろう、ユーリア」

 

道化師さんが私に囁く。諦めてしまえと、夢を捨てよと。

 

私は返す。

 

「見つからなくてもいいの、道化師さん。私は探すことが楽しいから。私が探すのは幸福、幸福を探す事が楽しいの。」

 

「ここに幸福は無いよ、ユーリア」

 

「それでも良いの、それでも歩くの。せっかくだし、道化師さんの幸福も探すの。」

 

幕が降りて道化師さんは消えた。

 

 

 

―――私は歩く。歩く。歩く。

 

マスクをした人、客引きの娼婦、疲れた顔をした商売人、気ままな買い物客。いつものインガノック。

 

無限雑踏街は朝も昼も夜も区別なく賑わっている。区別なく賑わっているのであれば、どの時間でも同じ事。そんなインガノックの事を、私は嫌いじゃない。

 

だからこそ私は歩く。決して飛び方を忘れたわけじゃない。

 

道往く人々の大半は笑顔で歩む私を認識しない。インガノックで自分以外に対して何かを成す事は難しくて、他人を気遣うだけの余裕は無いから。そんな人々も私は嫌いじゃない。

 

でも、気遣わないのであれば話は別。

 

 

「お嬢ちゃんひとりかい」

 

腕を大きな手に掴まれる。大きな熊鬼(オーガ)が私を捕らえる。

 

人さらいかも、と私は考える。多分そうだ、これは人さらいだ。

 

「突然レディの腕を掴むものでは無いと思うの」

 

私は普段の調子で微笑みながら話かける。力では小さな鳥禽の私と熊鬼の大男では比べ物にならず、抵抗は考えるだけ無駄だろうから。

 

 

当然大男もそれなりの目的を持っているらしいので、その返答で手を離す事などしない。

 

「ちょっと来てもらおうか」

 

大男は私の腕を引っ張る。ぐいっ、ぐいっと引っ張られるユーリアはいとも簡単に大男の方向に動いてしまう。

 

困った、と私は考える。誘拐されてしまったら探しものが続けられないじゃないの、といつもの調子で考えて。

 

少しだけ考えてから、私は。

 

大男の腕を思い切り。つねった。ギュッと。

 

「いでぇ!?」

 

大男が驚いて手を離す、大男でもやっぱりつねられるのは痛いらしい。ついでに蹴ってやろうかと考えたけど、私

の足の方が痛そうだからしない。

 

怯んで手を離した隙に、私は走り出した。いつも歩き回っている私の足はそれなりに早いけど、それでも巨躯の熊鬼とは比べる必要もないほどに遅い。まっすぐ逃げてはすぐに捕まる事を私も理解してる。

 

どうしようか私は少し思案して、とりあえず近くのバーに飛び込む。路地の無関心な人々の隙間を縫うよりは上手く行くかもしれない。そして何よりも、何かに背中を押されたような感覚すら覚えて。

 

走ったままバーの扉を勢いよく開き、中に飛び込んだ。鉄の薄い板は普段利用しているであろう客のそれとはまったく違う速度で開け放たれたせいか、扉がバタンと大きな音を軋ませた。

 

 

 

―――バーという空間は、客にひと時の安寧を提供するものだ、とバーを経営する俺は考えている。

 

埃と煙と油にまみれたインガノックという異形の都市でも、酒は人の心の渇きを癒す事が多い。憩の場とはいえ

ど、酒が絡む限り蒸気酒場ほどでは無いものの諍いは起きるのだけれど。

 

静かな薄暗い店内の中でせめてこのくらいは、とグラスをピカピカに磨いていたのだが、勢い良く扉が開け放たれたせいで埃が舞い、せっかくのグラスがまた曇り始める。

 

「お客さん、困るよ。もう少しゆっくり開け…」

 

その先は言えなかった。飛び込んできた少女が、俺に勢いよく抱きついてきたから。もちろん、開け放ったままダッシュで、ダイブで。

 

「わっ」

 

驚きの声は挙げるが、グラスは落とさない。純度の高いガラスはインガノックの下層では高価だ、落とせない。

 

抱きついた少女に俺は抗議のひとつでも言ってやろうと顔を見て、絶句した。

 

少女は悲しみにまみれたインガノックに似合わない顔で。砂漠の中心に突如向日葵が咲いているかのような場違いな顔で。

 

その彼女は、にっこりと笑っていた。

 

「ごめんなさい、急いでいたの」

 

少女は申し訳ないといいつつも笑顔で口を開く。その笑顔とは裏腹に、その声はシリアスなもので、まるでちぐはぐに見える。

 

それと同時に扉が開き、大きな熊鬼が入ってくる。

 

「逃げられると思うな、袋小路って奴だぜ」

 

勝ち誇ったかのように熊鬼は軽口を叩く、事実バーの中には俺と少女だけ、他に客はいない。

 

俺はひとまずグラスを磨くのを止めて、熊鬼を警戒する。

 

「お客さんか、そうでないのか教えて貰いたいね。客なら席に着くと良い、今日はそれなりのものが出せる。それとも客ではないのかな?」

 

ただの客ならば、ただいつも通りに。そうでないのであれば。

 

「なんだてめぇは。そこのガキを寄越せ、そうすりゃ礼に酒の一杯くらい飲んでいってやるよ」

 

ギロリと熊鬼の瞳が光る、暴れれば場末のバー程度すぐ全壊してしまうだろう。

 

暴れてもらっては困る。ここは俺の仕事場であり、命の次に大事なものであり、牙城だから。

 

ひとまず俺は自分の服にシワを作っている少女を見て、苦笑いをしつつ問いかける。

 

「そこの熊鬼の連れ子か何かかい?」

 

できるだけ穏便に。荒事はいつだって最終手段なのだから、もしただの保護者ならば明け渡すだけだ。

 

インガノックでは同一の種族が家族だとは限らない、それが十年前からの変わらない事実。

 

「全然違うわ、この人は人さらいよ。私の腕を急に掴んで、失礼しちゃう。」

 

少女はやはり笑顔で答える、その笑顔もやっぱり場違いで。

 

その返答に俺は既に荒事になると判断し、普段から着用しているステンカラーコートの懐から素早く必要なものを

 

構える準備をする。素手で熊鬼には勝てない、それこそ手慣れた荒事屋(ランナー)でも無い限りは無理というのが常識だ。

童話世界(メルヘン)のような存在である路地の騎士(ストリート・ナイト)ならいざ知らず、俺には手を貸す義理は無いのだが、それでも俺は。

 

「じゃあ、放ってはおけないな。」

 

熊鬼の膂力などなんでもないかのように、語気を強めて。

 

「ここは俺のバーで俺の城だ。出て行かないのであればそれなりの礼儀で答えよう。」

 

当然それで引く熊鬼では無い。自分が有利だと、こんなキザ野郎に負けるはずがないと高をくくっているのだろう。このガキは俺のものだ、と。

 

 

 

世の中は油断こそが災いをもたらす。それが十年という歳月で歪に膨れ上がった不夜城たるインガノックにおいては、一般的な世界よりも大きな意味を持つ。

 

強い力、素早い移動、優れた武器。常に油断せず、必要な最適解を得る事。すなわち、情報という武器。

熊鬼の大男はその巨躯の余裕でそれを見失った。熊鬼は力強い、だが。

 

バーにいる三人、いや、俺を除く二人の耳に轟音が届く。五回分。

 

その音と共に熊鬼の足からは血が噴き出す。熊鬼はしばし呆然としてから、すぐに激痛と脱力で床に崩れる。膂力に溺れた熊鬼は俺の速度と武器という情報を失した代償を支払う。

 

「出て行かないからこうなる。言ったはずだ、ここは俺の城だと。主の言う事を聞けないような奴は…」

俺は五発撃ち終え、残り一発が装填された銃身の長い六連式拳銃(リボルバー)を持ったまま熊鬼の眉間に狙いを定める。

 

悠長にグラスを磨く青年の皮を脱いで、ただ冷静に武器を構える。まるで手練の荒事屋のように。

「こいつに詰まっているのはただの弾薬じゃなくてな、どれだけ硬かろうが貫通するように工夫された特別製なんだ。どうする、石頭とどっちが硬いか試してみようか?」

 

俺は追い打ちのように口を開く。熊鬼はただ勘弁してくれ、と震えた声で叫びながら這いずるようにバーから抜けだした。熊鬼の這いずった後には紅い道が出来上がっている。

 

「とっても痛そう、大丈夫かな、死んじゃったりしないかな」

 

先ほどまで自分を捕えようとしていた熊鬼を少女は心配している。インガノックの住民には珍しい事だ。

俺は一発だけ残ったシリンダーを取り外して、普段装填している弾薬を装填しなおす。五発の通常弾と一発の特殊弾を恙なく込め終える。

 

「貫通はしたが、貫通力がある分無駄に傷口は広がらない。熊鬼ならそのうち治る。それよりお嬢さん、怪我は無いかな?」

 

「それと俺はケルヴィン、君の名は?」

 

少女が微笑む。

 

あぁ、これが本物か。本物の表情か。

 

「助けてくれてありがとうケルヴィン。私はユーリアっていうの」

 

ユーリアの微笑みは確かに本物だった。

 

あぁ、そうかこの子は。微笑んでいるのではなくて。可笑しいとか嬉しいとかじゃなくて。

 

それ以外の顔を忘れてしまったのだと。

 

これが笑顔の鳥禽の少女、ユーリアとただのバーのマスターの俺…ケルヴィンの初対面だった。

 




書き終えた日の19時に続きを投稿します。
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