「…………」
雄英体育祭。それはヒーローの卵が自分を売り込む場であり、それがヒーロー生活の今後を決めると言っても過言ではないほど、重要な行事である。
彼女、芦戸三奈は何も言わず、ただただ天井を見上げていた。
彼女は雄英体育祭で悪目立ちしてしまった。
彼女の個性、【酸】は非常に強力な個性であるが、強力すぎるが故に事故が起こってしまった。
自分の個性は知り尽くしているつもりだったが、彼女の対戦相手――知原厭士という少年の行動一つで全てが狂ってしまった。
酸の恐ろしさは一定の年齢の者は理解している。
酸を弾くような個性を持っていない者はまともに近づくことが出来ないものであると、彼女は思い込んでしまった。それが彼女の失敗だった。
酸が当たらないよう調整すれば問題ないと溶解度を上げ、確実に前に出させないよう考えた。
が、厭士という少年は何を思ったか酸に当たる範囲に出た。
結果、彼に酸が直撃し、彼の肌は焼き爛れた。
彼が治癒の個性を持っていたが故の故意によるものか、もしくは偶然かはわからなかったが、人を傷つけてしまったというショックは非常に大きかった。
しかもそれをヒーローたちに見られ、クラスメイトにも、そしてテレビで放映されたため全国にその失態が晒されてしまい、ヒーローになるという夢が遠のいたかもしれないという状況に陥っていた。
勿論、彼女は人に当てるつもりはなかった。が、あの悲惨な光景を見れば人は怯えてしまうだろう。
人に安心を与えるという職業であるヒーローとは真逆だ。
人を不安にさせるなんて、ただのヴィランだ。と彼女は頭を抱える。
ショックは大きかったものの、厭士への怒りは無かった。
寧ろ、好感度の方が高かった。
あの時、薄れかけた意識の中、彼女の目に入ったのは自分に駆け寄り、すぐ救護に入った厭士の姿だった。
敵であるにも関わらず、全力で自分の治療をする彼の姿は今でも脳裏に過る。
そして顔が熱くなる。
「……あれ?」
この感情はもしかすると――そして彼女の顔は素っ頓狂な顔になると枕に顔を埋めた。
◆
雄英体育祭から一週間が経った。
けれども全国放映の影響か、放送事故のせいか、彼女は悪い意味で噂になっていた。
勿論、事故であるのは理解しているが、危険な個性であると認識されてしまったのである。
そのため、通学時には人から避けられ、ひそひそと自分の悪口を聞こえるように話され、最悪な気分のまま通学していた。
と、そんな時、彼が現れた。
「あ、おはよう芦戸ちゃん」
黒と茶が入り混じった髪に、深く吸い込まれそうな真っ黒な瞳、そしてどこか地味な印象を与えてしまう極めて普通そうに見える少年――知原厭士だった。
彼は酸の攻撃を食らったにもかかわらず、自分のせいだと言い続け、今もあんなことがあったとは思えないぐらい気軽に挨拶している。
「お、おはよっ……!」
「ははは。今日も相変わらずだね芦戸ちゃん」
「う、うるさい! ほら早く行かないと遅刻しちゃうよ!」
「はいはい」
誰にも気軽に接することが出来ると思っていたが、彼の前だとどもってしまう。
理由は不明だ。と彼女は自分に言い聞かせつつ、にやにやと笑う厭士の手を引っ張る。
と、先ほど彼女に嫌味を言っていた男が厭士を見て血相を変えてこちらにやってくる。
「おいあんた! あんた芦戸の被害者の知原じゃねえか! また酸で焼かれるぞ!」
彼は親切心かそれとも嫌味かわからなかったが、周りに聞こえるよう大きな声で厭士に言った。
「――――」
その時、厭士の雰囲気が変わった。
負の感情ではない。どこか、そう体育祭で見せた人を品定めするような、商品を見るような目で彼はその男を見ていた。
「酸で焼かれても大丈夫ですよ。僕の個性は回復ですから」
「……おまっ! こっちは親切心で言ってるんだぞ!」
「ああ、それは失礼しました。でも大丈夫ですよ。彼女はそんな人じゃありませんので」
「ならなんでお前は怪我を負ったんだよ!」
「そりゃ雄英の体育祭ですからね。怪我の一つや二つ、当たり前ですよ。緑谷くんも酷い怪我だったでしょう?」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「そういう問題ですよ」
――怪我に違いなんてありませんから。
そう言って彼はにっこりと微笑んだ。
その言葉に、芦戸はどこか救われるような感覚に陥った。
彼の優しい言葉が、酷く傷ついた心の支えになった。
なんて優しい人物なのだろう。と、彼が自分の勝利のために彼女を蹴落としたという可能性を消し、あれは偶然彼に当たったものであると勝手に認識していた。
恋は盲目というべきか、スケアクロウ直伝の誑しが上手いのか。芦戸はすっかりペースを乱されていた。
現実はマッチポンプで、全て厭士の思い通りという最悪のシナリオだが、芦戸は気づくことなく彼の思い通りに動かされるのだった。
◆
人はいつだって都合の良い言葉を欲しがっている。
必要な人材だやら全て許すやら何やらかんやら。その言葉が故意に吐かれたとしても都合が良ければ疑いもせずその言葉を飲み込む。
人を騙すのに必要なのは誠実さだ。
人に嘘を吐けないような潔白な人間。個性がなく、どこにでもいそうな地味な人間。
そういった特徴がない、普通の人間。そういった人物が一番詐欺師に向いている。
ここぞと云った時にのみ嘘を吐く。それ以外は全て正直に話す。
真実にねじ込まれた小さな嘘に、人は気づかない。
正直者は得をするのだ。
常に誠実であれ。日頃の行いが良ければ人は必ず評価し、人望が生まれる。
僕が与えた影響は中々大きかったようだ。
普通科がヒーロー科を抑えて三位。全国から選びに選んだヒーローの卵が普通科の少年に抜かれるという事実は明らかに学園の雰囲気を変えた。
まず普通科が彼らに嫉妬することは無くなった。
それらは良いことではない。無意識の内に自分たちより格上であるとしていた者が、自分たちと同等として扱われるようになったのだ。
ヒーロー科として特別な教育を受けているにも関わらず、殆どの者が普通科の少年の下である。
そう、普通科とヒーロー科の立ち位置が同じになったのだ。
勿論、それは厭士の順位であり、彼の実力が普通科と比例することはないのだが、普通科という肩書を彼が強調したことにより、一普通科の人間であると皆は認識したのである。
それにより、ヒーロー科も大したことないな、と自分の成果のように彼らはヒーロー科を自分たちと同じ目線で見るようになってしまったのだった。
それは普通科の生徒だけではない。
テレビ中継によりそれが全国に放映されているのだ。
名門校雄英で普通科の少年が三位というのは中々の衝撃だろう。
ヴィラン襲撃を乗り越えたことによる評価が一気に転落した瞬間である。
雄英のブランドがそれだけで落ちることはないが、非常に不味いのは確かだ。
だからだろう。
ヒーロー科への編入の誘いが来た。
そう、ヒーロー科が落ちぶれたのではなく、僕がヒーロー科に編入出来るレベルだったということにしたいのだろう。ちょうどヒーローになりたがっていたのでちょうどいいと特例で急遽僕の編入が決定したのだろう。
僕さえ編入させれば僕の評価が上がり、ヒーロー科の株はこれ以上下がることはないというお互いに損はない提案を出したのだろう。
……どうしようかな。
僕としてはもうヒーロー科に入る意味がない。
心操への追撃にもいいかと思うが、下手をすれば僕を憧れにし、ヒーローへの願望がより強固なものになりかねない。非常に難しい選択だ。あまり選びたくないというのが本音であるが、ここで断ればヒーロー科を目指す普通科の少年というキャラが崩れてしまう。
つまりは、もう一択だ。
選ぶしかない。僕はこのまま普通科からヒーロー科へ編入というシンデレラストーリーを歩むしかないのだ。
まあ、すぐに編入ではなく、向こうの準備が終わり次第ということだそうだが。
ヴィランがヒーロー科の最高峰に入るとは中々面白い話だと思う。
このままヒーローになるのもありかもしれない。
……いやないか。僕にヒーローは向いていない。
皆を救うなんて僕には無理だ。
誰を犠牲にしないなんて、僕には出来ない。
誰かが損をして、誰かが得をする。誰もが救われるなんて僕には出来ない。
僕の個性では誰かが損をする。
ヒーローは好きだし、ヴィランも好きだ。
でも誰かも知らないような人を助けるのは好きじゃない。
普通で個性もないような者を助けて、何が面白いのだろう。
金のためと割り切るべきかもしれないが、それならヴィランでいい。
金も手に入るし、好き勝手出来るヴィランの方がいい。
何が楽しくてヒーローになるんだろう。
芦戸ちゃんにでも訊いてみようかな。
僕は放課後彼女に会えるかどうかラインし、普通科にいる部下に僕がいなくなった時のために引き継ぎをするのだった。
◆
「そういうわけで今回もよろしくね。
「はイ、イやしさん。こんかイは誰にしますか?」
「そうだね。とりあえず緑谷くん辺りをお願いしようかな」
「りょうかイです。では――」
そう言って”い”の発音が独特な彼女は自身の持っていたノートを開く。
その【一年A組】と書かれたノートを開くとA組の生徒たちの写真と事細かく書かれた詳細が載っている。
ただ、一人一人に要されたページが多いにも関わらず、空欄が多い。
と、その空欄に彼女は手をかざす。
すると、その空欄に文字が現れる。
「『【三】緑谷出久はオールマイトに育てられている』」
「……それはヒーロー科全体に言えることだね。もう少し回数を重ねないと難しそうだ」
「そうですね……これじゃスクープになりません。もっともっと調べなイと……」
そう言って彼女は歪んだ笑みを見せる。
彼女――
彼女の個性、【情報収集】は彼女の左目で見た人物の情報一つを紙に写すことが出来る。
その人物の情報レベルは書き記せば書き記すほど貴重かつ本人しか知らないような情報となる。
ただ、個性は一日一回。二十四時間に一回しか使用できないというデメリットがある。
なので使用する人物は選ばないとこのように無意味な情報で終わってしまう。
「ありがとう調ちゃん。君にはいつも助けられてばかりだね」
「イっ……! イえイえ! そんな……役に立つようなことはしてませんし……!」
そう言って彼女は顔を赤らめぶんぶんと首を横に振る。
なんて謙虚なんだろう。とてもヴィランらしくない。
まあそれが彼女らしさというやつなのだろうか。僕の部下にするには勿体ないぐらい強力な個性を持っている。
彼女の個性によりヒーロー科の個性は大体把握できた。
僕が三位という成績を残せたのも彼女のおかげだろう。
「謙遜しないでよ。君は優秀だ。そして僕には欠かせない存在だよ」
雄英での情報収集は彼女がいなければ失敗に終わるだろう。
彼女の個性は重宝すべきものだ。一日一回というデメリットはあるものの、確実に一つ情報を得ることが出来る。そして彼女は新聞部なので情報を調べていても別に文句も言われない。
寧ろ、それが部活動であるため怪しまれることはない。
最高の部下だ。惚れ惚れしちゃうね。
「~~~~っ!!」
……ただすぐ赤面するのは駄目かな。
理由は定かではないが、時折顔を真っ赤にして口調も変になる。
そういえば芦戸ちゃんもそうだっけか。
あれ、僕のせいじゃないかこれ。
今度トガちゃんにでも訊いてみようか。
後日、僕はトガちゃんに刺されるのだが、それはまた別の話。
人見調(ひとみしらべ)
個性、【情報収集】
左目で見た相手の情報を1つ紙に写すことができる。
能力は24時間に1度使用可能。2度目からは本人ではなく写真などで代用できる。
使用回数が多ければ多いほど本人しか知らない情報、貴重な情報を書き写すことができる。