打率.000《ゼロ》の執行人   作:GT(EW版)

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 練習をサボるけど優しい人と、めっちゃ厳しいけど真剣に練習する人、どっちがいいかは分かれるところかもしれません。


WBCでのリーダーシップでイメージ変わったよね

 

 

 武藤流という男は、能力的にはこれといった特徴のない選手だった。

 それも中学時代の実力で言えば、選手としては底辺に近かったほどだ。打てば三振で守ればエラー連発。唯一まともと言えるのはそこそこ速い脚力程度のもので、それも精々が中の上程度のものだった。

 

 しかし、彼は人一倍努力家であり、ストイックな男だった。

 そして何より、自分自身の実力を誰よりも客観視することが出来ていた。

 

 下手ならば、誰よりも練習しよう。

 下手ならば、上手い人の真似をしよう。

 中学時代から壁にぶち当たっていた彼がそうしてたどり着いたのが、日本一有名であり、世界一偉大な安打記録を持つ「エリア51」のメジャーリーガーだった。

 ただ一心、あのメジャーリーガーのようになりたいと。きっかけは少年の日の憧れから何一つとして変わらない、純粋な願いだった。

 そんな彼の思いは野球だけではなく、生活スタイルから何までメジャーリーガーのそれを模倣し、やがて周りから「自分のことをメジャーリーガーだと思い込んでいる精神異常者」と言われるほどまでに、彼はストイックに己を鍛え続けていった。

 

 そして高校一年の秋、彼は地道な努力の末に開花し、とうとう身につけたのである。

 

 

 あのメジャーリーガーに匹敵する――鮮やかなボールの「見送り方」を。

 

 

 

 

 

 

 

 練習前、まだ二人しか野球部員が集まっていないグラウンド。

 そこでは一年生部員である諏訪野聖人と、二年生部員である武藤流が口論を行なっていた。

 

「土中先輩に、今復帰されたら困るから……だから、あんなことをしたんですか?」

「あんなこと? なんのことかな。言っていることがわからないよ」

 

 聖人の目は険しく、対照的に武藤の態度は飄々としている。

 問い掛けに対し、明らかにシラを切っている様子に聖人の表情がより一層険しくなり、彼は怒気を込めて問い詰めた。

 

「土中先輩がキャプテンになるのが嫌だったんでしょう? だから貴方は……!」

「確かに僕は、ブランクのある彼にキャプテンは荷が重いと思っていたけど……それはおかしいことかな?」

 

 口論の内容は、部室に貼られていた悪趣味な貼り紙についてのことだ。

 聖人が土中と共に部室へ入った時には既に貼られていた状態であり、彼らの前に部室を訪れていたのは一人だけ……武藤流しかいなかった。

 聖人が昼休みに部室を訪れた時には、あのような貼り紙はなかったのだ。そういった状況証拠と今現在の彼の態度から鑑みて、あの嫌がらせの貼り紙は彼が貼ったものと見てまず間違いなかった。

 

「なんでこんなことをするんです!?」

 

 土中実が復帰の意志を見せたことで、今日から彼をキャプテンとして野球部が始動する筈だったのだ。しかしそれを、同じ野球部員である武藤が思いも寄らない手で阻んできた。

 彼が真面目な野球部員であり、土中とも仲が良かったと記憶している聖人には、彼の意図が理解できなかった。

 武藤流は羽場や波留寺と同様に、聖人が尊敬していた先輩の一人だ。誰よりも真剣に練習に取り組む姿には始め彼のことをモノマネ芸人と揶揄していた者達さえ評価を改め、試合でもヒットこそなかったものの、彼の異常な出塁率はチーム総得点の6割を叩き出していたほどだ。

 彼と羽場、そして土中の力が合わさればパワフル第二高校は甲子園にだってきっと行ける。そう信じていたからこそ、チームをバラバラにするような行動が聖人には許せなかった。

 

 土中のキャプテン就任が嫌ならば、他にいくらでもやり方はあった筈だと。

 それをあえて、あのような陰湿なやり方で拒絶したのが武藤だ。そんな彼は、怒りと疑念が混じった聖人の問いを受けながら――練習時と同じ真剣な表情で言い返した。

 

「僕には、畜生になってでもなさなければならないことがある」

 

 それは一体……何を言っているのか?

 

 諏訪野聖人には、彼の目がどこを見据えているのかわからなかった。

 しかしそこには遊びやふざけているような雰囲気は微塵もなく、断固たる決意が込められているように感じた。

 それは思わず、聖人の言葉が詰まるほどに。

 

「……っ」

「彼がああなってしまった以上、僕は僕のやり方で甲子園を目指す。そういうことさ」

 

 言いながら、武藤がランニングに向かい聖人の横を走り去っていく。

 その場に取り残された聖人は一人、彷徨うような声で呟いた。

 

「この野球部は……もう、駄目かもしれない」

 

 姉から聞いた羽場の実力から甲子園へ行ける強さを見込んで入学した、この野球部。

 しかし当の天才投手である羽場布郎の記憶喪失から始まって、その道行きは深い暗闇にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日。

 

 

「波留寺前キャプテンから指名を受けて、新キャプテンに就任した武藤流だ」

 

 目論見が外れ、土中実が復帰しなかったことから波留寺広はついに決断した。

 野球部の新キャプテンとして、次点の候補に挙げていた武藤流を指名したのである。

 武藤は日頃の練習態度は申し分なく、チームでは記憶喪失前の羽場と同様、早い時期からスタメンに名を連ねていた身であり実戦経験も豊富だ。人当たりもこれと言って悪い噂は聞かず、土中ほどではないにしろそれなりの人望もあった為、彼のキャプテン就任は他の部員達からもおおむね好意的に受け入れられる形となった。

 

「出たわね」

「あー、やっぱり二セローか」

「ヒット打たないくせに妙に風格あるからなぁ」

 

 率先して周りを引っ張る人間ではない、というのが現状の評価であったが、その辺りのことはキャプテンをやっていく中で成長してくれればという波留寺の判断だ。

 この話は監督にも通っており、彼の新キャプテン就任はスムーズに取り行われた。

 

 そんな新キャプテン――武藤流は部員達を集合させた中で、自らの意気込みを語った。

 

「さて、分不相応にもこの立場についたわけだけど、先輩から指名された以上、僕は本気で上を目指すつもりだ」

 

 彼の口元には今、トレードマークだったメジャーリーガー的口ひげが無くなっていた。

 キャプテンに就任した彼なりの決意表明のつもりなのだろう。今朝からゴッソリ綺麗にそり落とされていたのである。

 おかげで顔立ちは高校生らしくさっぱりしており、元々口ひげが似合っていなかったこともあり妙に凛々しく見えた。

 

 ……いや、今の彼の姿は、見紛うことなくイケメンである。ひげを剃っただけでこうまで印象が変わるものなのかと思ったのは、今日の彼の顔を見た誰もが抱いた感想であろう。

 

 しかし世の中には帽子を外したり髪を伸ばしただけで超絶イケメン化する高校生もいるのだから、それ自体は大して珍しい話ではないだろう。

 

 そんなイケメン――もはやニセロー呼びが似合いそうにない没個性的な姿の彼は、野球部員一同を前にして言い放った。

 

 

「だから、始めに言っておく。真面目に戦う気のない、浅いところで野球をなめている奴は今すぐここから去れ」

 

 

 気迫――怒鳴り声でもないその言葉には、内なる信念を宿しているような強い響きが込められていた。

 そんな新キャプテンの言葉を受けて、一同が浮かべたのは困惑の表情だ。

 しかし彼らの中に、言葉通りこの場から立ち去ろうとする者は居なかった。

 そんな一同の様子を見回し、感心げな声を漏らしながら彼は言った。

 

「一人も去らないのか……意外だね。てっきりみんな、やる気がないから彼のことを煙たがっていたのかと思ったよ」

「どういうことだ?」

「いや、そうじゃないならそれでいいんだ。全員残ったということは、ここにいるみんなには甲子園を目指す気があるんだと判断する。だったら僕も、遠慮なくビシバシやっていくからそのつもりでいてくれ」

 

 ただならぬ剣幕を漂わせた彼は、微かに笑いながらそう言って手を叩く。

 就任挨拶もほどほどに、新体制における最初の練習が始まった。

 

「さあ、練習をしよう」

 

 

 

 

 そんな彼の様子を満足げに眺めていたのが、前キャプテンの波留寺広だ。

 昨日まで彼のことをストイック過ぎて周りを引っ張るタイプではないと思っていた波留寺だが、ここにきてそれは嬉しい意味で杞憂だったのかもしれないと評価を改めた。

 

「武藤の奴、やれそうじゃないか」

 

 思えば彼は、記憶を失う前の傍若無人な羽場とも友好的に接していたのだ。今までは羽場が前に出ていた為に目立っていなかっただけで、元々その気になりさえすれば土中のように周りを引っ張っていくことが出来たのかもしれない。

 ただ、その土中の動向が今もまだ不明瞭なのが残念なところだ。彼もまた重要な戦力である以上、出来るだけ早く踏ん切りをつけて戻ってきて欲しいのが波留寺の思いだった。

 

「凄かったでやんすね、二セロー君の迫力」

「ああ、本物のメジャーリーガーかと思った。前からあんな感じだったのか?」

「いや、あんまり物を言うことはなくて、黙々とやるタイプだったでやんす」

「へぇ〜、立場が人を変えるって奴かねぇ」

 

 新チームは早速、前キャプテンの予想をいい意味で裏切ったようだ。

 これがそのまま良い方向へ向かってくれればという思いだが、新キャプテン武藤の方針は波留寺とは大きく異なるものだった。

 

「コラッ! なんでボールを追わないでベースカバーに向かった!? そこはお前の守備範囲だろう!」

 

「外野手は前の打球をちんたら拾っているんじゃない! 足の速いバッターなら二塁行かれるぞ!」

 

「矢部は人様にボールを当てるんじゃない! それが許されるのは奥居選手だけだ!」

「申し訳ないでやんす……」

 

 新キャプテンに任命された武藤流は、昨日までの彼とは明らかに違う気迫だった。

 波留寺から見ても少し気張りすぎではないかと思うほどに、彼は初日から声を張り上げ、他の部員のたるんだ姿勢に対し積極的に介入していった。

 

 ――その極め付けが、波留寺も手を焼いていた(ばん)の扱いである。

 

「萬」

「ん?」

 

 萬 半次(ばん はんじ)。このチームにおいて、本来なら羽場に次ぐ能力を持っている二年生である。

 大柄な体格を生かした高い長打力はもちろん、見た目に反した軽やかなフットワークから広大な守備範囲を誇る、チームのショートストップだ。

 

 素質的には名門校のレギュラーを十分に張れるであろう、攻守に隙の無い5ツールプレイヤーである。しかしそんな彼は現状、チーム一の問題児でもあった。

 

 彼は非常に高い能力を持ちながらも、隙あらば練習から外れ、ベンチに座り堂々と漫画を読み始める重度のサボりぐせが染み付いているのだ。

 そんな彼のことは監督さえも匙を投げる始末であり、試合においても十分な実力がありながらベンチ外に甘んじている現状だった。

 彼を真面目に練習に向き合わせることもまた、このチームの至上命題であろう。

 しかし、新キャプテンである武藤が彼に下した対応は、放置でも説得でもなかった。

 

 

「これでよく野球部が務まるな」

「うっ……」

 

 そう言って詰め寄った武藤は、萬が漫画を読みながら座っていたベンチを乱暴に蹴り上げると、投げ出された彼の姿を冷酷に見下ろした。

 突然のことに尻餅をついた萬もまた、そんな彼の「記憶喪失前の羽場」のような態度に目を丸くしていた。

 

「よ、容赦ないでやんすね……」

「まあ、あれはどう見ても萬が悪いよ。せっかく上手いのにもったいない」

 

 前キャプテンの波留寺は穏やかな性格であり、誰に対しても人当たりの良い人柄であったが、武藤流の方針はそんな彼とは明らかに違っていた。

 就任挨拶の時に見せた凄みと同じ目で萬を見下ろす姿は、側から見ても背筋が震え立つほどだ。

 そんな彼の、昨日までとは人が変わった様子に、波留寺は先輩ながら思わず「こわっ」と呟いてしまう。

 萬半次は気難しい性格である為にこのような荒療治は危険だと判断し、キャプテン時代の波留寺はあえて避けていたのだが……武藤に睨まれた彼は一触即発の雰囲気になりかけたものの、最後は不貞腐れながらも練習に戻っていった。

 

 

 そんな彼らの様子を余所目に映していた投球練習中の羽場に向かって、波留寺は「余所見しているな」と叱責する。

 

「お前は人のことより、まずは自分のことだ。どうだ? 記憶の方は」

「すみません、全然思い出せません」

「だろうなぁ。目が違うもん」

「目?」

「ボールを投げている時のお前は、もっと人を殺しそうな目をしていてな。あれと平常心で向き合えるのは、うちじゃ武藤ぐらいだったよ」

 

 野球の天才羽場布郎。彼はいかんせん我が強すぎる性格であったが、波留寺に「どこまで上り詰めていくのか見てみたい」と思わせるほど途方も無い、圧倒的な野球センスを秘めていた。

 

 彼が何より凄まじく感じたのはボールの速さやキレもそうだが、一度マウンドに上がった際に放つその「威圧感」だ。

 

 対峙した時点で全く打てる気がしないと思ってしまう彼の投球には恥ずかしながら波留寺も歯が立たず、チーム内で唯一噛みついていたのが武藤流だったのである。

 

「武藤君と俺は、対戦したことあるんですか?」

「何度か紅白戦でな。聞いて驚くなよ? 10打席やって、3打数3三振だ」

「全勝かぁ……あれ? 打席の数とあってないじゃないですか」

「ああ、それはな」

 

 羽場布郎と武藤流――彼らはお互いにお互いをライバル視していたようだが、その戦績はヒットの本数を見れば羽場が彼を圧倒していた。

 しかし、武藤流の真骨頂はバットが生み出す打球の結果ではなく、驚異的な出塁数にあった。

 

「残りの打席が、6四球と1死球だからだ」

 

 こうして改めて振り返ってみると、あまりにも歪な戦績だと波留寺は思う。

 武藤は羽場から一本としてヒットを打っていないにも関わらず、七割もの出塁率を叩きだしていたのだ。

 その言葉に自身の記憶を失っている羽場が他人事のように驚くと、次に呆れ顔を浮かべた。

 

「なんですその四死球数。俺って、そんなにノーコンだったのか……」

「いや、普段のお前は簡単にフォアボールを出すタイプじゃなかったよ。精密なコントロールってほどでもなかったが、ストライクを取るのに苦労したことはなかった。だけどただ一人、アイツを相手にしていた時だけは別だった」

 

 記憶喪失前の羽場いわく、打席に立った武藤流には、何故だか投手が投げにくいと感じる「雰囲気」があったのだそうだ。

 投手経験のない波留寺には今一つピンとこない言い分であったが、天才羽場が唯一嫌がっていたのが武藤流という男であり、打率ゼロのリードオフマンだった。

 

 そんな彼のことを語っていると、当の武藤が傍らに諏訪野聖人を伴いながら呼びかけてきた。

 

「羽場」

「あ、ハイ」

 

 彼の萬との一部始終を見ていた羽場は、同級生ながら恐々と背筋を伸ばし、どこかぎこちなく返事を返す。

 武藤はそんな彼の、記憶喪失前からは考えられない姿に苦笑を浮かべながら指示を言い渡した。

 

「記憶復活のヒントになるかもしれない。僕が打席に立つから、君はマウンドに上がれ」

 

 そうして、二人が行う十一打席目の勝負――記憶を失った羽場にとっては、初めての対戦が行われた。

 

 

 

 




 次回予告

萬「武藤という男は……畜生だ」

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