太陽が天より僅かに低い時間、海国の宮殿の奥に住んでいるシュイリーは、出掛ける準備をしていた。
今彼女が着替えているのは、本来自分が着るドレスではなく女官が着るべき女官服だ。
何の防護の施しもされていないので、もし襲われでもしたら一撃で終わってしまう。しかしその格好が、彼女の信じる一般人の格好だった。
(これなら、何処にでも居る村娘に見えますわね)
自分の格好を再度確認してからシュイリーは、目的の場所に向かい始めた。
向かう場所は、宮殿の中庭にある花園だ。そこには様々な花が植えられており、四季折々に花が咲き乱れる。
その一角に、目的の物がある。
中庭に到着したシュイリーは、普通に進めるのを確認し
(やはり、あの陰陽師は今は離れているのは本当みたいですわね)
シュイリーの脳裏には、狐顔の陰陽師の姿が過った。
実は今から使おうと思っている物、ねこやのドアは、普段はその狐顔の陰陽師が占有しており、普段は他の人に使わせない為に迷いの術が掛けられているのだ。
それにより、そのドアから一定範囲に入るとドアから離れてしまうのだ。
しかし、今日はその狐顔の陰陽師は外務を担当している宰相から酒宴に誘われており、無下に出来ない為に宮殿を離れているのだ。
そして大概の術は、術者が遠く離れると効果を失うものだ。
狐顔の陰陽師が宮殿から離れるという話を教えてくれた女官に、シュイリーは心中で感謝しながら、3ヶ月振りにねこやのドアの前に立ち
(久しぶりに食べられますわ)
と思ってから、ドアを開けた。軽やかなカウベルの音が鳴り響き
「いらっしゃいませー!」
「おや、シュイリーさん。お久しぶりです。何時もので?」
元気なアレッタの声の後に、明久が出迎えた。シュイリーは空いていた席に座り
「ええ……カルビ丼をお願いしますわ」
「承りました。少々お待ちください」
明久は微笑みを浮かべてから、空の器が乗ったトレイ片手に奥に消えた。すると、入れ替わりに早希が現れて
「お冷やです。お代わりの際には、お声掛けください。それでは」
と冷えた水の入ったコップを置いて下がった。早希の所作を見ていたシュイリーは
「……女官に欲しい人材ですわね」
と本音を漏らした。
シュイリーがねこやのドアを知ったのは、本当に偶然だった。その日も、狐顔の陰陽師は宮殿から離れていて、シュイリーはその時夜の散歩で中庭に来ていた。
その時に、ねこやのドアを見つけた、
最初は困惑し悩んだが、ドアを開けて入ったら受け入れられた。その時は明久と店長の二人だけだったが、二人はまるでシュイリーを何処にでも居る一人の少女として受け入れ、それが新鮮だったシュイリーは狐顔の陰陽師が居ない時に来るようになったのだ。
(何れは、私だけのドアを見つけたいですわ)
店内の話を聞く限り、ねこやのドアは様々な所に出現するらしいから、今は狐顔の陰陽師が居ない時にしか来れないが、信頼出来る女官達に頼んで探してもらっている。
(その時が楽しみですわ)
そう考えていると、霊夢が来て
「お待たせしました、カルビ丼です。デザートは食後にお持ちします……どうぞ、ごゆっくり」
とシュイリーの前に、丼とスープの入った器が乗せられたトレイが置かれた。一礼した霊夢は静かに下がり、それを見送ったシュイリーは生唾を飲み込んでから丼の蓋を開けた。
すると、濃厚なタレの匂いがシュイリーの鼻を刺激してくる。
(ああ、この匂い……最初を思い出しますわ)
シュイリーがカルビ丼に魅了されたのは、正に初めて来店した時になる。その時は夜遅くで、夕食を食べてから大分時間が経っており、育ち盛りだったシュイリーはお腹が空いていた。
なんとか我慢しようとしたが、香ばしいタレの匂いに刺激されてお腹が鳴ったのだ。それを聞いた明久と店長は、シュイリーも一緒に食べるかと誘い、出されたのが二人の夜食として作っていたカルビ丼だったのだ。
それ以来、カルビ丼はシュイリー専用メニューになっている。
(まずは、匂いを楽しむ……)
箸で一口分持ち上げると、シュイリーは濃厚なタレの匂いを嗅いだ。海国では嗅げない匂いに、ドンドンと食欲が刺激される。
(そして、思い切り食べる)
宮殿では出来ない豪快な食べ方も、醍醐味だろう。口の中に広がるタレの甘辛い味。そのすぐ後に、海国よりも甘い米の味が広がる。
(早く、海国でもこの米が食べたいですわ)
海国では日常的に食される米だが、少し茶色く、パサパサしている。その差が分からず、シュイリーは女官達と一緒に庭の一ヶ所で様々な試みを繰り返している。
それはさておき、そこからシュイリーは豪快にカルビ丼を掻き込むように食べていく。
(ああ、美味しいですわ……!)
米だけでなく、肉。野菜とタレ。それらが合わさり、調和して、シュイリーを魅了する。
そして、あっという間にカルビ丼を完食し、味噌汁を飲んでいると
「お待たせしました。デザートのアイスです」
とアレッタがシュイリーの前に、アイスを置いた。最近では、遠く離れた砂の国で作られたと聞いているが、どうやら再現出来たのだろう。
それを少しずつ食べてから、シュイリーは胸元から財布を取り出して
「お代ですわ」
と銀貨を、明久に差し出した。受け取った明久は、ポケットに仕舞い
「こちら、サービスのカルビサンドイッチです。またの御来店をお待ちしてます」
とシュイリーを見送った。
宮殿の中庭に戻ったシュイリーは、消えていくドアを見ながら
(早く、私だけのドアを見つけますわ!)
改めて、心に決めたのだった。