魔族の国、通称魔国が出来たのは。今から約50年前になる。
当時、領土拡大戦争を一段落した帝国の王のヴィルヘルムが一人で魔国に入り、魔神戦争の唯一の生き残りの魔王。魔獣王アルティーナを説き伏せて臣下とし、飛び地の領土。魔国を帝国傘下の国として認めたのだ。
それから魔国は、帝国を皮切りに様々な国と交易を開始し金銭を得て、更には戦闘が得意な魔族を戦闘が起きる各国の最前線に送った。
それらにより、魔国は繁栄し王は二代目に変わった。
アルティーナの子、ラスティーナに。
「魔王様、これで本日の政務は終わりです。お疲れ様でした」
「ええ。貴方もお疲れ様でした。この後はゆっくり休みなさい」
ラスティーナのその言葉に、人間の文官は深々と頭を下げて退室し、見送ったラスティーナは椅子に深々と体を預けた。
長時間酷使して痛む目をほぐしながら、ラスティーナはメイドが用意してくれていたコーヒーを飲み干した。
ちなみに、何故人間の文官が居るのかだが、これはアルティーナが王になると決まった際に取り決めた約束の一つで、お互いに人員を送る事で双方の文化ややり方を知り、取り入れる為である。
更にアルティーナは魔族の中では頭がかなり良かったが、王になった時は政務に慣れていなかったので、ヴィルヘルムに文官を頼んだからなのが始まりだ。
それはさておき、コーヒーを飲み干したラスティーナは
「魔王様……か……」
と呟いた。
ラスティーナが王となってから、約20年。
ラスティーナは何回も、王の座を他の魔族に引き渡すべきではないか、と考えていた。
その理由が、ラスティーナが《最弱の魔王》だからだ。
最弱の魔王
これは、先代のアルティーナが魔神戦争を生き残り、魔獣王と呼ばれる程の強さを誇る魔王だったのに、ラスティーナの戦闘力が今現在存在するあらゆる魔族の中で最弱から呼ばれている。
魔族の価値観は強さこそ第一、というのが根強く残っており、それに照らし合わせるとラスティーナは相応しくないとなるからだ。
「……何故お母様は……私を後継者に指名したのだろう……」
ラスティーナは王になってから、何回もそう思っていた。
アルティーナは魔獣王と呼ばれ、まるで冠を彷彿させる見事な七本の角に、振るえば全てを切り裂く爪、駆ければ飛燕を思わせる脚を有した偉大な王だった。
しかしラスティーナは、髪を掻き上げないと見えない二本の小さな角に、背中には扇代わりにしか使えない非力な翼しかない。
故に、最弱の魔王と呼ばれている。
「……戻りましょう……少しでも鍛えないと……」
自宅に帰って、日課としている鍛練をしようと決めた。
とはいえ、母から名実共に王を譲られてから約二年。鍛練をする時間は減ってきているのだが。
「ファル、私は自宅に戻ります。着替えの手伝いは不要です」
「承りました」
石化の魔眼を有するメドゥーサのファルは、メイド兼護衛役だ、に予定を伝えて、城から出たラスティーナだったが、自宅でまさかの物を見つけた。
「……なんですか、これは」
今朝出る前には無かった筈の扉が、自宅の庭にあった。
初めて見る扉に、ラスティーナは驚きながらもゆっくりと近づいた。
シンプルながらも見事な扉だが、凄まじい魔力を感じる。
「……確か、古代エルフが空間に関する魔法を研究していた、と文献で見たことはあるが……まさか、これ……なのか?」
その文献には、研究していた、としか書かれておらず、肝心の結果については書かれていなかった。しかし、今まで感じた事もない膨大な魔力に、僅かに見える空間の揺らぎ。
それらから考えて、古代エルフの空間に関する魔法の研究は成功していた、と判断した。
「しかし、何故今さらこんな場所に……」
最初は古代エルフが空間に関する魔法で、過去から未来に攻撃してくるのか、とも思ったが、扉が動く気配はない。
「……ん? この看板の文字は……東大陸語か? ……異世界食堂?」
異世界食堂というのが分からず、考えるラスティーナだったが
「……考えるだけじゃ解決しないな……よし」
意を決したラスティーナは、扉を開けた。
心地よい鈴の音が聞こえて
「いらっしゃいませ! 洋食のねこやにようこそ!」
ラスティーナを出迎えたのは、アレッタだった。
ラスティーナはアレッタが半魔族と察しながらも、周囲を見回して
「ここは……」
「あ、初めてのお客様ですね? ここは洋食のねこや。通称異世界食堂と言います! 私たちからしたら、全く違う世界の料理屋なんです!」
固まるラスティーナに、初めてと分かったアレッタは軽く説明をした。
説明を聞いたラスティーナは、背後の扉を見て、扉上部に掛けられている鈴が空間魔法の要だと気付いた。
それと同時に、店内に充満する赤き龍の気配にも気付いた。
「なるほど……」
「空いてる席にお座り、お待ちください。直ぐにお水を持っていきますので! はーい! ご注文を聞きまーす!」
アレッタに促される形で、ラスティーナは空いてる席に向かおうとした。すると
「あら……もしかして、ラスティーナ様ですか?」
「え……? あ、アーデルハイト姫殿下!? 何故此処に!?」
ラスティーナは、まさか魔国の上役とも呼ぶべき国。帝国の姫のアーデルハイトが居る事に驚きながらも、片膝を突こうとした。するとアーデルハイトは、それを片手を上げて制止し
「ここでは目立ちますので……隣へどうぞ」
「は、はい……失礼します……」
アーデルハイトに促され、ラスティーナは六人座れる席の、アーデルハイトの左側の席に座った。なお反対側にはシャリーフが居り、シャリーフの前に妹のラナー。アーデルハイトの正面にヴィクトリアが居る。
ある意味、大国の王族揃い踏みである。
そしてラスティーナだが、ヴィクトリアを除いて、全員と顔見知りではあるのだ。
「アーデルハイト姫殿下だけでなく、シャリーフ王子にラナー姫まで……そちらの方は……」
「私はサマナーク公国王女。ヴィクトリア・サマナーク」
「貴女が、あの魔道具開発師の……初めまして、魔国の王。ラスティーナです」
ヴィクトリアと挨拶したラスティーナは、改めて店内を見回し
「先ほどの店員が言ってましたが、ここは異世界食堂と言うんですね……?」
「はい。私たちからしたら、全く違う世界なんです」
「調度品からも、分かるだろうか?」
シャリーフの言葉に、ラスティーナは近くのピアノの上にあるラジオや真上のLEDを見たりした。確かにそれらは見た事がない物ばかりだ。
「異世界……」
「はい。ですから、私たちの知らない料理を多く出しています」
ラナーはそう言って、ラスティーナの前に早希が持ってきたメニューを置いた。確かに、ラスティーナの知らない料理ばかりだ。
「どうせなら、何か食べましょうか」
「恐らくお客様は、財布を持ってきていないでしょう? 最初はそういう方が多く、ツケで注文出来ますよ」
アーデルハイトが言ったタイミングで通り掛かった霊夢が、ラスティーナに補足した。
するとアーデルハイトは、メニューをパラパラと開き
「確かラスティーナ様は、果物は苦手でしたよね?」
と問い掛けた。
「ええ、そうです。甘いのは好きなのですが、果物は少々……」
とラスティーナは答える。これは、魔国の環境が理由に挙げられるだろう。何故か魔国内では、果物は全く生育出来ないのだ。それ故、ラスティーナは果物の風味に慣れておらず、どうにも苦手なのだ。
そしてラスティーナは、アーデルハイトの記憶力に驚いていた。
ラスティーナとアーデルハイトが会った回数は、たったの二回。
最初はアルティーナに連れられて帝国に訪れた時で、その時はまだ二人とも幼かった。そして二回目は、ラスティーナが王になった際に帝国を訪れて、制式に魔王になったのを告げた時になる。
その二回共に、会食したり会話したりしたのだが、その時にした会話をアーデルハイトは覚えていたのだ。
「では……これにしましょう」
「承りました。少々お待ちください」
アーデルハイトは少し考えると、霊夢にメニューの一ヶ所を指差して注文したようで、霊夢は下がった。
そしてアーデルハイトは、少しラスティーナを見つめて
「……何か、悩み事ですか?」
と優しく問い掛けた。
「……私は、王に相応しくないかもしれません……」
アーデルハイトからの問い掛けに、ラスティーナはまるで絞り出すかのように呟いた。
それから、ラスティーナは全てを吐き出した。
ラスティーナは、あらゆる魔族の中でも最弱の部類で、だから一兵士にすら侮られている。中にはラスティーナを引きずり下ろそうと考える魔族すら居るということを呟いた。
全てを聞いたアーデルハイトは、シャリーフに視線を向け、その意図を察したシャリーフは
「……貴女が最弱の王でも、私は構わないと思う」
と告げた。
驚いたラスティーナが、俯いていた顔を上げると
「確かに中には、自ら最前線で指揮・戦う王も居るだろう。しかし、大概の王というのは後方から指揮する。それは何故か……王自ら戦うというのは、殆どが負け戦を繰り返した末期だ……だから、王というのは後ろでどっしりと構え、最適な人員を配置し、指揮する。そういうものだ」
「私たちのお父様も、後方から指揮するわ」
シャリーフに乗っかって、ラナーが補足してきた。
それを聞いたアーデルハイトは
「……お祖父様がよく、王に必要なのは賢さだ、と仰っていました」
「賢さ……」
アーデルハイトの言葉を聞いた時、ラスティーナはある事を思い出した。
まず最初に、アルティーナがヴィルヘルムに王として指名された理由は、当時居た魔族の中で最も賢かった事。
そして、アルティーナから常々賢くあれ。と言われていた事。
そして、そこで気付いた。
確かに、魔族は戦闘力を重視する。しかし、戦闘力が高くても、頭が良くなければ政治はなりたたない。
自慢ではないが、ラスティーナは今まで一度も政務を滞らせた事はなく、更には人選でも失敗した事が無かった。
実を言うと、魔国の首都。通称魔都の防衛隊の隊長をコロシアム最強の剣闘士のライオネルにしてからは、魔都に一度も魔物の侵入を許した事もなく、犯罪の発生率も最低を一年ごとに更新している。
政策も上手く機能し、野菜の収穫量や交易も年々うなぎ登りに増収益を記録していた。
そしてラスティーナが知らないだけで、最弱の魔王の他に、賢魔王という呼び名が増えてきているのだ。
「戦いは強い者に任せ、王は国を繁栄させる事を命題とせよ……何よりも国を栄えさせる王というのは貴重なのだ、とお祖父様は仰っていました」
アーデルハイトのその言葉に、ラスティーナは自分の中で何かが固まったような気がした。
その時になり、クロが現れ
《お待たせしました。モカチョコレートパフェです。どうぞごゆっくり》
とラスティーナの前に、ソレを置いた。
全体的に黒色と焦げ茶色のパフェ、モカチョコレートパフェだ。
「さあ、どうぞ。私はこちらの方が好きなのですが、そちらのパフェも美味しいのですよ」
アーデルハイトはそう言って、ほぼ同じタイミングで置かれたフルーツが盛られたパフェを食べ始め、シャリーフとラナーも置かれた料理(メロンソーダフロートとコーヒーフロート)に口を着けた。
そしてラスティーナは、置かれた長いスプーンを持ち
(まあ、異世界なのですから、美味しいのかもしれませんが……)
と考えた。
ラスティーナからしたら、黒や焦げ茶色は苦いという印象しかないからだ。
そしてラスティーナは、意を決してスプーンで掬って口に運んで
「……これは、カッファ……?」
と呟いた。
それは、帝国を介して輸入した砂の国の商品の一つ。
「はい。この異世界食堂では、コーヒーと言います。そのカッファを冷やした牛の乳。アイスクリームに掛けているのです」
甘く冷たい白いのがアイスクリームと知り、ラスティーナは興味深かった。アイスクリームのことは、話には聞いていた。砂の国と帝国で共同開発された魔道具を使って作られる新しいお菓子。
それだけでなく、フワフワとした甘いのもある。
「こちらは……」
「それは、生クリームと言うそうです。そちらも牛の乳を使って作るそうです」
ラスティーナが見ているのを気付いたアーデルハイトが、自分のパフェの生クリームを掬って説明する。
更に、カッファの苦味と甘さだけではない苦味と甘さも感じる。
「この苦味と甘さは……この焦げ茶色……か?」
「そちらはチョコレートと言います。様々なお菓子に使われています」
「チョコレート……そんなお菓子が有るのですね……」
ラスティーナは感心しながら、更にスプーンでパフェを食べ進める。一番上の生クリームやアイス、チョコとコーヒーを超えた下。その下には、四角い黒い塊が見える。
「……これは、カッファの塊……?」
「はい。コーヒーゼリーと言うそうです。カッファをお菓子にした物のようです」
次に食べたのは、日本発祥のデザート。コーヒーゼリーである。実を言うと、アイスコーヒーも明治時代に日本が生んだ飲み物だ。明治時代までコーヒーは熱いものしか飲まれていなかったが、その頃に瓶にコーヒーを詰め、井戸水や冷たい川の水で冷やしたのが始まりとされ、一躍有名になったのは関東大震災から数年後に日本で行われた国際会議での事らしい。
そして同じ冷やしたに、コーヒーゼリーがデザートとして提供され、一躍有名になったらしい。
「不思議な食感ですが……中々に美味しいですね」
「そうですよね。私も初めて食べた時は驚きました」
コーヒーゼリーを食べて感想を言うと、アーデルハイトも同意。そしてシャリーフは
「次は、このゼリーを……!」
「分かったから」
そんなシャリーフの頭を、ラナーは軽く叩いた。
実をシャリーフは、新しくコーヒーゼリーの再現を始めているのだ。
ラスティーナはコーヒーゼリーを食べ、次の層に移る。そこは、黒い層だ。
「これは……」
ラスティーナがスプーンで強く押すと、ソレからジワリと黒い液が溢れる。僅かに掬って口に運び
「これは、カッファ!? 甘いカッファを染み込ませたパンか!!」
正確には、ケーキの生地に砂糖をたっぷりと染み込ませたものになる。それを敷いてあるのだ。それも食べ終わると、一番下には茶色いのが見える。
「これは、乳を混ぜたカッファですね」
「その通りです。そちらは、異世界食堂ではカフェオレと言われています」
そして一番下は、カフェオレを染み込ませたケーキ生地だ。牛乳と砂糖を多めにしたカフェオレをケーキ生地に染み込ませたケーキ生地を一番下の層にたっぷりと敷いてある。
パフェを全て食べたラスティーナは、満足そうにしながらスプーンをゆっくりと置いた。すると、同じタイミングで食べ終わったアーデルハイトが
「……悩み事は、解消されましたか?」
「……はい、ありがとうございます。姫殿下」
アーデルハイトの問い掛けに、ラスティーナは薄くだが笑みを浮かべていた。そこに、明久が現れ
「こちら、サービスのサンドウィッチの詰め合わせです。どうやら、忙しい方のようですから。片手でも食べられる物になります」
とラスティーナの前に、紙の箱の入ったビニール袋を置いた。
「感謝します。次は、財布を持ってきます」
「ええ。七日後にまた来るのをお待ちしています」
サンドウィッチの詰め合わせ入りの箱の入ったビニール袋を持ったラスティーナが立ち上がると、アーデルハイトが
「また、ここで……異世界食堂でお話しましょう。ラスティーナ様」
「……ええ、そうしましょう。アーデルハイト姫殿下」
ラスティーナはアーデルハイト、シャリーフ、ラナー、ヴィクトリアの四人に見送られて退店した。
その後、時々五人で会話するようになり、ラスティーナが最弱王の名前を受け入れるようになる。