まだ太陽が頭上高く浮かんでいる時間。二月にしては暖かい風を肌で感じながら、私はホテルから武道館までの道を全力で走っていた。
暑い。コートを着たまま走ってるせいか、熱が籠ってとにかく暑い。とりあえず走りながらコートのボタンを外して、前を軽く開けておく。背中にギターケースを背負ってるせいで背中付近の熱は排出されないだろうけど、前が涼しくなるだけマシだ。そう割り切って道を全速力で走る。途中で何度か変装用の帽子が脱げそうになってその度に被り直すのが鬱陶しく感じたので、帽子を脱いで手に持つことにした。
地下鉄の入り口を通り過ぎて、隣に池が見える坂道を上りきり武道館の門の側へとやってきた。門をくぐったのと同時に恐ろしいほどの視線がこちらに向けられたのを感じ取り、思わず吃驚する。
「おい、あれって…」
「氷川さんじゃないのか…?」
「ウソ、本物!?」
そういえば変装用の帽子を脱いだんだっけ、なんて考えつつ向けられる視線を全て無視して裏口へ。その途中ですれ違う人たちもこちらを見るものだから、流石に気分が悪くなってくる。ライブの時とかはギターを弾くのに一生懸命だからあまり気にならない視線も、プライベートの時だとそうはいかない。
(うう…やっぱ慣れないなぁ)
こればっかりはマネージャーが正解だった。何時までたっても慣れることのできない感覚に辟易しつつ、ようやく一般客のいない場所まで移動できた私は小さくため息をつきながら裏口に立っていた警備員に事情を説明する。
「あの、氷川紗夜の妹の氷川茜ですけど…」
「身分証明書などはお持ちであれば見せていただけますか?一応の決まりなので…」
「わかりました」
まあそりゃそうだよね。名前だけで通れてしまえば警備の意味が無くなってしまうし。その点で言えば、この警備員はしっかりと職務を果たせていると言える。
「これで大丈夫ですかね?」
「はい、確認いたしました。このまま真っ直ぐ通路をお進み頂ければ、直ぐにアリーナに到着します。既にリハは始まっていますが、気にせず入っていただいて良いとの事なので。あと…」
「?」
そこで言葉を区切った警備員に疑問を抱きつつ視線を向けると、警備員は服のポケットからハンカチを取り出し、こう言った。
「サイン…頂けますか?」
「は、はあ…私ので良ければ」
取り敢えずショルダーバッグから普段持ち歩いているペン入れを取り出し、ハンカチにさっと自身のサインを書く。二年前から求められるようになったサインも今ではだいぶ早く書けるようになったと思う。
サインを書いたハンカチを警備員へと返すと、警備員は嬉しさ半分照れくささ半分の表情で「ありがとうございます」と呟いた。そんな警備員に会釈して、武道館へと入場する。
入った瞬間、圧倒的な練度だとすぐにわかるような演奏が響いてきた。流石Roseliaだなと思いつつ、締め切られた鉄の扉の前に立ち、静かに深呼吸する。
(なんか緊張してきた…)
Roseliaの演奏に圧倒されたからなのかわからないけど、緊張が押し寄せてくる。でもこの緊張は──きっとライブの時に感じる物とは違う。
これはきっと武者震い。現に私の心の中には対抗心がメラメラと燃え上がっている。やっぱり負けず嫌いなのは紗夜姉さんに似てるんだなって思いつつ、呼吸を整える。
(さあ、行こうか…!)
そんな決意を胸に、私は扉のノブに手をかけ一気に押し開けた。
円形に配置された客席の中央、可変式のステージの上に立ち楽器を演奏する四人の少女。アイスグリーンの髪を長く伸ばした少女が弾く水色のギターが正確無比ながらしっかりと存在感を主張しながら吠え、紫色の髪をツインテールに結んだ少女の粗削りながら確かな技術の高さを伺わせるドラムの音が響く。その隣では艶やかな黒髪を腰まで伸ばした少女が一種の芸術のような音色を奏で、明るい茶髪の少女が持つ真紅のベースがその優しい音色で三人の音を包み込む。
四人の奏でた音が寄り合わさって一つの音楽となり、会場を駆け巡っていく。それを客席の二階で静かに聴いているのは、会場の照明から放たれる光を反射して銀色に煌めく長髪を持つ一人の少女。
「──あこ、もう少しだけ強く叩けるかしら?」
「わかりましたっ、友希那さん!」
観客席の少女───湊友希那からの要望に返事をした先程ドラムを叩いていた少女、宇田川あこが先程より少しだけ強めにドラムを叩く。少しだけ勢いが増したドラムの音を聴きつつ、友希那はイメージする。
全ては、Roseliaの音楽を最高の形で観客に届ける為に。
まだアマチュアだった頃にやった主催ライブとは違い機材や音響の調整などはスタッフの担当の為、こんな事をしなくても良いのだが、彼女達の辞書に『妥協』という文字は存在しない。
「紗夜、もう少しだけ音を大きくしていいわ」
「わかりました」
「リサ、今の場所はもう少し音を主張していいのよ」
「ん、オッケー」
「燐子、照明をもう少しだけ暗くするけれど手元は見えるかしら?」
「は、はい…大丈夫です…」
故に最終調整も彼女達自身が行い、納得のいく音を出すまでひたすらに続けるのだ。
(今日のこのステージは、私達にとっての目標のひとつでもあった)
二階席の上で四人の演奏を聴きつつ、友希那はこれまでの道のりを振り返っていた。
2年前、プロバンドとしてデビューしたRoseliaの目標──それが今、叶おうとしている。それは確かに自らの成長を示すものであり、喜ぶべき事だ。
(──けれど、あの子は私達の更に先を進んでいる)
脳裏に浮かぶのは、2人の姉に追いつこうと文字通り死ぬ気で努力を重ねてきた少女の姿。かつて2人の姉と切磋琢磨すると宣言した彼女はいまや、私達の遥か先を走っている。
(彼女を焚き付けたのは私達…そんな状態でいつまでも負けている訳には行かない)
そう、
(ただ──今日だけは特別ね)
共に切磋琢磨するライバルのような存在となった少女も、今日は観客としてライブに来るらしい。数年ぶりに会う彼女の技術はどれほど上がっているのか、今から楽しみで仕方がない。
(私達の音楽を──私達の成長を見せてあげる。だから──貴方の音楽を、私達に見せて頂戴)
静かに唇の端を吊り上げ好戦的な笑みを浮かべる友希那。同時に重い音を立てて開いたアリーナの扉と、その奥から姿を現した友希那の…いや、Roseliaのライバル的存在。
ここに役者は揃った。数十年後の未来、音楽史にその名を刻まれることになる少女達のライブが今、幕を開けようとしていた。
次か次の次で終わります(白目)