そのアイは誰のもの。   作:夢兎*

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第1話

 

「ん、ぅん……香澄、おはよ……」

 

 まぶたを擦りながら身体を起こして、つい首を傾げてしまった。

 

「あれ……?」

 

 きょろきょろとたいして広くもない自室を見回しても、たった今挨拶をしたはずの相手がいない。早く起きすぎたのかと思ってスマホを見れば、もう時刻は午前九時過ぎ。学校はとっくに始まっている。

 

 ……置いて、いかれたのか?

 

 事態を認識出来ずにぼうっとスマホを眺めていると、LINEのグループに何件かの通知が来ていることに気づいて、慌ててトーク画面を開く。と、そこには『風邪引いちゃったぁ……』なんて文があって、ほっと息を吐き出した。

 

「……いやいや」

 

 なにほっとしてんだよ。むしろ、来てないことにほっとする場面だろーが。

 

 ……あ、あー! うるせぇのが一日いなくて清々するわー! いやー、もうほんと、久し振りの休日って感じだわー! どうせもう遅刻だし、二度寝しよーっと!

 

 がばっと勢いよく掛け布団の中に潜り込んで、熱い顔を覆った。

 

 なんでいねぇのに名前呼んでんだよ私! バカか!

 

 もぞもぞと布団から顔だけを出して、もう一度液晶に表示されている文を見る。

 

「……大丈夫、だよな?」

 

 あのアホのことだから、明日になったら多分ぴんぴんして私を叩き起こしに来るし、なんも心配なんていらねぇよなー。……いらねぇ、よな。

 

 いつのまにかぎゅっとスマホを握ってしまっていることに気づく。なんだか私にはそのことが途轍もなく恥ずかしく思えて、大袈裟な動作でベッドから飛び出した。

 

「——っ。ま、まあ、暇だし? 看病くらい行ってやってもいいっつーか? うん。行ってやるか! 仕方なく! あー、もう、ほんと仕方ねぇーなー……」

 

 ……誰に言い訳してんだよ、私!

 

「有咲?」

「——ば、ば、ばぁちゃんっ!?」

 

 いつからそこに……っていうか、今の聞かれたっ? いやいや、まだ結論を出すには早過ぎる。聞いてない可能性も全然あるある。ほら、ばぁちゃん耳遠いし、聴こえてないってのもありえるし! 聞いて、ないよな……? 聞いてないと言ってくれ! いやそれ実質聞いてる!

 

「香澄ちゃんのお見舞いに行くなら、お菓子があるから、持っていきなさい」

「……あ、うん」

 

 ばっちり聞かれてますね! 死にたい!

 

        × × × ×

 

 三月上旬。昨日は結構寒かった記憶があるが、今日はそこそこ暖かく、過ごしやすい気候だった。……ちょっと、暑いくらいかもしれないな。

 

 まあ、そんな感じでころころと気温を変える寒暖差の激しい季節の変わり目だから、あのアホが風邪を引くのも納得出来ないことはない。風邪を引けばそれに気付けるだけの頭はあるという証明がされた瞬間だった。

 

 いや、それにしたって香澄と風邪とか対義語じゃねーかってくらい縁遠いもんだと思ってたから、驚きはあるんだけど。でも、よく考えてみれば、ああいうタイプってはしゃぐだけはしゃいで体調管理とかしなさそうだしな。無尽蔵に湧き出るスタミナも、年がら年中騒いでれば尽きるってことか。

 

 なんて、そんな感じで香澄の風邪を分析しつつ、辿り着いたのは見慣れた玄関。よくある、って言えばよくあるんだろうな。自分がああいう家に住んでるから、あんまりピンとは来ないけど。

 

 ……勢いでここまで来たけど、私って学校サボってるんだよな。

 バンドに誘われるまではそれが普通だったけど、いつのまにか毎日毎日うるさい声に起こされて学校へ登校するのが当たり前になってしまった。……嫌だ、なんて言えねぇよな。

 

 ああああぁぁぁぁぁあっっ! なに!? なにいまの!? そんなのどうでもいいんだよ! 問題はなんかちょっと学校サボったのが後ろめたいってところにあるわけで、そんなこと今は全ッ然関係ないから!

 

「はぁ……はぁ、はぁー……」

 

 あー、なんか疲れた。もう帰ろうかな……。

 

 ちらと目を向けた先——右手に下げた紙袋の中には、ばぁちゃんが用意してくれたお菓子がある。ゼリーとか言ってたっけ。……ゼリーなら風邪でも食べれそうだな。

 

 これ持って帰るわけにもいかないし。さっさと渡して、さっさと帰る! ……いやもうほんとなんで来た? なんで来たんだ私? 朝の私はなにを考えてたんだ? 心配なんてしなくてもあいつは絶対明日には元気に騒いでるし、だいたい私に心配されたってあいつも喜ばないだろうし……いやいや、それじゃ喜んで欲しいみたいじゃねーか!

 

 ……私は喜んで欲しいのか? 香澄に? 心配してくれてありがとうって? そんなわけないだろ。私は単純に普段風邪なんて引かないあいつが心配——じゃないけど! じゃないけど、バンドメンバーだから? まあ、お見舞いくらいはしてやってもいいかってことで来ただけで! そうそう。そういうことなんだよ!

 

 っていうか、いつまでやってんだ私!

 

 ピンポーン。家の中で鳴ったであろう呼び鈴の音が耳に届いて数秒。よく分からない緊張感に包まれながら玄関を見つめていると、ガチャと受話器が上がるような音がインターフォンから聴こえた。

 

『……はい』

「あっ、あの——」

 

 戸山香澄さんは、と言い掛けて口を閉じる。

 

 今の声って……。何度も聴いた。それこそ、毎日。朝も昼も夜も、平日も土日も祝日も、練習中もライブ中だって、こいつの声を聴かない日なんてなくて。だから、機械を通して多少変化したものでも、気付くのは難しくなかった。

 

「……香澄?」

『え? あ、え、有咲っ……?』

 

 声の主はやっぱり香澄だったらしい。驚いたのか、けほけほと咳き込んでいる。言い知れぬ歯がゆさに汗ばむ手を固く握って待っていると、しばらくの後、再び香澄の声が耳に届いた。

 

『……ど、どうしたの? あれ? 学校は? みんな、有咲が来てないって心配してたよ?』

 

 その言葉の通り、LINEでは私が登校していないことに関する話が何度かされていた。既読はつけてしまっているから、そこまで心配はされていないだろうけど。……こいつのお見舞いに行くとか言ったら、からかわれるのが目に見えてるんだよな。

 

「あー……寝坊したから、サボった。っつーか、そんなことどうでもいいだろ。お前、なんで起きてんだよ……」

『え、あ、うん、寝てたんだけど……ピンポン鳴ったから。お母さんもあっちゃんもいないし……』

 

 私のせいかー! ほんとなにしに来たんだよこいつ! バッカじゃねーの! バーカ! バーカ! 変な気回して、いきなり来て、無理させて、なにやってんだよ……うわぁぁぁ。

 

『……有咲? どうしたの?』

「な、なんでもねぇよ! それより、その……お見舞い」

『え?』

「だから! 私が寝坊した日にバカが珍しく風邪引いたらしいって聞いたから、お見舞いに来たんだよ! 早く開けろ!」

 

 バカはお前だろーが! ああ、もう、すごい。口を開くたびに後悔してる気がする。っていうか、相手の体調が悪いときくらい優しく出来ねーのかよ、まじ無能かよ……。

 

『お、お見舞い……? 有咲、私のお見舞いに来てくれたの?』

「そ、そーだよ、なんか文句あんのかよ……」

 

 改めて言われるとなんだか恥ずかしくて、そんな態度を取ってしまう。けど、香澄は気にした様子もなく、掠れた声で、

 

『……ありがと、有咲。うれしい』

「——っ! もうそんなんどうでもいいから、開けろ!」

 

 うぅ。なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ! なんか変だ、風邪が感染(うつ)ったのか? ……暑い。香澄といると、いつも胸の奥が、変な感じになる。

 

『うん、待って——あ』

「なんだよ」

『あの、ほら、私、風邪引いてるから……』

「はぁ? そんなの知ってるっつーの」

 

 なにを今更、と脳内に疑問符を浮かべていると、あまり聞き慣れない申し訳なさそうな声が結論を述べる。

 

『……風邪、感染っちゃうかもしれないから、顔会わせないほうがいいかも、と思って』

「……あー」

 

 なんだろ、この、身体から力が抜けるような感覚。……そっか。まあ、常識的に考えたらそんなの当たり前のことだし、むしろなんで思い至らなかったのかってレベル。……じゃあ、今日は香澄と会えないのか。

 

 ああ、だから、違う。違くて、そうじゃなくて。別に香澄の顔なんて毎日見たくなんてないし? 会えないならそれはそれでいいし? ……っだー! もうっ!

 

「じゃあ玄関の前に持ってきたやつ置いとくから! 私が離れたら取れよ! じゃあな!」

『……うん、ありがと』

「……おう」

 

 だんっ。踵を返して踏み出した一歩が、自分で思っていたよりも強くて、なんだか顔が熱くなる。なにムキになってんだ。バカじゃねぇのか。

 

 そんな風に思っても、コンクリートを蹴る音は一向に小さくならなかった。よく分かんないけど、情けなくなる。まるで癇癪持ちの子供みたいな自分に。

 

 少し離れて振り返ると、丁度家から香澄が出て来るのが見えた。ぼうっと眺めていると、香澄は紙袋を持って、そのまま横に倒れ——って、はぁ!?

 

「ちょっ、えっ? あぁ、くそっ」

 

 無理にでも中に入ればよかった。呼び鈴を鳴らして出てこられるくらいなら大丈夫なんだと思ってた。……余計なこと、しなきゃよかった。

 

「——香澄っ」

 

 駆け寄った先には両手を地面について苦しそうに呼吸を繰り返す香澄がいて、ずきずきと痛む胸を無視して香澄を抱き起こす。

 

「……あり、さ」

「あっつ……お前、熱何度だよ」

「よ、40度ちょっと? だったかなぁ……」

「よっ……よんじゅう。っバカじゃねーの! バカだろ! バカだよ! 寝てろよ! なんで出て来たんだよ! こんなっ……こんな、もぅ、ほんと、バカだ……」

 

 一番バカなのは私だ。そんなの分かってて、頭ん中がぐちゃぐちゃになる。それなのに、私に支えられてぐったりしてるようなやつは真っ赤な顔で笑って、

 

「……もしかしたら、有咲かもって、思って。ほんとに有咲だった……えへへ」

「んなっ! なんだよそれ!」

 

 こんなアホに行動読まれたとか、嫌過ぎる。嫌過ぎるのになんかちょっとむずむずするのが、嫌に拍車かけてる。なんだよこれぇ……死にたい。

 

「ふふー……有咲の考えてることなんて、お見通しだよ~」

「はあぁぁぁっ!? 意味わかんねーしっ!」

 

 前にもそんなことを言われた気がする。いつだっけ……ああ、そうだ。あのときは確か、縁日で、みんなバラバラになって……でも、みんな同じ場所に集まって。

 

「うっ、有咲……声、おおきい」

 

 頭が痛いのか、香澄は眉根を寄せる。……自業自得だろ。

 

「はぁ。なんか力抜けたわ。ほら、早く中入るぞ」

「……うん」

 

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