そのアイは誰のもの。   作:夢兎*

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第2話

 

「……少しは落ち着いたか?」

 

 広くも狭くもない。香澄と私、二人しかいないことに微妙な違和感を覚えはするものの、どこか安心する匂いの漂う室内。

 

「……うん」

 

 返事をした部屋の主はこほこほと咳をして、本当に大丈夫かよなんて思う私を嘲笑うように、にんまりと口元を緩めた。……なにがそんなに嬉しいんだか。

 

 こういう理由だったらいいな。バカみたいな願望を頭から振り払って、椅子へと腰掛ける。ぽすっという音とともに、鼻腔に入り込むのはやっぱり太陽みたいな落ち着く香り。……ああ、そっか、これ。

 

 ——香澄の匂いだ。

 

 いつも抱きつかれるたびに弾けて、制服から漂うアレ。なんかドキドキして、自分を殴りたくなるあの匂い。それがこの部屋いっぱいにあって、触れてもいないのに抱きしめられているような気分になる。

 

「……有咲?」

「うぉおっ!? な、なんだよ……」

 

 ていうか、今私なに考えてた? なに考えてた!? あー、やだ! 思い出したくねぇ! どっか行け! 死ね! 散れ! 爆散しろ!

 

「……なんか、ぼーっとしてたから」

「ちょっと、考え事してただけ……」

 

 とてもじゃないが、口には出せない。いや、無理でしょ。お前の匂いに包まれて抱きしめられてるような気持ちになってましたとか言えねぇー! うわー! 思い出しちまった! あぁっ、うぅっ……死にてぇ。今すぐ窓から飛び降りてぇ。

 

「はぁ。……あぁ、そういや、ゼリー持ってきたけど、食べるか?」

「ゼリー!? 食べたいっ! なんの——けほっ、けほっ」

「落ち着けよ……なんだったかな。確か、梨とか葡萄とか、いろいろ入ってるやつだったはず」

 

 机に置いておいた紙袋の中を取り出すと、記憶通りにゼリーの詰め合わせが入っている。……冷やしといたほうがいいか?

 

「……温いから後にしよう。冷蔵庫借りるぞ」

「えぇー……残念」

 

 横になったまま頬を膨らませて悔しがる香澄があまりにも子供っぽくて苦笑してしまう。……風邪引いても変わんねぇな、こいつ。

 

「とりあえず、お前は寝とけ。起きたら冷えてるだろ」

「うん。でも、身体ベトベトして気持ち悪い……」

「知らねぇよ……」

 

 思わずため息を吐いてしまう。紙袋を持ってリビングへ向かうと、ふと昔の記憶が頭に浮かんできた。……そういえば、私も小さい頃に高熱出したっけなぁ。

 

 そのときはばあちゃんが私の看病をしてくれて、濡れたタオルが心地よかったり、汗だくの身体を拭いてもらったり、冷えたゼリーを食べたり、いろいろわがままを言った覚えがある。

 

 ……まあ、そのくらいのことは、してやってもいいか。

 

 冷蔵庫にゼリーを突っ込んでから、そろっと洗面所にしてタオルと水を注いだ洗面器を持って部屋に戻る。よっぽど汗が気になるのか、香澄はもぞもぞとよく分からない動きをしながらこちらに目を向ける。

 

「……遅いよー、有咲」

「寝てろっつったろ……まあいい。身体起こせるか?」

「? うん……って、それ」

 

 上半身を起こした香澄はようやく気づいたのか、私の持つタオルと洗面器を指差してにへらと笑う。まんまと嵌められてる気がして、無性に悔しい。が、病人相手に大声を出すのは良心が咎めるので、流石にぐっと堪える。今更とかいうのやめろ。

 

「……気が向いたから、身体拭いてやる」

「ありがと」

 

 本日何度目かのありがとう。別にお礼が欲しくてやってるわけじゃないけど、嬉しいと思ってしまう自分が確かにいて、同時に、それを言うのはお前じゃないと感じている自分もはっきりと存在している。

 

 お礼なんて、言われるようなことはなにもしてない。本当は、それは私の台詞なんだ。

 

「……いい。さっさと脱げ」

「えっち」

「んなっ!? おまっ、な、なな、なに言って!」

「じょ、冗談だよ~、落ち着いて落ち着いて……」

「冗談でもそんなこと言うんじゃねーっ!」

 

 結局、こうなる運命なのか。いやでも、今のは100%香澄が悪い。バーカバーカ! バカ! アホ! 香澄!

 

 だいたい女同士でえっちもくそもあるかっつーの。そ、そりゃあ世の中には? 女同士でそういうことをするやつもいるらしいけど? 私はそういうんじゃないし? もしそうだとしても香澄とかほんとありえないし。……うん、ありえないありえない。

 

「ごめんってばー」

 

 ぷつぷつと寝間着のボタンを外し終えると、するりと白い肌を露出する。当然だけど下着はつけていなくて、柔肌がー……って、ああー! 違う! やめろバカ! なにも考えるな! 無心になれ!

 

「はぁー……」

 

 疲れた、変なお節介焼かなきゃよかった……。

 

「有咲ー?」

 

 上半身を晒したままベッドに腰掛けた香澄は早くしろと急かすように私を呼ぶ。なるべく視界に入れないようにしながら絞ったタオルを持って背中へ回り込んだ。

 

 うわ、白い。なんでこんな白いんだ、こいつ。私のほうがまだ健康的な色してるんじゃないのか。つい、ぺたぺたと触れてしまう。

 

「ひぅっ……あ、有咲ぁ、くすぐったいよぉー」

「わ、悪いっ……」

 

 なにしてんだ! なにしてんだ私!

 

 気を取り直して背中を拭いていく。いつもは元気にはしゃぎ回っているやつの背中は、それでもやっぱり女の子らしくて。……こんなに小さかったのか、と変な感想を抱いてしまった。

 

 いつも、見ている背中だ。そう。いつもいつも。ステージの上で、この背中を見ている。

 

 同じライトに照らされているはずなのに、ずっと日陰にいるような気持ちが抜けない。歓声も、こいつの歌声も、私にはまるでどこか遠くで聴いているように感じられて。

 

 多分、そういうことじゃないんだ。大勢の誰かに認められたって、見てもらえたって、そこから抜け出すことは出来なくて、私はいつも、この目を逸らしてしまいそうになるくらい眩しく輝く背中を見つめていることしか出来なかった。

 

 分かってる。みんな、私を必要としてくれてる。香澄も沙綾も、おたえも、りみも、私がいなくてもいいなんて言わない。それは自意識過剰とかじゃなくて、絶対にそうだと言い切れることだ。

 

 それでも。それでも、私には、こいつの隣に立てないと感じることがあるんだ。私には出来ないこと、私一人じゃ出来ないこと、いっぱいあって、こいつがいつも私を連れて行ってくれる。

 

 それじゃ、嫌なんだ。私だって、こいつの手を引っ張りたいんだ。頼ってばかりなのは、もう、懲り懲りなんだ。

 

 だから、これからはもっと、もっと、ちゃんとしたい。もう、こいつと出会ってから一年が経つ。……最初に会ったとき、本当にびっくりした。いろんなことがあった。沢山、友達が出来た。全部、こいつから始まった。

 

 ——今度は、私から始めたい。

 

 でも、その前に言わなきゃいけないことがある。クリスマスライブでも一回言ったけど、あのときは時間もなかったし、一言で終わっちゃったから。

 

 私は、私の好きな、私の憧れた、小さくて大きな背中にそっと触れて、恥ずかしさに下を向きながらなんとか声を絞り出す。

 

「……か、香澄」

「んー? なに? 有咲」

「……ありがとう」

「えっ……?」

 

 温かい。手のひらから、香澄の熱が伝わってくる。この熱が、いつも人を動かして、道を切り開いて、私たちを先に連れてってくれる。

 

「……いつも、私の手を引いてくれてありがとう。お前がいなきゃ、私、多分、今も家で一人だった。お前が、星を見つけてくれたから……私は今、ここにいるんだ」

「な、なに? 急にー? 有咲、熱でもあるんじゃないの~?」

「かもな……いつもは中々言えないし、多分、明日になったらまた言えなくなってるから、今は熱のせいにして、言いたいこと、言いたかったこと、全部言わせてもらう」

 

 ずーっと貯金してたんだ。お前に言いたいこと、一年分。いつか言おうって、ずーっと思ってたんだ。そのいつかが、ここだ。今、このときが、そのときだ。

 

「ありがとう……私を見つけてくれて。私を連れ出してくれて。私に世界はすっげぇきらきらしてるんだって教えてくれたこと、本当に感謝してる。香澄だから、香澄だったから、だ。他の人じゃダメだった。私はこんな性格だから、お前みたいなしぶとい変人じゃなかったら、ダメだった。キラキラやドキドキを探してるなんて、バカみたいなことを大真面目に言うお前だから、私は前に進めた」

「……や、やめてよ、もぅ。なんで、そんなこと、言うの? な、泣きそうっ、に、なる……」

「やめない。全部、伝えたい。聴いて欲しい」

 

 ちゃんと伝えて、それから自分の足で歩きたい。

 

「いろんな人と出会った。いっぱい友達が出来た。でも、一番よかったって思うのは、お前と出会えたことだ。迷惑だって思ったこと、面倒だって思ったこと、何度もある。けど、そんな迷惑も面倒も、今は全部、私の大切な思い出だ。香澄に引っ張り出されて起きた全てが、掛け替えのない宝物だって、本気で思ってる」

「……っ。うん」

 

 鼻をすする音が、絶え間なく聴こえてくる。大事なボーカルなのに、声が掠れてて、明日熱が下がってても大丈夫なのかって心配になるくらい。

 

「だから、ありがとう。感謝、してるよ、本当に」

「うんっ……」

「でも、それだけじゃない」

「……まだ、あるの? もう、勘弁してよぉ……」

 

 こいつはこういうのに弱いんだなってのは、クリスマスのときにも感じたことだけど、こうして弱音を吐くところを見ると、より実感出来る。私もこんなこと、普通には言えないから、滅多に拝めないんだけど。

 

「……香澄は、私の憧れなんだ」

「……私に、有咲が?」

「おう……」

 

 顔が熱い。恥ずかしくて死にそうになる。自爆も同然じゃねーか、こんなの。もうやめにしたい。でも、ちゃんと言いたいって気持ちの方が何倍も大きい。

 

「この背中を、いつも目で追ってた……私には絶対進めない道を堂々と歩いてく背中を追いかけてた。……全然、追いつけなくて、むしろ、お前を知るたびに離れてく感覚さえある」

「わ、私はっ——」

「——お前がっ、香澄が、どう思ってるかは関係ないんだ……。これは私の問題で、ただの劣等感で、私がそうじゃないと感じられない限り、どんな言葉を貰ったって拭えない」

 

 香澄が私のことを大切に思ってくれていることは知っている。こいつは誰にだってそうだ。みんなのことを大切に思ってる。天然人たらし女だから、見ていてちょっと複雑な気分になったりもするけど、だからこそ友達を置いていこうなんて考えるやつじゃないってことだけは間違いない。

 

 無意識に突っ走ってることは、ままあるけど。それはともかく、だ。

 

「……同じ場所に立ちたいんだ。いつも、隣にいたい。背中じゃなくて、並びたい。眩しくて、近づけそうもない光の中に行きたい。連れて来られるだけでいたくない……っ」

 

 このままじゃ嫌だ。ステージに立って、一緒に演奏してるんだって、横並びで歩いてるんだって実感が欲しい。そう感じられるなにかを得たい。

 

「頑張るよ、私。お前に追いつくなんて、全然イメージ出来ないけど、いつかお前の手を引いてやるくらいの気概で、頑張る……だから、せめて、それまでは私と一緒に——」

 

 ああ、そうか。分かった。怖かったんだ。走り続けるこいつを見て、どんどん遠く離れて小さくなっていく背中を眺めていることしか出来なくて、いつか、見失ってしまうんじゃないかって。

 

 怖くて、怖くて、仕方がなくて。その恐怖が、こいつと離れたくないって気持ちが、こうして私が走ろうと思えるきっかけになったんだ。

 

「——ばかっ」

 

 ぎゅっと、苦しいくらいに強く抱きしめられていた。それに気づいたら、目の前には揺れる潤んだ瞳があって。

 

「ばかっ、ばかっ、ばかっ、ばかっ……ばかぁ……有咲の、ばか……」

「なっ……」

 

 ようやく声を出すも、それは続けて吐き出された言葉に遮られる。

 

「ずっと一緒にいるよっ……! 言われなくたって、離れろって言われたって、嫌われたって、一緒にいるっ! 有咲が一緒にいて欲しいって言ったからじゃないっ、私がっ、私が……一緒に、いたいっ、から……っ! なんで! なんでっ、そんなこと言うの……っ? 私はずっと、ずーっと! 有咲が隣にいるって思ってたよっ……!」

「だ、だから、お前がどう思ってるかは関係——」

「だったら私だって、有咲がどう思ってるかなんて関係ないっ! 一緒にいるっ……! 一緒に、いたいよぉ……」

 

 あー……、ダメだ、これ。嬉し……しくじったわ。一緒……なんかどうでもよくなってきたわ。ずっと……ていうか、冷静に考えたら私裸で抱きつかれてるんだけど。嬉し……なにこの状況、怖いんだけど。あぁ、無理。隠しきれない。誤魔化しきれない。嬉しい、無理、死ぬ。

 

 もう、なんだ? ダメだー。涙止まらないわー。なんだよもう、なんでこうなった? 私がなんかこう決意して、よし頑張ろうってなる流れじゃなかったんかーい。あー、あー、あー、唇震えて声出せない。今喋ったら絶対変な声出る。ぼろっぼろ涙出てくるんですけど、前見えない。

 

 今まで感じてた劣等感とか、孤独感とか、そういうの諸々吹き飛んじゃった感じだわー。やっぱすげーな、こいつ。なんなんだよほんと、天然人たらしは伊達じゃねーな。一緒にいたいよーじゃねーよ。私のほうが一緒にいたいよーって感じだよ。絶対言わないけど。いや、今さっき言ったか。言ったわ。

 

 なんだろ、ほんと。こんな言葉一つで安心しちゃって、ほっとして、心のネジがきゅるきゅる緩んじゃってる自分なんなんだろーな。ちょろ過ぎだろ。

 

 でもそういうのいろいろ考慮してもやっぱ……やっぱ嬉しくてたまらないんだよ。全部、全部、受け入れてもらえたような気がして。勝手に一人で悩んで劣等感でぐちゃぐちゃになった汚い自分とかさ、普通嫌じゃん、そんな面倒くさいやつ。

 

 なのに、こいつ、私より泣いてんだもん……このままでもこいつの助けになれてるんだ、ちゃんと隣に立ててるんだって、思えちゃうくらい、気持ちが伝わってくる。

 

「……か、すみ」

 

 でもさ、それでもさ、そう思えてもさ、それはやっぱりこいつに甘えてるってことでさ、私的には納得がいかないところもあるんだよな。私って、ほら、捻くれてるからさ。

 

「……嬉しい。おまえの、おまえが、そう、言ってくれるのは、すごい嬉しくてっ、それは、うそ、じゃなくて……っ。でも、やっぱり、がん、ばる。頑張るよ、私。ちゃんと……自分だけでもっ、そう、思いたいから……っ」

 

 震えて情けない声で、伝わるように目一杯気持ちを込めて、そう告げた。霞む視界の中で、香澄が頷いたのだけがなんとなく分かった。

 

        × × × ×

 

「ねぇ、有咲」

 

 時刻はもう午後三時を過ぎている。そろそろ学校も終わって、もしかしたらあいつらもお見舞いに来るかもしれないなんて考えていたら、ゼリーを食べ終えて満足気な顔をしながら香澄が私の名を呼んだ。

 

「……なんだ」

 

 少し、目もとが赤い。それを見ると、今日のことを思い出して、全身がむず痒くなる。

 

「……今日、有咲のことなら分かるって言ったよね」

「……あぁ」

 

 そういや、そんなこと言ってたな。こいつにだけは言われたくない台詞だ。

 

 実際には全然分かってあげれてなかったけど、なんて台詞を挟んで、香澄は言葉を続ける。

 

「本当はね、有咲が来るかもって思ってたわけじゃないんだ……」

 

 朗報だった。私の思考は香澄ほど読みやすくはないと。ちょっと胸が痛いのはさて置き、続きを待つ。

 

「……有咲が来てくれたら、いいなぁ。って、そう思ってたの。一人で、なんか、寂しくて」

 

 本当にずるい。なんでそういうことを平気な顔で言えるんだろう、こいつ。恥ずかしくねーのかな。私はめっちゃ恥ずかしいんだけど。勘弁してくれ。

 

「そう、か」

「うん。……そしたら、有咲が来てくれて、本当に嬉しかった。ありがとね」

「ぐ、偶然だろ……別に礼とかいいから」

「私が言いたいんだよーだ。えへへ、有咲はいつも、私のそばにいてくれるね。……ね、手繋いでて欲しいなー。ダメ?」

 

 答えずに、そっと手を握った。熱いのは、多分、熱のせいだろう。ていうか、熱のせいにしたい。熱のせいだ!

 

「ふふー、有咲ー。有咲ー。あーりーさー」

「うっとうしい!」

 

 もー、なんだこいつ。ほんと、なんなんだよ、こいつ……。

 

「有咲、大好きだよ」

 

 あー、もー、うるせぇぇぇえええ!!!!!

 

 

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