リボンの聖戦士 ダンバイン外典   作:オンドゥル大使

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第三話 異界捕物帳

 うろたえ気味の兵士達が互いを見渡す間に、青年が声を絞る。

 

「ま、待て! 今は非常時だ。特別に拘束を解く……! オーラバトラーが来るとなれば、こちらもそれなりに用意せねばならない。ジェム領め……」

 

 忌々しげに言葉を紡ぐ青年に、翡翠は腕をひねる。

 

「何が起こっている?」

 

「……腕を離せ、馬鹿力が……。今は一刻の猶予も惜しい。貴様らには地上人としての責務を果たしてもらう」

 

「責務?」

 

「オーラバトラーに乗れといっているんだ」

 

「しかし! 准将!」

 

 衛兵の声音に青年は首を横に振る。

 

「……馬鹿力だけではない事を証明して見せろ。そうすれば危害は加えない」

 

「……分かった」

 

 手を離し、剣を蹴飛ばす。

 

 ちょっとしか力を入れていないのに、剣はなんと城壁の内側に突き刺さった。それを目にした衛兵が色めき立つ。

 

「……野蛮な地上人が」

 

 青年は襟元を正し、兵士に命じる。

 

「わたしは《ブッポウソウ》で出る! 前期型だ! 間違えるなよ!」

 

 青年が歩み去っていく中、衛兵が琥珀へと歩み寄ろうとした。

 

「何をする!」

 

 翡翠が駆け寄って拳を見舞う。鎧に身を包んだ相手には意味がないかに思われたが、驚くべき事に拳は鋼鉄にめり込んだ。

 

 衛兵が失神する。

 

 他の兵士がざわりとうろたえた。

 

「……翡翠。こいつら……」

 

「分かってる。琥珀に触れたら承知しない!」

 

 言い放った翡翠には誰も近づけないようであった。

こう着状態が続くかに思われたその時、不意打ち気味に高周波が響き渡り、脳内を掻き乱す。

 

 思わぬ音に自分と琥珀だけではない、兵士達も膝を折った。

 

「何、この音……」

 

 翡翠が音の元を探ろうと空を仰いだその時、月を背にして人影が大写しになった。

 

 否、それは人影と呼ぶにはあまりに大きい。

 

 身の丈の三倍以上はあるであろう、甲殻の鎧を纏った何かが翅を振動させて舞い降りる。

 

 茶色の装甲の色に、黄色い眼球が射る光を灯した。

 

「……虫の鎧?」

 

 腹腔を構築する三枚の積装装甲が観音開きで開き、中から現れたのは自分と年かさも変わらぬ程度の少女であった。

 

 金髪碧眼の少女はこちらを目にするなり、まぁ、と目を丸くする。

 

「地上人の迂闊な召喚はやめておきなさいと、あれほど言ったでしょうに」

 

「し、しかし、ミシェル様。我が方にとって不利益になれば……」

 

「……ギーマがまた強行したのね。ジュラルミンを脅して!」

 

 強気な言葉に兵士達が言葉をなくしている。翡翠は金髪の少女に凝視され、そのまま後ずさる。

 

 茶色の装甲兵に乗ったまま、少女はふんと鼻を鳴らした。

 

「何だ、ジャップじゃない。日本人を寄越すなんて、ギーマもヤキが回ったものね」

 

 どういうわけだか知らないが馬鹿にされている事だけは伝わった。翡翠は鋭く睨み返す。

 

「……そっちは? よく分からないものを使う」

 

「オーラバトラーよ。私の《ブッポウソウ》。……後期型だから、性能面では弱いけれど、地上人が使うのならば話は別。ここ、バイストン・ウェルのコモンが使うよりかは、ね」

 

 意味不明の単語が表層を滑り落ちる中、高周波の羽音がまたしても耳朶を打つ。

 

 金髪の少女は耳栓を投げた。

 

「慣れるまではオーラバトラーの羽音はちょっと刺激的なの。特に、こっちの軍勢、ゼスティアの奴は、ちょっと造りが粗野だから。余計な羽音を立てて敵に見つかりやすくなっている」

 

「……敵?」

 

「そう、敵よ。おいでなすったわ。ギーマは?」

 

「自分の《ブッポウソウ》で出ると……」

 

「勝手な真似を……。先遣隊は私と来なさい! 敵は?」

 

 張り上げた声に高台の兵士が応じる。

 

「《ドラムロ》です! 数は三!」

 

「内地に来られれば厄介だわ。《ブッポウソウ》! ミシェル機、出るわよ!」

 

 茶色の甲殻兵が羽音を散らして空へと飛び立つ。あっという間に飛翔高度に乗った機体の軽業に、翡翠は絶句していた。

 

「何なんだ……」

 

『地上人には戦いを見せなければならない。分かってもらうためには手っ取り早いだろう』

 

 通信から漏れ聞こえたのは先ほどの青年の声であった。兵士達が恐々と歩み寄る。

 

「ご同行願おう」

 

「……翡翠。こいつら……」

 

「分かっている。いざとなればのせるから、琥珀は心配しないで」

 

「ついてこい。見張り台まで案内しよう」

 

 兵士達に続く道は大理石で出来ていた。どれもこれも、現在とはまるでかけ離れた資財で構築された城壁である。

 

「……まるで御伽噺の世界みたいに……」

 

 琥珀の印象もあながち間違いではないのだろう。ただ剣と銃で武装した御伽噺など聞いた事がないが、と胸中に付け加える。

 

「見張りご苦労。敵は?」

 

 返礼した兵士がこちらへと視線を配る。相手は観察するような眼差しであった。

 

「地上人か」

 

「ああ。しかし何だってこう、うちの領国には女ばかり……」

 

「それでもオーラ力を持っているんだろう? ミシェル様に繋ぐか?」

 

 手渡された通信機はどうしてだか最新型の携行端末であった。他の兵士が持っているのは旧式もいいところの通信機なのに、どうして、と考えている矢先、通話が開始される。

 

 全員が通信方法を理解していないようであった。翡翠は画面をタップして通信を繋ぐ。

 

「……もしもし?」

 

『ハァイ、ジャップ。その様子じゃ、あんまり遠い時代から来たわけでもなさそうね』

 

「……あんたもね。何者なの? こいつらは何?」

 

『好戦的なのね。嫌いじゃないわ。見張り台からこっちを見てみなさい。今、火矢を射るから、よく見えるはずよ』

 

 その言葉の直後、砲撃が宵闇を引き裂いた。羽音と共に茶色の甲殻兵が飛翔し、月下に出現する。

 

 跳ね回った二機の甲殻兵のうち、一機がこちらに手を振った。

 

『後期型だから、一発でももらえないんだけれど、見えてる?』

 

「見えてるけれど……。何? これはどういう……」

 

『そのうち、説明は追々と……。ギーマ! せっかく前期型を使ってるのに動き鈍い!』

 

『そうは言われても……。地上人と我々、バイストン・ウェルの人間では違うのだ』

 

「バイストン・ウェル?」

 

 尋ねた声音に相手が返す。

 

『この世界の事よ。そろそろ勘付いているんじゃない? これは夢でも、御伽噺でもない事を』

 

 甲殻兵が敵と組み合う。敵は寸胴な赤い甲殻を纏っていた。人間をモチーフにしたと言うよりかは、丸まったボールのようである。

 

 ボール型の機体と、甲殻兵がぶつかり合った。こちらの甲殻兵が剣を鞘から引き抜き、ボール型の敵を薙ぎ払っていく。

 

 滑るように敵の射線に入り、横合いから寸断していく様はあまりに流麗であった。

 

「すごい……。あれ、さっきの?」

 

 金髪の少女がやってのけているのだろうか。その疑問に兵士が応じていた。

 

「ミシェル様は十日でオーラバトラーの戦い方を学んだ秀才だ。地上人の中でも一番に理解が早かった」

 

「……オーラバトラー……。あれの名前?」

 

 甲殻兵――オーラバトラーが赤い敵の胴体を貫き、そのまま大樹へと縫い付ける。背後から別の敵が迫ってきた。

 

「危ない!」

 

 覚えず叫んだ翡翠に、もう一機のオーラバトラーが援護射撃を見舞った。

 

『これくらいは出来ないと、ね。男じゃないでしょう? ギーマ』

 

『減らず口を……。わたしだってやれるさ』

 

「敵兵が退いた。今宵の強襲は免れた形だな」

 

 嘆息をついた兵士達に翡翠は困惑していた。何が起こったのだ。一体、どういう経緯で戦いが巻き起こっているのか。

 

『……混乱してる?』

 

 こちらを見透かしたような声に翡翠は尋ね返していた。

 

「きっちり説明は」

 

『するとも。もちろんだ。地上人を無碍にはしない』

 

『どの口が……』

 

 呆れ返った声音を聞きつつ、二機のオーラバトラーが飛翔して帰ってくるのが視界に入った。

 

 兵士達が慌てて中庭へと駆けていく。自然と翡翠もその背中に続いた。

 

 中庭で茶色の甲殻を纏った機体が二つ、胸部にある結晶型の部位を開いている。

 

 青年は兵士に汗を拭わせていたが、少女は汗一つ掻いていなかった。

 

 金髪の少女がこちらへと歩み寄り、ふぅんと注視する。

 

「スマホ、分かったでしょ?」

 

 ああ、と翡翠は手にある通信端末を返す。相手は、いいわ、と首を振った。

 

「それ、通信用だから。私のはこっちにあるし」

 

 相手がポケットから出したのもやはりというべきか、現在の通信機であった。兵士達は困惑の眼差しを注いでいる。

 

「……目立っちゃったわね。まぁ無理もないか。……にしたって、ギーマ!」

 

 張り上げられた声に青年が肩をびくりと震わせる。だが、直後には襟元を正していた。

 

「……何かな」

 

「すっ呆けないで。ジュラルミンの力を使ってオーラ・ロードを開いたわね?」

 

 ふんと青年は鼻を鳴らした。

 

「……我が方の戦力が君だけでは不安なのでね。戦力の補充は近いうちに行うと言っていたはずだ」

 

「それが、無闇にオーラ・ロードを開くって言うの? この子達は女の子よ!」

 

「君だって女だてらにオーラバトラーを動かす。性別までは決められない」

 

「馬鹿にしているの?」

 

「尊敬しているんだ。そのお二方は?」

 

 兵士達が踵を揃え、返答する。

 

「無事、のようです。どうやら我々には分からない端末の使い方もご存知の様子で……」

 

 ギーマと呼ばれた青年はこちらを見やるなり、手元の通信端末に声を吹き込んだ。

 

「地上人二名を召喚、それにミシェル、君も。彼女らへと説明をするべきでしょうか」

 

『説明は行うべきだろう。ギーマ、貴様は一度城内に戻れ』

 

「承知しました。……ミシェル。やれと言われたらやれるな?」

 

 その言葉振りにミシェルは反抗的に返す。

 

「やれと言われなくっても」

 

「では、地上人二名は君に任せる。明朝からはもうオーラバトラーの戦闘訓練に入りたい」

 

「二人ともオーラバトラーに乗せるって言うの?」

 

「戦力が足りないんだ。強獣狩りの手もない今、一人でも聖戦士が欲しい。出来るな?」

 

「……聖戦士」

 

「分かったわ。その代わり、ギーマ。あんたの命令は受けない。こちらで独自に行動させてもらう」

 

「好きにしたまえ。どうせこのゼスティア領国から出る方法などないのだから」

 

 立ち去っていくギーマの背中にミシェルは舌を出した。

 

「……抜け目ない奴! ああやって領主に取り入って、だから戦闘なんて向いていない癖に。ああ、二人とも、紹介が遅れたわね。私はミシェル。ミシェル・ザウ。アメリカ人よ」

 

 差し出された手に翡翠が困惑しているとミシェルは眉根を寄せた。

 

「……おかしいわね。日本人は義理立ての文化が根付いていると聞いたけれど」

 

「……さっきジャップって言った」

 

 琥珀の追及にミシェルは肩をすくめる。

 

「言ったかしら? そんな事はどうでもいいでしょう? 今のあなた達には状況把握が何よりも大事なはず。それを説明する気があるのは私だけ」

 

「……聞かせて欲しい。ここは? オーラバトラーだとかバイストン・ウェルって言うのは?」

 

「翡翠……! 素直に聞くって……」

 

「いい兆候よ。ここでは素直なほうが好まれる。ついてきて。《ブッポウソウ》を格納庫に収めるついでに説明するから」

 

 ミシェルが《ブッポウソウ》と呼ばれたオーラバトラーへと乗り込む。胸元の積装装甲が閉じて黄色い眼球がこちらを見据えた。

 

『歩きながら話しましょう。ゼスティアの兵士に聞かれちゃまずい事もあるでしょうから』

 

《ブッポウソウ》がにわかに歩き出す。翡翠は前を歩み出ていた。琥珀が恐々とそれに続く。

 

「何だって言うんだ。ここは……。まるで……」

 

『まるで中世の世界? そうね、その認識で正しいわ。ただし、現実の中世とはかけ離れている。こんなものが闊歩しているんですもの』

 

《ブッポウソウ》を横目で見やり、翡翠は尋ねていた。

 

「オーラバトラー……だっけ」

 

『まずは説明をするのなら、バイストン・ウェルという場所からね。ここは私達のいた地上じゃない。別世界、バイストン・ウェル、その領国の一つ、ゼスティア。それがこの城壁を中心とする領土よ。小国だから、さほど発言力は持っていない。でも、大国から流れてきたオーラバトラーの配備を急いでいる……言ってしまえば発展途上の国ね』

 

「頭がどうにかなりそうだ」

 

『どうにかなる前にこれがどうしようもない、現実だって事は覚えておいて。ここで死ねば死ぬ。ただし、私達、地上人はこのバイストン・ウェルの住民ほど簡単には死ねないわ。オーラ力があるもの』

 

「その……オーラ力って何なのさ」

 

「地上人が強く顕現する、一種の能力のようなものね。オーラバトラーを動かすのにも使うし、それに他の機械だって。バイストン・ウェルでは地上人はかつてないほどの力を振るう事が出来る」

 

 翡翠は先ほどの立ち回りを思い返す。自分でも予期せぬパワーに、覚えず手が震えていた。

 

「でも、何でこんな場所に? 普通に日本にいたはずなのに……」

 

 琥珀の問いにミシェルは応じる。

 

『呼ばれたのよ。オーラ・ロードを通って。私もそう。つい二ヶ月くらい前、になるかしら。オーラ・ロードを通って私はこの場所に召喚された』

 

 虹色の道標を、翡翠は脳裏に描いていた。あれがオーラ・ロードなるものだというのか。

 

「他にもオーラ・ロードを通った地上人が?」

 

『いるでしょうね。それに、私だって一人で呼ばれたわけじゃない』

 

「それって、どういう……」

 

 問い返す前に格納庫へと辿り着いていた。灯りが漏れる場所へと《ブッポウソウ》が扉を開けて入っていく。

 

『ミシェル・ザウ。《ブッポウソウ》、帰還したわ』

 

 その言葉に白衣を纏った者達が寄り集まってきた。彼らは一様に茶色の甲殻に触れ、《ブッポウソウ》へと尖った針を突き刺す。

 

 ミシェルが胸部より出て彼らの一人の肩を叩いた。

 

「ティマは?」

 

「奥の部屋で設計図と睨めっこですよ。もうすぐ完成だそうで」

 

「ようやく、ね。ゼスティア初の実験機」

 

 ミシェルが手招く。翡翠は駆け寄っていった。

 

「何が?」

 

「面白いものが見られるわよ」

 

 奥まった部屋へと案内され、扉を潜った瞬間、視界に飛び込んで来たのは宙を舞う小人であった。

 

 翅を震わせ、狭い部屋を機敏に行き来する。

 

「妖精……?」

 

「当たらずとも遠からずね。ミ・フェラリオはそういうものだから」

 

 ミシェルの呼ぶ声に妖精は振り返った。淡いウェーブのかかったオレンジ色の髪をしている。服飾はレオタード状のものであった。

 

 青い鱗粉を発しながら、すぐさま接近する。こちらがうろたえている間にも相手は状況を把握したらしい。

 

「新しい地上人?」

 

「ええ、名前は……」

 

「……翡翠。狭山、翡翠」

 

「田村琥珀……」

 

「コハクに、ヒスイ、ね。ちょっとバイストン・ウェルには馴染みにくい名前だから……そうね。ヒスイってエメラルドの事でしょう? じゃああなたは今からエムロード。コハクは、アンバーよね。そっちのほうがみんな呼びやすいと思うわ」

 

「勝手に決めないでよ。ボク達は別に、誰に呼びやすくたって」

 

「でも名前は必要よ。殊に、聖戦士の素質を持つのならばね」

 

「聖戦士……だからどういう事なんだって」

 

「ねぇ、ミシェル。この二人にオーラバトラーを託すの? 不安だなぁ」

 

 妖精の小言にミシェルが笑みを浮かべる。

 

「そうでもないわ。兵士達を素手でやってのけた」

 

「オーラ力だけがあっても、難しいよ」

 

「まぁ、追々分かってくるでしょう。エムロード、それにアンバー。こっちはミ・フェラリオのティマ」

 

「ティマ・カチューシャ。ここの専属技師をやっている」

 

 ティマと名乗った妖精はすぐさま卓上に置かれた設計図へと飛び去り、自分より大きい鉛筆を握った。

 

「専属技師? こんな小さいのに?」

 

「小さいとか、関係ないでしょ! そっちだって、そんなにでっかいくせに、何も知らないのね!」

 

「ティマは小さいって言われるのが嫌いなのよ。アンバー、気をつけてね」

 

「……だから琥珀だって……」

 

 こちらの都合はほとんど無視されるらしい。翡翠は先を促した。

 

「ここに、何かあるって聞いた」

 

「もう話したの? ……お喋り」

 

「二人に何も知らせずにオーラバトラーに乗せるって言うほうが、よっぽど不義理だとお思うけれど」

 

「……いいわ。来なさい」

 

 ティマが飛翔し、奥の部屋に位置する鍵つきの小さな扉まで誘導する。ティマは小窓から入ったが、ミシェルは鍵を使い、屈んで潜り抜けた。

 

「……どうするの、翡翠」

 

「どうするって……。行くしかないと思うけれど」

 

 扉を潜った先は暗闇であった。灯りをつける、という声が響くと同時に、重々しい照明の音と共に奥まった場所に位置する甲殻兵が視界に大写しになった。

 

 甲殻の色は白を基調としており、頭部には四つの眼球があった。胸部を中心として緑色の結晶体が散見される。

 

 甲殻兵は全身にチューブを取り付けられており、部屋の奥から血潮を供給されているようであった。

 

「これは……」

 

「ゼスティア初の、実験機オーラバトラー。通称、《ソニドリ》」

 

「《ソニドリ》……」

 

 実験型のオーラバトラーは人形のように項垂れている。ティマが操縦席へと導いた。

 

「まだスイッチングトレースシステムが万全じゃなくって。明日の試験に出せって言われているけれど、ちょっと無理よ。歩くかどうかも」

 

「来て、エムロード、アンバー。この《ソニドリ》はね、他のオーラバトラーとは違うの」

 

 操縦席を翡翠は覗き込む。驚くべき事に、操縦桿もなければ、他の類する器具もない。円形に取られた空間には鞘と一振りの剣が収められているのみである。

 

 その剣は十字を描く結晶の剣であった。

 

「白い装甲はアルビノのキマイ・ラグの装甲を剥いだものなの。貴重な資源なんだから、無駄にはするなって、何度も命令されてる。だから、私は替えの利く《ブッポウソウ》に乗っているわけなんだけれど」

 

 仔細に見れば見るほどに、関節部などに使われているのは機械ではなく、筋肉繊維なのだという事が窺えた。この機体は、ほとんど生命体も同義。

 

「この《ソニドリ》……って言うのに、乗れって?」

 

「無理強いはしないけれど、今のゼスティアの感覚を戦場で肌で感じる限り、一騎当千の力が必要なのは分かる。エムロードかアンバー、どちらかが乗ってもらいたいわ」

 

「どちらか……」

 

 翡翠は震えている琥珀に頭を振った。

 

「……じゃあボクが乗る」

 

「翡翠? でもこんなのに乗れば……嫌でも……」

 

「前線行きね。ま、《ソニドリ》に乗らなくっても《ブッポウソウ》か、あるいは《ドラムロ》に乗ってもらう事になる。《ドラムロ》なら、誰でも乗れるし、それほど操作も難しくはないわ。《ソニドリ》に乗るのならば、ちょっと慣れるまで時間はかかるかもしれないけれど」

 

「……拒否権はないわけ」

 

「残念ながら。でも安心して。ゼスティアはそれほど押されているわけでもない。私とギーマくらいしか戦士はいないけれど、今までジェム領国の襲撃は全部退かせてきた。それほど敵も難しいわけじゃないわ」

 

「簡単に言ってくれるけれど、それでも、この《ソニドリ》って言うのは違うんでしょ?」

 

「まずは言うよりも慣れたほうが早いわね。乗ってみる?」

 

 挑発に、翡翠は歩み出ようとしてその袖を掴まれた。琥珀が首を横に振る。

 

「……死んじゃうかも」

 

「でも、何もしなければ同じだよ。この《ソニドリ》って言うの、動かせたら何かあるの?」

 

「敵国であるジェムを倒せれば、恩赦として地上に帰らせてもらえるかもね」

 

「それ以外で帰る方法は?」

 

「あればもう私も帰っているわよ」

 

「……そうかい」

 

 琥珀の手を振り解き、翡翠は《ソニドリ》の操縦席へと入った。思ったよりも手広に取られた操縦席で眼下に剣の柄が入る。

 

「剣を引き抜いてセーフティを解除すれば、すぐにでも《ソニドリ》は動くわ」

 

 ティマが操縦席に入り、指差して誘導する。翡翠は一呼吸ついて、剣を握った。

 

 途端、《ソニドリ》が挙動する。突然に立ち上がった《ソニドリ》に困惑するよりも先にティマの声が弾けた。

 

「触れただけで動かすなんて……! 相当なオーラ力ね!」

 

 褒められても今は感傷に浸っている場合でもない。翡翠は必死に叫んでいた。

 

「どうすればいい! どうやって制御する!」

 

「慌てないで。柄を握ったのならば、あとは念じるだけ。《ソニドリ》はまだよちよち歩きの赤ん坊だから、ゆっくり言って聞かせれば分かってくれるはず。柄を握って深呼吸して、母親のように言って聞かせて」

 

「母親なんて……」

 

《ソニドリ》の躯体が軋みを上げて屹立する。両腕を地面につき、《ソニドリ》は翅を拡張させた。

 

「エムロード! 落ち着いて言い聞かせれば、《ソニドリ》はきっちりと! 応えてくれるから、落ち着いて!」

 

「落ち着け落ち着けって……! ボクは翡翠だ!」

 

 瞬間、《ソニドリ》の背面に備え付けられていたコンバータが開き、緑色のオーラと共に《ソニドリ》は飛翔した。煙突を抜け、《ソニドリ》の機体が宙を舞う。

 

「外に出たのか?」

 

 翅が高速振動し、《ソニドリ》の姿勢を制御しようとする。だが、あまりにも《ソニドリ》の我が強いためか、その機体は真っ逆さまに落ちていった。

 

「墜落する! エムロード! 今はとりあえず呼吸を落ち着けて! 《ソニドリ》の鼓動を感じ取ってくれれば、きっと! きっと……!」

 

「きっときっとじゃない……! ボクは……こんなところで、死んで堪るか!」

 

 その時、結晶剣が内側から煌いた。眩い輝きに翡翠は困惑する。

 

「オーラ力が……溢れている?」

 

《ソニドリ》が躯体を翻し、地面と水平に姿勢を保った。翅が振動し、コンバータよりオーラが噴出する。カスが溜まっていたのか、灰色の埃がコンバータより噴き出され、直後、機体は揚力を得ていた。

 

 翼を折り畳み、《ソニドリ》が地面にぶつかる直前に飛翔を得る。

 

 ティマはほとんど放心状態であった。翡翠もそうだ。何が起こったのか、まるで分からない。

 

「……あなたのオーラ力で無理やり《ソニドリ》を叩き起こしたのね……。地上人ってみんなそうなの?」

 

「……知るもんか」

 

《ソニドリ》が森林地帯を滑空し、円弧を描いて城壁へと帰っていく。

 

『《ソニドリ》へ! ティマ! どうなったの!』

 

 不意に開いた通信にティマが操縦席上部に位置するボタンを押していた。

 

「こちらティマ。《ソニドリ》は無事に起動成功……。間一髪だったけれどね」

 

『よかった……。エムロードは?』

 

「彼女も無事。……それにしたってすごいオーラ力ね。一発で《ソニドリ》の骨格を内側から矯正した」

 

「だから、何だって言うんだよ……」

 

 呆れ返る翡翠は《ソニドリ》の視野に同期した視界を見据えていた。

 

 黎明の輝きがバイストン・ウェルの地表を照らし出す。そこいらに断崖絶壁や、密林地帯、それに湿原が見て取れた。

 

 改めて、ここは日本ではないのだ、という意識が強まる。

 

「帰投信号を放った。《ソニドリ》を城壁へと帰還させるわ。動かし方は……もう説明するまでもないみたいね」

 

 不思議と《ソニドリ》にどう命じればどう動くのか、頭の中に浮かび上がっていた。剣の柄を握りつつ、翡翠は高鳴る鼓動を感じていた。

 

 これから先、起こる事、そして自分に振りかかった事。

 

 全てが偶然ではないと知るのは、まだ遠い未来の話であった。

 

 


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