リボンの聖戦士 ダンバイン外典   作:オンドゥル大使

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第三十三話 ザ・アザーサイド

 よくやったな、という激励が一瞬、何の事だか分からなかった。

 

 上官の振り向けた視線に、レイリィは目礼する。

 

「《アグニ》だよ。あのじゃじゃ馬をよく使えるようにしたものだ」

 

「恐れ入ります」

 

 管制室へと向かう道すがら、上官は探る声音を向けてきた。

 

「しかし、まさか本当にいたとは思わなかった。オーラ適性、ゼロのコモン人。オーラバトラーにも乗れず、かといって地上人ともまるで違う組成を持った存在など」

 

 こちらも、まるで想定外であった。《アグニ》はあのまま一生、軍の倉庫でさび付いていくばかりだと思い込んでいたからだ。

 

「イリオン。そう、彼は名乗っていたのだな?」

 

「ええ。ですが、彼は……」

 

「存じている。彼とも呼べんのだったな。どちらでもない、と」

 

 その性質に関しても、今は全くの謎だ。言い切れる事は一つしかない。

 

「《アグニ》は彼に応えている」

 

「強獣を殺してみせた彼の手腕は確かだろうな」

 

「《アグニ》そのものの性能とも言い換えられます。あれは、ただのでくの坊ではなかった」

 

「開発部の道楽では済まなかった、か。ようやく一端にバイストン・ウェルと渡り合える戦力の見通しが立っただけでも僥倖だろう」

 

 しかし、とレイリィは言いつける。

 

「いいのでしょうか? だって、《アグニ》は……」

 

「侵略兵器など、言わなければ分かるわけがない。バイストン・ウェルのコモン人は闘争を忘れた人種だと聞いている」

 

 侵略兵器。それは、隠し通さなければならないだろう。イリオンに露見すれば、もう乗らないと言いかねない。だが、向こう側からの侵略は絶え間なく来るのだ。

 

「今回だけではないと、教えるべきでしょうか」

 

「一度でもオーラ・ロードが開ければ、触媒として何度でも連中はやってくる。バイストン・ウェルの妖精共を応戦するのに、《アグニ》以上の適任もいまい」

 

 敵を駆逐するのに、敵と同じ存在を使わねばならないとは。

 

「それもこれも……三十年前の、あの狂科学者が招いた事実、というわけですか」

 

「ショット・ウェポン。彼は稀有な天才であった。だがその才能はバイストン・ウェルと地上という、二つの世界を大きく隔てる結果になってしまった。……彼の功罪は大きいだろうな。もし、魂を慰撫する、という情報が確かならば彼の魂はいつまでも平穏を得られないだろう。地獄に堕ちるとすれば彼だよ」

 

 だが自分達とて地獄への道筋を辿っていないとは言い切れないのだ。

 

「《アグニ》はいつでも出せます。問題なのは、イリオンにどう言い繕うか」

 

「何とでも言え。強獣が襲ってくるのだと思わせておけばいい。バイストン・ウェルの妖精にはお似合いの立場だ」

 

 管制室の扉が開くと、解析に当たっていた軍人達が一斉に振り返り、挙手敬礼する。

 

 返礼した上官が一人の白衣の男へと問いかけた。

 

「首尾は?」

 

「上々です。解析結果を」

 

 手渡された情報が投射画面に浮かび上がる。それをレイリィも端末に同期させ、胡乱なその結果を目にしていた。

 

「解析不能……? これがその結果だというのか」

 

 上官の声に白衣の男はコンソールのキーを叩く。

 

「どれだけ情報を解析しても……同じ結果しか出ないのです。あの灰色のオーラバトラーに搭乗していた少女からは、この結果しか……」

 

 レイリィはその結果とやらを読み上げる。

 

「あの少女を覆っていた黒い皮膜は生物的なものだが、少女自体に生物としての組成は見られず……遺伝子も、その細胞も全て……虚構の代物に過ぎない、という結果が?」

 

 存在が虚構、という事実には納得しかねていた。男は眼鏡のブリッジを上げて説明を始める。

 

「彼女の肉体はこちらの次元にないのです。いえ、実体はこちらにあるのですが、それは影のようなものだと言うべきでしょうか……。結果から申し上げますと、あの少女はコモンでも、ましてや地上人でもありません。虚数空間の影……、無数の情報の積み重ねで構築された、別種の存在」

 

「フェラリオか」

 

 上官の言葉に男は頭を振る。

 

「フェラリオはまだ実体の存在です。あれは解析すればそれ相応の結果が出る。フェラリオでもなく、人間でもない。……オーラそのものが、形状を伴って実体化している、というのが正しいでしょうか」

 

「まどろっこしいな。つまり?」

 

 男は一拍置いて口にしていた。

 

「あの灰色のオーラバトラーに乗る少女は……オーラという揺らめく影そのものなのです。触れる事は可能ですが、それは我々地上人がオーラを高く持っているという事実に似ていると言うべきでしょうね。彼女自身を破壊する事は出来ない」

 

「触れられるが、それをどうこう出来ない、か。まるでゴーストだな」

 

「ええ。そう評するのが正しいでしょう。あれはまるでゴーストなのです。亡霊、怨念、それそのものがあのオーラバトラーを動かしていた……」

 

「灰色のは? どうなっている?」

 

「解析はしました。ですが……驚いた事にこれと言って特徴的ではないのです。ただの……オーラバトラーとでも言うべきでしょうか」

 

「バイストン・ウェルの謎の兵器にただの、も何もないような気がするが」

 

 上官の文句に男は慌てふためく。

 

「戦力としては上々ですが我々に動かせるようには出来ていないのです。あの亡霊の少女のみが、動かせる特別な一機でして……」

 

「要は意味のないもののサルベージをさせられた結果か。無駄足を……」

 

 上官の苛立ちにレイリィは口を差し挟んでいた。

 

「ですが、《アグニ》の適性者が現れた事は大いなる一歩です」

 

「……そう、君のように誰しも思えるわけではないよ。オーラ・ロードは?」

 

「解析映像、出します!」

 

 管制室の巨大なモニターに映し出されたのは虹の螺旋であった。どこまでも落ち窪んでいく螺旋の通路である。

 

「開いたまま、ですね……。またいつ、強獣がやってくるか分かりません」

 

「そのための《アグニ》だ。専守防衛の理念はある」

 

 それは基地の外には決して被害を及ぼさぬため、という前提ありきであったが、上官は言葉を継いでいた。

 

「前回の強獣はどうした?」

 

「ガッター種ですね。肉体の分析作業は行いましたが……」

 

 映し出されたのはほとんど肉体が溶け果てた骨格であった。やはり、と上官が口走る。

 

「バイストン・ウェルの生命体は死ねば塵に還る、か」

 

「ええ、オーラを失った生物は急速な壊死が進み、やがてその肉体は消滅します。これでもまだ持ったほうなのですが、やはり死からは逃れられないようですね。如何に妖精の国の生き物でも」

 

 上官は手渡された資料を手繰り、ふんと鼻を鳴らした。

 

「結果を出せ。そうでなければこの部署は意味がない。如何に本国が金を惜しまないとは言っても時間までは保証出来ないのだ。結果を出せない部署の行き着く先くらいは分かっているな?」

 

「御意に……」

 

 白衣の男が頭を垂れる。上官は資料を手に身を翻していた。その背中にレイリィは声を投げる。

 

「ですが、彼らも必死です」

 

「了承している。だが、《アグニ》共々、我々はままごとをしている場合でもないのだ。バイストン・ウェルは着実に地上界を侵しつつある。この現状をどうにか食い止めるために、我々は存在している事を忘れるな。連中に慈悲はない。妖精共の好き勝手にはさせるな。奴らを滅殺してでも、地上界の平穏を守れ」

 

 命令の声音にレイリィは挙手敬礼する。

 

 上官は資料を手に基地を出て行った。その背中を見送り、静かに口にする。

 

「……地上界の平穏、か。それが何を犠牲にしてでも守るべきものなのか……、そこまでは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《アグニ》を動かした功績は認める、という論調にターニャは言い返していたようであった。

 

「何も分からないのに、それでも動かしたんですよ! 認める、なんて上から目線……」

 

「だが、バイストン・ウェル側の人間であるのに変わりはない。自由は認められないのだ」

 

「……だから、軍人って言うのは」

 

「今のは聞かなかった事にしてやる。《アグニ》を動かせ。それだけが貢献出来る条件だ」

 

 ベッドから身を起こしたイリオンは言い争いを半ばの意識で聞いていた。

 

「実験動物じゃないんですよ! 意思のある人間です!」

 

「バイストン・ウェル側ならば即刻抹殺だってあり得る。これでも譲歩だろう」

 

「譲歩? 他人事だと思って……そんな事を」

 

 ターニャが困っている。それだけは窺えた。イリオンがベッドから出ようとしたところで見知った声が耳朶を打つ。

 

「どうした? 何を言い争っている」

 

「これは……少佐、何故こんなところに……」

 

「イリオン君の容態は?」

 

「少佐が気にする事では……」

 

「請け負っている。最後まで徹底するのが軍人だろう。君は下がれ。後はやっておく」

 

「……どうなっても知りませんよ。噛みつかれるかも」

 

 言い置いた兵士が立ち去るとターニャは大声で言いやっていた。

 

「なんて言い草なの! こんなのって聞いていないわ!」

 

「ターニャ、落ち着いて聞いてくれ。……イリオン君は?」

 

「眠っているわ。相当に疲れたのでしょうね」

 

 ここは眠った振りをするのが正解だと感じて、イリオンはベッドで横になる。レイリィが一瞥を投げてから、ターニャへと語りかけた。

 

「……イリオン君にはこれから先、地上界へと押し寄せてくる相手の駆逐作戦を頼みたい、と上からのお達しだ」

 

「そんな生易しい言い方じゃないはずよ」

 

「……そうだな。《アグニ》に引き続き乗れ。後はどうとでもしろ、と。先ほどの兵士の弁を借りるのならば、我が方の勢力としてイリオン君を含める、というのが上の決定だ」

 

「……あの子はまだ……」

 

「分かっている。決定権はないだろう。我々がバイストン・ウェルの人間をどうこうしようなど、傲慢の一事だ。しかし、それでもイリオン君にはやってもらいたい。《アグニ》は、あの子以外は動かせない。それが決定であるのならば」

 

「……それだって、どうしてもっとやりやすい兵器を造らなかったの? 米軍は最初から、バイストン・ウェルの力を利用しようと考えている。それを知らないで済ませられないわ。……三十年前、あの兵器が忘れられないのよ。オーラバトラーって言うね」

 

「世界に爪痕を立てたんだ。バイストン・ウェルにも清算を求めたいんだろうが、生憎妖精達に罪はない。彼らはただ、生きていただけであった。叡智をもたらしたのは地上界の人間だ」

 

「それが分かっていても……実行しろって言うのね」

 

「辛い事を迫らせる。だが……我々に残された手は……」

 

「――やりますよ」

 

 イリオンは覚えず口を差し挟んでいた。二人が仰天してこちらへと視線を注ぐ。

 

「でも……あなたはバイストン・ウェルの……」

 

「どうせ、帰る手立ても分からないんだったら、役に立ちたい。僕みたいなのが、役に立てるのならば」

 

「そう言ってもらえると助かるが……個人的な心象では、君を危険に晒したくはない。《アグニ》はただの兵器じゃないんだ。オーラを全く使用しない、オーラバトラーとも、現状の兵装とも似て非なるもの……。あれを、どう言えばいいのか……」

 

「それでも、僕しかやれないのなら、やります。やらせてください」

 

 その言葉振りが意外であったのだろう。二人は顔を見合わせ、やがて言葉を紡いだ。

 

「……確認しているだけでも、バイストン・ウェルから地上界に侵攻してくる勢力は相当数に上る。それでも……やってくれるか?」

 

 これは悪魔の取引かもしれない。だが、自分はバイストン・ウェルの、彼の地でも「要らない」人間であった。

 

 ならば、必要とされる場所で戦っていたい。

 

「《アグニ》に乗ります。そして、地上界に……出来れば平穏を」

 

「そう、か……。そこまで思ってくれているとは考えもしなかった。君の勇気に、敬意を評したい」

 

「イリオン君……でも無謀なのよ。敵はすぐ傍まで迫っている。脅威は、あんなもんじゃないの」

 

 それでもやる、と決意した双眸にターニャは諦観を差し挟んだ。

 

「……やる……のね」

 

「僕は、あの灰色のオーラバトラーに殺されかけた。もう、消えた命なんです。なら、少しでも誰かのために」

 

「心持ちは立派だ。こちらとしてもよろしく頼みたい。イリオン君。君を正式に、《アグニ》の専属パイロットに、任命する」

 

 レイリィはしかし、その決定がまるで苦渋の末の決定のように、どこか苦々しい顔を浮かべるのであった。

 

 


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