冷たい床の感触に、彼女は瞼を開いた。
ここはどうやら半身の中ではないらしい。そう感じた身を起こすと、周囲にオーラの反射が見られた。
四方八方は銀色の壁に覆われているが、その向こう側で息づく人影を察知する。
「寒い……」
彼女は自身に纏っている皮膜が剥がれているのを寝ぼけた頭でようやく理解した。やはり半身からは離れているらしい。
自分の甲殻であり、己の存在そのものであるところのオーラバトラー――《ゼノバイン》からは意図的に距離を取られているのをオーラの感触ではかる。
「……何してるのぉ……? もしかして、アタシを解剖でもする?」
この場所を俯瞰している「眼」へと彼女は語りかけた。相手は通信で応じる。
『それが相応しい対処ならば』
「バカらしい。あんた達、結局は《ゼノバイン》が欲しいんでしょ? オーラでそう言っているのにウソなんて通用しないわよ」
『……理解が早いようだ』
「そりゃ……だってアタシ、《ゼノバイン》と一緒だもん。ねぇ、服をちょうだいよ。アタシの裸を見て楽しい?」
くすくすと笑いかける彼女へと銀色の壁が一面だけ開いた。武装した兵士が二人、拳銃を突きつけて歩み寄ってくる。
「殺すの?」
喜色を滲ませた声音に一人が毛布を放る。どうやら思っていたよりも拍子抜けの場所らしい。
「……紳士気取るつもり? アタシ、そーいうのバカっぽいと思うけれど」
毛布を羽織り、彼女は笑みを吊り上げる。相手は冷静な声音を乱さない。
『理解しているのならば問おう。あれは何だ? あのオーラバトラーは今までのものとは違う。別種の存在だ』
「別種……面白い見方をするのね。ねぇ、アタシと《ゼノバイン》がどうして、こんなところに? オーラがとても濃いし……バイストン・ウェルじゃないわね」
『地上界だ。君達はバイストン・ウェルより浮上してきた』
浮上。その言葉の意味が分からぬほど、意識は朦朧としているわけではない。
「へぇ……浮上したんだ。じゃあ何? フェラリオの導きかしら。それとも、他の? どっちにしたって……こうやってアタシを閉じ込めるだけしか出来ないのね。地上人は」
『不確定要素が過ぎる。まず問おう。君は何者か』
「何者か、ねぇ……。どう答えるべきかしら。因果の集約点。あるいは異端の狂戦士って呼ばれていたから、そっちの通り名で?」
『……あまり時間はかけないほうがいい。首にかけられているものがあるはずだ』
「ああ、これぇ?」
金色の首輪がかけられている。外そうともがくと、不意に皮膚を突き刺す電撃が放たれた。突然の事に五感が麻痺する。フラッシュバックした視野が白と黒に激しく移り変わり、その眩惑に身体が弛緩した。
『電撃を仕込んである。……警告はするつもりであったが』
直後、笑みが喉の奥から漏れてくる。相手は強攻策に打って出てきた。それはつまり、どうしても自分から聞き出したい何かがあるのだろう。
そういう相手と話すのはやぶさかではない。否、「何年ぶり」だろうか。
くっくっと笑うこちらを、相手が胡乱そうに尋ねる。
『何が可笑しい?』
「何が? 全部よ、全部。結局、気取っちゃってまぁ……。殺す気はないんだ?」
『情報が欲しい』
「手早くていいわね。アタシの要求は一つ。《ゼノバイン》と共にバイストン・ウェルに帰る」
『ならば、協力は惜しまない』
どこまで本気なのか。オーラを読んだが無数の人間のオーラが混在しており、今の状態では本音は掴めそうにない。
「……いいわ。協定を結びましょう」
『助かるとも。君の帰還を補助する事を誓う』
「ねぇ、そういうのいいから。アタシに何が聞きたいのぉ?」
『……現時点でのバイストン・ウェルの実情と戦力。それに、我が方のテストに協力してもらう』
「テストぉ?」
素っ頓狂な声を上げた彼女へと、二人の兵士が銃弾を叩き込んだ。唐突な銃撃に身体が痙攣する。
しかし――弾丸は肉体を滑るばかりで命中しても血の一滴さえも出てこない。
相手が息を呑んだのが伝わった。
「……急に撃つのは……紳士って呼ばないんじゃないのぉ?」
『君の特異体質についても知りたいものだな。死なない肉体』
「調べたのね。いやらしい……」
笑みを浮かべたこちらに兵士が明らかに恐怖を浮かべたのを関知する。彼女は手をすっと床につけた。直後、跳ね上がって相手の喉笛に噛み付く。
尖った歯がスーツに隠れていない兵士の喉を掻っ切った。血潮を悲鳴が舞う中、彼女は壁に張り付く。もう一人の兵士が銃撃を見舞うが、それらは全てあまりにも遅い。蹴り上げて相手の銃身を落とし、床についた反動でそのまま跳ねて爪を叩き込んだ。
肩口に手刀が突き刺さる。その刹那、電撃が全身を走った。
痙攣する肉体とは裏腹に、彼女は狂気の笑みを浮かべ、兵士へと拳を振るい上げる。
一発、相手が脳震とうに震えたのが伝わる。もう一発で、頭蓋に皹が入ったのが分かった。さらにとどめの一発で兵士は意識を閉じたのが窺える。
そのまま蹴って突き放し、扉から逃げようとして、無数の銃口が自分を照準したのを目にしていた。
恐らくは予期していたのだろう。
重武装に身を固めた兵隊が彼女を羽交い絞めにする。
前の二人は捨て駒か。そう感じた彼女は声を軋らせていた。
「なんて事。死んでもいい人間を使ったんだ?」
『……こちらとしても損耗は避けたい。素直な返答を望む』
「殺すわ。こいつら全員、皆殺しにしてやる」
『それでは君の条件は呑めんな』
それは困る。オーラ・ロードを開くのに、自分と《ゼノバイン》だけでは絶対に足りないのは目に見えている。
昂った神経を少しずつ醒まし、彼女は頭部に突きつけられた銃身を掴んでいた。
兵士がうろたえて後ずさる。狂喜の笑い声を響かせた。
「殺しなさいよ! 殺せ!」
『残念ながらまだそうはいかないのだよ。君のオーラバトラーには価値がある。だから殺さない。……どれほど兵を損耗しても』
「偽善者! 人でなし!」
『どうとでも……。大きな一つ事を成すためには小事にこだわってはいられない』
「人の命が小さいって思えるのなら、あんた達だってアタシと同じよ!」
『そう、同じだとも。だから血を流さない交渉をしたい。駄目だろうか?』
思わぬ返しに彼女は銃を掴み上げた手を離した。兵士が銃身で叩き据えようとしたのを声が押し留める。
『やめろ。個人的な復讐心は無意味だ』
「そうよ、やめておきなさい。アタシを殴ったってお仲間は生き返らないんだから」
兵士が歯噛みして後退した。声はこちらへと促す。
『さて、君の事を何と呼べばいい? 我々は協力関係だ。等しくあろう』
「はじめに自分が名乗るって、ママから教わらなかったのぉ?」
『これは失敬。こちらは……地上界の軍隊の一部だ。どこの軍なのか言っても理解できないだろうが、そういう組織だと思ってくれていい』
「ろくに自己紹介も出来ないのね。かわいそう」
『では君がお手本を見せてくれるか?』
彼女は床に流れる鮮血を指で拭い、壁に血で文字を書き殴った。
相手が、ほうと嘆息をつく。
『アメジスト。それが君の名前か』
彼女――アメジストは指についた血を舐める。
口中に広がる「獲物」の味に恍惚さえ覚えた。
「アタシの《ゼノバイン》はどこ?」
『《ゼノバイン》と言うのか、あのオーラバトラーは』
「答えなさい」
『協力次第だ。言っただろう? 約束は』
「違えないとでも? どうかしら。アタシはあんた達をいくらでも殺せる」
『では、こちらも。バイストン・ウェルの兵器など、恐れるまでもない』
それは、今までとは違うスタンスであった。少しだけ、興味が出てくる。
「……愉しませてくれるのよねぇ?」
『アメジスト。君の赴くまま、語って欲しい。今のバイストン・ウェルはどうなっているのか。その全てを』
協力なんて生易しい。自分も相手も搾取しか考えていない。だが……どちらに転んでも、自分には旨味がある。
何よりも、少しばかり地上界にいるのも悪くない。
このオーラの濃度に、呼吸困難に陥ってしまいそうで、そのギリギリの感触が心地いい。
「いいわ。アタシの事を教えてあげる」
口角を笑みの形に吊り上げたアメジストに、兵士達がうろたえた。
『ではアメジスト。対等にいこうか』
対等なんてものじゃない。これから行われるのはいずれにしても、何らかの破滅の遠因になるであろう事は、アメジストも容易に理解出来た。
第三章了