第三十五話 地獄襲来
賑わいを見せる、というのは何もこの世界特有のものではない。
領国の人々が運ばれていく骨董品めいたオーラバトラーが街中を抜けていくのを囃し立てた。彼らの目に映っているのは、普段なかなか目にする事もない、オーラバトラーの外殻。
オーラバトラーは兵器としての歴史は浅い。まだ三十年程度の兵装は、同時に式典においての特別な装飾品としての役割も含めていた。
「あれが、《ダンバイン》……」
口々にコモン達が言いやったのは象徴的な青いオーラバトラーの外殻である。キマイ・ラグの口腔部を本来ならば加工し、顎の部分を戦士の様相に仕立て上げなければそれはオーラバトラー《ダンバイン》とは呼ばないのだが、今回は特別であった。
炸薬による花火が上がり、今宵の祭典を引き立てる。
街道を埋めるのは、オーラバトラーを模した骨格のみのものであった。
「オーラモデル、と我々は呼んでおります」
そう、対面の高官が告げたのを聞いてギーマはテラスから覗く街灯を注視した。
「あれは、戦闘能力は?」
高官は頭を振る。
「何も戦いだけがショット……、ショット・ウェポンのもたらしたものではないのです。彼の革命者は文明をもたらした」
「文明、ですか。フェラリオの世界とは相容れなさそうな……」
「文明は我々コモンにもあって然るべきです。ですが、根底の部分では、オーラを信奉し、フェラリオを恐れ、オーラの導きを信仰し続けてきた。失礼ながら、ゼスティアに信仰の自由は?」
「無論、領民にはそれなりの生活を確約しております。縛るだけが政ではありますまい」
「まったくもって。いい領主であると」
どこまでもおべっかだとして、ここではっきりさせる必要もなし。ギーマはこの祭典を探りかねていた。
オーラバトラー――三十年前にもたらされた災厄を人はこうして、信仰の対象に出来るのか。
「この祭りは……」
「オーラバトラーは最初から兵器の側面である、というのはバイストン・ウェル世界全土にもたらされた共通認識ではないのです。それはこのような形で人々に受け入れられた」
目を凝らせば、オーラモデルとやらの造形はオーラバトラーのそれより随分と精巧である。強獣の部品がそのまま覗いている箇所もあり、どこか荒削りな印象も受けた。
「強獣の部品をそのまま使用しているのですね。ここいらでの狩猟行為は」
「解禁されて久しいものです。ですが、無暗に狩るべきでもないと。強獣には彼らの世界観があります。そこはコモンと分けるべきであると」
「さもありなん、ですね。強獣もバイストン・ウェルの生命だと」
「主義者であるつもりはありません。ですが、命を摘むのに、我々は慎重になるべきなのです」
相手は三十年前の出来事を引き合いに出そうとしているのだろうか。その話題にギーマは切り出していた。
「浄化、ですか」
「フェラリオの長は汚らわしき地上界の者達を追放した。我らが同朋と共に。それがどのような悲劇を招いたのか、そらんじるまでもないでしょう」
「強獣も同じ、とするのはそのためですか」
「忘れないでもらいたいのは、強獣とて、コモンとて、バイストン・ウェルに生きるただの生命体でしかないのです。だからこういう催しが必要になる」
花火が打ち上がり、夜空に極彩色の花を咲かせた。
魂を慰撫するその瞬きに、ギーマはフェラリオの世界を幻視する。この世界の上層に存在するという、妖精の領域。全てのコモンが恐れるべき、上位存在。
「これは、バイストン・ウェルで死んでいく魂を……」
「慰め、そして彼らを還るべき場所へと還す。それが生きている者の務めでしょう。この世界を徘徊する亡霊になんてなってはならないのです」
バイストン・ウェルを闊歩する亡霊。それを酔狂でも、ましてや何の意味もなく発したわけではないのだろう。
相手はこちらがその亡霊と行き遭った事をある程度は知っているのかもしれない。あるいは、彼らも遭遇したか。
異端狂戦士。この時代のバイストン・ウェルを食い潰す何か――。
しかし、藪蛇を突けば不利なのは明白。どうあっても、こちらから有益な情報を与えるわけにはいかない。
「……亡霊とは穏やかではない」
「何も冗談ではないのです。《ダンバイン》……、聖戦士が何故、必要になるのか。勇者は何故、この世界に呼ばれなければならないのか」
「……悪を、排除するためですかな」
「その悪が、何も地上界の欲深い地上人だけでもありますまい」
何を言わせたいのだ。ギーマは探りかねて、式典の装飾を煌めかせるオーラモデルを見やっていた。
兜の形状は兵装と言うよりも芸術。キマイ・ラグの発達した口腔部がその精緻な芸術とは対比の様相を呈している。
獣と人。それを融合させた華美。
「まるで、我々の歴史のようだ」
「強獣は元々、我らコモンからしてみれば、別種の世界を共にする生き物でした。それが混ざり合い……、あまつさえ兵器として利用出来る、などとしたのは地上人です」
「ですが、コモンも時間さえあれば編み出したかもしれません。遅くとも、それでも叡智には手が届く。それが人と言うものです」
その言葉に相手が微笑む。
「まるでコモンの可能性を信じていらっしゃるようだ」
事実、ギーマはコモン人であろうとも、オーラバトラーを生み出せたであろうという確信があった。地上人の持ち込んだ叡智が全ての元凶。何もかも、地上の人間のせいだというのはあまりにも責任を放棄している。
コモン人でも、手の届く領域にオーラバトラーと言う価値はあった。
そう思わなくては、自分のこれからも――。
「して、このオーラモデルの進軍はどうです? なかなかに壮観でしょう?」
確かに芸術品がこうして夜の街を彩っているのだと思えば、見応えはある。その意味も、この領地での平穏を約束するものとして必要だろう。
だが――。
「張りぼてですね」
口にしたギーマに相手は眉を跳ね上げる。
「……今、何と?」
「張りぼてであると、申したのです。これでは意味がない。確かに、オーラモデル。なかなかに見ていて価値はあります。しかし、今の世の中、見ているだけでは意味がないのです。例えば……ここで急に敵国が進軍してくれば? オーラモデル……鳥籠のように精緻なあの張りぼてで、ではどうしますか? 手足もついていない、前時代的な戦車のようなもので、では戦えますか?」
「……戦えなくては価値がないとでも?」
「そこまでストイックではありませんとも。ですが、いざという時に刃を取れる。その心持ちはあるべきです」
「……同盟を結ぶのはやぶさかではありません。ですが、野蛮人の理論で戦に向かうのは、それこそ本末転倒なのではないでしょうか?」
この国の当主はどうやらまだ日和見のようだ。いざという時の姿勢がまだ見えていない。それを外交問題に持ち出せるだけの胆力も持ち合わせていない。
「我々は何も、敵国とした相手にのみ銃口を向ければいい、という単純な帰結ではないのです。どのような国が敵になっても、それを蹴散らさなければならない」
「……蹴散らすとは、穏やかではない」
相手は日和見だけでは飽き足らず、戦うための牙もそがれているか。そのような相手に、では戦えと、争えと教え込んでも仕方のない事。ここは一度、冷静に事態を俯瞰し、価値を問いただすべきだ。
「失礼、言葉が荒かったようです。ですが、専守防衛、その理念をこの国家が保っているのならば、それを実行すべき兵力は常に備蓄しておくべきかと。戦場を、常に想定して兵士は剣を研ぐべきです」
「……ゼスティア領は確かに、ジェム領との緊張関係で戦いを強いられているでしょう。その立場も、分からないでもありません。ですが、我々はこうして……オーラモデルを目にして平和を享受する。それでは、いけませんか? オーラモデルが我々の平和の象徴なのです。戦いの道具でしかないオーラバトラーが、ここまで芸術として成り立つ、それこそが、本当の平和ではないのでしょうか?」
「歩み寄りは必要でしょうね。ですが、戦いは常に傍にあるもの。戦の種はどこにでもあるのです。例えばそれは、分かり合えぬ相手であったり、同じものを競合する相手であったり、でしょう」
「……オーラモデルは理想形です。それを崩してまで、では平和を勝ち取るべきだと?」
「この国の政は、その国の、でしょう。他国の常識を当てはめて、ではそれが正しいというのも間違っている」
痺れを切らしたのか、高官は強く声にしていた。
「我が方の防衛はこれで万全だと、言えば分らぬのか!」
いきり立って声にした高官にギーマは諌めようとして、丘の向こうで赤い光が瞬いたのを視野に入れていた。
「……新手の花火でも?」
目線で問いかけるが高官が頭を振る。
「いや……、あの方向に花火はないはず……」
「しかし、あれは炎の赤だ」
では何が、と目を凝らしたところで、不意に暗く沈んだ景色が開いた。丘を越えた場所で開かれたのは血潮を想起させる赤い絶壁である。
牙のように激しく開いたそこから、紫色の何かが這い出てきた。
「失礼を」
双眼鏡を取り出し、その場所を注視する。何か、と見えた物体は四つ足を持ち、生き物であるのが窺えた。
「……まさか、強獣?」
「あり得ません! 強獣の巣からは千メットは離れているんです!」
では、何が、と口をついて出る前に扉が荒々しく開かれる。駆け込んできたのはレイニーであった。
「レイニー……、君は」
「主様! 早くお逃げください! 地獄から、あれが……!」
思いつめた様子の声音に高官が眼差しを振り向ける。
「地獄、だと……」
ギーマは双眼鏡越しに確認出来るその物体を今一度視認し、高官へと指示を出していた。
「こちらに来ます。市民に退避を」
「退避? 冗談ではありません。あれがもし、他国からの侵略ならば、徹底抗戦をすべきでしょう!」
「……ですが、貴国には武力が」
「ないわけではありません。……繋げ」
高官が懐から通信機を取り出す。ミシェルの持ち込んだ地上人のオーソドックスとは異なるものの、それが広域通信が可能なものだと一発でギーマは判じた。
『こちら航空班。ギシェルの丘の向こうから謎の物体を視認。攻撃許可を』
「爆撃を許可する」
高官の迷いのない言葉にギーマは身震いした。
「……逸り過ぎでは……」
「ギーマ殿。先ほど、我が方の防衛力が地に堕ちたのだと、そのような言い草をされていたがここで撤回させていただく。我が国は防衛力では貴国を上回る」
ほどなくして、丘へと無数の炸薬が撒かれた。爆撃が丘を吹き飛ばし、土石流が敵勢力を叩きのめす。
岩石が爆ぜ、稲光の如き兵装が敵を滅多打ちにした。
「何と言う……」
絶句するギーマに高官が鼻を鳴らす。
「如何です? これが我が国の力。同盟関係を結ぶのに、これほど分かりやすいものはないはず」
確かに、この国を侮っていた。それは認めよう。だが、敵の正体も見ずに叩きのめすのは上策とは言えない。
「……送り狼を。敵の正体が見たい」
「どうせ、武力国家の尖兵でしょう。見るまでもない」
そう、ギーマも思い込んでいた。所詮は国家同士の謀。わざわざ敵を観るまでもない話だと。
だが、レイニーが――オーラを視る少女が危惧している。
あれは危険なものだと。地獄、という言葉が今さらに思い返される。
「レイニー。地獄とは……」
「……その言葉通りです。あれは、地の底、海と大地を縫い止めたバイストン・ウェルの、忌むべき闇から生まれ出でた存在。あれは、否定してはならぬのです。否定すれば、より強い否定の力で、こちらを上回ってくる」
「より強い、否定の力……」
刹那、丘の向こうで光が弾けた。赤い輝きが瞬く間に粘性を伴って流れ込んでくる。
溶岩のようなそれと共に、紫色の生命体が街へと雪崩れ込んでくる。
「馬鹿な……。爆撃が通用しないだと……」
「……来ます。オーラバトラーを」
「ひ、必要ない! 我々には……」
「死にますよ」
詰めた声に高官は眉を跳ねさせたのも一瞬、すぐさま声に調子を取り戻した。
「我らの防衛手段は、オーラバトラーに非ず! 騎兵! オーラモデルに乗り込め!」
その号令で街中より鎧を身に纏った騎兵隊が張りぼてとしか思えなかったオーラモデルへと搭乗していく。
球体の操縦席に乗り込んだかと思うと、なんと、オーラモデルが二足で立ち上がった。
木造の山車で隠されていた部位が展開し、大型のオーラ・コンバータ―が解除される。
そこから棚引いたのは可視化出来るほどの巨大なオーラの塊であった。
「オーラモデル……じゃない」
張りぼてなどでは決してない。高官が声を張り上げる。
「オーラネフィリム! これこそが、オーラバトラーを超えし、巨兵!」
三階建ての建物をゆうに超える巨躯を持つオーラネフィリムが街の各所に秘匿された武装を手にする。
どうやらこの国家、街そのものが防衛都市としての役割を帯びているようだ。家の軒先の地下から巨大な剣が鞘に包まれて出現する。
「……侮っていましたな。まさか、このような守りがあるなど」
「なに、爆撃が効かなかった場合の保険ですよ。これは最後の最後に言おうと思っていたのですが、デモンストレーションにはちょうどいい」
オーラネフィリムが丘の向こうから襲来する影へと剣を突きつけた。その体躯から打ち下ろされる威力は相当のはず。
溶岩流に乗った一匹の紫色の生き物がその射程に入った。オーラネフィリムがオォンと吼え、一閃を浴びせかける。
両断された生命体より青い血潮が舞い散った。それを目にした高官が叫ぶ。
「これが! 我が方の防衛力!」
確かにギーマも舌を巻いていた。オーラバトラーを超える巨大な兵器が独力で開発されているなど。
しかし、とギーマはレイニーがまだ震えているのを目にする。
彼女の怯えはまだ去っていない。
「……あれは、死んだのか」
「死んだのか、ですと? 見れば分かるはず! 両断ですよ!」
真っ二つに切り裂かれた生命体を、オーラネフィリムが観察する。その腕を伸ばした瞬間、内側から何かが跳ね上がった。
オーラネフィリムの腕へと吸い付いたのは小さな牙である。何が、と思う前にその牙が膨れ上がり、オーラネフィリムの腕を喰らい尽くした。肩口から溶け落ちたオーラネフィリムがまるで人がそうするかのように息をつく。
次いだ剣を払う前に、両断されたはずの生命体が再生した。鮮やかなまでの自己再生にギーマは目を瞠る。
「地力で再生……、それも並大抵の速度ではない、あんなものが……」
「あれが……、何だと言うんだ! オーラネフィリム!」
残存するオーラネフィリムが再生した敵を滅多打ちにする。どこまでも残酷に、どこまでも冷酷に。その暴力はどこまでも、人の領分を超えた代物であった。
潰し、叩き、引き裂き、打ちのめす。それらが何度実行されただろう。
既に原型も留めぬほどに破壊された生命体より、無数の牙が放射される。その牙がオーラネフィリムへと吸着し、その機体から血潮を奪った。
球体のコックピットに保護されたパイロット達を射抜き、その命を奪い取っていく。
有り様に、ギーマは身を震わせた。
「これが……、こんなものが……」
あっていいのか。否、――あるはずがない。
再び、修復を果たした紫色の生命体がか細く鳴く。それが丘の上から溶岩流に乗ってやってくる無数の同じ生命体の声と相乗した。
「逃げなければ!」
レイニーの言葉にギーマはハッとする。
逃げる? だが、こんなどん詰まりでどうやって?
硬直した身体をレイニーが必死に引く。
「主様! ここで死ぬのは貴方のオーラにもとります! 逃げるのです!」
「し、しかし……」
同盟は、と口にしかけてそれどころではない事を実感する。視界の先には、地を埋め尽くさんばかりの紫色の異形が。
オーラネフィリムが屹立し、それを阻もうとする。
高官が手を払った。
「殺せ!」
オーラネフィリムがオーラバトラーの用いるそれよりも遥かに長大なオーラショットを構える。
火縄銃の形状を模したそれに点火され、一斉掃射が紫色の群れを撃ち抜いた。だが、全く勢いは殺される事もない。
それどころか死者の雪崩れはより一層、街を飲み込んでいく。
「逃げると言ったって……」
どうやって? どうすればこの死者の手から逃れられる?
ギーマが目にしたのはレイニーを止めようとした憲兵の持つ通信機であった。駆け寄り、通信機を引っ手繰る。
「何を!」
「無理は承知!」
通信機にギーマは声を吹き込んでいた。
「敵陣が街に進軍している! オーラネフィリムは絶対に敵を通すな。何があっても街の南側だけは死守せよ! 国家の威信をかけて」
こう命令すれば、軍人がどう動くのか。それくらいは自分でも知っている。国の頭目を守るために、軍人達は躍起になる。それこそ、死に物狂いで、彼らは戦うであろう。その戦いに敬意を表する時間はなくとも、逃げる時間は稼げる。
ギーマはレイニーの手を引いて部屋から逃げ出そうとしていた。
その足元へと銃弾が放たれる。
「逃げようと言うのですか! ゼスティアの若き頭目よ!」
「……せっかくですがこの国と運命を共にする気はない」
「同盟を! 破棄するとでも?」
喚き散らした高官にギーマは冷徹に告げていた。
「……ここで潰える運命ならば」
「笑わせる! 青いんだよ、ガキが!」
銃口がギーマへと向けられた刹那、窓辺から高官を打ち抜いたのは紫色の生物が発した粘性のある器官であった。
「これは……舌、か……」
確かめる術もなく、今はただここで生き残った運を持て余すのみ。ギーマは駆け出したその時には、レイニーが声にしていた。
「下層にユニコンが! それに乗れば……!」
「この国から逃げ切れる……か。しかし、あれは一体何なのだ! オーラバトラーを超える武装でも全く勝てないなんて……」
「あれは、地獄人です」
どこかその言葉だけは冷静に発せられたのを聞いて、ギーマは疑念を新たにする。
「……後で詳しく聞こう」
レイニーにはあれが既に視えていたのだろうか。視えていたのならば、逃れる術も分かっていたはずだ。
それとも、これさえも王になるための試練だとでも言うのか。
オーラネフィリムが足音を立てて進軍していく。巨大な剣と銃器で武装した巨体でも、機体装甲を這い登る地獄の使者には全く通用しないらしい。一機、また一機と蝕まれ、墜ちていく。
ユニコンの手綱は幸いにして繋がれており、ギーマはすぐに鞭を取った。
弾かれたようにユニコンが駆け出す。
滅びる国を背に、ギーマは口走っていた。
「……犠牲だとは思わんぞ」
充分な距離が取れたと認識出来たのはそれより千メットは離れてからだろうか。
地獄の雪崩れも、死者の群れも全くの無縁と思える草原に至ってようやく、であった。
息が上がっている。ユニコンの馬車に備え付けられている水筒に入った水を呷った。馬車に乗り込んだレイニーは顔を俯けている。
その伏し目にギーマは苦々しげに言ってのけた。
「……知っていたのか」
レイニーはぎゅっと拳を膝の上で握り締める。無言の肯定にギーマは問いを重ねた。
「……どうして」
「あれの出現は、予期出来ても言ってはならぬのです。その掟を、破るわけにはいきません」
「……仲間か」
「違います!」
それだけは、という必死の形相に、ギーマは二の句を容易く継げなかった。
僅かな沈黙の後、レイニーは口にする。
「違います……」
「では、あれは何なんだ。それだけは教えて欲しい」
「……地獄人。主様は、地獄、をご存知で?」
「……そういう知識が地上界にあるのは知っているが、このバイストン・ウェルには当てはまらないと」
「地獄は、どこにでもございます。人が生きている限り、どこにでも。このバイストン・ウェルで、オーラの高い者が大量に死んだ時、それは現れるのです。反転現象とも、呼ばれています」
「反転……、あれはオーラバトラーなのか?」
「オーラビーストと、伝え聞いています。オーラバトラーとは似て非なる存在。あれを動かすのは叡智の動力ではなく、ただの怨嗟」
「……そのようなもの、眉唾だと切り捨てられる」
「ですが、目にすれば変わるでしょう。あれは存在するのです」
確かに、あの国を一夜にして滅ぼしたのは紫色のあの生命体。だが、地獄――、そしてオーラビーストだと。
「……そのようなもの、信じられるわけが……」
「主様は地獄に近いものを持っていらっしゃいます。あれはその性質に引き寄せられた」
その言葉にギーマは息を呑む。
「まさか……。フェラリオの王冠か?」
レイニーは首肯する。ギーマは額に手をやっていた。ここに来て、どうしてフェラリオの王冠が自分を害する?
あれは確かに呪われたものであった。だが、呪いなど前時代的だ。全て、自分の世代で変えるのだ、と息巻いてきた。
ゆえにこそ、信じ難い。呪いは実在した。そして、自分を追ってくる。どこまでも執念深く。
それを止める流れが、どこにあるというのだろう。
「……王冠を捨てるしかないのか」
「いえ、その必要はありません」
レイニーの言葉にギーマは腰から提げた剣をその首筋へと突きつける。見えていなくともオーラで分かるはずだ。この殺気を。
「……辻占の町娘。ここで首を刈ってもいい」
「殺しても構いません。ですが、見えるのです。暗黒城を率いる貴方のお姿、なんて麗しい……。ゆえにこそ、死んで欲しくないのです」
「ならば! オーラビーストとやらの襲来を防げたはずだ!」
「あれとこの眼は繋がっております。下手をすれば、相手に上を行かれる心配があった」
「よく舌が回るものだな。ある事ない事、吹聴するのは楽しいか!」
「信じたのは貴方です」
「ならば、信に値しないと断じるのもわたしだ!」
剣を振るい上げかけたギーマは風圧を感じた。振り仰いだ先にいたのは青いオーラバトラーである。
「《ビランビー》……。どこの所属の……」
『大丈夫ですか! そこの旅のお方!』
「……女の声」
思わぬパイロットの声にギーマは瞠目する。《ビランビー》が翅の振動数を下げ、緩やかに着地した。どうやらよく見れば改造機のようで、純然たる《ビランビー》とは少し違う。
コックピットより這い出たパイロットはスーツに身を包んだ小柄な少女であった。
「……また女か」
「騒ぎを聞いて駆けつけました。その身なり……、国家領主レベルかと存じます」
礼節はあるようだ。ギーマは敬礼した相手に返礼する。
「貴君は……」
「紹介が遅れましたね。私はアの国より派遣されたパイロットです。名前を、リリディア。少尉階級です」
「アの国……。面妖な。滅びた国の名を騙るか」
「騙っているわけではありません。アの国は再興の時を待ち、散り散りになった兵士達はその国土再生計画のため、こうして見回っているのです。……近辺で地獄人の存在を確認いたしました。ゆえに、逃げ遅れた民草もいるのでは、と我々は警戒しているのです」
地獄人の事を知っている。それだけで情報源としてはそれなりに重宝出来るとギーマは判断した。
「その方、リリディア少尉と言ったか。オーラバトラー乗りにしては、随分と華奢な……」
「ショット博士の技術です。オーラ増幅器を積んでおりますゆえ」
話には何度か上がった事があった。アの国にはオーラを増幅させ、コモンでも地上人と対等に戦う術が確立されていたと。
まさか、それを目の当たりにするとは思っても見ない。
「しかし……いまどき、《ビランビー》とは」
「可笑しいですか?」
「面妖なだけだ」
「どうとでも。こちらこそ、草原のど真ん中で淑女に剣を突きつけている御仁は奇妙に映る」
切っ先を下げ、ギーマはレイニーを睨む。まさかこの展開まで読んでいたのか。
彼女は瞼を閉ざしたまま、微動だにしない。
「これより、東方の国へと出向きます。あなた方はそこから?」
「ああ、命からがら逃げてきた。外交の途中でね」
「それは、災難でしたね。ですが、私達も一度、地獄人の惨状は見ておかなくてはいけないのです。とんぼ返りになりますが……」
リリディアのこちらを慮った声にギーマは首肯していた。
「構わない。こちらとしてもあの状況は反芻しておきたい」
何が起こったのか。何故、オーラネフィリムなる兵器でも全く通用しなかったのか。一度検証せねば、その本質を見極められないだろう。
それはレイニーの知見も含めて、であった。
彼女はオーラビーストを知っていた。それはつまり、一度あれに遭遇しているという事だ。
しかし、紫色の生物が土石流のように迫ってきたあの災厄としか言いようのない状況から生き延びたとなれば、それは相当な強運か。あるいは不幸なだけである。
リリディアの《ビランビー》が先行する形で、ユニコンに鞭を打った。駆け出した馬車が草原の来た道を辿る。
滑空するオーラバトラーより高音の警笛が鳴らされた。恐らくその言を信じるのならば、仲間を呼びつけたのだろう。
「……しかし、アの国の忘れ形見か。それは如何様な……」
この事態の究明もそうであったが、今は転がっていく状況に翻弄されるほかなかった。