剣で打てば分かる、と言い放った自分に対し、怪訝そうな眼を向けてくるものは少なくなかった。
如何に聖戦士とおだてられようとも、その力ではさすがに負けるであろう、と予感されていた勝負に勝った自分を見る、領国の兵士達の眼差しには奇異なるものが混じっている。
言い方を選べば、敵国の枢軸に口を割らせる事が出来た実力者。悪く言えば、力押しで無理やりこの状況を打開したただの厄介者。
加えて《ソニドリ》の件もある。彼らが全幅の信頼を置くのは難しいだろう。
「こっちだ」
促したランラは牢獄の手前に即席で作られた作戦指示室の扉を開ける。牢屋と直接繋がる形で、手錠をかけられたグランが歩み出ていた。
その眼に映る自分はどのような存在なのだろう、とエムロードは勘繰る眼を向ける。
彼に勝ってみせた。その一面だけで言えば戦士のそれ。しかし、グランは容易く心を開くとも思えない。当然、自国の情報など。
「グラン中佐。貴様は剣に誓ったな? 負ければそれなりの譲歩はすると」
「ああ。誓ったとも。儂はジェム領の戦士。嘘は言わん」
「では、貴国の……、騎士団について語ってもらおう」
ランラが話題を選んでくれて助かった。自分ではその話はどうしても避けたいからである。
グランが自分を見やる。試すような視線だ。
「……地上人の軍隊と聞いている」
「軍隊と言うのは少し違う。あれは正規軍ではないのだからな」
「しかし、一端の兵に思えた。特に、あの黒いオーラバトラー……」
「《キヌバネ》、か。あれは国の酔狂な連中が作り上げた、地上人の力を増幅させる代物らしい。そういえば、白いオーラバトラーとよく似ている」
勘繰る相手を見据えたグランにランラが制する。
「質問をしているのはこちらだ」
「《キヌバネ》とやらの性能を知りたい」
「知ってどうする? 知れば勝てるか?」
「少なくとも負けはしない」
ランラの強気にグランは鼻を鳴らして嘲笑した。
「そうかい、そうとも言えるな。……だが侮るな。あれはそのような簡単なものではないのだ。ザフィール騎士団長。あれの性能は儂でもはかり切れん」
ザフィール。蒼の事だ、とエムロードは緊張する。
「地上人が呼び出された時期を知りたい。何年前か」
「何年も前ではない。半年ほどか」
この世界でも半年なのだ、と実感すると共に、たった半年で、とエムロードは感嘆する。
たった半年程度で、相手は国家の中枢に自身を据えた。その実力は余りあるはず。
「地上人の総数は?」
「それはこちらでも分からん。どうにも……、読めん筋でな」
「読めない、だと? 貴様はジェム領の中佐階級のはずだ」
ランラの物言いにグランは肩を竦める。
「軍人の地位は堕ちて久しい。しかも、相手は地上人だ。腕力でも勝てんさ」
この屈強なる軍人、豪腕なるこの男でさえも、腕力でも勝てないと言わしめる。それがコモンと地上人の間に降り立った差そのものなのだろう。
「では話を変えよう。グラン中佐、どうしてジェム領国は地上人を召喚した?」
「フェラリオにでも聞くといい」
「……そうでもしたいが、こちらにも余裕はなくてね。それに、そちらのフェラリオの都合とこちらでは違うかもしれない」
何を問い質そうと言うのだろう。ランラの言葉はどこか慎重であった。グランはそれを受けてか、言葉を選ぶ。
「……こちらも、フェラリオに関しては万全とはいかなくてね。儂の部隊に与えられる情報と、国家の政の地位が持っている情報は違う」
「国家直属の名高い、グラン中佐でも、か」
「儂でも、だ」
目線を交し合ったランラはそこで話題を打ち切った。
「また来よう。エムロード、今は無理だ」
「で、でも……情報は……」
「急いては事を仕損じる。今は、待つべきだな」
ランラが身を翻したその時、グランは口を開いていた。
「――しかし、その地上人。強かったな」
先ほどの戦闘は見られていたはずもないのに、エムロードはオーラの暴走を言い当てられた気がして硬直する。ランラはそれに返していた。
「地上人の強さは折り紙つきだ。それはどこの国でも、だろう」
「そうだな。そうであった」
牢獄から地上に出る階段で、ランラは不意に言葉を投げる。
「……剣で打ち勝ったのは案外、有効だったのかもしれないな」
一瞬、自分が賞賛されたのだと理解出来なかった。エムロードは愚直に聞き返す。
「それは、どういう……」
「ああいう手合いは、一番に実力差を重んじる。それが相手との埋めようのない差であったとしても、だ。戦いに必要なものを知っている眼をしている」
その評価にエムロードは目を伏せた。
「……ボクは、結局……」
「言うな。言わないほうがいい。言えば己を縛る鎖となる」
今は、遠ざけたほうがいいのだろうか。オーラの暴走、それによる敵機への思わぬ攻撃を。
そして、あの時の蒼からかけられた言葉を。
「オーラの暗黒面……。堕ちるのならば……」
そこまでの価値だと言い捨てられた。ならば、とエムロードは拳を握り締める。
――強くなりたい。誰よりも、何よりも強く。全ての不安から、自分を解き放つべく、本当の強さが。
それさえ手に入れば、何も迷わなくっていいはずなのだ。それさえ、あれば……。
「ランラ。また剣の鍛錬を」
「オレはこれでも病み上がりだが」
そうであった。ランラは重篤なのに自分の役目を果たしている。恥じ入ったエムロードへと、ランラは肩に手を置いた。
「だが、一秒でも早く強くなりたいという意思は伝わった。通常の打ち合いよりかは浅いが、それでいいのならば」
エムロードは面を上げて頷く。
「お願い……します。ボクは、もっと強くなりたい……!」
それがどれほどの修羅の道でも。
今は、それでいい。
城の窓から牢屋へと繋がる道で、歩みを止めた二人を目にして、ミシェルは瞼を閉じていた。
どうして、自分は勝てない? どうして、自分は同じ地上人なのに、二人には遠く及ばないのだ。
何が原因だ。何が、二人と根本的に違う。
視線を掌に落としていると、声をかけられた。
「ミシェル……」
どこか物怖じ気味なアンバーに、ミシェルはにこやかに応じていた。
「どうしたの?」
「いや……、ミシェルこそ。何だか、沈んでいるみたいだから」
「沈んでいる? 私が? それはないわ。私はギーマに代わって今、このゼスティア城の代表なのよ? 参っていられるわけないじゃない」
「それは……、そうなのかもしれないけれど。でも、理屈と本質は、全然違うよ……」
理屈と本質、か。この少女は時折、全てを見透かしてくる。
隠し立てするのも限界、とミシェルは窓の外を顎でしゃくる。ランラとエムロードが草原へと出向こうとしていた。
「強いわね。あんな事があった後でも、まだ強くなりたいなんて」
「……ミシェルは、でも、もっと強いんでしょう?」
「見せかけよ。この数日間で分かったでしょう? あなた達のほうがよっぽど強い。私は……、ただここに来たのが少し早かっただけ。そんなの、大した差にならないんだって」
そう、ちょっとだけ早く、このバイストン・ウェルに呼ばれただけなのだ。ただそれだけの瑣末な違い。そんなもの、意味を持たないのだとはっきり分からされた。
アンバーは言葉を選びかねていたようであったが、ミシェルは頭を振った。
「駄目ね。……どう考えても、嫌なほうへと考えちゃう。そういうつもりでもないのに。……ねぇ、よければ聞かせてくれる? あなた達は地上……、いいえ。現実世界ではどういう生活をしていたの?」
「どういう、って……。ただの女子中学生だよ。少し……変わった事はあったかもしれないけれど、でも、それでも多分、大多数の……、ただの人間だったと思う」
「どういうスクール時代を送ったの?」
「そんなの、それこそ取りとめもない……、放課後にアイス買ってぐだぐだ話したり、適当なところでぶらついたり……、本当に取り留めない……」
「そう。……羨ましいわね」
「羨ましい? でもミシェルだって、そう歳は変わらない……」
「私はね、粋がってはいるけれど、紛争国で生まれたのよ」
思わぬ過去だったのだろう。アンバーが息を呑んだのが伝わった。ミシェルは自分の経歴を、それこそ取り留めもないように語る。
「五歳の時にクリスマスプレゼントの代わりに銃を渡されて……、それでずっと。銃弾をかわす日々のほうが、多分長かったかな。つい三年前に、紛争が終わって。私は米国に引き取られた。米国では、ちょっとばかし平和が見られたけれど、でもそれだって仮初めよ」
「……仮初め」
「そうでしょ? だって、人殺しを知った人間は、知らなかった頃には絶対に戻れないのよ? アンバー、あなただって同じ。戦いを知れば、知らなかった頃には決して戻れない。時計の針は進み始めれば、それは無情なのよ。その無情さに、人は抗う事さえも許されない」
それほどまでに時間は残酷だ。そして強さも。人間としての強さだって、残酷に時と共に過ぎる。
エムロードがこのバイストン・ウェルで居場所を決めるのならば、そこに自分は同時に立っていないだろう。その予感だけは確固としてあった。
聖戦士は、二人も三人も要らないのだ。
「ミシェル。でも、だからって、バイストン・ウェルは……」
「なかった事には出来ない。覚えておきなさい、アンバー。ここで起こった事が、たとえ夢幻、それこそ、ファンタジーだったとしても、それはなかった事には出来ないのよ。摘んだ命は、地上と同じ……いいえ、それ以上に重いかもね。だって、同じ世界で同じ人間が殺し合うのならばまだしも、私達は特例。特例で人殺しを許されている。特例で、別の世界の人間を殺しているのよ。それって多分、もっと罪深い」
地上で人殺しをしているほうがよっぽど救いはあったかもしれない。ここには十字もなければ、救済者もいない。
祈るべき神のいない世界に、どこまでも汚くあれる人は、如何にずるいのか。そのような事を、アンバーに押し付けたかったわけでもない。
だが、彼女達と自分は違うのだと再認識しただけ。
在り方だけではない。世界への希望のスタンスが違う。この世の中に、どこまで希望を抱けているのか。
それが全く、と言っていいほど、異なっていた。異なり過ぎていた。
だから、分かり合えない。だから、こうして、すれ違う。
ミシェルは歩み出していた。アンバーの脇を通り抜ける。
「あなた達と私は、多分絶対に交わらなかった線なんでしょう。こんな場所で、交わってしまったけれど、でもそれだって多分、運命の気紛れ」
気紛れで交差した運命は、きっと同じくらいの気紛れさで異なってしまう。
アンバーは自分の背中に何か言おうとして、それでも言えないようであった。
――いいとも。独りは慣れている。