リボンの聖戦士 ダンバイン外典   作:オンドゥル大使

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第三十八話 ファインド・ザリアル

 よぉ、イリオン、と呼ばれる事が多くなった気がする。

 

 最初のほうこそ、《アグニ》に乗れるだけで気味悪がっていた整備士達も、今はほとんど打ち解けていた。

 

「あんなもの、よく立ち向かえたな」

 

 背の高い紳士然とした白衣の男性は、《アグニ》にこびりついた黄色の血潮を素手で触っている。

 

「危ないですよ」

 

「分かっているとも。だがね、ガッターや今回のキマイ・ラグ、そのような生物の血は……、知っているかい? とっても冷たいんだ。まるで最初から、死んでいるかのように」

 

「強獣研究ですか?」

 

 囃し立てられた彼はふふんと鼻を鳴らす。

 

「先駆者と呼んでくれ」

 

「変わり者でしょう」

 

「……失敬だな。して、今回も無理をしたな。《アグニ》はただでさえデリケートなんだ。レディを扱うように繊細にしたまえ」

 

「そういう経験なくって」

 

「ないのならば想像だよ、想像。それだけが人間に与えられた、神の叡智だ」

 

 こめかみをペンで突いた彼に、イリオンはパイロットスーツに風を入れていた。密着したパイロットスーツはそれだけで蒸してくる。

 

「デックさん」

 

「うん? 何かね、イリオン君」

 

 彼は乱暴に書類に書きつけつつ、こちらへと耳を傾ける。

 

「強獣は……、何度も言いましたがバイストン・ウェルではあんなに凶暴でも、ましてやそこまで強くもないはずなんです。だって言うのに、こっちじゃまるで一大事みたいになってしまう」

 

「実際に一大事だがね」

 

「でも、だったら捕まえれば? ……わざわざ貴重なサンプルを毎回殺すって言うのは……」

 

「あれが放たれれば地上界は混沌に帰る。試算上、ガッタークラスの強獣を完全に無効化するのに必要な火薬や軍備と、《アグニ》一機の整備バランスとでは確実にこちらが勝る。それにオーラバリアだって突破口が完全に見つかったわけじゃない」

 

 オーラバリア。こちら側で聞かされた、バイストン・ウェルの生物の特権とも呼べる現象である。

 

 バイストン・ウェルの兵器、そして生物は漏れなくオーラバリアを纏っており、それは通常の火器では決して破れない聖域なのだと言う。自分からしてみれば、バイストン・ウェルの生物にそこまでの頑強さがあるとは思っていないだけに、事の重大さは伝わってこないが。

 

「《アグニ》だけだって言うんでしょう? それもどうなのかな……」

 

「オーラを持たない人間だけが唯一動かせる真なる兵器。喜べ、少年。君の相棒は人類を救う」

 

《アグニ》を仰ぎ見る。ガッターを思わせるどこか前のめりな姿勢。背骨部分より前に伸びた両腕と短い脚。頭ばっかりが重々しく項垂れており、黄色い巨大な眼窩はまさしく異形と呼ぶに相応しい。

 

 異形を狩るための異形。魔を討つための魔。

 

 白銀の装甲を持つ《アグニ》にはそこらかしこに軍人達の寄せ書きが散見された。「本国の希望!」だの、中には会えない恋人への恋文まである始末。

 

 それほどまでにこの地上界の軍人達は、《アグニ》に希望を見ている。だが当の自分としては、こんなもので何かが変わるのかは眉唾物であった。

 

 白銀の怪物。強獣を模した兵器。バイストン・ウェルのオーラバトラーに代わる存在。

 

「実際、何でオーラバトラーを造らないんですか? あんなもの、強獣の装甲を繋ぎ合わせれば……」

 

「理論上可能なのと、実際に可能なのは違うんだ。いつも言っているだろう? 人は忌避する生き物だ。時に、それは敵対者であったり、ある意味では兵器そのものでもある。だが、その忌避の度合いは違う。時代によって、あるいはそれは為政者の気紛れで。そういうものが蔓延しているのが、この地上界なんだよ」

 

「分からないな……」

 

「分からなくっていい。無理に分かる必要もね」

 

 頬杖を突いていると、不意に携行食糧を手渡された。チーズ味、と書かれたそれをイリオンは引っ手繰って頬張る。

 

「……慣れたのはその食料だけかい?」

 

「……これだけが、何だか気分が悪くならないんですよ」

 

 他の食事は全部駄目であった。これと、コーヒーや水だけだ。この世界の肉や野菜は全く身体に合わないらしい。

 

「困り者だな。自分の身体のメンテナンスもしてやらなければならないなんて」

 

「《アグニ》のメンテナンスは頼っていますよ」

 

「任された仕事だ。存分にやろうとも。そう言えば、レイリィ少佐の姿が見えないな」

 

「少佐はお忙しいんですよ。だから、ここまでは来ない」

 

「と言って、期待しているんだろう」

 

 肘で小突かれてイリオンはむっと眉根を寄せた。

 

「……怒りますよ」

 

「からかい甲斐がある! 君はまだまだ分かりやすい」

 

「分かりやすい、ですか。それっていい事なんですかね」

 

「分かりにくく感情を隠すよりかはずっと。……おい、そこの! 《アグニ》の脊柱に重量を降ろす時は慎重にって言われているだろう!」

 

 専属担当者が声を飛ばしてタラップを駆け上がっていく。その背中を見送ってイリオンは携行食糧を口の中いっぱいに入れた。

 

 気だるさが血中に重く沈殿している。一度、ターニャの下を訪れたほうがいいかもしれない。

 

「デックさん。僕、一旦医務室に……」

 

「ん? ああ、後は任された。やっておくよ」

 

 医務室に行くまでの間、軍人達が顔を合わせるとハイタッチを求めた。どうにも、彼らからしてみれば、自分は栄光の存在らしい。

 

《アグニ》という決戦兵器に乗れるだけの逸材。あるいはバイストン・ウェルからやってきた来訪者。

 

 所詮、この地上界には馴染めないのは分かり切っているのだが、イリオンはこの米軍基地をそれなりに好いていた。彼らの風俗もそうならば、心意気も、国家という枠組みも、どれもこれも、旅団にいた頃から考えてみれば、保障されている。

 

 こちら側では大国らしい、アメリカという国家も、自分を中心に回っていると思うとどこか気分はいい。

 

 イリオンは格納庫から出ると、潮風が頬を撫でていくのを感じた。

 

 どこまでも続く水平線。そう言えば、バイストン・ウェルでは湖を渡る術を、結局は知らないままだったな、と思い返す。

 

「……こっちじゃ、湖どころか、海だって渡れる」

 

 基地を発着した航空機が海の向こう側に向かって飛翔していく。バイストン・ウェルに比べてこの地上界は全て、洗練されている。

 

 雑多なものがない、と言ってもいいだろう。

 

 多種多様な人々が棲んでいるのは何も地上界だけではない。バイストン・ウェルのほうが、よっぽど分かり合えぬ者達との共存を望まれる。

 

 フェラリオ、他国のコモン、それに――。

 

 どこまで行っても争いはついて回るのだ。それは生きている限り、どこまでもだろう。だからこそ、イリオンはこの地上界がどこか眩しかった。

 

 争いの種はあるものの、それは大いなる力によって抑止されている。オーラバトラーのような恐るべき兵器は存在しない。

 

 ここでは誰もが対等で、誰もが特別になれる。

 

 地上界こそが、イリオンにとっての自由の都であった。

 

 ユニコンに似た動物を飼っている宿舎では、美しい毛並みを持つ獣達がいななき声を上げている。こちら側の動物はとても大人しく、人間の言う事を理解している。

 

 あちら側の剥き出しの野性とはわけが違った。

 

 基地の中では「イヌ」と呼ばれる小型種を連れている軍人もいた。イヌを最初に見た時、その忠義心に驚いたほどだ。まるで騎士のように、彼らは完全に別種であるはずの人間に懐く。

 

 イヌだけではない。あらゆる動物の加護と祝福をこの地上は受けている。

 

 照り輝いた太陽の眩さだけではない。地上界はこうも美しく、恵みの輝きを受けて一日を祝福のうちに終われる。

 

 バイストン・ウェルとは大きく違っていた。

 

 あの場所は一日を送れるかどうかも怪しい。どこから強獣が襲ってくるかも分からなければ、他国の難民や、亡国の民、あるいは山賊などまだ生易しい。

 

 オーラバトラーによる虐殺だってあり得る。フェラリオに惑わされて、湖の底に導かれる事だって。

 

 それに比べればどれほどまでの安息。どれほどまでに安住の地であろう。

 

 地上は、神に愛されているのだ。

 

 オーラ・ロードを渡った先が、理想郷だとは思いもしなかった。

 

「ある意味では……感謝、かな」

 

 イリオンが医務室に入ったのをターニャは振り返らずに手を振る。

 

「お帰り。作戦はうまく行ったみたいね」

 

「ターニャ先生。バイストン・ウェルの強獣は日に日に凶暴化しているようです。僕に……もっと何か出来る……力はないでしょうか?」

 

 振り返ったターニャは金髪を一本に括り、イリオンの脈をはかった。いつも通りのメンテナンス。脈拍と心拍数、脳波を計り終えた後、自分だけしか適応されない、オーラ計数を検知される。

 

「……やっぱり、オーラがゼロなのよね……」

 

「それって、そんなにおかしいですか?」

 

「いいえ……。これが《アグニ》に乗れる保証なんだもの。一応は計っておくように上からきつく言われているだけ」

 

「僕が……、いつお荷物になるか分からないから」

 

 その言葉にターニャが額にデコピンをした。

 

「マイナス思考。よくないわよ」

 

「でも、実際のところどうなんです? 《アグニ》が動かせなくなればお払い箱かも」

 

「言葉をよく覚えたものね。たった二週間でスラングまで理解するなんて」

 

「それは……僕には日本語とか、英語とか、全部同じように聞こえるから……」

 

 カルテに書きつける手を休めずターニャは尋ねていた。

 

「日本語も英語も……何もかも同じように聞こえる、か。バイストン・ウェルの素質かもね。でも、地上界に来たコモン人のデータは乏しいから、どうとも結論付けられないけれど」

 

「三十年前なんでしょう?」

 

「……こっちでは、よ。バイストン・ウェルでは何年経っているのか、想像もつかない」

 

「先生もバイストン・ウェルに来ればいいんですよ。僕がこっちに来られた。きっと、みんなも行ける」

 

 励ましたつもりであったのだが、ターニャはどこか悲しげに頭を振った。

 

「……きっと、そうならないほうがいいわ」

 

 どういう意味なのだろうか。どうして、そんなにも物憂げな眼差しを伏せているのだろうか。問い返す前に、診断は終わった。

 

「《アグニ》に何か、違和感は?」

 

「いえ……、違和感どころか、整備班の皆さんはよくしてくれています。乗る度に、馴染んでいる感覚がある」

 

「馴染む、か。そもそもの設計理念からして、あれはどういうものなのか……、まだ上からの正式な情報は降りてきていないわ」

 

「不安にさせないためなんじゃ?」

 

「……それも、どこまでの真意かしらね」

 

 疑りかかっているターニャにイリオンは手を払う。

 

「強獣からみんなを守れればいいんです。僕はきっと……《アグニ》に乗るためにこっちに来た……」

 

 自分の掌へと視線を落とす。この手で守れるもの。この手を、決して滑り落ちない証明。戦えば賞賛が送られる。戦えば居場所が保証される。ならば、戦うしかあるまい。戦えば、何もかもが手に入るのならば、戦うしか……。

 

「そんなに狭苦しく、自分の存在意義を固める必要もないのよ」

 

 ターニャの言葉は優しい。優しいがゆえに、今は甘えるわけにもいかない。

 

「いえ、僕に出来る事をやっているだけです。それに、僕がやらなきゃ強獣が放たれてしまう」

 

「……米軍の仕事なの。あなたは米軍人じゃない」

 

「でも、恩は返したい」

 

「恩義なんて……、そんな地上人みたいな事……」

 

 地上人。それが自分と誰かを隔てている。だが最早、地上もバイストン・ウェルもないのではないか。

 

 強獣が来るのならば死守するしかない。この基地を。人々を。自分が守り手になるのだ。

 

「僕は……みんなを守りたい。《アグニ》の整備点検を見てきます。レイリィ少佐は……」

 

「少佐は上とのあれこれがあるみたい。また連絡するわ」

 

 腰から提げた通信機はバイストン・ウェルでは決して見かけなかった代物だ。掌に収まるこれ一つで世界中どこへでも繋がるというのだから、恐れ入る。

 

「はい。では、また」

 

 ターニャの医務室を去る時、彼女が小さくこぼしたのをイリオンは背に聞いていた。

 

「……でも、あなたにはきっと、別の生き方も……」

 

 そこから先を聞いて甘んじるわけにもいかなかった。

 

「……強獣を倒す。そうすれば、居場所がある。ここに、確固とした居場所が……」

 

 


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