リボンの聖戦士 ダンバイン外典   作:オンドゥル大使

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第四十九話 悪夢回廊外典

 

「ホント……ヤになる。何もかもが。アタシと、《ゼノバイン》がこうして浮上したって言うのも、あのジラードは……」

 

 そこから先の言葉を飲み込んで、アメジストは街へと降り注ぐ極彩色の欠片を眺めていた。

 

 オーラ・ロードの断片。それは人々の可能性を摘み取り、何もかもを「向こう側」へと落とし込む無辺の断崖だ。

 

 続くのは何もないであろう、バイストン・ウェルの未来。それを止める、そそぐために、ハイパー化した《ハイパーレプラカーン》はここで破壊をよしとした。

 

 接続された四肢より、繋がれたのは痛覚。

 

 ひりついた痛みが先ほどの地上人の叡智の剣を胸元に受けていた。《ゼノバイン》と同期した黒い皮膜に切れ込みが走る。赤い爪痕にアメジストは歯噛みした。

 

「……こんなもの、受けている場合じゃないって言うのに。妙な感傷に頭を突っ込んだみたいね。《ゼノバイン》、ハイパー化したオーラバトラーをこの次元より完全に破壊するわ。また事象が分岐する前に」

 

 それが、自分の役割だと集約されるのならば。ここは泥を被るしかない。

 

《ゼノバイン》が呼応し、その腕を掲げかけた、その時であった。

 

 肌感覚で敵の位置が分かる。

 

《ゼノバイン》へと急速接近する熱源に文字通り肌を粟立たせた。

 

「……誰!」

 

『お前は……どうして地上にいる!』

 

 紫色の小型オーラバトラーが羽音を散らして肉迫する。その手には細い剣があった。振るい落とされた一閃を《ゼノバイン》は再び武装へとオーラを点火する。

 

 赤銅のオーラが纏い付き、枯れ枝のようであった武器を自身の武装へと完全変異させた。

 

 受け止めた刹那、敵の接触回線が入る。

 

『お前は……《ゼノバイン》……』

 

「そっちの事情は知らないけれどねぇッ! アタシは討てって言われてきてるのよ!」

 

 小型オーラバトラーの剣圧を押し返し、オーラの爆発力のままに頭蓋を打ち砕こうとする。だが、その一撃は岩石のような巨体のオーラバトラーが制していた。

 

 黒い爪に亀裂が走る。

 

「邪魔立てェッ!」

 

『……貴君の戦いを邪魔立てする気はない。だが……預かった命だ。聖戦士を潰えさせるのは、我が方としてもよしとはしたくはない』

 

 巨岩のオーラバトラーが手を開いた。その内側がささくれ立ち、《ゼノバイン》を引っ掻く。

 

「……内蔵武装……!」

 

『下手な武器の勘繰りは……地上人だけの特権ではない!』

 

 低い地鳴りのような声と共に岩石のオーラバトラーが《ゼノバイン》を押し止めようとする。しかしその程度の膂力で《ゼノバイン》が収まるはずもない。

 

「冗談! アンタ達、消えなさいよ! オーラディス――」

 

 紡ぎかけたその言葉は一際大きなオーラ・ロードの断片に遮られていた。頭上に迫った万華鏡の欠片が三機のオーラバトラーを覆いつくそうとする。

 

 それを紙一重で回避したのは同時。

 

 後退した《ゼノバイン》は宙を舞う二機を凝視していた。

 

 片や、ほとんど岩石そのものと言ってもいい異形のオーラバトラー。片や、少女騎士のような可憐な外見を持つ小型オーラバトラーである。

 

 だが、とアメジストは二種のオーラが混じり合っているのを発見する。

 

「……なるほどね。見かけより、なのは紫色のほうみたいね」

 

 小型オーラバトラーが切っ先を突き出す。突きつけられたのは迷いのない敵意であった。

 

『《ゼノバイン》……。ランラの……生涯の仇』

 

「知らない名前で吼えないでよ。それとも、他人の殺意で殺し合いの真似事しちゃいけないってママに教わらなかったの?」

 

『……お前』

 

 先走りかけた小型オーラバトラーをもう一機が制する。どうやら巨岩のほうのパイロットは場慣れしているらしい。容易くこちらの挑発には呑まれなかった。

 

『……一つ、聞きたい。貴君は知っておるのか。この現象を。何が、この先に待っているのかを』

 

『グラン中佐……! 《ゼノバイン》はバイストン・ウェルの毒! 倒さないと……』

 

『逸るな、と言っている。敵の敵は、というわけでもないが、理由も聞かずに飛びかかれば、要らぬ被害を招くぞ』

 

「よくご存知で。それとも、教えてあげれば? そんな剣じゃ、《ゼノバイン》に太刀打ちできないって」

 

 剥き出しの殺気を、巨岩のオーラバトラーは押し止めさせた。

 

『落ち着けと言っている。貴君、何のためにゼスティアよりここまで来た? 全ては戦いを終わらせるためであろう。聖戦士の命、軽く散ってはならぬと、コモンは教え込まれている』

 

『でも……、敵は前にいるのに……!』

 

「食らいつきたければ来れば? 負けないけれど」

 

 その言葉にもグランと呼ばれた男は静かなる闘志で応じていた。

 

『《ゼノバイン》……異端狂戦士の名、聞き及んでいる。数多の国を滅ぼし、数多の人間を手にかけた、と。啜った命の数はそれなりとも。しかし、ゆえにこそ問いたい。何故、地上にいる? 浮上してきたのか?』

 

「賢しい男は嫌われるわよ? 声に似合わず、戦いでは冷静なのね」

 

『噛み付けば何もかも解決するのならば、コモン人の歴史とて闘争に彩られている。そうではないと言いたい』

 

 鼻を鳴らす。気に食わないが理性はあるようだ。少なくとも、自分を見て斬りかかってきた小型オーラバトラーや先ほどの地上人の機械よりも。

 

「……こんな場末の淵に足をかけている状態で話し合いが出来るのも、相当に太い神経だと思うけれど?」

 

『かもしれないな。だが、だからこそと言っておこう。《ゼノバイン》、その力、ただ破壊のためだけにあるとは考え辛い』

 

『でも……ランラの仲間を殺して回っているって……』

 

『結果論と二元論に集約されれば、我々とて道を踏み誤る。ゼスティアの聖戦士。まずは曇りなき眼で見定め、決める。そうしなければ終わりの淵に立っている世界で、何も出来ずに溺れるだけだ』

 

『でも……』

 

 小型オーラバトラーのパイロットはまだ敵対衝動を拭い去れていない。だが、このままではいずれにせよ悪い方向に転がるだけなのは互いに理解しているはずだ。

 

「……町が消えるのを黙って見ている? それとも、何か行動する?」

 

『……消させない。翡翠とあたしの、育った町なんだから!』

 

 小型オーラバトラーのオーラが爆発的に膨れ上がる。その殺意のオーラが旋風となって岩石のオーラバトラーを吹き飛ばした。

 

 聖戦士のオーラはコモンのオーラを容易く凌駕する。僅かに均衡が崩れた一瞬、それだけで小型オーラバトラーが《ゼノバイン》へと接近戦を試みていた。

 

「来るのなら、最初から来なさいよ! 殺意だけで!」

 

 咆哮と共に互いの剣筋がオーラバリアを干渉する。弾け飛んだオーラの皮膜が竜巻を引き起こし、一帯の大気が砕けた。

 

『……あたしの名前は、ゼスティアのアンバー! オーラバトラー、《ガルバイン》の……パイロットだぁっ!』

 

「いちいち名乗るなんて、地上人も堕ちたわね! ここで死になさいよ!」

 

 点火した赤銅のオーラが片腕の武装を補填する。燃え盛るオーラの剣を下段より払った。それに呼応して敵も刃を振るう。

 

 ぶつかり合った途端、互いのオーラ力の強さに磁石のように弾かれ合った。

 

「……生半可なオーラじゃないみたいね」

 

『そっちこそ……』

 

 息は上がっているが、オーラ力は全く衰えていない。それどころか、《ガルバイン》と名乗った機体の内包するオーラが爆発力を伴わせて煌く。

 

「……燃え尽きる前の、松明みたいなものね。そんな、付け焼刃ァッ!」

 

《ゼノバイン》が瞬時に距離を詰め、《ガルバイン》を足蹴にする。敵は足を引っ掴み、切っ先を跳ねさせた。

 

《ゼノバイン》の頭部を狙ったその一撃はしかし想定内。

 

 仰け反った《ゼノバイン》が片腕の武装のオーラを吸い尽くす。

 

 燃え盛った赤銅のオーラが《ガルバイン》を押し包もうとした。瞬間、敵機が《ゼノバイン》を振り回す。小型のオーラ・コンバーターとは思えない出力が発揮され、アメジストは内部で歯噛みする。

 

「……オーラだけは人一倍な地上人が、のさばって!」

 

 張り上げられた叫びと共に《ガルバイン》の背面オーラ・コンバーターが十字の輝きを宿し、一直線に《ゼノバイン》のコックピット目がけて突き抜ける。

 

 その加速度は並大抵ではない。まさしく、斬ると断じなければ不可能な速度だ。

 

「……教えてあげる! そういうの、犬死にって言うのよ! 《ゼノバイン》!」

 

《ゼノバイン》の胸部に仕込まれた銀色の装備がせり出し、オーラの出力値を限界まで振り絞った。

 

「オーラディス、ヴェール!」

 

 瞬間的に内包するオーラを膨れ上がらせ、敵のオーラを反転させる。

 

 ――それこそが虚数のオーラの使い手である《ゼノバイン》と自分の必殺技。

 

 敵が強いオーラと殺意で向かってくれば来るほどに、それは度し難いほどの毒となる。

 

《ガルバイン》は燃え尽きる前の蝋燭のようなものだ。

 

 今だけ、この一瞬だけの最高疾走をもたらしているに過ぎない。

 

 たった一秒にかける敵など、恐れるまでもない。

 

 そう考えていたアメジストは不意に割って入った岩石のオーラバトラーに愉悦に滲んだ口元を呆けさせた。

 

 岩石のオーラバトラーが《ガルバイン》の剣を腹腔に受け、こちら側のオーラディスヴェールを背筋の満身で受け止める。

 

 その行動にアメジストは絶句していた。

 

「何を……」

 

『……互いに剣を収めよ。この……世界が終わるかのような一時に争い合って如何にする』

 

『……グラン……中佐』

 

『アンバー、それに《ゼノバイン》のパイロットよ。……そそげぬ因縁はあろう。恨んでも恨み切れぬ、その因果は。しかし、ここは双方の命、このジェム領のグランが預かった。貴君らの戦いはよく分かる……、その果てない恨みのぶつけどころも、な。だが、今はこの砕け落ちていく世界に、何か異を唱えねばならぬのではないか』

 

『中佐……、あたし……』

 

《ガルバイン》の刃が引き抜かれる。岩石のオーラバトラーは腹部を貫かれていた。

 

 ともすればパイロットは瀕死の重態。そうでなくとも、味方同士で斬り合ったのだ。禍根は拭い去れまい。

 

 だが、グランと名乗る男は言ってのけた。

 

『……ゼスティアの……白いオーラバトラーの聖戦士、エムロードに教えられた。ただ、闇雲に戦うだけが、未来ではないのだと』

 

 振り返った岩石のオーラバトラーには風穴が開いている。結晶体の内奥が粉砕され、オーラの風が逆巻く中、搭乗者が巨岩の機体から這い出ていた。

 

 屈強なる肉体を持った歴戦の猛者が、血濡れの身体をおしてこちらを睨み据える。その瞳に衰えぬ闘志を抱かせて。

 

「問おう! 異端狂戦士、《ゼノバイン》! ここでの終決は、貴君の意に沿うのか! それとも否を唱えるのかを!」

 

 硝煙の棚引く戦場で、ただのコモン人が一人、異端狂戦士たる自分に問いをぶつける。

 

 一見、素っ頓狂にも見えかねないこの問答はしかし、自分の心に波紋を投げかけた。

 

 ――このままでいいのか?

 

「……今さらの問答よ。アタシは……そうなるように仕向けられた。造られたのよ。それを、投げ打ってまで、この事象世界に留まるつもりもないわ」

 

 額が切れており、片目を瞑ったグランが声を投げかける。

 

「迷いがあるならば応じよ! 躊躇いを踏み越えられぬならば、応えよ! 戦い、破壊し、何もかもを壊し切ってもなお、貴君の胸に不安が残ると言うのならば! ならば、その命、真っ当に投げ打つべきだ! 断じて計算ずくの戦場で散り行くだけの代物ではない!」

 

 真っ当に投げ打つ。そのような選択肢、自分に存在するのか。

 

 問いかけた《ゼノバイン》の瞳がグランを見据える。

 

 相手は胸元をその拳で叩いた。

 

「心臓の音が聞こえるのならば! 貴様とてまだ……まだ命ある、バイストン・ウェルの一部だという事実を! この終末の光景に消し去るべきではないのだ!」

 

 その雄叫びがどうしてなのだろう。

 

 今まで自分の前に示されてきた様々な可能性世界――可能性の枝葉とは違うように映ってしまった。見えてしまっていた。

 

 そして、自分の、深淵だけの心に淡い希望が宿る。

 

 ――ともすれば、この因果を終わりに出来るのではないか、と。

 

 そんな希望、そんな戯れ言、何百回と続いてきた、連綿とした光の銀河の向こう側に置いて来たというのに。

 

 この男の言葉はその吹けば飛ぶような希望を想起させる。

 

 何もかもを闇と絶望に塗り固められた自分に、新たな何かを見出させた。

 

 しかし、それはやはり、ただの希望の先送り。全ての終結する地点は、もう見えている。

 

「……無理なのよ。何もかも。ここが終点。だからこそ、もうすぐこの事象世界だって焼け落ちるわ。今に……」

 

 その時、首裏に走った怖気は何百回と経験してきた終局の訪れを告げていた。

 

 頚椎に宿った戒めの記憶。脳髄を焼き切らんばかりの、終末の洪水が思考を白濁の向こう側へと染め上げていく。

 

 アメジストは最後の、ほんの瑣末な感傷を投げ捨て、赤銅に燃えた武装を叫びと共にグランへと振るい上げていた。

 

 しかし、彼は逃げなかった。

 

 その眼差しにあったのは光。――明日があるのだと、どこかで信じ込んでいる、「今」を生きる者のみが宿す輝きである。

 

「……そんなのに縋るのは、もう随分昔にやめたのよ」

 

 だから、異端狂戦士は破壊する。破壊し、蹂躙し、そして世界の淵を、この世の果てを目にする。

 

 そのためだけに事象特異点の最果てを辿る事を許された、灰色の境界――《ゼノバイン》。

 

 その道が殺戮と抹消にのみ集約されるのならば。自分は喜んで悪意を受け取ろう。

 

 人々の持つ負を、この双肩に背負おう。

 

 そのためだけに、世界が産み落とした……最後の一滴なのだから。

 

 足掻くのをやめた。信じる事をやめた。救いを放棄した。思考を放棄した。炎に生きる意味を。殺戮に安らぎを。血と悲鳴の果てに、魂の安息を。

 

 だからこその存在。だからこそのアメジストという名前の――はずであった。

 

 その一撃を《ガルバイン》が受けなければ。

 

 グランを貫くであろう一撃を、《ガルバイン》が機体ごと受け止める。左肩が砕け散り、根元から粉砕された。

 

《ガルバイン》が残った右手に握った剣を離し、こちらの武装を掴む。

 

 何を、と声にしかけたアメジストは流れ込んでくるオーラの記憶瀑布によろめいていた。

 

《ゼノバイン》と《ガルバイン》が共振し、共鳴し、それぞれの記憶が互いの脳内へと津波のように流れ込んでくる。

 

《ガルバイン》のパイロットが持っているのは希望の記憶であった。彩られた極彩色の煌きに、脳髄がシェイクされる。

 

 だが、相手は見ているはずだ。

 

 見えているはずだ。

 

 バイストン・ウェル。その終末の光景を。

 

 互いに双方の記憶野が混濁する。《ガルバイン》が後退した。《ゼノバイン》も後ずさる。

 

 残ったのは……深い絶望と、そして恥辱であった。

 

「……覗いたわね。このアタシを! 覗いたわね!」

 

『……嘘でしょう。あなた、もしかして……』

 

「覗いたなァッ!」

 

 オーラが点火し、《ゼノバイン》の爪が《ガルバイン》へとかかる。ゼロ距離へと持ち込んだ《ゼノバイン》が《ガルバイン》の頭部に頭突きをかました。

 

「ねぇ……? アンタはそれでいいかもねぇ……。何も知らず! 何も分からずに! 死んでいくんでしょ? ……アタシはそうじゃない。何もかも覚えている。何もかもを覚えたまま……また剪定事象の宇宙へと……あの果てない銀河へと漕ぎ出すのよ……? どれほどの孤独なのか……アンタ達のお粗末な脳みそで、分かるわけないでしょ!」

 

《ゼノバイン》の顎を覆っていた拘束具が砕けた。歯茎を軋らせ、《ゼノバイン》が吼える。

 

 その孤独なる咆哮が、《ガルバイン》とグランを圧倒した。

 

 砕け落ちていく港町の光景。当たり前の日々を代償にして、異端狂戦士は希望を恨み、蔑み、そして拒絶する。

 

 深淵に堕ちた心が、何もかもを吸い尽くす。

 

「《ゼノバイン》! 殺しなさい!」

 

《ゼノバイン》の腕が《ガルバイン》の首根っこを押さえ込んだ。そのまま豪腕の握力で締め上げる。

 

「ホラ、ホラ! オーラが高いんだから感じるでしょ? オーラバトラーと一緒に圧死しなさいよ! この世間知らず!」

 

 締め上げられていく《ガルバイン》が呼吸を求め喘ぐかのように中空を指先で掻いた。アメジストは喜悦を宿らせる。

 

 死を予見した次の瞬間、無数のオーラの熱源が中空を掻っ切った。

 

「ミサイル弾頭?」

 

《ゼノバイン》へと命中したミサイルの群れが殺到し、弾丸がオーラバリアの皮膜を叩く。

 

 戦闘機が空を引き裂き、《ゼノバイン》へと爆雷を投下する。しかし、それらは絶対の護りを誇るオーラバリアを前にほとんど意味を成さない。

 

「だから無駄だって! 言っているでしょうに!」

 

《ガルバイン》を捨て、《ゼノバイン》は跳ね上がった。オーラの跳躍力で一瞬にして高空に至った《ゼノバイン》が戦闘機を引っ掴む。

 

 赤銅のオーラに上塗りされ、戦闘機が直後には姿を変えていた。

 

 蝙蝠のような羽根を有する異形の機体に乗り、《ゼノバイン》が音速を超えて空域を疾走する。

 

 随伴機をすぐに追い越した《ゼノバイン》の翼になった機体が背中へと接合された。

 

 まさしく異形なる翼。翼手目を想起させる悪鬼の羽根を得た《ゼノバイン》が空域を睨む。こちらへと敵意を伸ばそうとする無知蒙昧な地上人の戦闘機がすぐさま弾丸を放ってきた。

 

「……数は四。推し量り、ね。ジラードのヤツ、根回しまではしていなかったってワケ。妙なところでその始末の悪さが出てくるわねェッ! アンタ達って言うのはさァッ!」

 

《ゼノバイン》が手を払う。その一動作だけで赤銅のオーラが中空に無数の乱反射を浮かべさせた。

 

 その領域を飛び越えた戦闘機が瞬間的に姿を変える。

 

《ゼノバイン》のオーラに抱かれ、地上人の生み出した戦闘機は、異形なる翼へと変異した。

 

《ゼノバイン》の手足と同義になった戦闘機が二機、味方機を追い立てる。

 

『な、何だ? 何が起こった! 味方機! こちらを誤認している! ロックオンを外せ! ロックオンを……』

 

 その言葉が焼きつく前に、《ゼノバイン》のオーラの虜となった異形戦闘機が味方機を撃墜する。その残酷極まった光景に、アメジストは愉悦を滲ませていた。

 

「そうよ……。アンタ達の命なんてねぇ、その程度なのよ! アタシを惑わせて……! 覚悟は出来ているんでしょうね、その二人ィ!」

 

 再び戦闘機を足蹴にした《ゼノバイン》が《ガルバイン》とグランに向けて滑空していく。真っ直ぐなその殺意を最早抑えるものはいない。

 

 衰えたオーラの躯体である《ガルバイン》はほとんど無効化された。グランも死に体である。こんな状態で、何かが生まれるわけがない。

 

 何かが起こるわけがない。

 

 戦闘時の昂揚がアメジストへと、絶対的な殺戮を予見させる。

 

 血飛沫が舞い散るのを、一秒後の自分は直視しているはずであった。

 

 ゆえにこそ、それが幻視に終わった事を、二秒後、三秒後の自分は判断出来ていなかった。

 

 獣のように吼え立てた《ゼノバイン》が瞬時に感知したのは、開いたオーラ・ロードが黒く染まった光景である。

 

《ゼノバイン》は、「それ」を感じ取るように出来ている。

 

 だからこそ、この時破壊の矛先はそちらへと向いていた。

 

 どす黒く染まったオーラ・ロードの果てからやってくる「それ」を、アメジストは悪寒として感じ取る。

 

「……来たわね」

 

 いやに醒めた思考が、狂気の刃を止めた。

 

 通信回線が繋がり、どうして今の今まで静観を貫いていた相手が声を響かせる。

 

『ご覧よ、アメジスト。これが……』

 

「ええ。アンタ達が最も忌避しなければならない結末よ」

 

 感じ入ったかのように通話先のジラードは言葉に熱を篭らせる。

 

『……素晴らしい。現れるのだね。我々の辿った過ちの結果。この事象世界を終わらせる、神の……』

 

「神様? 悪魔の間違いでしょ」

 

《ゼノバイン》は《ガルバイン》とグランへと一瞥を投げる。

 

《ガルバイン》のパイロット――田村琥珀は知ったはずだ。自分の運命と、そしてやらなければならない事を。

 

 この《ゼノバイン》を通じて。

 

「皮肉なものね。アンタ達も繋がっていたんだ? ……この無限回廊の果てに。でも、ここで打ち止め。アンタ達はここから先には行けない」

 

 黒く禍々しいオーラがオーラ・ロードの果てより、こちらを睥睨する。

 

 負けるものか、と《ゼノバイン》の赤い瞳が睨み返した。

 

 天地が逆巻き、万華鏡の断片が降り注ぐ地獄絵図。

 

 その地獄の底より、相手が腕を伸ばす。オーラ・ロードの亀裂に指先をかけた敵影に、アメジストは全身が総毛立ったのを感じた。

 

『あれが、君の言う地獄人かね?』

 

「……いいえ。そんなものじゃないわ。地獄人はあれを抑え込むために、アタシと《ゼノバイン》が生じさせていた、慰められない魂の群れ。そう、扉を塞ぐために、無数の無念があった。でも、そんなものでも地獄より現れる代物には意味がなかった。この事象世界にも現れるわよ」

 

『地獄人でも、地上人でもない……凄まじいな。あのようなものを、我が代で目に出来るとは……。この忌まわしき血にも感謝せねばなるまい』

 

「祈っている場合? 来るわよ」

 

 直後、地獄の裂け目より赤黒い咆哮が無数の眼球を有する怨嗟となって放出された。

 

 天地を縫い止める赤と黒のオーラ。それは神話の時代に記された禁断の塔を想起させる。

 

 ――ヒトは天に昇るために、混乱の塔を造り上げた。

 

 神の座を目にするために。その頂を目指した者達は、言葉を乱され、罪を背負って彷徨う宿命。

 

 しかし、ここで言葉は一つの意味となる。

 

 バイストン・ウェルと言う名のバベルの塔は、逆さ吊りの悪魔と共に屹立する。

 

 この世に再び、神の世界を築こうと言うのか。

 

 通信先のジラードの声が喜色に跳ねる。

 

『あれが……バイストン・ウェルの最果て。この世の終わり……』

 

 悪魔が扉を開く。

 

 裂け目を無理やりこじ開け、白き闇は再臨する。

 

 妖精の世界を経て、その赤い眼差しに、深淵の絶望を湛えて。

 

 怨念の声で吼え立てた忌まわしき相手を、アメジストは睨み、名を紡ぐ。

 

「ええ。――事象特異点《ソニドリ》。また会ったわね。アタシの倒すべき……敵」

 

 海と大地が赤い声で貫かれ、神話の時代が到来しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四章 了

 


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