第五十話 無惨戦線序幕
燃え立つのは絶海の地平。
灼熱の彼方に抱かれた水平線の向こう側から暗黒の太陽が昇り、港町は宵闇と黎明の狭間に支配された。全てが決する一瞬を求め、地面を覆い尽くさんばかりの甲殻の兵士が各々の武器を掲げる。
槍、刀剣、弓――多種多様な武装を施された異界のマシン、オーラバトラーは鬨の声を上げていた。
中天に、日を遮る暗夜の逆さ吊りの城が屹立する。
あれこそが怨敵と決めた者達が猪突し、暗黒城から放たれた雷撃を前に蒸発していく。
青い稲光を轟かせ、闇夜の城は絶対の優位を保っていた。
その優位性に風穴を開けようと兵士達は集うが、ほとんど烏合の衆に等しい。敵方から放出されたオーラの爆風が貧弱な装備ばかりのオーラバトラーを蹴散らしていく。
茶褐色の機体が、吹き荒れる嵐の中で剣を突き立てて暗黒城を睨んだ。
黄色の眼窩が眩く輝いている。
「……ここで……墜ちるわけには……」
結んだ言葉に前を行く一機のオーラバトラーが大剣を掲げた。士気を上げようとパイロットの声が響き渡る。
『臆するな! 敵は暗黒城にあり!』
勇猛な男の声である。それだけで、ジェム領のオーラバトラー達に闘志が宿った。番えられた弓が、オーラショットが、それぞれの軌道を描いて暗黒城に突き刺さる。
彼らはたった一機のオーラバトラーに希望を見出していたのだ。
その羨望を受けるのは、ずっしりと佇む漆黒の騎士であった。
青い結晶を眩く煌かせ、先陣を切るオーラバトラー、《キヌバネ》が鞘から剣を抜き放つ。
全ては守ると決めた祖国のため。彼はオーラの暴風を真正面から受けながらも敵オーラバトラーと対峙した。
暗黒城より飛翔する敵機を一機、また一機と《キヌバネ》は撃破する。その動きにどこにも衰えはない。それどころか、敵を斬る度に研ぎ澄まされていくかのようだ。
ジェム領のオーラバトラー技術はまだ発展途上でありながらも、所属する兵士であるコモン人のオーラは土地柄か、軒並み低い。
ゆえにこそ、一騎当千は他の統治国家よりも輝く。
《キヌバネ》が敵陣地に飛び込んだ。敵は《ドラムロ》で固めた重火装備部隊である。オーラショットが矢継ぎ早に繰り出される。
覚えず叫んでいた。
「ザフィール騎士団長!」
自分の声はしかし、彼の歩みを止めるまでには至らない。
《キヌバネ》が《ドラムロ》を叩き伏せ、その膂力でパイロットごと両断する。あまりに苛烈な戦い振りに言葉さえも失くす。
それを予見したのか、《キヌバネ》に収まる男は声を張り上げた。
『怯むな! 討ち取れるぞ!』
その言葉に背中を押された兵士達が一挙に攻め立てる。如何に暗黒城が優れた基盤を敷いていても、一度乱れた統率を容易く覆すほどの万能さはない。
放たれる稲光を回避し、無数の弾頭が暗黒城を襲う。しかしながら、暗黒城の守りは手堅かった。
防御皮膜が張られ、こちらの砲撃を物ともしない。
「……オーラバリア」
紡いだ言葉に後続部隊から先輩兵士がオーラバトラー、ゲドの肩を叩いた。接触回線が開かれる。
『何やってる、アオ! そんなんじゃ波に乗り遅れるぞ!』
「すいません……。でも、浮上は思ったよりも……」
『しんどいか? そりゃ俺達もさ』
笑って返した先輩騎士は《ドラムロ》で向かってきた敵を斬り伏せる。問答無用の太刀筋は本物の戦場のにおいであった。
「……でも、どうしてみんな戦って……。だってゼスティアはあんな事を、あんな卑怯な真似をしたって言うのに……」
思い出すだけで怒りに思考が白熱化する。先輩はそれを諌めた。
『戦場で義憤に駆られるのはいいさ。だが、冷静さを欠くなよ。ザフィール騎士団長の背中を追いたいのならば』
《キヌバネ》が敵の本丸へと押し入ろうとしている。単騎戦力だ。相手からしてみれば恐ろしい精鋭騎士であろう。
暗黒城より降り立つオーラバトラーにも殺気が宿る。
「殺すつもりだ……」
『当たり前だろうが。ここは戦場だ。どう言い繕ったって、もう戦地なんだよ』
そう、――ここは戦場。
つい半年前までならばそのような世迷言信じられなかっただろう。あるいは妄言と切り捨てるにしてももう少し年頃の少女らしい弁も立っただろうか。
だが、城嶋蒼がこの半年で失ったものはあまりに大きかった。
突然のバイストン・ウェルの転生より先、鍛錬の日々。そして、次々と死んでいく、同じように転生したクラスメイト達。
彼女らの死に涙し、時には慟哭した。それでも、自分達の使命を全うせんと、《ゲド》に乗り、こうして騎士団に迎え入れられるまでになったのだ。
全ては悪辣なる国家ゼスティア。その打倒のために。
蒼は《ゲド》を走らせ接近してきた敵影を打ち破った。
――剣筋は見て覚えろ。
ザフィールの教えだ。彼は自分に剣術を叩き込み、そして生きる術を説いてくれた。恩人である。どれだけ感謝してもし切れない相手が今、暗黒城の直下へと近づこうとしていた。
「危険です! ザフィール騎士団長!」
『危険は承知なんだろうさ。誰かが暗黒城のオーラバリアを解かない限り、決着はつかない。……呪われたフェラリオの王冠さえ破壊すれば、暗黒城は瓦解する』
だがそれは、別段《キヌバネ》でなくても構わないはずだ。
そうだというのに、彼はこうして部下達に背中を見せる。そうと決めた男の背中、騎士のあり方を。
彼の戦いは部下達を奮い立たせた。オーラで劣るジェム領の兵士達が勝つ手段はそうそう多くはない。
敵オーラバトラーに組み付いた兵士が炸薬の信管を抜いた。
『……ご武運を。先に待っております』
爆発の光と轟音が腹腔に響き渡る。半年の間、慣れ親しんだ者達が次々と死んでいくのは蒼の心を磨耗させるのに充分であった。
「……もう誰も、死んで欲しくないんです!」
『それは綺麗事さ。来るぞ。構えろ、アオ!』
《ゲド》に剣を携えさせて敵と切り結ぶ。敵はまるでこちらに対して命の頓着などないかのようであった。まさしく悪鬼。まさしく分かり合うことなど断じてない、怨敵である。
だから、ここは割り切る。
そうするしか生き残る術がないというのならば。
蒼は相手の剣を押し上げ、薙ぎ払いの一閃を浴びせた。敵コックピットに刃が入り、人を斬る感触がオーラとなって伝導する。
覚えず膝を折りかけた蒼は先輩騎士の叱責を受けた。
『一機墜とした程度で呼吸を乱すな! 百機でも二百機でも来るぞ! 呼吸を整えて敵をさばけ。そうでないと押し負ける』
戦局は悪いほうに転がっている。それだけは間違いない。
《キヌバネ》が敵の牙城に爪をかけているとは言え、それでも数で勝るのはゼスティアなのだ。それに加えて圧倒的な威力の雷撃は放たれるだけでも脅威。
こちら側は防戦の後に反撃へと打って出るしかない。
ここまで不利な戦局も、バイストン・ウェルでは常であった。
ゼスティアの新型オーラバトラーに城下町は蹂躙され、ジェム領の残った兵力は最後の砦である城壁へと押し込まれていた。
敵は常にこちらの上に立っている。その状態からの戦いは熾烈を極め、コモン人だけでは限界が生じた。
その結果、自分達は呼ばれたのだ。
エ・フェラリオによる導きがオーラ・ロードを開き、地上人を転生させる。万華鏡の輝きに抱かれて修学旅行のバスごと転移させられたのは昨日のように思い出せる。
あれから全ては始まった。
命を削る戦場。不利な戦局からの打開。何もかもが無為に帰すかもしれない、という危惧を抱いても、それでも前に進むジェム領の気高い騎士達。
彼らの矜持があったからこそ、自分は生きてこられたのだろう。
ただの小娘の理論が通用するほどに甘い世界ではない。バイストン・ウェルは地上界よりももっと気高い理念のみが原動力であった。
《ゲド》で敵へと牽制の銃撃を浴びせかける。反応した相手が飛翔し、斬りかかってきた。それを半身になって回避してから、オーラを込めた太刀筋で相手の胴を割る。
戦う度に研ぎ澄まされるのはオーラ力と呼ばれる能力であった。
地上人は生まれつきコモンよりもオーラが強いらしい。ゆえに、自分達地上人は重宝されたのだが、それも過去の話。
どれだけ言い繕っても四十人の女子供でしかない自分達は、戦場で戦うのに慣れているはずもなかった。
一人が命を落とせば、連鎖式に無数の犠牲が出る。オーラの駆動系が最もダイレクトに反映されるとされる機体、《ゲド》であっても、それは同じ事だ。
どれほどのオーラが強くても、死ねば同じ。死んでしまえばそこまでの価値。
だから戦うなどまるで埒外の価値である自分達は無闇に前に出て死んでいった。あるいは逃げようとして後ろから刺された。
無残に殺された。尊厳などまるで無視して虐殺された。
蒼はそれを知っている。それを覚えている。だから、と操縦桿を握る手に力を込めさせた。
「……わたくしはゼスティアを許さない」
雷鳴が走り、青白い灼熱が地表を焼き切った。
無数のオーラバトラーが手足をもがれ、それでも抗おうと天に手を伸ばすのをゼスティアのオーラバトラーが抹殺していく。
――見ていられなかった。
《ゲド》のオーラ・コンバーターを全開にして敵へと飛び込む。オーラを帯びた剣が最初は敵の出端を挫いたが、それも最初だけだ。
遥かに場慣れしている敵が即座に包囲陣を敷き、《ゲド》へと間断のない攻撃を見舞ってくる。
銃撃網に抱かれた《ゲド》の装甲は脆い。元々、アの国の試作品である欠陥だらけのオーラバトラーだ。すぐに膝を折り、コックピットが露出する。
蒼は色濃くなった死の気配に呼吸困難に陥っていた。
――嫌だ、死にたくない。
そんな自分を嘲笑うかのように敵が《ゲド》を足蹴にし、コックピットに銃口を向ける。
ああ、終わったな。そんな感傷が僅かに胸を掠めただろうか。
咆哮と共に割り込んできた先輩騎士のオーラバトラーが敵機を突き飛ばした。
名前を紡ぐ間もなかった。
彼の機体が全方位から自分を狙った弾丸を受け、崩れ落ちる。一瞬で大破したオーラバトラーから僅かに覗いた先輩騎士は微笑んでいた。
血濡れの顔で、最後まで先輩らしい面持ちで。
「……アオ。生きろよ」
そんな爽やかな声で、と息を詰まらせた直後、無数の《ドラムロ》に先輩騎士の機体は押し潰されていた。
圧死した先輩騎士の今際の際のオーラが心に刻み込まれる。
恐れ、怯え、畏怖……それらをひっくるめて何もかもを覆そうと抗った――勇気。
勇猛なる意思の輝きが、蒼の萎えかけていた心を再燃させる。
《ゲド》で剣を構え直し、蒼は敵を睨んだ。
「……ザフィール騎士団長に比べれば」
彼の戦いに比べればこれくらいは雑兵散らし。その程度でしかない。だが、自分は。自分はここで生きるだけの兵士。ここで死ねば終わりの兵士なのだ。
ゆえに、全力で立ち向かう。全力で、相手を薙ぎ倒す。
満身より吼え、蒼は敵へと猪突した。
《ゲド》の機動力を活かし、敵の懐に潜り込んでの一閃。一機、また一機と敵の内蔵骨格を斬りさばく感覚を手に馴染ませる。
叩き割った《ドラムロ》の頭部より銃器が現出した。それを瞬時の判断では回避出来ず、コックピットにもろに受ける。
割れたコックピットはほとんど使い物にならない。それでも戦いは止めるわけにはいかない。
「ここで潰えれば、何のためだって言うんだ!」
何のため誰がために。彼は死ななければならなかったのか。自分の級友達も、どうして死ななければならなかったのか。
自分だけ置いて、などという女々しい言葉繰りで終わらせるつもりはない。自分は置いていかれたのではない。
彼らより先の未来を、歩む事を許されたのだ。
ならば、その責任は負うべきだ。責任を負って、前に進むべきなのだ。
敵影を払い、両断し、突き進む。
《ゲド》が敵の生態油を浴びて照り輝く。昂揚した精神が敵の胸元を破って息もつかせず反転し、背後に迫っていた相手を切り裂いた。
平時の自分では反応も出来ないであろう領域。死狂いの域に足をかけているのが分かる。
コックピットは丸見えなのに、敵の弾丸や剣が命中するイメージが脳内に結ばれないのはそれがオーラの加護だと言うのか。
敵を踏みしだき、《ゲド》が前を行こうとする。
一機でも墜とさなければ。その使命感に衝き動かされ、飛翔しようとしたその時であった。
暗黒城からの再びの稲妻が地表を焼く。蒸発した港町の海水が潮気をはらんだ風を運んできた。
面を上げると《キヌバネ》が暗黒城の中枢から吹き飛ばされ、弾き出されていた。オーラ・コンバーターより噴出した青いオーラが辛うじて機体を制御するが、それでもダメージを拭えていない。
何が起こったのか。それを判ずるより先に緑色のオーラを纏った機体が暗黒城から飛び出していた。
白亜のオーラバトラーが《キヌバネ》へと接近する。しかし、その手に得物はない。丸裸で《キヌバネ》に挑んで勝利した者など今まで存在しない。
当然、《キヌバネ》は相対する刃で斬り伏せんとした。その打ち下ろした剣筋が殺気を帯びたが――相手の白いオーラバトラーはただ手で受けたのみであった。
それだけのはずだ。
だというのに、刹那、《キヌバネ》の剣が塗り変わった。
オーラが反転し、《キヌバネ》の愛用する大剣が瞬時に位相を変える。
どうしてなのか、傍目には判別がつかない。白いオーラバトラーが剣を奪い取り、《キヌバネ》へと一閃を見舞った。
ただの一撃ではない。
オーラを滾らせた、光り輝く剣閃が《キヌバネ》の機能の半分以上を奪い取っていた。
《キヌバネ》が機体を回転させつつ、その勢いを減殺しようとするが、白亜のオーラバトラーの勢いは留まるところを知らない。
オーラ・コンバーターが開き、可視化された強大なオーラの加速度が《キヌバネ》へと突撃を確約する。
重圧に《キヌバネ》が苦戦しているのが自分でも分かった。
「騎士団長!」
声と共に《ゲド》の残った満身のオーラで跳躍する。
《キヌバネ》の翅は砕け、剥き出しのコックピットから覗いたザフィールは呼吸を乱していた。オーラの波も安定していない。装甲は剥離し、それぞれの亀裂から漏れ出たオーラが相手のオーラバトラーへと繋がっている。
どうして、と息を呑んだ蒼はザフィールの声に叱責された。
「馬鹿野郎、何で来た! こいつは! 勝てる相手じゃない!」
「でも! 騎士団長が……! みんなが……」
死んでしまうのは見たくない。その一念であった蒼へと敵機が睥睨する。
その一睨みだけで身が竦んだ。オーラの根を握られた感触がした。魂を吸引するかのごとき、四つの眼から注がれる眼差し。
あ、と一息で呼吸困難に陥った蒼は眼前の敵が迫ったのに全く関知出来なかった。
振るい上げられた剣の勢いに、呼吸さえも殺された一瞬。
「――蒼!」
どうしてなのだろうか。終わりは訪れるかに思われたのに。
《キヌバネ》が、自分へと振るわれた刃をその身で受けたのを目にするなんて。
青い生態油が迸り、《キヌバネ》が両断される。
決して見たくはない光景、見る事はないと思っていた光景が大写しになる。
ザフィールの身体が機械と甲殻の間に押し込まれ、剣圧によってその存在証明を根こそぎ奪われていた。
慟哭したのか、それとも怨嗟の雄叫びを上げたのか、それは分からない。
分からないが、蒼は《ゲド》で白いオーラバトラーに挑んでいた。
絶対に勝てるわけがない。それでも、今は向かうしかないのだ。
そう断じた神経が奔り、敵を睨む。
殺気がオーラとなって顕現し、この時、《ゲド》は想定以上の出力で敵へと刃を打ち下ろした。
――お前だけは、許さない。
破壊と殺戮を体現した四つ目のオーラバトラーが剣を捨て、その爪でコックピットを貫いた。
激痛よりも、感じたのは衝撃。
全身が粉砕したと思えたほどの崩壊は何をもたらしただろう。
単純なる死を許さない怨恨か。あるいは、敵へと最後に噛み付かんばかりの殺気か。
睨んだ眼差しを向けた蒼を敵オーラバトラーが直視し、次の瞬間、相手の爪より放たれたオーラの瀑布が、身を押し包んでいた。
フェラリオが繋ぐのと同じ、万華鏡の色を湛えたオーラの嵐。
きっとこうやって幻想に抱かれて死ぬのが自分にはお似合いなのだろう。
瞼を閉じようとした。せめて安らかに眠ろうと。
そうやって、城嶋蒼の「一回目」の死は訪れた。