前回とは違い、ザフィール達の顔を改めて確かめずに、自分は馬車に乗り込んでいた。
眼前にはこのバイストン・ウェルの神秘の結晶が読めない微笑でこちらを観察する。
――エ・フェラリオ、アルマーニュ・アルマーニ。
そういえばまともに話したのは初めてかもしれない、と蒼もその眼差しを受け止めていた。相手は破顔一笑する。
「可笑しいの。にらめっこしているわけじゃないのよ?」
「……アルマーニ。状況を教えて欲しい」
こちらの声がどこか違ったからであろう。アルマーニは手を揉んで応じていた。
「先ほど話した内容と大差ないのだけれど、貴女達は呼ばれてきた。このバイストン・ウェルの戦乱の時代に。私達、ジェム領国はゼスティアという敵国の脅威に晒されている。さっきみたいな野蛮人がゼスティアよ、汚らわしい、ね。でも、聖戦士が必要とは言え……」
「四十四人も呼ぶつもりはなかった。そうだろう?」
先回りした言葉にアルマーニは笑いながらその麗しいかんばせに指を這わせる。
「……面白いわね。どうしてだか、貴女からは違うのよ。違うオーラが見えるわ」
「アルマーニ。ゼスティアの奇襲攻撃は今に始まった話でもない。それに、これからも続く。警告しておいたほうがいい。相手は、かなりの上手を行くと」
「それ、来たばかりの地上人の言葉だって? ……難しい事を堂々と言うのね」
「……だって」
だってそれが事実なのだ。これから起こる未来そのものなのだ。言葉にしかけて、なんて馬鹿馬鹿しい想定と己を笑わずにはいられない。
ただ、何かが起こった。その結果として、自分は遥か過去まで戻ってこられたのだ。ならば行動するべきは、最善の策だと分かり切っている。
だが本音を言えば、もう一度ザフィールに会いたい。会って話をしたい。
しかし、本能が告げていた。もう一度ザフィールと会って、同じように行動しても、恐らくは最悪の道を辿る。
ならば、一手でも違う、別の最善を模索するしかない。
アルマーニは最初も、二度目でもほとんど接点のなかった人間の一人だ。そして、フェラリオの神秘はコモンの叡智を超えると言われている。ならば、この不明な現象に少しでも打開策が打てるのではないかと、自分は考えていた。
「……コモンは湖を渡る術を多くは知らない。だがフェラリオは違うはず」
「……どこで聞いたの? その定型句。バイストン・ウェルに棲んでいるのならば常識のように言われる、コモンの迷信だけれど、でも地上人が言うのは初めて聞いたわ」
「実情を知りたいんだ。ジェム領の国防に強く関わっているはずのフェラリオである、お前は……どこまで知っていてこの戦いに加担している?」
アルマーニは、ふぅんと訳知り顔で何度か頷く。
「何だか、奇妙だけれど、でも聖戦士なら、別段おかしくもないのよね。地上の事なんてまともには知らないし。もしかするとこの三十年で、地上人は未来さえも予知出来るようになったのかもしれない。いいわ、今のジェム領の方策を、貴女に教えましょう。ただし、私の部屋についてから、ね」
馬車が停まり、アルマーニを迎え入れたのは雑兵であった。彼らへと妖精は語りかける。
その驚愕に塗り固められた視線が自分へと突き刺さった。
「……まさか」
「その通りなんだから仕方ないでしょう。私の部屋へと通してちょうだい」
雑兵が腰から取り出したのは、なんと手錠であった。まさか、こちらを拘束する気か、と構えた自分にアルマーニは微笑みかける。
「大丈夫よ。拘束されるのは貴女じゃない」
手錠は、なんとアルマーニにかけられていた。その現実に蒼は言葉をなくす。エ・フェラリオは国内でも重宝されている立場のはず。どうして拘束などという真似に出るのか。視線を彷徨わせている蒼へと、アルマーニは皮肉めいた笑いを浮かべる。
「何? 私がこんなのをするって、もしかして想定していなかった?」
「……ああ、うん。何と言っていいのか」
「囚われの姫みたいでしょう?」
アルマーニはあろう事か手錠をかけられた腕を翳してみせる。だがそれは直視出来なかった。囚われの妖精を嗤えるほど自分は残酷ではない。
「……笑わないのね。まぁ、いいわ。私の部屋に案内して」
大層、立派なこしらえのしてある御殿が待っているのだと、自分は思い込んでいた。
だから、向かっているのが牢獄に続く道だと気づいた時、蒼は立ち止まっていた。
「どうして……」
「どうして? どうしてなのか、って……私に聞く?」
彼女自身から説明を聞こうとすれば、この先に赴くしかないのだろう。蒼は覚悟を決める必要があると判じていた。
ザフィールとあえて話を交えず、この無間地獄の只中、打開する術があるとすれば、それは悠久の時を生きてきた妖精の知恵にしかないであろう。
アルマーニはほとんど何もない牢獄で腰を下ろす。兵士がこちらを窺ったが、アルマーニは一言で下がらせた。
「あとで彼女の部屋を用意してあげて。ここに長居させる事はないから」
去っていった兵士の足音には侮蔑があった。こんな場所、誰がこぞって長居するものか、という一種の蔑視さえも覗かせる。
「さて、何から話しましょうか。不思議な地上人さん」
アルマーニの論調には悲観はない。この境遇にも随分と慣れた、とでも言いたげだ。
「……エ・フェラリオの扱いは、どこでも?」
「そうとも限らないけれど、でもジャコバ様がいなくなってからは、フェラリオへの扱いは地に堕ちたと言ってもいいわね。妖精の女王がいないのに、神秘と能力を独占するフェラリオは邪魔なだけなのよ。安泰なはずの国家を脅かす毒になる」
「驚いた……。エ・フェラリオはさぞかし……」
そこから先を蒼は口ごもっていた。これ以上は去っていった兵士と同じ目線になる。だがアルマーニは感じ取った様子だ。
「そうね。さぞかし立派な宮殿にでも棲んでいると思われたのでしょう。実際、この境遇を知っているのは騎士団長くらいのものよ」
「……ザフィール騎士団長は、知って?」
「そうね。あの人も怖がっている。エ・フェラリオの操る神秘に。でも、そんなの当たり前よ。コモン人は神秘を恐れ、秘匿してきた。それがオーラバトラーという形で結実したのは、何でもない、コモンが招いた結果だって言うのに、それを認めたくないのよ。でもね、そんなの些事だと思わない?」
「些事……? でも、酷いとは思う」
てらいのない言葉を発したつもりではあったが、アルマーニは面を伏せる。
「そうは……思って欲しくはなかったのよ。せめて、貴女にはね」
「わたくしに……は?」
どうして自分なのか。面食らった蒼にアルマーニは言いやる。
「同じものを感じたから、かな。だってコモンでもなければ地上人とも違う。そうね……妖精、私達と同類と、思いたかった。ただのわがまま。忘れてちょうだい」
忘れられるものか。アルマーニは瞼を伏せ、頭を振った。きっと彼女は幾星霜の月日を独りで生きてきたのだろう。
その中でジェム領に巡り会えたのは何も幸運ではなかったのかもしれない。地上人を召喚するための触媒、ただの体のいい道具。
きっとジェム領のあらゆる者達が、彼女に祝福をしておきながら、このような境遇に落とされているなど思いも寄らないだろう。
――エ・フェラリオは化け物。妖精は禁忌を生む。
コモンの弱々しい感性では、妖精の時間感覚とそして感情にはまるで無頓着であろう。だから彼女は事ここに至るまで誰にも理解されなかった。ようやく見つけたと思った理解者である自分は彼女を拒んでしまった。
それが決定的な断絶だとも思わずに。
せめて自分一人でも歩み寄るべきであったのだ。彼女を守る騎士として。絶対に裏切らない……友人として。
だが今は間違ってしまった。それを恥じ入るばかりで、何も好転なんて出来ない。
「……ごめんなさい」
「謝らないで。無様に思えるだけだもの」
「でも、ごめんなさい……。そして、ありがとう」
感謝の言葉が口から出たのはどうしてだろうか。このような境遇にありながら、絶対に誰にも弱さを見せないその姿の、一部分だけでも知れた事が嬉しいのか。あるいは、ザフィールと巡り会わせてくれた張本人だからか。
いずれにせよ、ここでただ悲観するだけが問題を解決するのには至らないのだと、蒼は判別していた。
アルマーニは言葉を失っていたが、やがてぷっと笑い出す。
「面白いのね、貴女。でも、感謝されるのは筋違いなのよ。召喚したって言っても、本当に選んだわけじゃないんだから」
「四十四人も呼んで、ってのは、どういう理屈で?」
アルマーニは上を指差す。天井を仰いだ蒼へと彼女は言いやっていた。
「領国の主は出来るだけ多くの地上人を呼べというお達しだったのよ。その結果が四十四人。オーラ・ロードを開いた結果の産物だけれど、でもこれで私への待遇は変わるかと言えば、そうではないでしょうね。ただ単に厄介なものを押し付けた、と思われている」
「それは、訓練に時間がかかるから?」
「いいえ。オーラ力が強過ぎるからよ」
その返答に蒼は疑問符を挟んだ。オーラ力の強い者を集め、騎士団を設立する。それがジェム領の目的ではなかったのか。
「どうして……。だって元々のオーラ力の低いジェム領では、ゼスティアに」
「勝てない。見込みもないのよ。どれだけ優秀な騎士を集めても、ゼスティアとジェムでは土地が違う。土地によってコモンの質は大きく左右される。今のゼスティアは最良の土地よ。あの土地にもし、地上人なんて呼んだら……それこそとんでもない。化け物みたいなオーラ力になるでしょうね」
脳裏を掠めた《ソニドリ》と翡翠のビジョンに蒼は拳を握り締める。単純に呼ばれた土地の違いなのか。それとも……、と考えを持て余す。
《ソニドリ》、あの白亜のオーラバトラーは別種のような気がしていた。他のオーラバトラーにはないものを持っている。ゆえに、単純な力押しでは勝つ事は出来ない。
二度も戦えばよく分かる。《ソニドリ》に勝利するのには、相手の力量を上回る何かが必要だ。
それが決定的に足りていない。だから負けた。そして、翡翠の姿を取った《ソニドリ》は、「何か」をさせるために、自分を選んだ。
そう思うのが必定であろう。しかしその「何か」が依然として不明のまま。
アルマーニは考え込んでいるこちらをじっと観察していた。
その視線に気づいてびくりと肩を震わせる。
「……何か?」
「いいえ。地上人の考えってのはコモンと違うのかな、と思ったのよ。貴方達ってあの場所にいるんでしょ? 湖のたゆたう光の向こう側……万華鏡の空を越えた場所に」
「それは……オーラ・ロードの先って言う意味で?」
「簡潔に言うとそうなっちゃうかもしれないけれど……、私の潜在記憶とでも言うところに、そのようなイメージがあるのよ。これはフェラリオならみんなかもしれない。泡沫に還るのがフェラリオの運命だって教え込まれているから」
「元々は泡だったって?」
「分からないものよ。妖精なんておだてられてもね」
アルマーニは少しだけ寂しそうに微笑んだ。蒼はようやく、自分の疑問をアルマーニへとぶつける覚悟を携える。
「……もしも、の話で恐縮なんだけれど、時間を巻き戻したり、あるいは行き来出来る……そういうフェラリオがいる?」
「何、そのもしもの話。随分と具体的だけれど、でもそんなのないわ。オーラの道は絶えず……確かに無数に存在する……織物の糸のようなものだけれど、でもだからって意図的に時間をどうにか出来るなんてそれこそジャコバ様みたいなものじゃないと……」
「妖精の女王には、出来る……」
「いいえ。言葉選びが悪かったわね。ジャコバ様なら、まだ手の届く領域かもしれない……仮説よ? そう、仮説、取るに足らない、例え話。だってそうでしょう? 時をどうこう出来るなんて、妖精の女王だって思い浮かばないわ。時はね、確かにオーラの流れと等価の部分もある。でも同時に、誰一人として触れられない、すごく遠い場所にあるのよ。それは、そう、どれだけ足が疲れても、どれだけ手をしゃにむに伸ばしても、絶対に届かない領域……事象の彼方、絶対の特異点。無理難題はこの世に数多くあるけれど、そのうちの一つ。時をいざ、どうにかしようなんておこがましいと思わない? だってどうにかしたって、その時の中にある運命はどうにも出来ないはず。それはもうオーラとしてその人間の中に組み込まれているから。分かりやすく言うのならば、時はスタートとゴールまでの地点で、そしてオーラの運命はその二点を、どう行き来するか、という道標。道標は自由よ。確かに限りなく無数に、無限に近い数が存在する。でも、絶対に変えられないのは二点の間の距離と、そして二点が存在する、という前提条件。分かる? 時を操るのには、スタート地点をゴール地点と逆にするだとか、そういう事までしなきゃいけない。それをこの世にあまねく生命全てに適応? そんな気の遠くなる事、神様だってやりたがらないでしょうね。だってそれは何億、もっと多いかもしれない命を全て管理するという事。ジャコバ様どころじゃない。それこそ……言いたくはないけれど絶対者。超越神にのみ許された俯瞰視点の領域」
アルマーニの繰る言葉には不思議と重みがあった。彼女は経験則も込みで言っているに違いない。
妖精の世界でさえ適任者のいない領域を人がどうするというのだろう。それは傲慢であり、そして何よりも冒涜だ。
「……でも、そういう存在がいるとすれば? 例えば……一個人のスタート地点をいじって、ゴール地点をすごく遠くに設定する」
「無理よ、あり得ないわ。それは、究極的に個体として完成する生命体でもない限りはね。だって、コモン人にそんなものを適応してみなさい。きっと、その一人だけではない、限りなく増え続ける選択肢全てをしらみつぶしにするなんていう、気の狂いそうな作業になるのよ? それをやるのなんて、因果律の向こうに魂でも置いてこない限りは不可能よ。もっと言ってしまえばね……こんなのは妖精の繰り言だと思ってくれてもいいんだけれど……。――ヒトに、そこまでの神秘を操る事なんて到底出来ない」
自然と説得力があった。エ・フェラリオとして遥かな時を生きてきたアルマーニにはコモンにもましてや地上人では推し量れない世界がある。彼女が無理というのならば無理なのだろう。
しかし、あれはではどう形容すればいいのだ。
《ソニドリ》は、白い悪魔はそれを可能にしている。だから、自分はこうしてアルマーニと対等に話せているのだ。
最初に呼ばれた時など彼女を憎みすらした自分は、今、憎悪の対象であった妖精の知恵を必要としている。なんて皮肉、と自分でも笑えなかった。
「……勉強になった」
つまり、フェラリオでも不可能な事が巻き起こっている。彼女らでも解明出来ない何かが、自分に降りかかっていると言う事が分かっただけでもいい。
立ち去ろうとした自分をアルマーニは呼び止めていた。
「ねぇ……また何か話してくれる?」
懇願さえも窺わせたその声音に、蒼は素直に問い質す。
「……でも、やんごとなき身分なのはそちらのほうじゃ……」
「そう、そう見えるわよね。でもね、勘違いして欲しくないの。貴方達を呼んだのは……半分くらい寂しさを埋め合わせたかったのもあるのよ。こんなの、長い時を生きてきただけの、妖精の気紛れかも知れないけれど」
そう、気紛れだ。そんなはた迷惑なもので自分達はこのバイストン・ウェルに運命を束縛された。ザフィールも、自分も運命の被害者なのだ。
だが、だからと言って彼女を憎み切る事も出来なくなった。憎むのには多くを知ってしまった。妖精であっても、寂しさくらいは感じるのだと分かってしまった。
だから、この時、願いを無下には出来ない自分が存在した。
「……分かる範囲でいいのなら」
世界の全てを知っているように嘯くフェラリオに、世界の半分だって知らない自分がこの世界の仕組みを教える。
この関係性を何と呼ぶのか、この時にはまだ分からぬまま。
アルマーニはこの時、真剣にそれでいてまるで幾星霜の時を生きてきた妖精の眷属とは思えないほど、少女の眼差しで聞き入っていた。