リボンの聖戦士 ダンバイン外典   作:オンドゥル大使

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第七話 敵国渦中戦線

 右腕が千切れたかと思ったほどだ。

 

 雷撃のような激痛に、翡翠は悲鳴を上げる。腐り落ちた右腕から生えてきたのは虫の節足であった。

 

 身体中が瞬く間に甲殻に覆われ、次の瞬間にはオーラバトラーの仮面が顔を覆っていた。

 

 呼吸も出来ない、と喘いだ翡翠へと剣が次々と突き刺されていく。

 

 誰もが自分を糾弾した。刃を向けてきた。

 

 ――お前が望んだ!

 

 違う、と叫ぼうにも口が塞がれている。

 

 ――お前が殺したんだ!

 

 ああ、と呻きつつ声から逃れようと走り出す。その途中で蹴躓き、翡翠は無様に地面を転がった。

 

 見下ろしてくる人影に、彼女は振り仰いだ瞬間、声にならない叫びを上げた。

 

《ソニドリ》が全身から赤い血を噴き出させて剣を構えている。その大剣が胸元へと突き刺さった瞬間に、彼女はまどろみから覚醒していた。

 

 瞼を開けた途端、大写しになったのは大理石の天井である。

 

 ひんやりと冷たい石の床に寝かせられているのが分かり、身体を持ち上げた途端、激痛が右腕に走った。

 

 頬を引きつらせたその時、ポロンと琴の音が耳に届く。

 

 すぐ傍で奏でられている音色に翡翠は視線を振り向けていた。

 

「バイストン・ウェルの物語を、覚えている者は幸せである。心、豊かであろうから……」

 

 男の声、奏でられた琴の音と共に壁にもたれかかっていた相手を翡翠は見据えた。覚えず身が竦む。

 

「……誰……?」

 

「吟遊詩人、なに、旅がらすのろくでなしだよ。君も罪人かい? おれと同じ牢屋に入るという事は、ジェム領国に歯向かったか」

 

「ボクは……歯向かってなんか……」

 

「酷い顔色をしている。衛兵! 水をくれ!」

 

 まさか、牢獄に捕らえられているというのに水など、と思った矢先、並々と瓶に注がれた水が差し出された。

 

「どうもすまないね」

 

 受け取った吟遊詩人は慣れた様子で衛兵に袖の下を渡す。

 

 差し出された水に翡翠は息を呑んだ。あまりに簡単に手に入った代物に警戒の眼差しを注ぐ。

 

「毒なんか入っちゃいないよ」

 

「……どういう事なんだ。ここは……本当に牢獄なのか?」

 

「それに関してはおれが言うよりも、彼女に聞けばいい」

 

 顎でしゃくった先にいたのは牢獄の小窓から出入りしたティマの姿があった。まさか、自由になっているなど思いもしない。

 

「ティマ……!」

 

「エムロード。目が醒めたのね」

 

「だからエムロードじゃ……、何ともなかったのか?」

 

「ちょっと取り調べめいた事を受けただけ。無論、拷問もされていない。彼らの言っていた通り、というのは癪だけれどね」

 

「彼ら……?」

 

「地上人だ。ここ最近、ジェム領国に召喚された、四十人を超える地上人の軍勢……。彼らは一様に高いオーラ力を持ち、その力を国家に認めてもらうために前線に出る」

 

 切り裂いたオーラバトラーの像が脳裏に結び、翡翠はうろたえていた。

 

「……地上人? 彼らも地上人だって言うのか?」

 

「詳しくはそのミ・フェラリオが知っているはず。おれはもう、随分とこの場所に入れられて久しい。待遇は悪くはないんだが、どうにも信用されていないようでね。あたたかいベッドで眠りたいものだ」

 

「そこの地上人も、元々は聖戦士だったんでしょう?」

 

 ティマの言葉に吟遊詩人は眉を上げる。

 

「元々は、ね。さほど戦果を挙げられないまま、大きな動乱が過ぎた。おれは生き意地汚く生き残った、アンラッキーなヤンキーさ」

 

 自嘲気味の吟遊詩人に翡翠は尋ねていた。

 

「教えて欲しい。この国は……いや、この場所はどうなっている?」

 

「バイストン・ウェルは大きな戦争が巻き起こった、その後の安寧を貪っている。今はどの国もさほど躍起になって成果を上げようという感じじゃない。フェラリオの長を怒らせて追放なんてされたら元も子もないからだ。ジャコバは寛容とはほど遠い。ゆえに、水面下でのやり取りばかりさ。小競り合いの程度ならばフェラリオの連中は手を出してこない。それが分かっていて、ゼスティアと争っている」

 

「そこまで詳しいのはどうして? ここから出られないはずでしょう?」

 

 ティマの疑問に吟遊詩人はフッと笑みを浮かべていた。

 

「外に行く必要なんてないのさ。おれの足を見るといい」

 

 露になった足に翡翠は驚愕する。オーラバトラーに使われているのと同じ、甲殻類の筋肉繊維を編んだ義足が装着されていた。

 

「……それが聖戦士を降りた理由ってわけ」

 

「初陣で墜ちたんだ。運がなかった」

 

「ここから動く必要がないと言った。ボク達も、か?」

 

「ここにいればそれなりに食い物には困らないし、壁と床は冷たいが寝てもいい。ただ、おれは使い物にならないからここに居させられているだけだ。君は違うかもしれない」

 

「地上人のオーラ力を恐れて……殺せもしないのね」

 

 得心したティマに吟遊詩人は言ってのける。

 

「たまに依頼が来る。片足がこれでも、新型のオーラバトラーの試験くらいは出来るとな。君達がジェム領国に歯向かったと言うのならば、別の対応が来る可能性もあるが」

 

 その時、衛兵が牢屋の扉を開いた。

 

「出ろ。フェラリオと新しい地上人」

 

「あんた達、何様よ! どういう了見でゼスティアに戦いを挑んでくるって言うの!」

 

 ティマの強気な声に衛兵はふんと鼻を鳴らす。

 

「フェラリオに知る権利はない。地上人、来い。我々、ジェム領国は聖戦士を特別視している。その有り様では、あまりに不格好だ」

 

 自分の姿はここに来て着の身着のままだ。制服姿はこの国家の洋式には合わないと言うのだろう。

 

 衛兵が手招く。鎖で束縛する事も、ましてや縄をくれる事もない。本当に自由意志、とでも言うかのようであった。

 

 逡巡を浮かべた後、ティマが先導する。

 

「少なくとも、殺されはしないと思うわ」

 

 その言葉でようやく翡翠は歩み出した。背中に吟遊詩人の声がかかる。

 

「オーラの加護を」

 

 地下層を螺旋階段で上がっていくと城壁に囲まれた地上へと出た。空は青く澄んでいる。

 

「まずはオーラ力を試させてもらう」

 

 衛兵が誘導したのは四方を高い壁に囲まれた密閉空間であった。

 

 数人の科学者らしき者達が、奥まった場所に鎮座する鎧を観察している。

 

「オーラバトラーよ、あれ」

 

 ティマの声に翡翠は肩を強張らせた。《ソニドリ》での戦闘における手痛い経験が右腕を疼かせる。

 

「入ってくれ。オーラ力を測定する」

 

 ティマに目線を送ったが、彼女もここでは拒否権はないらしい。流されるがまま、翡翠はオーラバトラーの操縦席へと導かれる。

 

《ソニドリ》と違うのは操縦席に座っていてもいい点だ。椅子の周りには無数のケーブルが張り巡らされており、さながら玉座であった。

 

 座り込んだ途端、肩口へと拘束具がはめ込まれる。外そうと力を入れる前に研究者が声を上げた。

 

「素晴らしいオーラ力だ。これならば、《ゲド》……いや、もっと先のオーラバトラーを動かせるはず」

 

「使えそうか」

 

「騎士団へと編入させてもいいくらいだ。明日にでも謁見させればよかろう」

 

「ちょっと待って! エムロードはゼスティアの聖戦士よ! 掻っ攫うなんて!」

 

 割り込んだティマに研究者は手を払う。

 

「ミ・フェラリオが偉そうに。だが……フェラリオに障れば悪い事が訪れると言われている。今すぐにでも追い出したいが、そのフェラリオ、回収した白いオーラバトラーの能力を底上げしていた可能性が高い」

 

「あれは?」

 

「ドーメル指揮官殿が大層気に入っておられる。我々は手を加えるべきだと進言した。あのままでは剥き出しのパーツが多過ぎる。裸で戦争は出来まい」

 

「あたしの《ソニドリ》に文句があるって言うの!」

 

 いきり立ったティマに対して衛兵も研究者達も落ち着いていた。

 

「《ソニドリ》、と言うのか。貴様も研究者ならば、ハッキリと言うぞ。あれは欠陥品のオーラバトラーだ。あまりにも武装も装甲も貧弱。あんなもの、騎士団の《ゲド》部隊に大きく劣る」

 

「あんなものですって!」

 

 飛びかかりかけたティマを衛兵が掴んだ。その様子に覚えず翡翠は腰を浮かそうとする。

 

「何をする!」

 

 瞬間、拘束具がはち切れた。椅子に繋がっていたケーブルが音を立てて断線する。研究者達が恐れ戦いた。

 

「なんというオーラ力……、怒りだけでこれほどまでに跳ね上がるのか……」

 

「ティマを離せ!」

 

 声高に叫ぶと、椅子から火花が散った。よくは分からないが、今の自分ならばこの連中を相手取るくらいはわけがない事は理解出来る。

 

 衛兵がうろたえ、ティマを手離した。

 

「あたしの《ソニドリ》を馬鹿にしたら許さないんだからっ!」

 

「驚いたな……。地上人とは言ってもあの吟遊詩人とは天と地ほどの差だ。無礼を謝ろう。力あるものには従うのが、我が国の掟だ」

 

 先ほどまでの対応から一転して、衛兵達が傅く。思わぬ形勢逆転に翡翠は言葉をなくしていた。

 

「エムロード! こいつらやっちゃおうよ!」

 

「待って! ……《ソニドリ》はどこに?」

 

「騎士団に差し出されている。彼らへの干渉は我々には出来ない?」

 

「騎士団?」

 

「《ゲド》を乗りこなす地上人達が組織したオーラバトラーの軍隊だ。それまで、我が方には専守防衛の理念はあっても、攻撃的な者達は少なかった。だが騎士団が組織されてから、全てが変わったと言ってもいい。力ある者が徴用され、弱者は従うのが定めとされている」

 

 それがたとえ敵でも、か。思わぬ思想に翡翠は困惑する。

 

「従わせるつもりはない。ただ、《ソニドリ》を返して欲しい」

 

 ティマと目線を交わす。彼女も同じ気持ちのはずだ。

 

「騎士団に謁見出来るのは一握りの者達だけだ。それ以外では彼らの集まる騎士の間へと忍び込む事さえも出来ない。強力なオーラ力を持つ地上人が、監視の目を走らせている」

 

「……あたしも、ちょっと辺りを見渡してきたけれどそれらしいものはなかった。地下かもしれない」

 

 翡翠は衛兵の剣を奪い取る。思ったよりもずっと軽い真剣に、拍子抜けしたほどだ。

 

「竹刀よりも軽い……」

 

「殺さないでくれ」

 

 懇願する衛兵に翡翠は目もくれなかった。剣を手に研究者達へと突きつける。

 

「報告したら、ただじゃおかない」

 

 ティマが舌を出し、走り出した自分に続く。

 

「地下にあるって言ったよね?」

 

「その可能性が高いわ。ざっと見渡したけれど、ジェム領国はこの城と、城下町に大別されるみたい。騎士団って言うのがマユツバじゃないんなら、きっと城の」

 

「奥底、……か」

 

 不意に進路を遮ったのは敵兵であった。クロスボウが番えられ、翡翠は覚えず立ち止まる。

 

 睨み合いの中、敵兵が口にしていた。

 

「撃つぞ……撃つ」

 

 奇妙だと感じたのは敵兵の声音が震えている事だ。まるで戦いに慣れていないみたいに。

 

 翡翠は足元に転がっていた石を蹴り上げた。それだけで大の大人が竦み上がり、クロスボウの矢が明後日の方向を射抜く。

 

 隙を逃さず接近し、弓を叩き割った。

 

 兵士達は潮が引いたように逃げ去っていく。

 

「……おかしい。どうしてこんなに簡単なんだ?」

 

「地上人のオーラ力を危惧しているにしても、ちょっと異常過ぎるほどね。まるで行き遭えば死とでも教えられているみたいに」

 

 翡翠は城内が異様に静かなのも不自然に感じていた。確かに脅しをかけたが、その程度で臆するのならば、どうして進軍してくる?

 

 まるで意味を成さないピース同士が噛み合いを拒絶しているかのようであった。

 

「ティマ。地下室がありそうな場所、分かる?」

 

「《ソニドリ》をどうにかしたいのなら、兵士達が集っているほうへと行けばいいと思う」

 

「……どっちにしろ戦いは避けられない、か」

 

 呟いて翡翠は剣を片手に駆け抜けた。

 

 


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