村に入れば、たちまち噂になるのは避けられないだろう、と行商人から伝え聞いていた。
それくらいには小さい村だと。しかし、ジェム領、ゼスティア、どちらにも与しない珍しい土地だとも。ある意味では好条件である。
少しくらい噂が立っても、寝込みは襲われないのは保証すると言うのは、行商人の弁であった。
「それは、どうして?」
「あっしもここではよく泊まらせてもらってるんでさぁ。だから旅人の身なりくらいじゃ、物取りなんて出やしねぇよ」
しかし、成りが成りである。ジェム領の騎士だと露見すれば、と言うこちらの不安に、大丈夫じゃないかしら、と声にしたのはアルマーニである。
「だって、フェラリオを連れた屈強な男との組み合わせよ? こんなの、報復が恐ろしくって関わり合いさえも持ちたくないでしょうね」
そう言われてみれば確かに、と考え直した蒼にグランはふんと不承そうであった。
「妖精にしては弁が立つ。もし何かあっても、こちらには剣もあろう。村人を害さなければ、何もないはずだ」
自分よりも何年も生きているはずのグランが言うのだから重みが違う。
蒼は自然と身の無事だけは確証していた。
「ありがとう。では、お元気で」
「それはこっちの台詞でさぁ。よき旅を!」
立ち去っていく行商人に蒼は感想を漏らす。
「……いい人だった」
「立ち振る舞いだけだ。すぐにゼスティアか、ジェム領に寄ってこの村を口伝する」
息を呑んだ蒼にグランは頭を振る。
「……残念だが人の情に期待するにしては、我々の罪は重過ぎる」
それがこの世界に生きる者達の術なのだろうか。たとえ、地上界からしてみれば、オーラ力が全てに思えるこの世界でも、陰謀や策略が渦巻いている。そんな暗黒な感情は廃されたかのように、大地は美しいと言うのに。
「私達の罪、ね……。何かした覚えはないのだけれど。された事はあってもね」
アルマーニの言葉もよく分かってしまう。した覚えなんてないのに、自分達はいつの間にか加害者の側に立っているのだ。それがどれほどに理不尽でも、それでも歩み進む事だけは、前を見据える唯一の方法だろう。
「村人がそこいらにいるな。……閑散とはしていないが」
何か含むところのあるグランの評に蒼も村人達へと観察の視線を注いでいた。行商人の助言によって《ゲド》はこの村からしてみれば陰になる岸壁に覆い隠してある。歩けば十分もしない距離だが、わざわざ確かめにいかないくらいには、ぱっとは思いつかないであろうと言われていた。
村人達の眼差しは物珍しさや奇妙さに対しての興味よりかは、どこか警戒が勝っているようであった。
まるでつい先ほど嵐が過ぎ去ったのに、またしても嵐の要因が現れたかのように。
「……コモンにしては目つきが鋭いわ。戦地みたいに」
アルマーニも同意のようだ。蒼は腰に提げた剣が役に立たない事を祈っていたが、どこかで抜く事もあるかもしれないと覚悟を決めていた。
グランが前に立ち、軒先を掃除していた宿の主人へと歩み寄る。巨漢のグランに比すれば鍛えてもいないコモンの、なんと弱々しい事か。見上げる形の主人にグランはあえてなのか、高圧的に言い放っていた。
「宿を取りたい。三名だ。出来るな?」
「も、もちろんですが、今日は特別なお客様が寄っていらっしゃいまして……」
「特別な客? 儂らは一般客でいい。その賓客とやらとは顔を合わせないほどの、雨風さえしのげれば……」
そこまで譲歩しても主人の顔はどこか影が差している。
「いえ……難しいのです。その方々は、だって……」
「――ほう。ここで見るとは思わない面持ちが、揃っておるではないか」
声の主へと視線を向けた瞬間、グランが硬直する。自分も息を呑んでいた。
涼しげな目元を持つ、高貴なる身なりの男性が、自分達を見据えている。それが誰かなのか、蒼は――いや、ジェム領の聖戦士ならば「知っている」。
「……ギーマ・ゼスティア……」
その名を紡ぎ出した蒼に、ギーマはフッと口元を綻ばせた。
「わたしの名前を知っているか。よい。名は知れてこそ意味があるというもの。こんな辺境の村でも、それなりの旅客が――」
刹那、蒼は抜刀していた。自らに課した、この剣を使わないでおこうなどという些末事は消え失せ、この男を討たなければ、という使命に剣先が奔る。
その太刀筋を、阻んでいたのはグランであった。
ギーマはふんと鼻を鳴らす。
「敵国に捕らえられて女子供を付き従えるとは。いい身分になったな。グラン中佐」
「……申し立てするだけの口も持ちますまい。ただ……ここであなたを斬らせない」
グランの怪力の腕が自分の袖口を引っ掴んで離さない。如何に強力なオーラ力があるとは言っても力の差は歴然であった。
少女であるこの身では、グランの筋骨隆々な身のこなしには敵わない。
分かっていても歯噛みする。蒼は、満身より叫んでいた。
「……退いてください! グラン中佐! わたくしにとって、こいつが何者なのか、知らないはずがない……!」
「さぁ、知らんな」
一蹴したグランの拳が鳩尾へと入っていた。覚えず身体を折り曲げた蒼へと追い打ちの蹴りが浴びせられる。
アルマーニが声を張り上げる。
「アオ! 貴方……外道ね! 悪辣なるガロウ・ラン!」
その言葉に村人達がどこから湧いたのか、一斉に寄り集まり、声を潜めさせた。
「ガロウ・ラン……? あの大男が……?」、「コモンに仇なす闇の種族……ああ、恐ろしい……」、「闇の種族を、コモンの宿に泊まらせるのか……」
それぞれの囁き声を制したのはギーマであった。
「まぁ、待て。グラン、よくやった。ジェム領に囚われたと聞いた時には、あの《マイタケ》を使ってもか、と落胆したものだが……手土産を持って帰ってきたとなれば、話は別だ」
ギーマの手が蒼の顎へと伝い、その顔を上げさせる。その切れ長の瞳が喜悦に滲み、口角を吊り上げてせせら笑った。
「……ジェム領の騎士。まさか手懐けているとは思うまい」
蒼は唾を吐く。ギーマは、おっと、と身をかわしていた。
「それでいて、反骨精神もある。それに、エ・フェラリオ……知っているぞ。アルマーニュ・アルマーニ。あちら側の召喚に使われるだけの妖精風情が、まさか外に出ているなんてな」
「全てはゼスティアのために。一匹でも有用なエ・フェラリオを、二匹用いれば、より強力な地上人の召喚も可能でしょう」
まさか、と目を戦慄かせた蒼に、ギーマは笑みを浮かべる。
「……グラン。気に入ったぞ。懲罰は止めだ。あの高性能のオーラバトラー、《マイタケ》を失った代償は帳消しにしてやる。代わりに、分かっているな?」
グランは傅き、ギーマへと騎士の誓いを口にしていた。
「我が剣はゼスティアの御許に。どのような時であっても」