長い目でよろしくお願いします。
成績は上の下、運動神経はそこそこ、芸術センスは人並み。
そんなJCこと女子中学生の
いつも通りの時間に帰宅してこれから読書をしようかと考えて、自宅の玄関の扉を開いたら、真っ先に目に映ったのは緑色。
いや正確には文字通りの緑色の髪が目に入り、その後その髪の持ち主の小ささに驚き固まった。
「えっと…」
「ただいまくらい言ったらどうだね?ここは君の家なのだろう?」
「あ…た、ただいま」
何と声をかけるべきか迷っていると目の前から帰ってきたのは正論。
慌てて言えば今度はため息が返ってきた。
理不尽さに頭の中で何故という文字を浮かべていると目の前の小さい男…赤ん坊は一つ咳払いをして言う。
「さっさと上がりたまえ、こちらも暇じゃないんだ、君の部屋に行っているぞ」
「あ、はい」
赤ん坊は言うか早いかその体のどこにそんな力があるのかと問いたくなるくらいの素早さをもって二階に行ってしまい、ドアを開いて閉じる音も聞こえてきたのでもうすでに唯の部屋に入ってしまったのだろう。
その光景を呆然と見つめていた唯だったが、すぐに待たせていることを思い出して慌てて靴を脱いで二階に上がり、自室の前に立つ。
この部屋の中に先ほどの赤ん坊の男がいるんだと思うと妙な緊張が走った。
「よし」
気合を入れて、自室のドアをゆっくりと開くと、そこにはやはり赤ん坊の男がいて、さらに唯の机の椅子に我が物顔で座っていた。
「茶はいらんからな、時間の無駄だ」
「はぁ」
生返事しかできない唯に少し眉をひそめた赤ん坊だが気にするほどのことでもないと判断したのか「さっさと適当なところに荷物を置いて適当なところに座れ、本題に入れないだろう」と少々偉そうに言った。
そうだな、と納得した唯は箪笥にスクールバッグを立てかけ、ベッドに腰掛けて赤ん坊の話を聞く体制に入る。
その様子を見た赤ん坊は一つ咳払いをすると話し始めた。
「まずは自己紹介だな、私の名はヴェルデ、以後お見知りおきを…ああ、君の自己紹介は必要ない、すでに調べはついているししなくても私は失礼とは思わないから気にするな、それで本題だが、今日から君の家庭教師をやることになった、以上」
単刀直入とはこのことかと妙に納得しながら唯は疑問を恐る恐る口にした。
「…何故、と聞いても?」
すると男は一瞬目を見開いたがすぐにため息をついてしまったので唯は何かまずかったかと不安な表情をした。
「その説明もされていなかったのか…ああ、いや、いい、気にするな、後で依頼主に報酬を倍にさせればいいだけの話だ、説明しよう」
曰く、唯は世界的にも大きなマフィアのフロント企業というやつのトップの血を引いているのだとか。
それで次期トップ候補が唯だそうだが本人はそもそも、そのマフィアのことすら知らない中学生。
だから誰かがその次期トップにふさわしい人物に教育しなければいけないがその適任者はすでにマフィアのボスの方の教育に当たっているため頼むのは難しい。
そこで白羽の矢が立ったのがヴェルデであり、彼ならば不安は多少あれど頼まれたことにはしっかりと従うので大丈夫だろうということで多額の報酬が出されることが条件で今回ヴェルデが教育係に抜擢されたと。
本当はマフィアについてだとか、そのフロント企業についてだとかを端的に説明が入っているがそこは割愛する。
「というわけで私はわざわざ海外から日本に来て君の家庭教師になったというわけさ、理解できたかね?質問があれば今だけは許そう」
唯は少し考えてから質問した。
「教育とは具体的にどんな?」
ヴェルデは意外そうな顔をしたので、唯も驚いた、まさかそこまで意外に思われるとは思わなかったのだ。
「信じるのか?こんな突拍子もない話」
「だって、ここまで詳しく説明された上に知り合いの名前も出てきたから、一応は信用しても大丈夫かと思ったのですが…」
「マフィアだぞ?こちらの言葉で言うなら堅気のものではないということだ」
「ですが、そういう人たちの仲間の割には丁寧でしたから、貴方のことを信用してもいいと思ったんです、上から目線で申し訳ないですが…」
と本当に申し訳なさそうに唯が頭を下げるものだからヴェルデは次の言葉を出せず信じられないものを見る目で見ていたが、すぐにニヤリと笑った。
「なるほど、調査ではただの凡人だと出ていたがそれだけではなさそうだ、さすがは初代の血を引いているだけはあるということか」
「初代?現在のトップの血を引いているのではないのですか?」
「現在のトップでは辻褄が合わないだろう?疑問は持たなかったのか?」
「それは…」
確かに持ったがけれどそもそも現在、その門外顧問とかいうフロント企業のトップが誰かを知らないから、そのトップの血を引いていると聞いたら即座に現在のトップを思い浮かべるのが普通というもの。
そもそも初代から現在まで同じ家系が継いでいるものと考えるのが一般だ、残念ながら唯の父親は普通の会社員だし、母親は公務員で図書館の司書をやっているがどちらも堅気の世界の人間だ。
だからこそ、自分と同じ髪の色をしている祖母の家系が思い浮かんだが現在のトップがどのくらいの年代なのかにもよるよなと疑問はあったが、疑いはしなかった。
ヴェルデに指摘されてようやく納得はついたのでよしとしてほしいと唯はヴェルデを見たが相手は呆れていたのでシュンとうなだれる。
「君は理解力があるのかないのかわからないな」
「すみません…」
「それで…ああ、具体的な教育内容だったな、君には私の実験に付き合ってもらう、以上だ」
「実験とは?」
「見てわかる通り私は科学者だ、君には私の研究の手伝いをしてもらう、まぁ簡単に言うなら…モルモットになってもらう」
「え」
唯の口から声がこぼれる。
あんまりにも簡単に言われた言葉は、しかし、人間に対して使うならば倫理的な問題でショックを受ける内容で、それが教育内容と聞くとどうしても先ほど説明をされた門外顧問というものがとんでもない機関なのだと実感させられる。
マフィアの一部なのだから危険なのは理解していたが、まさかそこまでとは思っていなかった唯はマフィアというものが漫画などで取り扱われる現代っ子の一人であり、マフィアというものをオシャレの一つのように見ていたのだと、ここで嫌でも理解した。
無意識に唯の手が震える、顔を冷や汗が伝った。
目の前にいるのはただの赤ん坊ではない、漫画などで見るような悪の科学者に違いなくて、唯は今日からその仲間になるのだと、そう考えれば考えるほど唯は自分の人生を振り返って泣きたくなってくる。
「何をそこまで驚く?世界で最も巨大なマフィアの門外顧問のリーダーになるんだ、私の実験一つ涼しい顔してこなせるようにならなければ務まらないぞ?」
面白がっているのが分かるほどにニヤニヤ笑顔のヴェルデの顔とは正反対に真っ青で泣きそうな顔をしている唯。
「それとも逃げるか?」
ヴェルデはそれでも私は一向にかまわないといった態度でいるが、それは彼が恐らくそのマフィアの中でそれなりの地位に立っているからだろうと唯は絶望する。
(マフィアの世界に入るの?今まで何も音沙汰なしだったのに?)
小さい頃から日本人では珍しい髪の色をしていたので自分の家系はどこかで海外の血が混じっているとは思っていたがまさかマフィアも関わっているなんてどうして予想できただろうか。
(こんな時、兄さんならどうする?千沙は?…おばあちゃんは?)
頭の中で自分に様々なことを教えてくれた優しい祖母の笑顔が浮かぶ。
(そうだ、こういうとき、おばあちゃんは…)
【唯ちゃん、これから先唯ちゃんにとって辛いことがたくさん起こると思う、そんな時は助けてください初代様って祈ってから思うように動きなさい、そうしたらね、初代様がきっと唯ちゃんを助けてくれるわ】
祖母の言葉が唯の頭の中に響く、唯はゆっくりと顔を上げてヴェルデを見る。
雰囲気の変わった唯にヴェルデは目を見開く。
唯の口から祈りの言葉が出てくる。
「助けて…ください…初代様…」
唯の後ろにうっすらと初代門外顧問の姿が現れ優しく微笑んだのがヴェルデの目に移り思わず息を呑む。
「そんな…こんなことが…」
初代は唯をまるで愛おしそうに見てからヴェルデの方に目を向けて、その眼を細める。
まるで唯を守るように後ろに佇む初代門外顧問、アラウディにヴェルデはここで下手に唯を傷つけるような何かを言えば自分は殺されてしまうのではないかという錯覚に陥るが…すぐに唯に対して興味がわいた。
たった一言、そのたった一言で初代の幽霊を呼び出すことのできる彼女の血はヴェルデの興味を大いに引いたのだ。
唯の目がまっすぐヴェルデを見る。
それからゆっくりと頭を下げて。
「よろしく、お願いします、先生」
そうはっきりと言った。
ヴェルデはその言葉を静かに、しかし新しいおもちゃを貰った子供のようにキラキラとした目をして受け取ったのだった。
***
ヴェルデが唯の家にやってきたその日の夜、両親への説明は門外顧問の方で勝手にされていたらしく、全員何の疑問も持たずにヴェルデを受け入れていた。
門外顧問の説明では祖母の家系で孤児が出たので他に親族がいなかったから唯の家で一年間だけでいいので引き取ってほしいとのこと。
一年だけなら…と、唯の家族も了承したらしい。
というわけで夕飯を我が物顔で頬張るヴェルデに唯は呆れを通り越して感心すらしていた、本当のことを何故説明しないのかと夕食後に聞いてみれば唯だけが初代の血を色濃く受け継いでいるためいわば他の家族は一般人扱いなのだとか。
一般人をわざわざ巻き込む理由もないので黙っておき、あとで唯の方が何かと理由をつけて家を出ていけばいいだけの話だと説明を受けてなるほどと納得をした唯はその日から家を出ていく理由を考え続けることになるのだがこれはまた別の話。
次の日も学校があるので宿題をやっている唯の後ろには初代の幽霊。
どうやら唯には初代の姿は見えていないらしく、何か感じるものはないか?というヴェルデの質問に唯は。
「そういえば、妙な安心感がありますね、こう…殺し屋に命狙われても大丈夫と思える程度の安心感があります」
と首を傾げながら答えたので恐らく初代はしばらく唯から離れることはないだろう。
ヴェルデはそんな2人の様子を唯のベッドに座って眺めていた。
とっくに研究のための自分のスペースは作り終わったのでヴェルデ自身、作業をしようと思えばできるのだが、2人のことがどうにも気になってしょうがないのでこうして観察しているわけである。
そもそも興味対象のうちに入ってはいるので、これも研究の一環だ。
現在、唯は難問に当たったのか頭を悩ませている。
その後ろで答えが分かっているのか初代は微笑ましそうに見守っているが話に聞く初代はもう少し、こう、一匹狼な性格だったのではないか?誰だこの爺バカ、ただ自分の孫が可愛くて仕方がない祖父のようではないか。
血が繋がっているというだけで初代の加護がつくのか?どんだけ身内に甘いんだ初代よ。
ヴェルデが初代のイメージを崩壊させながら観察を続けていると唯は問題の答えがやはりどうしても出せなかったのか回転椅子を足で半回転させてヴェルデの方に体を向けると問題集を差し出してきた。
「先生、ここの問題の解き方がわかりません、わかりますか?」
どうやらやっていた教科は数学らしく、ヴェルデの調査でも唯は苦手科目で数学が出ていたのを思い出し納得する。
ヴェルデは問題を一目見てすぐに答えを割り出したがそこで問題が発生した。
人にものを教えたことがなかったのだ。
理論は理解できるし簡単な言葉でかみ砕いて説明しろと言われればできるが相手に合わせて物を教えるということをそもそもやったことがないヴェルデは言葉を詰まらせる。
それを勘違いした唯は「あ、やっぱり自分で頑張って解きます!」と慌てて机に向かって問題集とにらめっこを再開させてしまった。
天才と呼ばれるヴェルデはその反応に苛立ちを覚えて多少きつい口調で唯を呼んだ。
「問題集を貸せ」
「え、でも…」
「いいから、貸せ」
「は、はい」
恐る恐る唯は問題集をヴェルデに渡す。
ヴェルデはそれを受け取ると問題集を膝の上にのせて、問題集を支えていない方の手を唯に差し出す。
唯はその意味を察して慌ててシャーペンを渡すとヴェルデは問題集にすらすらと公式を書いていく。
「いいか、数学というのは面倒くさがりの教科とも呼ばれているんだ、公式さえ覚えてしまえば後の解き方は小学生でも解けてしまえる、そのことをよく覚えておけ」
「は、はい!」
「それで解き方だが、そもそも使う公式を間違えている、ちゃんと教科書を読んでいるのか?開いている様子がないな、勉強する気はあるのか?」
「うぅ…」
矢継ぎ早に言われる疑問に心のダメージを感じながら唯はそれを受け入れるしかなく、若干涙目である。
ヴェルデは一つため息をつくと、机の上にあった白紙をとり、そこに数式を書き出していく。
「それは…?」
「この問題集で出るであろう公式だ、ついでに中学二年で覚える公式も書いておく、ここに書かれている公式を一か月で覚えろ」
「え!?こ、こんなにたくさんの公式を、一か月で!?」
唯はヴェルデの手元にある紙に目を通すが何度見ても10以上ある公式にめまいを覚える。
ヴェルデは全ての公式を書き終えて紙を唯に手渡しながら眼鏡をなおす。
「今は理論を理解しようとしなくていい、ただそこに書かれている記号を覚えればそれで十分だ、疑問を持つな、手を動かせ、いいな?」
「はい!」
まるで軍隊のような返事の仕方をした唯はすぐさま机に向かうとすぐに疑問が出た。
「そういえば肝心のこの問題の解き方を教えてもらってない…」
「そのくらい自分で探したまえ、なんでも聞けば答えが返ってくると思わないことだ」
「厳しい…」
ヴェルデはすでに自身のノートパソコンを取り出して作業をしており、先ほど言ったこと以上のことはしてくれない様子だ。
唯は仕方なく、自力で公式とにらめっこし、問題集に書かれている公式の解き方を一人で考えた。
そんな2人のやり取りを見ていた初代はヴェルデをしばらく見ていたがやがて表情を柔らかくした。
(なんだ?)
ヴェルデが面倒そうな顔をしているのが見えたのだろう、初代はクスクス笑うと口を動かした。
(あ、り、が、と、う…別にあなたのためではないのだがね、身内に厳しく教育してくれたことがそんなに嬉しいものなのか…私には理解できん)
嫌そうな表情のヴェルデを、やはり初代はクスクスと見ていたのだった。
***
次の日、朝の7時に目を覚ました唯はゆっくりとした動作で起き上がってベッドから降りると、ゆっくりと窓に近づいてカーテンを一気に開けた。
瞬間、部屋に朝の光がいっぱいに広がっていく。
朝日を浴びながら大きく深呼吸すると唯は一つ伸びをして振り返ってそこにいる赤ん坊にのんびりとした笑顔を見せてゆっくりと挨拶をした。
「おはよう、先生」
「おはよう、もう少しキビキビ動きなさい、だらしないぞ」
「はい」
注意されて慌てて表情を引き締める唯を呆れた表情で見るヴェルデ。
「さっさと朝食を済ませて学校に行け」
「はい、先生!」
パタパタと慌ただしく部屋を出て行った唯を見送ったヴェルデも素早く寝巻からいつも通りの白衣姿になりノートパソコンを起動する。
そこに映る情報にヴェルデはにやりと笑ったのだった。