晴の守護者の戦いを見ようと思った時、了平本人から。
「毎日しているならいいが、最近していないなら連絡してやれ、きっとお前の兄も喜ぶ!大丈夫だ、俺は負けん!」
自分の勝負はいいから兄に電話してこいと言われ、一人家に戻った唯は唯の兄が留学の際に新しく買った携帯電話の番号を初めて自身の携帯電話に打ち込む。
全て打ち終わると自動で兄へ電話が実行され、コール音が唯の耳に嫌に響く。
コールの回数に乗じて跳ね上がってしまう心臓の音を、唯は深呼吸で抑え込む。
数コール続いた後、それが止んだ。
そして、少しの沈黙。
「……唯?」
低く、安心できる声が唯の耳に入ってくる。
それまでうるさかった心臓の音が、突然止まり、ゆっくりと震える口を唯は開く。
「……うん、私、唯だよ、お兄ちゃん」
「……何か、あったのか?」
声が変に震えていないかと不安になっていた唯に届いた言葉は、唯を心配するもの。
(ああ、これを……ずっと……ずっと、無視してきたんだ)
今ならわかる兄の不安そうな声に気づけた唯は、ようやく落ち着いて口を開けた。
「ううん、違うよ」
「じゃあ……どうしたんだ?」
「ただ、お兄ちゃんの声が聞きたくなった……じゃ、だめ、かな」
相手が生唾を飲み込んだのが唯の耳に聞こえてきて思わず唯はクスクス笑う。
緊張しているのはお互い様だ。
「そ、そんなことない!う、嬉しいよ、唯!」
上ずりながらも素直な気持ちを伝えてくれる兄に唯も嬉しくなって頬が上がる。
「私も嬉しいよ、お兄ちゃん」
「そう、そうか!なぁ、唯、お前に話したいこといっぱいあるんだ!今度の長い休みには帰ろうかとも思っていてな、そのときにもっと長く話したい!」
「イタリアの学校って日本の学校と夏休み被っているの?」
「ああ!ただし、こっちの場合はそっちで言うところの春休みになっているけどな」
「じゃあ、進学?お兄ちゃん今何年生だっけ?」
「二年生だ、だから次は三年」
「そうなんだ、じゃあ最高学年だね」
自然と続く会話、素直な気持ちをそのまま伝えられることの幸福感。
唯は今まであんなに兄を嫌悪していたのはどうしてなのかと思うくらいに、兄に対する穏やかな感情でいっぱいだった。
だから、唯は兄に自分のことを話そうとした、その時。
「なぁ、唯、相談があるんだ」
突然の言葉に首を傾げつつ、唯は「どうしたの?」と聞く。
「……なぁ、唯、お前、マフィアに関わっているだろ?」
瞬間、唯は息を呑む。
「ああ、大丈夫だ、実は兄ちゃんはそのためにイタリアに行ったんだ」
「……どういうこと?」
「そっちに居た頃に、偶然あの人と、それからあの女とそっくりの…僕らの本当の母親が写っている写真を見つけて、気になって調べたら、あの人と本当の母親は昔マフィアだってわかったんだ」
突然すぎる事実に唯は何も言葉を返せなかった。
そんな唯を気にせず唯の兄は話を続ける。
「それから、時々あの人を訪ねて知らないお爺さんが来ていただろ?その人とあの人はどうやら唯のことで約束をしていたらしい」
「え……?」
「……何も、聞いていないのか?」
二人の話では唯が中学生になったら、教育を始めると言っていたはずだという兄の言葉に唯はすぐに門外顧問のことだと気づいた。
しかしそれは、ボンゴレと門外顧問が話し合って決めたことで、唯の家族は何も関係がないと思っていた。
(……父さんが……マフィア?それに、本当の母さんって……)
「……知らない」
思わず零れた唯の言葉をどう思ったのか唯の兄はそれまでの穏やかな声よりも低く唸るような声を出した。
「あのクソ親父、また唯に何も話してなかったのか……」
「ねぇ、お兄ちゃん」
唯は昨日よりずっとスッキリした頭と思考で兄から全てを聞く必要があると結論づけた。
一つ、深呼吸する。
「お兄ちゃんの知っている、私達のこと、全部、教えて」
ゆっくりとそう強請れば、兄も一つ深呼吸した後に一言。
「わかった」
その後、唯は綱吉達が知る事実を兄から教えてもらった。
両親のこと、父親の決意。
唯が母親だと思っていた人物が実は本当の母親ではなかったこと。
本当の母が初代門外顧問の血を引いており、それを理由に唯が次期門外顧問として教育されることを唯が赤ん坊のときに約束されていたこと。
当人たちの気持ちを排除したすべての情報を、唯は知った。
「本当に、何も知らなかったんだな」
唯の兄が驚いたような表情をしていることを予想しながら唯は苦笑する。
「教育そのものは始まっているんだけど、まさか、そんな大事だったとは…」
「あ、教育は始まっていたのか、家庭教師は誰なんだ?門外顧問はボンゴレの実質ナンバー2だし、相当の……ん?唯、どうした?」
唯から返事がないことを不審に思った兄の声が、思考の止まった唯の耳に入ってくるが、唯は答えられず、涙が目に浮かんできてそれどころじゃなかった。
普通に答えようとしたはずなのに、緑の科学者の顔を思い浮かべた瞬間、唯がいるこの部屋にいないことを思い出して、一度は心の奥に追いやった寂しさがまたやってきて涙が溢れてしまったのだ。
「…唯、泣いているのか?」
「…だい、じょぶ…」
「声震えているだろ、何があったんだ?」
とても優しい声だった。
唯は先程兄が自分のことを思う優しい兄だということに気づけたが、こんな場面でもそういう優しさが兄にあることを改めて理解した。
だから、唯は安心して素直になれる。
「……あのね、私の家庭教師って、科学者だったんだ」
「ボンゴレお抱えのやつ?それとも外部?」
「多分、雇われだと思う」
「大事な次期候補で外部の人間を雇うとか相当根性あるね」
「うん、それでね、私……その人のこと、好きになったんだ」
「は」
唯の兄が息を短く吐いたのが聞こえて、唯はようやく落ち着くことができ、兄の反応に笑うことも出来た。
「……好きな人、できたの?」
「ふふ、うん、そうなんだ」
「マフィア関係者、だよね?」
「そうだね」
「……ぼ、僕に挨拶しに来なさい!」
「お兄ちゃん落ち着いて、付き合ってないから、想いも伝えてないから」
自分で言っていてまた悲しくなってきた唯だったが、唯の兄があまりにも驚きすぎてそれどころではないのでなんとなく悲しい雰囲気とは程遠くなってしまっている。
泣けばいいのか笑えばいいのか微妙な気持ちになりながら兄に対してどう説明しようかと唯が考えていると、唯の兄がようやく落ち着いてきたのか家庭教師についてまともな質問をしてきた。
「科学者でボンゴレが依頼を頼むとしたら…あのアルコバレーノか」
「うん、緑色の人」
「せめて雷のアルコバレーノとか、そういう方向で言ってやりなよ、特徴緑しかないのか」
「あとは……メガネ?」
「唯って好きな人に対して結構厳しいね?」
ヴェルデのことを思い浮かべながら唯はむしろ急に何も言わずにいなくなった彼に対して段々と苛立ちがやってきたのか、彼に対するコメントがどんどん辛口になっていく。
「だってあの人こっちがどれだけアタックしてもそれに気づかないし、挙句の果てには何も言わずにいなくなったんだよ?評価を厳しくしたって許されるはずだよ」
「そ、そう」
「そりゃ最初は頭おかしいなこの人って思ってたけど、誰も今までまともに言ってくれなかったおかえりとかおはようとか当たり前の挨拶をしてくれる人だったんだよ?私がごく普通の女の子みたいに生活させてくれたはじめての人だったんだ、そりゃ好きにもなるよ!」
「唯、それって」
「それにあの人全然褒めてくれなかったけど、最近じゃ彼の中で私の行動が日常として受け入れられているんだってことがわかって嬉しかったんだよ!それなのに!」
ヒートアップしていく唯の愚痴を唯の兄は最初こそ相槌を打っていたが、それが本音なのだと気づく。
「まだ何も伝えられていないのに!いきなりいなくなるなんてあんまりだ!!」
きっと部屋中に響くほどの怒鳴り声を上げた唯の声は、電話越しでは音割れしてしまったので感情の全てを唯の兄が予想することは出来ないけれど。
悲痛な叫び声だということは理解できた。
だから、黙って聞いていることにした唯の兄には気づかない唯の声は先程の叫びよりは随分と小さかったが、呟くように溢れた本音を唯の兄はしっかりと拾った。
「せめて……」
それから続いた言葉に唯の兄は電話の向こう側でゆっくりと口を開いた。
「なら、試験、頑張らなきゃね」
唯の目が見開かれる。
「……頑張る……?」
「ああ、そうだ、今度はちゃんと褒めてもらえるはずだ、なんたって、頑張ったんだからね」
唯の兄はなんてことないようにそう言って唯の言葉を待った。
唯は目を見開き、しばらく固まっていたが震える口をなんとか動かして声を発する。
「……褒めて、もらえる……かな……」
泣きそうなその声に唯の兄は優しく応える。
「うん、絶対、褒めてもらえるよ」
「……うん……それじゃあ……頑張る……」
「よし」
唯の兄は立ち直ってきている唯に対してアドバイスを残す。
「唯、一つ一つ自分の問題を解決していきなさい、そうすればお前の好きな人と再会することはできるはずだ…兄ちゃんはお前の味方だ、それは、忘れないでね、それじゃあ」
通話終了の音が響く。
忘れないでと言った兄の声は少しだけ震えていたような気がして、自然と溜まっていた涙を落とさないように上を向く。
夜の暗さで真っ黒にも見える天井を唯は狭く感じた。
「……忘れないよ、今度は、大丈夫」
携帯電話を握りしめ、ニッコリ笑う唯は随分とスッキリした。
唯の中にあった優しい兄のままだった現在の兄は唯の進む道を示してくれたのだ、進まなければきっと唯はまた疑心暗鬼の中で今度こそ壊れてしまうだろう。
そんな簡単なことに前は気づけなかった自身に唯は自嘲しそうになったが、気持ちを切り替えて机の明かりをつけてスクールバッグからノートと筆箱を取り出す。
ノートを広げ、ペンをワンクリック。
「よーし」
腕まくりをして気合を入れた唯はこれから自分の解決すべき自分の問題をノートに思いつく限り書いていき、その優先順位をつけていった。
しばらくペンの走る音が部屋に響くのみだったが、横に違和感があったので見ればそこには冷めたコーヒーの入ったカップ。
緑色のそれは唯の家庭教師のもの。
やるべきことに目が行き過ぎて気づかなかったことに唯は苦笑してカップを片付けようとして、ふと、中身がないことに気づいた。
飲み干されているカップ、普通のはずだ、だけど、これは確か唯が最初に入れてヴェルデがいなくなってすぐに室中を探したときにはまだ残っていたのだ。
そこから考えられることは一つ。
唯は自然と上がってしまう頬を抑えるように口元に手を当てて、カップを見つめた。
「素直じゃないなぁ」
思わず呟いてしまったことが、案外正解なのかもしれない、なんて。
唯は一瞬浮かんだその思考を一旦は隅において、カップは片付けずに手元のノートに集中した。
そのノートで最優先と書かれているところにはこう書かれていた。
『お母さんとちゃんと本音で話す』。