夕方、すっかり日も落ちてきた時間帯。
ナミモリーヌの前で各々帰る方向に立って向かい合っている唯と奈々達。
あれから会話に花が咲き誇り、こんな時間になってしまったのだ。
「長々と付き合わせちゃったみたいでごめんね」
「大丈夫です、とても楽しかったので」
「そう言ってもらえると、嬉しいわ」
それじゃあ、と唯が手を振って別れようとした時奈々が「あ」と唯を呼び止める。
「そういえば、一番聞きたかったこと忘れていたわ!」
唯が首を傾げると、少しだけ不安をにじませた笑顔で奈々は質問する。
「あなたにとってツー君はどんな存在?」
唯は顎に手を当てて少し考え、それから手をおろして真っ直ぐ奈々の目を見つめた。
「私の、初めてできた友達です」
にっこり笑ってみせれば、奈々は目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「そう」
それから奈々達と別れた唯は右手に持つ、ケーキの入った袋を見て、早足で自宅に帰った。
自宅の扉の前に立って、深呼吸を二回。
(……荷物、まとめ終わっている頃、かな)
ゆっくりとドアノブをひねって、扉を開くと、そこには今から靴を履こうとしている女性の姿が。
唯はとっさに体の動きを止めてしまったが、それは相手も同じだったようで、驚いたように唯を見て固まっていたかと思えば、すぐに無表情になった。
「あら、それは?」
女性が指した先にあったのは唯の右手にある袋。
「あ、これは……ケーキ、買ってきたの……」
「そう、あの家庭教師さんと?」
その家庭教師が今は居ないことを知らない女性は当然のことのように聞いてくるが、唯は少し息を吸ってちゃんと告げる。
「あなたと、食べたくて」
今度こそ、女性の動きが止まった。
目を見開き、口を震わせ唯とケーキの袋を交互に見ていたかと思えばようやく口をちゃんと動かして。
「な、なんで……」
「……ケーキ、好きだって、前に、言っていた、から」
ぎこちなくも答えた唯に女性はまた信じられないものを見るかのような顔をしたがだんだんとその目が鋭さを持っていく。
唯は内心、言葉を選び間違えたかと焦る。
(ああ、違う、これじゃあ勘違いされる)
案の定、女性はすでに睨んでいるといっても過言ではないほど鋭い目で唯を見ていた。
「私が出ていくの、そんなに嬉しかったのね」
「ち、違う」
「じゃあ、なんで今日に限って買ってきたりしたの?それも、私と食べようなんて!今まで一回も言わなかったじゃない、一回も!」
最後には怒鳴り声になってしまっている言葉に唯は震えてしまいそうな体をなんとか抑えて、ちゃんと答える。
「今日だから、今日じゃないと、チャンスはもうないと思ったから」
「チャンス?まさか私のケーキに毒でも入れたの?」
「違うよ、そうじゃなくて、ちゃんと話し合えるのは今日しかないから!」
思い切って出した言葉は唯も驚くほど大きな声になって出てきてしまい、思わず唯は口を左手で押さえた。
女性は唯から大声が出たのに驚いたのか固まっている。
(い、今だ!)
ここで押さなきゃ女性は何かと理由をつけて外に出ると思った唯は勢いを殺さずにそのまま女性に近づいて手を掴み、リビングに連れて行く。
唯がそんな行動に出るとも予想していなかった女性はただただ驚いてなすがまま、靴もちゃんと脱がされているので素直に唯に手を引かれてリビングの椅子に座る。
その目の前にケーキの袋を置いてキッチンに入った唯は、女性の方を向いた。
「コーヒーと紅茶、ど、どっちがいい!?」
「へ!?あ、こ、紅茶で!?」
「りょ、了解しましたぁ!?」
お互いに混乱しているのか、その場の空気で唯はコーヒーを二つ入れてしまい、それを差し出された女性はぽかんとしながらブラックコーヒーを疑問も持たずに啜る。
ケーキの入った箱を袋から出して、開いた唯は、まだまだ勢いを殺さずに女性に中を見せた。
「ど、どっちのケーキがいい!?」
「あ、え、えっと、こっちのモンブランで!」
「はい!使うのはスプーンでいい!?」
「も、もちろん!?」
何故かテンション高い大声での会話で非常に近所迷惑だが、お互い今はそれすら頭にないので女性は渡されたモンブランをお箸で妙に美しく食べているし、唯はチーズケーキをスプーンで優雅に食べている。
先に我に返ったのは、女性の方だった。
自分たちの行動がおかしいことに気づき、今までのやり取りを思い出し、ついに吹き出して笑ってしまったのだ。
唯はいまだ混乱しており、何か粗相をしてしまったかとアワアワしている。
「そんなに怖がらなくてもいいわよ!」
「は、はい!」
コーヒーを飲んで少し眉をひそめながら女性が言うと、唯は背筋を伸ばして返事をする。
そんな唯を見て女性は内心。
(嫌われたものね、まぁ、仕方ない…か)
と、遠い目をする。
女性がコーヒーを見つめて感傷に浸っているのが見てわかったので唯は小さく深呼吸をして口を開く。
「あの、お母さん」
「……お母さん、ね」
「私、あの、好きな人、できたの」
「……え?」
予想していなかった言葉に女性は驚きの声を上げるが、本音とかを言うことに集中している唯には見えていない。
「それから、友達ができたの、ちーちゃん以外の、あ、あとは料理も上手になってね、この間チーズケーキ焼いたんだけど先生はあんまり甘い物好きじゃないから結局ほとんど私一人で食べちゃってさ、それで体重増えて大変だったんだ、ああ、それからね!」
「ちょ、ちょっとまって!いっぺんに言われてもわからないわ!」
「あ、ご、ごめん!」
少し沈黙ができ、女性は無意識に溜めていた息を吐き出し、落ち着いて聞いていく。
「……友達、できたの?」
「うん」
「女の子?」
「ううん、男の子」
「そう……チーズケーキ、私も好きよ、置いてくれれば食べたのに」
「その……ケーキ好きってこと、最近思いだしたから忘れてて」
「あらら」
クスクス笑う女性と先ほどの鋭い目の女性とのギャップで唯が少し驚いていると女性は「じゃあ」と笑顔で質問する。
「好きな人って、あの家庭教師?」
「へ!?なんで、わかるの?」
「わかるわよ、だって、あの子が来てから貴方随分と明るくなったもの……昔みたいに」
「え……」
目を見開く唯をまたクスクス笑う女性を、唯は今日初めてちゃんと見ることができた。
(綺麗なひと……だなぁ……)
唯の本当の母親と見た目がそっくりと言うが、本当の母親を知らない唯にとっては目の前の女性の色素の薄い髪の色が自分に遺伝したものだと思っていた。
しかし昨晩、唯の兄から聞かされた話で目の前にいる女性と唯の間に血の繋がりはなく、まったく赤の他人のはずだったと聞かされ、そのときは混乱したが、今ならば冷静に考えられる頭で理解できる。
父親が彼女を見て、本当の母親を思い浮かべて求婚すると同時に彼女ならば周りから変に疑われることもないという考えもあったのだろう。
唯の髪の色と、女性の髪の色はとても似ていたのだから。
白い肌に緑色の目が浮かぶようにあるのが髪の色と相まって幻想的に見えるが、よくよく考えれば自分も似たようなものなのだと思うと、そうでもないのかもしれないと思えた唯は、どうしてか。
不思議で、分からない何かが湧き上がった気がした。
「唯?」
驚く女性が腰を浮かしかけたが唯は思わず口を開いた。
「私、お母さんのこと、好きだよ」